遠い旅





 王子リカルドは、不機嫌の極致にあった。

 長年の片思いの相手だったジーナとめでたく婚儀をあげ、王太子の地位にあがり、ある程度国内行事が落ち着いたところで外遊に出掛けることになった。
 ヘルムートが同行するのは言うまでもないことだったが、元学友が子どもの時から恋していた「可愛い奥方」がついてこないとわかって、新妻がむくれてしまったのである。
「なんでだ」
 詰め寄ると、ヘルムートは「エリスの体力じゃあの旅程は無理だから」とあっさり言ってのけた。
「ジーナがむくれたじゃないか」
「僕だって、本当ならエリスに一人留守番なんてさせたくない」
「じゃあ連れて来いよ」
「エリスを病気にするつもりか、リカルド。それなら僕も行かないぞ」
 それは困る。ということで、ジーナに言うと、ジーナはぷりぷりしながら「わかった」と返事をしてきた。
「エリスが病気になるんじゃ駄目だもの。しょうがない、我慢する」

 なんで俺が調整役をするんだと内心ぼやきながら、リカルドは外遊に出発した。
 本来ならジーナとふたりで一緒の馬車だが、数日でリカルドはヘルムートの馬車に追い出された。
「いつも一緒は鬱陶しいから、移動中くらいはあなた抜きで寛ぎたいんだけど」
 こっちが泣きたくなるようなことを、新妻はさらりと言ってのけた。
 しぶしぶヘルムートの馬車に移動すると、「見かけは天使な悪魔」も不機嫌になった。
「なんできみのお守りをしなくちゃいけないわけ。僕は忙しいんだ、エリスに手紙を書くんだから」
「そのくらい、宿についてからにしろ」
「到着したら行事だらけじゃないか。僕の邪魔をしないんだったらいてもいいが、邪魔したら叩き出すぞリカルド」
 おまえら俺は王子で王太子なんだが。
 泣きたくなるような気分で、持ってきた本を暇つぶしに読む。ときどきちらりと目を向けると、ヘルムートは蕩けそうな顔で物思いに耽りながら風景を眺め、手紙を書いている。ふと気がつくと、時々胸元に左手をやっている。
「おまえ、なに持ってるんだ」
 アメジストの瞳がちらりと向く。
「なに」
「左手さ」
 見せられた「エリスがくれたお守り」でノロケをたっぷりと聞かされた。ああもう。儀典と外交の連中を絞め殺してやりたい。なんでエリスちゃんが参加できるような旅程にしなかったんだ。
 国境を通過して本格的に外遊が始まると、行事の合間にジーナとお忍びで街を見物に出る。その時、たばこ屋の店先でヘルムートを見かける事が多かった。聞けば絵葉書を買い込んでは留守番の奥方にせっせと手紙を書いてるとか。

 夜会でそれを聞いて、リカルドは呆れた。

「おまえ、馬車でもたっぷり手紙を書いてたじゃないか」
「エリスは絵葉書も嬉しがるんだよ。あの子は遠出したことがないからね」
 そういえば昔、短期留学に引きずっていった時もわりとまめに絵葉書を出していた。お姫様会いたさに負けて途中で自分を放り出して帰国してしまったが。
「今度は途中で帰るなよ」
 念を押すと「失礼な奴だな」とむっとした返事が返ってきた。どうだかわかったもんじゃない。用心しておこう。
 夜会でのヘルムートは爵位を継いだ頃と同じくらいの愛想の良さを発揮していた。ヘルムートは相変わらず女にもてる。あいつは頭が空っぽな女には興味がないからまぁ苦行だろうが、馬車での仕返しだ。
 同行している記者たちが、「ラングレー公爵は相変わらずですね。ところでラングレー公爵夫人は同行されなかったのですね」と訊いてきたので、冗談半分でいろいろと喋ってやった。美人で、公爵と非常に仲が良くてねえ。そうなんだよ。ただちょっと身体が弱いらしくてね。もしかしたら子どもが出来たのかもしれないね。うん、俺もああいう美人は好きだね。いや、もちろん妃のことは愛しているよ。
 適当に喋ってやると、記者はほくほく顔で去っていったが、ジーナが白い目でこっちを見ている。
「リド。エリスのことをとやかく喋ると、ヘルムートが機嫌悪くするよ」
「別に嘘は言ってないだろう。まぁ美人というよりは可憐で可愛いって言葉のほうが似合う子だがな」
 世間ではヘルムートの顔に釣り合う美人でないと奥方とは認めたくないようだが、あいつはあれで小動物が大好きなのだ。なんで悪魔のくせに小動物が好きなのかがよくわからんが。ヘルムートはエリスちゃんをウサギや小鳥に喩えたがるが、あいつはそういう趣味なんだよな。
 ジーナは女官になにか言われたらしい。馬車に一緒に乗れるようになった。
 今回はどこの国もまぁ歓待はしてくれる。そりゃそうだ。いちおう友好親善だからな。まぁ難関はこれからだが。



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