遠い旅

11



 廊下を急ぎ足で歩いていると、向こう側から知った顔が飛んでくる姿が見えた。
「……ロビン……!」
「奥さま……! どうやってこんなに早く……」
 言いかけてレスターの姿をみて納得したらしい。
「と、ともかくご案内します」
 案内された部屋は暖かく空気もしっとりとしていた。
 寝台の足許にレティーが立っており、エリスの顔を見て「奥さま……!」と絶句して駆け寄ってくる。
「ヘルムートさま……!」
 エリスは外套を脱がせてもらうのももどかしく、寝台に駆け寄って枕元を覗き込んだ。
 ヘルムートは青ざめた顔色で目を閉じていた。どきどきしながらその頬にそっと触れると、睫毛が震えてゆっくりと瞼が開く。そのままゆっくりとアメジストの瞳がまわりを見回してエリスと目と目があう。
「……!」
 驚愕の表情が浮かぶのに、エリスはぽろぽろと涙を零しながら頷いた。唇が震えてヘルムートの名を呼ぶことも出来ない。大きな手がのばされるのを、エリスの小さな両手が握りしめる。
「……エリス……」
 かすれた微かな声がヘルムートの唇から漏れる。「……これも……夢なのかな……」
 エリスは必死に首を振った。あなたを迎えに来たの。そう言いたいのに言葉にならない。ヘルムートのあまりの弱った姿に胸が痛い。
「エリス、泣かないで……」
 大きな手がエリスの手から滑り出て、エリスの頬を伝う涙をぬぐう。その手を小さな手でそっと覆い、掌にくちづける。愛しくて、大切で、涙目のまま微笑みかけると、ヘルムートも微笑んだ。空いている手でヘルムートの蜂蜜色の髪を、頬を撫でると、目を閉じて幸せそうに吐息を漏らした。
「おそばにいます……」
 エリスはそっと囁いた。「だから……早く元気になって……」
 ヘルムートはやがて寝息をたてだした。リカルドとジーナに勧められて、エリスはベッドの傍から長椅子に座り直す。
「背中と脇腹を切られてね。出血がひどくてなかなか傷は塞がらんし熱が出てなかなか下がらないし、どうなるかと心配した」
 リカルドが説明すると、エリスは怯えた表情を見せ、その後ろに立つレスターは鼻を鳴らした。
「四日前くらいからなんとか容体が安定してきたんだ。それまではうわごとでエリスちゃんを呼んでいてなあ……。それで呼びよせたんだが」
「わ、わたし、ヘルムートさまの夢を見て……」
「お姫」
 レスターの鋭い声が、エリスの口を閉ざした。
「おまえの旦那の容体は安定したようだが、おまえはとっとと用意してもらった部屋で寝ろ。家からまともに出たこともないおまえがそもそも二日以上馬車に揺られっぱなしだったんだ。熱が出てるんだから、大人しく寝ろ」
「だって……ヘルムートさま、の、看病……」
「俺にこれ以上余計な手間をかけさせるつもりか」
「あう……」
 悄気返るエリスを見て慌てたようにロビンが「レティー、奥さまがお休みになるのを手伝ってさしあげてくれ」と口添える。
「奥さま、魔法使い殿が言うように、お休みになったほうがいいです。ここで倒れたら旦那さまが心配されます」
「う、うん……」
 しょぼんと立ち上がると、レティーに付き添われてエリスは歩き出した。と、立ち止まって振り返る。
「で、でもレスター……あの、ヘルムートさま……助けて……」
 魔法使い様は盛大な舌打ちをした。
「お姫、俺がなんのためにこんな北国までおまえを連れて来たと思ってんだ」
「うん……ありがとう、レスター」
 ほっとしたようにいうのに、眉をひそめる。
「いいからとっとと寝ろ」
「うん……。じゃあ、ジーナさま……王子さま、ごめんなさい」
「うん。熱があるなら休んだほうがいいよ。わたしの着替えとか貸すから、一緒に行こう」
 ジーナも付き添って部屋から出ていくと、部屋の中には男だけが居残った。
 リカルドはやがてくすくす笑い出した。
「なるほど、ヘルムートが昔からクソ魔法使い呼ばわりしているわけだ。溺愛しているお姫様にこの態度じゃなあ」
「悪魔野郎に俺を非難されるいわれはない」
 長椅子に腰掛けたレスターは眠っているヘルムートを冷たい目で眺めた。
「あいつはな、ガキの頃に見も知らぬ俺に唐突に毒薬入りの苺と菓子なんぞを送り付けてきたんだ。しかもその理由が、お姫が俺に怒られてべそをかいたからだと」
「あいつはエリスちゃんを子どものころから溺愛してたからなあ」
 リカルドはロビンに紅茶を入れさせる。
「しかもどうもおまえのことは子どものころからライバルだと思って嫉妬丸出しだったし」
「知っている」
「そのくせ自分がエリスちゃんに夢中なのを自覚してなかったし」
「知っている」
「で、俺の補佐役は魔法使いが見てはどんな具合なのかな?」
 ご機嫌な口調で尋ねたリカルドは、しかし口調とは正反対に、眼差しは真剣なものだった。
「傷口が腐ってなければ、公爵の体力なら問題ないだろ」
 レスターの口調はそっけなかった。「俺が魔法薬を使うまでもない」
 寝台に顎をしゃくる。
「それであいつはまた遊んだ女の躾をし損ねたのか」
 冷静かつ容赦の無い科白にリカルドは苦笑した。
