遠い旅

13



 二日後の気持ちのいい昼下がりに、エリスは大使と王太子夫妻と連れ立って庭園の散策に出掛けた。
「ヘルムートさま……行ってきますね」
「うん。僕も一緒に行けないのは残念だな」
 枕の上でヘルムートはエリスの小さな手を握りしめた。
「気をつけて、楽しんでおいで」
「はい」
 ほにゃりと笑うエリスにキスをすると、ヘルムートはようよう手を離した。
 馬車で主庭園まで乗りつけると、美しい庭をぞろぞろと散策する。北国は一度に春がやってきたらしく、様々な花が一度に咲き誇っていて、大きな花壇のなかでエリスはうっとりと景色を眺めていた。
「……おや、見かけないお嬢ちゃんがおるな」
 背後から声を掛けられてびっくりして振り返ると、立派な衣装を纏った老夫妻が立っていた。
「こ、こんにちは……っ」
 どきどきしながら挨拶すると、老紳士は口ひげを捻りながら「うむ」と頷き、老貴婦人は「いいお天気ですこと」と返事をした。
「あ、あの……きれいなお庭ですね」
 一生懸命にいうと、老夫妻は顔を見合わせ、にっこりと笑った。
「一度に春がきたという感じじゃないかね?」
「はい……っ。夢みたいです……っ」
 うっとりというと、老貴婦人がにこにこと笑って言った。
「お嬢さんも春の妖精みたいに幸せそうですわね」
 ぽうっと頬を染めて俯くエリスを見て、老紳士は「おや」と呟いた。
「お嬢ちゃんかと思ったが、もしかして結婚されているのかね」
 結婚指輪を目ざとく見つけたらしく、「ほうほう」と笑う。
「あらまあ。旦那さまはご一緒じゃないのかしら?」
 目を丸くする老貴婦人の言葉に、ちょっとしょんぼりした。
「あの……ヘルムートさまは、お怪我で寝ていらして……。お散歩に一緒に来られなかったんです」
「まあ」
「だから、お庭をたくさん見て、ヘルムートさまにどんなに綺麗かお話ししようと思ってて」
 出来るなら絵を描きたかったのだけれど、絵の道具はさすがに持ってきていない。それならできるだけこの目に焼き付けてヘルムートさまに教えて差し上げたい。
 そう言うと、老夫妻は「好きなだけ花を摘んでいきなさい」と言ってくれた。
「いいんですか……?」
 小首を傾げながら尋ねると、老夫妻は頷いた。
「こんな可愛い奥さんに花を贈られて喜ばん夫というのはそうそうおらんよ」
「花もすぐに散ってしまうでしょうし、喜んでくれる人に見てもらうのが幸せですよ。お付きの侍女は居ないの?」
 不思議そうに尋ねる老貴婦人に、「はい」と笑顔を向けた。
「あの、ヘルムートさまについていて貰ってます。わたしは王子さまとジーナさまと大使さまとお散歩なので」
「そうなのかね……。では我々の侍女をつけてあげよう。——この方のお望みの花を摘んでさしあげなさい」
 振り返って従っている侍女にいうのをびっくりする。
「あの、そんな、大丈夫です……っ」
 お年寄りのほうが侍女がついていないと大変だろうに。そう思って断ると老紳士はカラカラと笑った。
「大丈夫じゃよ。そなたのほうがひよわそうじゃ。我々は互いに支え合って散歩をするとしよう。のう?」
「そうでございますわね」
 老夫妻がにこにこと顔を見合わせるのを見て、エリスは胸があたたかくなった。
「あの、とっても素敵です……っ」
 両手を握りしめて一生懸命にいうと、「ん?」と老紳士が眉を上げた。
「わたしも、ヘルムートさまと、おふたりのような素敵な夫婦になりたいです……っ」
 ヘルムートさまに頼ってばかりの身体の弱い泣虫から、ヘルムートさまの支えとなれるような奥さんをめざしたい。
 老夫妻は破顔一笑した。
「まぁ、褒めていただいて嬉しいわ。あなたはどちらに滞在されているの?」
「あそこです」
 庭園の向こうに見える離宮を指さすと、老夫妻は頷いた。侍女に改めてエリスの欲しがる花を摘むように言いつけると「では」と会釈して立ち去っていった。

*********

 午後のお茶の時間に間に合うようにエリスが戻ってくると、ヘルムートの部屋はかぐわしい匂いと春の色彩であふれた。
 老夫妻がつけてくれた侍女は花を活けると下がっていった。「おふたりに感謝していたとよろしくお伝えくださいね」と熱心に礼を言うエリスに侍女は好感を持ったらしく「また何かございましたらおっしゃってください」と挨拶をして立ち去った。
 庭園で出会った素敵な老夫婦のことを、ふたりでのお茶で話すと、ベッドの上に起き上がったヘルムートは微笑んだ。
「そうだね。僕の両親は母が早くに死んだし、きみのご両親もまだお若いからね。リカルドのところもまだ国王陛下ご夫妻もお若いし。年をとって夫婦で揃っていられるというのはとても素敵なことだね」
「はい……っ、わたしもっと元気になります……っ」
 張り切った返事をするエリスにヘルムートはくすっと笑った。
「そういえば無理してない?」
 いつもより頑張ってるよね。
 そう言いながら額に手を伸ばしてくる。大人しく熱を計ってもらいながらエリスは頬を赤らめた。
「ほっぺた赤いけど、熱はないね」
 こっくりと頷くエリスを腕の中に抱きしめて、ヘルムートはふうと息をついた。
「ヘルムートさま……傷が痛みますか?」
「そんなことないよ。……エリス、とっても似合うよ」
 エリスはこの国の衣装を着ていた。大使が「お召し替えも少ないようですし、お似合いになると思いますので」とこの国のお姫様の着る衣装というのを何着か届けてきたのだ。繊細な刺繍が施され、真珠や琥珀があしらわれたドレスと髪飾りを身に着けたエリスはまるで人形のように可愛いとヘルムートは思っていた。
「大使さま、とってもご親切なんです。まるで娘が出来たみたいって言ってくださって」
 息子しかいないという大使に娘のように可愛がってもらうのが嬉しいらしく、エリスはふんわりと笑った。ちょっと嫉妬しながらヘルムートは微笑んだ。
「この国はね、地方ごとにお姫様の衣装が違うんだよ。そうだね、そういうもののお土産もよかったかな」
 でも絵葉書もお手紙も嬉しかったです、と微笑むエリスにキスをする。使用人もさがらせて、ふたりきりの甘い時間。
 暖炉で薪は爆ぜ、燭台の蜜蝋のロウソクは甘く薫っている。
「知らない人と一緒にいるのは慣れた?」
 それでも他の随員たちと顔を合わせることはあるのでヘルムートが心配しながら尋ねると、エリスはほにゃりと笑って「はい……っ、やさしい人たちばかりで、楽しいです」と言った。その笑顔にしみじみと癒される。
「できるだけ早く家に帰ろうね」
「はい……っ」
 エリスも弾んだ声で返事をした。きっと家の庭もきっと花が咲き乱れて、木々の葉擦れの音も爽やかで、きもちがいいだろう


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