遠い旅



 馬車の窓から、高い山々が見える。雪に覆われたその山肌はいかにも荒々しくて、荒ぶる北の国にふさわしいものだった。
(寒い……)
 エリスは毛皮の外套を掻きあわせた。レスターの魔法で暖めているはずなのに、それでも馬車の中は冷えきっている。
「レスター、寒くない……?」
 そっと呼びかけると、御者台から『俺は平気だが、寒いのか』と返事が返ってきた。
「うん、ちょっとだけ……」
『もうちょっと我慢しろ。この山脈を越えたら天候も変わる』
「うん。ありがとう」
 そういえばヘルムートさまからの絵葉書に季節外れの吹雪ってあったなあ、と思い出した。

 王都を出て二日、レスターは公爵家の紋章をつけた魔法の馬車を空に走らせていた。
 公爵夫人の旅行に見合った荷物とお供をと準備していた執事を、レスターは「最低限、お姫の着替えがあればいい」とそっけなく突き放した。
「そもそも向こうに着けば公爵のお供がいるんだろう。それに王子の一行とやらも足止め食ってんだろうから、人手は足りるだろ。こっちは急ぎの旅だから荷物は少ないほうがいい」
「ですが、奥さまの侍女くらいはつけませんと」
 食い下がるセドリックに「せいぜいで二日の旅だから、お姫には馬車の中で一人で寝起きしてもらう」とレスターは言い放った。
 何を言うのだろうと胡乱な目で見る執事に対し、魔法使いは「空を飛べば、そのくらいで着く。文句があるなら他を当たるんだな」と付け加えた。
「レスター、馬車で空って……そんなに早く飛べるの?」
 ちょっぴり不安になりながら尋ねると、「どうせ馬も馬車も魔法だからな」と平然と答えを返す。
「夜昼構わず走らせれば、そのくらいで着くはずだ。まぁ食事と休憩入れて三日ってところだろう。向こうの魔法使いに確認をとったので迷うこともないしな」
 びっくりした。レスターにそんな遠くの国の知り合いがいるとは知らなかったから。
「あちらにお知り合いがおられるのですか」
 セドリックも驚いたようだった。「彼の国は、魔法使いは殆どいないと伺っていましたが……」
「死んだじいさんの伝手で、顔見知り程度はいる。そいつらも王宮には出入りしていないがな。あと、こっちの旅行手形があれば公爵家の紋章もあるし、問題はない」
 そんなこんなでいつもの調子でレスターがセドリックを押しきる形になった。
 大丈夫だろうか、という顔のセドリックだったが、魔法で仕立てられた馬車と馬を見て、公爵家の人々は肝を潰した。
 象牙と黒檀と黄金と宝石で作られた大型の四頭立ての 馬車コーチ、重厚な絹張りのゆったりとした内装。硝子と銀で創られ、炎の鼻息を吹く大型の馬。引き具は皮とは言え、留め具には金剛石や金銀が使われるなど、王家でも持ってないほどの、見たこともないほどの豪華なものだった。扉には壮麗な公爵家の紋章。
「うわぁ……レスター……すごいね」
 公爵家の中で一番落ち着いていたのが、魔法に慣れていたエリスだった。それでも目を丸くしながら馬車を見上げる。
「こんなに立派な馬車と馬、……見たことないよ?」
「はったりも必要だからな」
 平然とレスターは頷いた。
「まあこれだけ大きけりゃ、怪我人も寝てても困らんだろう。ほら、さっさと乗れ」
 うん、というとセドリックを振り返った。
「——じゃあ、行ってきます。セドリック、心配しないで。……ちゃんとヘルムートさまと一緒に帰ってくるから」
「奥さま……、道中お気を付けて」
 旅行着に空の旅というので暖かな毛皮の外套、防寒用の念のための毛布に着替えに旅行中の食料というわずかな準備で出掛けるエリスを、セドリックも使用人たちも不安顔で見送る。ただでさえ奥さまは外出に慣れてらっしゃらないのに、と侍女たちが涙ぐみながら準備してくれたのだ。
 レスターの大きな手に繊手を乗せて馬車に乗り込ませてもらうと、レスターはさっさと扉を閉めて御者台に上がる。馬たちは低くいななくと、目に見えない坂道をあがるように空に歩み出した。公爵家の壮麗な門扉を通過する時は馬車も宙に浮いて空に上がっていった。

 以前、硝子の馬に乗せられて空を駆けた時よりも、今回の旅は楽だった。
 少なくとも柔らかで居心地のいい馬車の座席に座っているだけでも身体が疲れなかった。
(うわあ……)
 馬車の窓から遠くに広がる大地を眺め、眼下の町や村や森や谷をながめてエリスは感嘆した。出来るならスケッチブックを持ってきたかったとも思ったが、レスターが走らせる速度は速くてあっという間に景色は変わっていくので、スケッチどころではなかっただろう。
(そういえば、子どもの頃お空を飛べたらいいなあって思ってたんだっけ)
 あれはレスターに初めて会った時のこと。

