遠い旅

12



 大使は離宮に向かう馬車の中でため息をついた。
 大公殿下のおかげで、国王は国賓に対する面子を丸潰れにされた。しかも賓客が要求してきたのはとてつもないものだった。首級はなんとか退けたものの、各国には駐在大使を通じて今回の件はとうに知れ渡っているだろう。
 しかも、今朝早くに大公が切りつけた公爵の奥方が魔法使いを伴ってやってきたのだという。空飛ぶ四頭立ての馬車を炎を吹く馬に曳かせてきた、という報告を受けて、王宮は上を下への大騒ぎとなった。狼狽える国王に対して大使は大公の処分を引き伸ばしていても埒は明かないと奏上したのだが、血筋を重んじる伝統に縛られた国王は、王位継承権剥奪も、王族からの追放も、結論を出そうとしなかった。

 午後のお茶の時間にあわせて大使を呼びつけた王太子夫妻の腹積もりはわかっていた。呼び寄せた公爵夫人に、まずは大使から謝罪させようというものだろう。彼個人としては謝罪もやむを得ないものだったが、国王がウンと言わないと身動きできないのも事実だった。全くもって胃がきりきりと痛む。
(それにしても、あの美貌の公爵の奥方とはどういう女性なのか)
 王太子が佳人がどうとか、公爵が虚弱な奥方だとか言っていたが。それで魔法使いがお供?
 手土産代わりの紅バラの大きな花束を従僕に持たせ、離宮を侍従に先導される。通されたのは、南側の庭園に面したサンルームだった。
 随員も参加した多人数の茶会かと思いきや、その場にいたのはほんの数人。王太子夫妻とそれに可愛らしい色のドレスを纏った見知らぬ年若い女性。召使いたちも少人数で、どうやらごくごく内輪の茶会のようだった。
(……あれがそうなのか……?)
 素早く見てとり、驚いた。
 天使の美貌と称される公爵とはまるきりタイプの違う、風が吹いても折れそうな華奢で可憐な女性ではないか。
「お招きいただき、ありがとうございます」
 深々と王太子夫妻に一礼すると、リカルドは鷹揚に頷いた。
「聞き及んでいるだろうが、ラングレー公爵夫人が到着したのでね。大使に紹介しようと思ってお茶にお招きした」
 淡い黄色のドレスを纏った女性はほっそりとした立ち姿で、透き通るように色が白く、翡翠色の大きな瞳と茶色の柔らかそうな髪をしており、控えめでおっとりとした雰囲気を醸していた。今まで出会ってきた王侯貴族のどんな令嬢たちとも違う。しかし育ちの良さははっきりしていた。
「公爵夫人、こちらがわれわれに付いてくださっている、この国の大使だよ」
「は、はじめまして。エリス・ラングレーです」
 細く小さな声で挨拶する公爵夫人に度肝を抜かれながら、大使は小さな手を取ってその甲にくちづけた。
「遠い旅路をようこそおいで下さいました。公爵のことは……お見舞い申し上げます」
「あ……はい。でもヘルムートさまがご無事だったので、あの、安心しました」
 従僕に合図して、花束を王太子妃と公爵夫人に差し出す。
「あら見事なバラ。ねえ、エリス?」
 ジーナが嬉しそうな声を出し、エリスははにかんだ笑みを浮かべた。
「あの、ヘルムートさまのお部屋に飾ってふたりで楽しみます。ありがとうございます」
 初々しい可憐さに、大使も父親のような気分になって笑み返した。「お気に召していただいて幸いです」
 侍女に花束を預けると、椅子に腰掛ける。
「そういえば魔法使いの方がご一緒と伺いましたが、お姿がないようですな」
 大使の言葉に、そういえばとリカルドがジーナを見やると、ジーナも首を傾げた。
「あの、レスターは、お、お知り合いの……おうちに、出掛けたんです」
 エリスが小声で言った。
「あの、アレイスターおじいさまの……、あ、レスターのおじいさまなんですけど、……そのお友達、が、この街にいらっしゃる、って……」
 ほう、と大使もリカルドも声を上げた。
「この都にも魔法使いがいたのか」
「いや、わたくしも全然存じませんでした。一度魔法使いには会ってみたかったのですが」
 それにしても、と大使は不躾な視線を公爵夫人に投げ掛けた。あの物腰は優雅だが性格のきつい公爵の奥方がこれほどまでに……
「なるほど。たしかにそうですな」
 きょとんとしたエリスに言葉を継ぐ。
「いや、以前殿下から、公爵夫人のことを公爵がとても大切にされておられると伺っておりましてな。それで実際にお目にかかってなるほどと」
 ぽっと頬を赤らめて俯く内気な奥方をあの公爵が溺愛するというのもわかったような気がした。たぶん大事に大事に掌中の玉のように慈しんでいるのだろう。
 どう見ても、大公とあの姫君はこの勝負では負けたな、とも思う。
 それから大使は当たり障りのない会話で茶会を楽しんだ。リカルドの腹積もりではヘルムートの容体次第で魔法使いに公爵夫妻を早速にでも国許まで送らせるつもりだということも把握した。
「陛下への謁見はいかがなさいますか?」
 三人の顔を順番に見渡しながら尋ねると、王太子は公爵夫人の顔を眺め「やめておくかな」と呟いた。
「公爵夫人は見ての通り、箱入りの箱入りな内気な女性なのでね、公爵がついていないと無理だろう」
「左様ですか。……そういえば公爵夫人は絵をお描きになるそうですな」
「はい」
 小さく甘く可愛い声が返ってきた。
「子どものころに伯父がすすめてくれて、ヘルムートさまも褒めてくださって、それで……」
「風景画を描かれると伺っております。こちらの王宮の庭園もお国の王宮に負けないものと自負しておりますよ」
 王太子妃も「そういえばここのお庭って素敵ですものね」というので、公爵夫人は可愛らしい笑顔を浮かべた。
「では、お天気の良い日に一度ご案内いたしましょうか」
 その時には王太子ご夫妻も交えて、と約束を取り付けて、大使は満足して帰っていった。

