遠い旅

14



 翌日、傷を確認したレスターから許可が出たので、ヘルムートはエリスと離宮の庭を散歩した。
(まったく、なんで僕があいつにあれこれと指図されるんだ)
 内心むっとしながらもエリスと散歩できるまで傷が回復したのがうれしい。
「ヘルムートさま、お怪我は痛くないですか?」
 心配顔のエリスに微笑む。
「大丈夫だよ。きみも具合は大丈夫?」
「はい……」
 ぽっと頬を染めるエリスを木陰に抱き寄せてキスをすると、更に赤くなる。
「あの、ヘルムートさま、誰かに見られたら……」
「夫婦がキスしてたって誰も驚かないよ」
 シャツの上にこの国の衣装を着ているヘルムートの姿をエリスはまぶしそうに見上げた。
「ん? どうしたの?」
「ヘルムートさま……とっても似合ってて……すてき……」
 なんとなく見当はついたが訊いてみると、腕の中で小さな声が囁く。思わず愛らしさにくらりとする。
「きみも似合ってて可愛いよ、僕の奥さん」
 ぎゅっと抱きしめると、エリスはうれしそうな、それでいて複雑そうな表情をした。
「どうしたの?」
「だって……もっと美人で可愛いひとがたくさんいると思って……」
「よその女なんて関係ないよ。僕にとってはエリスが世界で一番愛しくて可愛いんだから」
 こめかみにキスをしながら囁く。
「時々思うんだよ。僕がこんな派手な顔じゃなくて、もっと平凡な容姿だったら、僕がどんなにきみのことを愛してるかもっとわかってもらえたのかなあって」
「え……」
 エリスは驚いたようにヘルムートを見上げた。
「そんなこと……。ヘルムートさまが天使さまみたいなのは、悪くないです……っ」
 きっとヘルムートさまはこのお顔でなくても、その心の眩しいくらい強くてどこか気高いところとか素敵で、やっぱり天使さまみたいに綺麗だと思います。
 そう言われて、なんだかとても照れてしまう。
 照れ隠しにぎゅうっと抱きしめていると、誰かが連れ立って歩いてくる気配がした。顔を上げると、見覚えのある老夫妻がのんびりと散策している。
(なんでこんなところをあの夫婦が歩いているんだ)
 見たところ正装もせず、供も侍女一人。しかしここには客が泊まっているのである。そこに宮殿の主と言えどずかずかと入り込むなんてありえるのか?
 そう思っていると、老夫妻がこちらをみつけて「おお、ここにいたのかね」と親しげに声を掛けてくる。
「あ……っ、こんにちは……っ」
 腕の中で振り返ったエリスがうれしそうに挨拶をした。
「まぁ、今日もかわいらしいこと。今日の衣装も大使が選んだのかしら?」
「はい……っ」
 老貴婦人に褒められてエリスはヘルムートの腕の中でもぞもぞと動き……困った顔になってヘルムートを見上げた。
「あの、ヘルムートさま……」
「ああ、ごめんねエリス。ところで知り合いの人?」
 腕をゆるめながらトボケて尋ねると、エリスはにっこり笑った。
「あの、このあいだ王子さまたちとお庭をお散歩した時にお知り合いになったんです……っ。お花を摘んでもいいって言ってくださったご夫妻です」
「まぁ、あなたがこの可愛らしい奥さまの旦那さまだったのねぇ」
 老貴婦人(つまり王妃なわけだが)はヘルムートににっこり笑ってきた。
「たしかに一緒だと、かわいらしいご夫婦だこと」
 当てこすられてむっとした。
 ねえあなた、と言われて老紳士(国王なんだとヘルムートは自分に言い聞かせた。そうでないと罵倒しそうな気分だったからだ)も「うむ」と頷いた。
「たしか先日会った時は顔は綺麗だが虫の居所が悪そうだったからの。奥方と一緒の今は機嫌が良いようだが」
 どうやらこちらのいちゃいちゃぶりを遠くから見ていたらしい。
(食えないジジババだ)
 内心舌打ちしながらにこやかに挨拶をする。
「先日は妻にご親切にしていただき、ありがとうございました。僕も楽しませていただきました」
「かまわんよ公爵。大公がああいう振る舞いに及ぶとは儂も迂闊だったのでな。いい 年齢トシをした男のやることではないし」
 おや。
 ちょっと意外に思っていると、「あなた」と老貴婦人が老紳士の袖を引いた。それで気がついたらしく、老紳士はこほんとひとつ咳払いをした。
「ああいやなんでも。……ところで怪我をして寝ていると可愛らしい奥方が言われていたが、傷はもういいのかね?」
「はい……っ。レスターが、あの、わたしをここまで連れてきてくれたお友達なんですけど、レスターが歩いたほうがいいって言ってくれたので、お散歩してます……っ」
 うん?と首を傾げる老夫妻に、ため息をつきながら説明をくわえる。
「妻を連れてきた魔法使いが腕のいい薬師なんですが、それが傷は調子がいいので体力の回復をしろと」
 事実なのでそれは構わないのだが、あれに指示されるのが腹立たしい。
「なるほど……」
 こちらを見る視線の解釈が微妙だったが、老夫妻は頷いた。
「リカルド殿とも話しているのだが、まぁ……無理をせぬようにな」
「そうですよ、可愛い奥さまを泣かせてはお気の毒ですからね」
 泣かせた原因はどこのどいつだ、と思ったが、にこやかに頷く。
「それは勿論です。なによりも大切な妻に心配させて至らなかったと思っています」
 その大切な妻は相変わらず腕の中で、恥ずかしさのあまり真っ赤になっているのはわかっていたが、いけしゃあしゃあと言う。
「ほんとうに仲睦まじいこと」
 老貴婦人が半ば顔を引きつらせるのに何も言わずにふわりと麗しい笑顔を浮かべる。それを見て老貴婦人は「これはもう、若いかたたちがどんなに秋波を送っても相手にされるわけはないわね」とため息をついた。
 そのまま二、三、言葉を交わすと、老夫妻は会釈して去っていった。



次のページ 前のページ 【小説目次】へ戻る トップページへ戻る


此処のURLはhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~magiaです