遠い旅

10




 交代の時間の王都の外壁の番兵は、夜勤明けの目と起きざまの目をこすって呆気にとられた。
 馬のいななきが聞こえたと思ったら、空から夜明けの光に輝く四頭立ての馬車が下りてきて、城門の前に停まったのだ。
 詰め所は上を下への大騒ぎとなり、ぞろぞろと兵士が飛び出してくる。
「な、何奴だ」
「城門を開けろ」
 御者台の黒いマントを羽織った若い男が、冷たい声で返事をした。
「王都に外遊に来ている、我が国の王太子に呼ばれてきた。馬車の中にはラングレー公爵夫人が、公爵閣下の怪我のために無理を押して乗っている。とっとと城に取り次げ」
 懐から金で描かれた、王家の紋章入りの羊皮紙の巻紙を取り出して広げる。
「おまえらの国王からの招待状もある。開けないって言うのなら、実力で開けるまでだが」
 その言葉に従うように、黄金の馬車を引いた硝子の駻馬が炎の鼻息を吹き出し、馬蹄を踏みならす。
 警備隊の隊長がそれを半分腰を抜かしながら仰ぎ見て大慌てに部下に門を開けて城に使いを出すように指示を出す。大門が開かれ、若い男——レスターはフンと鼻を鳴らして通過した。馬車が市街に入ると、御者台の上から片手を振る。突風がゴオッと音を立てて城門の扉をたたきつけるように閉めた。
「……ま、まほう、つかい……?」
 誰かが声を絞り出し、馬車の後ろで警備隊の兵士たちがへなへなと座り込むのがレスターには手に取るようにわかった。しかしそんなことに頓着せずに大通りを城に向かってゆっくりと馬車を走らせる。
「——お姫、起きてるか?」
『うん……。レスター……あんまり乱暴なことしないほうが……』
 声を掛けると、心配そうな返事が返ってきた。
「ちょっと脅しを掛けただけだ。それよりぼちぼち城に着くからな。顔に涎のあとなんかつけとくなよ」
『よ、よだれなんて……垂らしてないもん……っ、レスターのいじわる……ばかぁっ……』
 めそめそ涙ぐむ気配がするが、王城で見せる顔としてはちょうどいいだろう、とさらりとレスターはひどいことを思った。旅でやや窶れたか弱い公爵夫人が涙ぐみながら馬車から現れるという図は、レスターの計算通りである。もう一押ししておくことにする。
「旦那のことでも考えとけよ。どういう状態かは会ってみないとわからんがな」
『……』
 馬車の中でエリスが息をのみ、やがてぐすぐすとすすり泣く気配がした。ヘルムートさまぁ、と涙ぐむ声も。よしよしとレスターは内心頷いた。
 王城の金色に輝く門をくぐると、先行した使いのおかげか、離宮の正面入口に人だかりが見えた。こちらの馬車を指さして驚きの声を上げているのがわかる。レスターの鋭い眼は、王太子リカルドの姿をとらえた。
 馬車寄せに馬車を停めると、身軽に下りたレスターは人だかりを見渡した。
「王太子殿下はどこだ。ラングレー公爵夫人をお連れしたが」
「俺ならここだ」
 おなじみの人物がふたつに別れた人ごみの間からゆっくりと現れた。
「ひさしぶりだな、前王宮付き魔法使い」
「まったくだな、王太子。あんたの伝言通り、公爵夫人を連れてきた」
 嫌みをこめて恭しく一礼して見せると、どうやら王太子殿下は片眉をあげたようだった。
「ああ、公爵夫人を幼少のころから守護している魔法使いとは、もしかしておまえのことだったか」
 公爵夫人の守護者? そんな者をお持ちなのか、というどよめきが周囲からおきる。
「そういうことだな」
 視線をあげると、美丈夫が頷いた。馬車に向き直ると扉を開ける。
「レスター……」
「お姫、ついたぞ」
 差し出した手に小さな手が乗って、ゆっくりとエリスが下りる。その手の熱さにレスターは眉をひそめた。
「お姫……熱があるだろう」
「……平気。ヘルムートさまにお会いするまでは……」
 人だかりからため息が漏れる。柔らかな最上等の毛皮の外套に包まれてあらわれた、ほっそりと儚げで可憐な少女。緊張と馬車に揺られての疲労で青ざめ、心細さに涙ぐんだ公爵夫人にレスター以外のその場の誰もが同情した。
「エリス……」
 駆け寄ったのはジーナだった。
「ジーナさま……」
 少女たちは手と手を取り合った。
「ごめんねエリス。ヘルムートが……」
「ヘルムートさま……お怪我を……」
「うん、さぁ案内するよ。……あなたたち、やじ馬してないでさっさと公爵夫人のために道をあけなさい。だれか、この方のために部屋を準備してもらうようにして。せっかく来た彼女まで重病になったら公爵にどれだけ恨まれるか」
 妃殿下の号令に、随員たちが慌てたように動き出す。
 リカルドは魔法使いをちらりと眺めやった。
「おまえもひとまずヘルムートを見てやってくれ」
「ああ」
 無愛想に頷く魔法使いが歩き出すのに歩調を合わせてリカルドも歩き出した。



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