 その話をリカルドから聞いて、ヘルムートとレスターは顔をしかめた。
「俺はとっととお姫と公爵を連れて帰りたいんだが」
「黙ってろクソ魔法使い。……リカルド、それは非公式に国王がエリスに会うって事だな?」
「ま、俺もそのつもりだ。だから俺とジーナもくっついていくんだし。なにか不満か?」
「あの子になにかあったらどうしてくれる」
「なにかってなんだ」
「知るか。……エリスを泣かせたり怯えさせたり傷つけたりしたら承知しないぞ、リカルド」
 機嫌の悪いヘルムートをリカルドは眺めた。
「おまえ、切られた分を取り返したくないのか」
「エリスを政治に使うな。僕の大事な子だぞ」
「おまえのためなんだぞ。切られっぱなしでやり返さないとか、おまえらしくもない」
 まぁまかせておけ、あの大公は破滅させてやるさとにたりと笑ってリカルドは部屋を出ていった。
「——悪魔の友達はやっぱり悪魔だな」
 しばらくして、レスターは呆れたように言った。「破滅とか気安くいいやがって、あの王子」
 ちらりと怪我人を見おろした。
「お姫は俺がちゃんと守っとくから安心しとけ。もとはといえば、あんたが買わないですむ喧嘩を買ったのが原因なんだからな」
「おまえもおまえだ、オルスコット。なんでエリスを連れてきたんだ」
「お姫に会えて喜んでたくせに言うなよ。あんたが死にかけてうわごとでお姫の名前を呼ぶからだろ。あんたが刃傷沙汰に負けるとは思わなかったがな」
「うるさい……まさか、一対多数だなんて考えてもいなかっただけだ」
 憮然としてヘルムートは呟いた。
「これなら、全員斬り殺せば良かった」
 レスターは呆れたように肩をすくめたが何も言わなかった。


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