「いや、最近ヘルムートはエリスちゃん一筋で遊んじゃいない。相手にされなかった女が逆恨みしたんだ」
 無表情にレスターは視線だけで話を促した。
「俺も親友を斬られて黙ってた訳じゃ無い。まずは向こうの首を要求した。どうせ王位継承者なんて腐る程いる国だ。国交とどっちが大事かとね」
 だが、さすがに国王の甥と公爵では首級を差し出すという結論は出ず、ならば継承権剥奪と王族追放、それに賠償とこちらの王家に公式謝罪文書、更に公爵家への公式謝罪を要求しているところだという。
「だからお姫を連れて来いと言ってきたのか」
「そうさ。エリスちゃんを見て気の毒に思わん奴はそうはいない。ヘルムートですらメロメロになるほど庇護心を刺激するんだ」
 レスターの視線が鋭くなった。
「あんた、もしかして俺がお姫を送ってくるのも計算してたか」
「賭けではあったな。そもそもヘルムートの容体が悪くて、死に際に間に合うか危惧してたし。まぁエリスちゃんのお守り役の魔法使いがおまえだったなんて、俺は誰からも聞いてもいなかったから驚いたが」
「元王宮付き魔法使いは何やってたんだ」
「ジーナを責めるなよ。治癒の呪文でもなかなか難しいほどの傷だったんだ」
 長椅子の背もたれにリカルドは全身を預けて足を組む。
「だがひとまずヘルムートはかろうじて快方に向かっているしな。外遊が予定変更になったのはあちこちに支障を来したが……先方には詫びの使者はたててあるし、なんとかなるだろう」
 一瞬目を閉じて、改めてレスターを見る。
「おまえにはラングレー公爵夫妻を護衛しながら屋敷まで送り届けてもらいたい。大公は現在謹慎中だが、やたら自尊心の強い男でな。こいつも逆恨みしてる可能性がある。国許に送り返そうにも、途中で大公に私兵を連れて襲われたら終わりだしな」
「面倒を押し付けてくるんじゃねぇよ」
「おまえ、結局は依頼を受けてるじゃないか」
 舌打ちににこやかなツッコミが来た。
「受けた依頼を果たせない程無能な魔法使いじゃないだろう?」
 ちっ、とレスターはそっぽを向いた。
「それに、エリスちゃんが望めば力を貸すとかいう契約なんだろう? エリスちゃんのお願いなんて決まってるじゃないか」
(この王子……やっぱり公爵以上に性格が悪いな)
 レスターは確信した。そもそもヘルムート・ラングレーと子どものころから親友でいられるような男がまともな人間であるはずがない。お姫といいジーナといい、男の趣味の悪さをなんとかしろ。
「俺は相談役でお守り役じゃないんだがな」
 リカルドはゆったりとした笑顔を浮かべた。
「たいして違わないだろ。おまえの優秀さはわかっている。よろしく頼むぞ」
 優雅な所作でたちあがると、ロビンに送られてリカルドは部屋を出ていった。残されたのは無表情ながら憮然としたレスターと……
「おまえでもリカルドには手を焼くんだな」
 微かな苦笑とともに、ヘルムートの声がした。
「狸寝入りとはいい度胸だな、公爵」
「寝ている脇で大声で喋られてみろ。目も覚める」
 立ち上がると、レスターはヘルムートの枕元に立った。
「なんだったら、あんたの傷口を拳で抉りなおしてやってもいいんだぜ」
「ぶちのめすぞ、クソ魔法使い」
 歯噛みしながら起き上がろうとするヘルムートに対して、レスターが何事が呟いた。途端に呻くと左の脇腹を押さえて突っ伏す。
「怪我人は大人しく寝てるんだな。お姫じゃあるまいし、手を焼かせるなよ」
 平然と言ってのけると踵を返した。
「まぁその調子なら、お姫と一緒に帰れるだろ。お姫の様子を見てくるからな」
「……オルスコット」
「なんだ」
「……礼は言わないぞ」
 ドアのノブに手をかけて、レスターは肩をすくめた。
「あんたに礼なんぞ言われたら、俺が気色悪くてやりきれん。こっちからお断りだ」

********

「エリスがレスターの最初の仕事相手だったんだ?」
 ジーナはエリスの枕元で首を傾げた。
「確かにティアーズ家はセロンにあるけどさ」
「えっと、おじいさま同士がお友達で、レスターは小さい時からわたしの相談にのってくれるお友達なんです」
  ふぅん、と呟くとジーナはにこっと笑った。
「でも、エリスと会えて嬉しい。荷物少ないようだけど、わたしのドレスとか貸すからね。遠慮しなくていいよ」
「はい」
 ありがとうございます、というエリスの手を撫でた。
「空を飛んできたんだってね。すごいね。落ち着いたらその話も聞きたいな」
「はい……」
 ドアがノックされて、レティーが開くと、ロビンに案内されたレスターが入ってきた。
「レスター」
「お姫、熱冷ましだけ飲んどけ。一眠りすりゃあ疲れも取れるだろうが、念のためだ」
 レティーに紙袋を渡すとそれだけ言ってレスターは面倒くさそうにさっさと部屋から出ていった。
「……へえ」
 ジーナはそれを見送ってレティーを手招きした。紙袋の中を覗くと、また「へえ」と言った。



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