遠い旅




「王宮からのご使者によりますと」
 エリスの部屋にやってきたセドリックも一挙にやつれたようだった。
「なんでも、先方の王族に連なる姫君が、旦那さまに……」
 言い淀んだ執事の言葉に、エリスはしょぼんと頷いた。天使のように美しいヘルムートに女性が夢中になるのはいつものことだ。
「ただ、旦那さまは奥さまがいらっしゃいますし、奥さまとお約束されていたのでお誘いをお断りになったようなのです」
 ぽっと頬を赤らめる奥さまの顔をちらりと見ると、セドリックはため息をついた。
「それでご立腹された姫君が、許婚の方にあることないことを吹き込んで、そちらの殿方も大層ご立腹されたようなのです。その他に、夜会などで旦那さまはたいそう女性の方からおもてになって、向こうの若い公達のかたがたからやっかまれていたようでして……」
 それである昼日中、城で外交行事の帰りに数人の貴族に絡まれて刃傷沙汰になったらしい。
「むろん、宮中でのことですし、王太子殿下ご夫妻もご一緒で、まぁ旦那さまはご一行から離れて対応されたようなのですが、いくら旦那さまでも多勢に無勢ということでしょうか」
 むろん、ヘルムートは帯剣しておらず、相手方の剣を奪って応戦したらしい。
「事は外交問題になりまして、王太子殿下は非常にご立腹されて、先方の国王陛下に正式に抗議されたそうです。昼日中に友好親善に訪問した王宮の中での刃傷沙汰など、戦争をしたいのかと思われてもしようがありません。あちらもそれは非を認めて国賓待遇で看病してくださってるそうですが、王太子殿下が疑心暗鬼で旦那さまのための迎えをよこすようにと使者を国王陛下と宰相閣下に送られたそうなのです」
 親友で自分の補佐役を外遊先の他国の王城で刺し殺されかけたとなれば、リカルドが怒り心頭に発するのも無理はない。ヘルムートはリカルドが即位した暁には宰相候補とまで言われている人間なのだから。
「しかし、あちらは遠い北国ですし、軍を送るわけにも参りません。それでティアーズ伯爵さまがご幼少のころから奥さまを通じてお付き合いのあるオルスコット殿にお願いしたらどうかと思いつかれまして、わたくしからもお願いしたところ、受けていただきました」
(そうなんだ……)
 エリスはびっくりしながら頷いた。
「奥さまをあちらにお連れするようにというのは、実は王太子殿下からのご要望なのです。旦那さまがうわごとで奥さまのことをしきりにお呼びになっているのと、奥さまにこそあちらの王家が正式に謝罪していただくのが筋だろうということでして……。ですが奥さまのご体調を考えれば、あちらにまでお出ましいただくのはあまりにも無理ということでお断りいたしますが」
「ヘルムートさまが、わたしのことを呼んでいらっしゃるなら……行きます、セドリック」
 エリスは胸元で両手をぎゅっと握りながら返事をした。
「レスターが連れていってくれるんでしょう? レスターなら大丈夫だから」
 エリスの力となり、剣となり盾となってくれると魔法使いとして契約してくれているレスターなら大丈夫。そういうと、セドリックはしばし沈思黙考し、頷いた。
「それでは、早急に準備いたします。オルスコット殿から準備すべきものの指示はいただいております。奥さまはともかくご自分のお体のことをお考えいただければとのことです」
 失礼いたします、と退出するセドリックを見送って、エリスは深呼吸をした。
 今朝の夢は、きっとヘルムートさまが呼んだのだ。お迎えに行かなくちゃ、とエリスは考えた。きっとヘルムートさまが助けてほしいのだ。あの強くて綺麗な天使さまがこんな自分に助けを求めるというのはきっととてもつらくて苦しいから。
「ヘルムートさま……」
 胸元でぎゅっと手をあわせる。いつもエリスを守ってくれているヘルムートが助けを求めているのだから、ちゃんと奥さんとしてお迎えに行って、そして看病しなくては。



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