 レスターはひたすら馬車を走らせていた。
 時々、エリスが疲れないように人里離れた土地に下りて休憩したり、食事を取る時間以外は御者台に座ったきりだった。
「レスター……無理しないで。レスターが倒れちゃうよ?」
 心配になってエリスが言うと、魔法使いは肩をすくめただけだった。
 食事の時にエリスが夢の話をすると、レスターはあきれたようにエリスを見た。
「まったく、おまえは……」
「え?」
 とまどうエリスにレスターはため息をついた。
「おそらく、おまえの旦那の魂に呼ばれたんだろう。死にかけた旦那をこの世に引き止めたんだろうが、そういうことをしてると、本当におまえのほうが先にポックリ逝くぞ」
「え……」
 ごくりと唾を飲み込むと、エリスはおそるおそる尋ねた。
「も、もしかして、わたし、また変なことしちゃったの……?」
 おまえには魔法使いの素質がある。絵を描く時に命を糧にする。以前レスターにそういわれたことのあるエリスだ。無意識のうちになにかやらかしたのだろうか。
「おまえら夫婦は結びつきが強いからな。お互いに強く呼びあったんだろうが……うっかりおまえが夢の中で湖に入ってしまったら、旦那と一緒にあの世に行ってただろう」
 冷静な口調でレスターは返事をした。
「まだ肉体に魂が縛られていたから金縛りになったんだ」
「そうなんだ……」
 ほっとしたが、はたと気がついた。
「じゃ、じゃあ……ヘルムートさまは……」
 恐ろしさに血の気が引くのが自分でもわかったが、レスターは醒めた目を向けてきて「生きてるだろ」と言った。
「おまえの旦那、おまえにぞっこんだからな。おまえが夢で泣いたとなりゃあ、あの世から意地でも這い上がってくるだろうよ」
「レスター……あの」
 エリスは途方に暮れた。あの世から這い上がってくるだなんて、まるでヘルムートさまが地獄に落ちるような言い方ではないか。せめて天国から戻ってくる、くらいに言ってほしい。
「あ、……じゃあ、また夢を見たらどうしたらいいの?」
 おずおずと尋ねると、「もう夢にみることはないだろ」と答えが返ってきた。
「え……」
「この調子なら今日の夜中か明日の明け方にはむこうに着く。おまえの旦那は今、夢どころじゃないだろう。生きるのに必死でもがいてるだろうからな」
「で、でも……」
 わたしがヘルムートさまの夢を見たら?
「その時はおとなしく見てるだけにしろ。向こうに近寄るな。近寄ったら引っ張られる。あと、声を掛けたり触ったりするなよ。おまえは力が無いから、公爵の気力次第じゃ向こうに引っ張られるからな」
 無表情のままにいうと、「そろそろ出発するぞ」と食器を片づけ出した。
「あ、レスター、わたしが……」
「おまえは大人しく、お姫様らしくしてろ」
 手を伸ばしかけたのを、ぴしゃりとはねつけられた。
「で、でも」
 なにもかもレスターに押し付けてるのが……なんだか悪い気がして。
「おまえは綺麗で優雅な公爵夫人らしくしてりゃいい。それがおまえの役割だ。おまえが向こうに舐められたら、呼びつけた王太子の目論見も水の泡だ。ただでさえ、俺以外のお供もなしに来たんだからな」
「え、レスターはお供なんかじゃないよ?」
 びっくりしていうと小馬鹿にしたような視線が返ってきた。
「この状況だと、ふつうは俺はおまえのお供だ。魔法使いを守護者に持つ公爵夫人がその魔法使いをお供に怪我をした旦那を迎えに来た。となれば、おまえにむやみと害を与える奴はいない。魔法使いの女主人ともなれば、おまえみたいな世間知らずのわたあめ様でも馬鹿にされることはない」
 この国では魔法使いは恐れられているからな。
 そう言うと、レスターはエリスを馬車にさっさと押し込んだ。食器を近くの小川で洗い、魔法で作った天幕をしまうと、燃えていた焚き火に土をかけて消す。
 最後に、「お姫、体調は大丈夫だな?」と具合を確認すると、レスターはまた御者台にあがった。
 再び空に駆け上がった馬車は揺れることもなく滑らかに走っていた。エリスが窓から振り返ると、白くキラキラ光る細い帯が轍と蹄の痕で延びている。下を見おろすと、今まで見たような険しい雪山も黒々とした森もなく、緑が舐めるように広がる平原が広がっていた。


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