『一瞬の微睡み』


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 夏空が高く青い。輝く水しぶき。
 「ヴァル、そっちそっち!」
 手から魚がすりぬける。ばしゃんという音と共に、頭から水をかぶる。たた
らを踏む足が、岩の苔で滑る。
「うわっ、あ、て!」
 したたかに、川底に尻餅をついて痛さに顔をしかめる。
「うわ、痛そぉ」
 クリスが網を抱えながら、近寄ってくる。
「痛ったぁ〜......魚は?」ずぶぬれになりながら見上げる。
「1匹は確保! でも、ヴァルのご飯には足りないよねぇ」
 人間なら8つの子供で一抱えもある魚でも、所詮、仔竜の胃袋は満たせない。
「魚を捕まえるのも、難しいよね」
「うん.......さっき、兎にも逃げられちゃったし」
 子供二人は、ふぅ、と溜息をついた。
「どうして、ぼくって、クリスよりたくさん食べるのかなあ」
 水なかに座りながら、弟を見上げる。
「だって、ヴァルって、ドラゴンになると父さまよか大きいもん。ユイが言っ
ていたじゃない、いまは体を作るためにたくさん食べ物がいるんだって」
「おなかがすくの、やだなあ。いったい、どのくらい大きくなるのかな、ぼく」
「竜族のなかでも、エンシェントドラゴンは大きいですよ」
 静かな声に振り向くと、岸辺にユイが立っていた。
「先生!」「ユイ!」
「ヴァル、ホラ、そこに大物がいますよ」
 指差すさきに、すいっと背びれが動く。横から抱え込むと、腕の中でばしゃ
ばしゃと跳ね回る。クリスが慌てて網を開く中に、なんとか落とし込む。
 網は、子供二人が担いでも、なかなかに重い。でも、こういうときユイは絶
対に手出しをしない。
 網に木の枝を通し、前後に肩に担いで歩くというのは、結構重労働だ。しか
も、魚は時々暴れまわるし....。だから、家についたときは、二人ともへとへ
とだった。
「まあ、大きいお魚だこと。はい、ごほうび」
 口の中に飴玉を入れてもらい、焼菓子を貰うと、一目散に古樫の隠れ家に走
っていく。
 涼しい風が吹いて枝が騒めく古樫の梢は、絶好の遊び場。幹には大きな洞が
あって、夏場は午睡の格好の場所でもある。
「ヴァルの翼、また大きくなったね」
 洞の前の枝で羽ばたきしていると、洞の縁から寝そべっているクリスが言う。
 実際、春からこっち、ヴァルの竜の姿はどんどん大きくなっている。それに
比して半竜の姿の翼も育っているのだろう、というのが両親と、学びの師であ
るユイの見立てだった。
「夜、寝てるとさ、骨がぎしぎし言うんだよ。寝てる時が大きくなる時なんだ
って」
 枝にぶら下がり、羽ばたいてみる。ふわり、と浮くと、枝のすぐ上で浮遊し
てみる。
「いいなぁ、ヴァルは。ボクも翼があったら面白そうなのに」
 クリスの碧い瞳を、ヴァルの金の瞳がのぞき込んだ。「......じゃあ、ぼく
がのせてあげる」
「のせて.....って、おぶってくれるの?」
「うん」思い付きに、胸がわくわくする。
「無理だよぉ、この間、二人して落っこっちゃったじゃない。また、父さまと
ユイに怒られちゃうよ」
 数日前、樹から降りる手間を省こうとして、二人で墜落したばかりだった。
かすり傷くらいですんだものの、父親のリュクレオンにさんざんお尻を叩かれ
たのだ....母親のレナに心配をかけたというので。ユイは声を荒げなかったが、
お仕置に、サーガの残りの暗唱分を全部覚えさせられた......夕食抜きで、朝まで。
「だからさ、ぼくがドラゴンに戻って、飛んでみるってのは?」片目をつぶる。
「ドラゴンでおっこちると、ますます、マズそうだよ、ヴァルゥ」
 下の畑を指差す。リュクレオンは基本的に畑仕事は嫌いだ....彼は、根っか
らの狩人だった。しかし彼が丹精した畑には実りが生まれつつある。
「大丈夫、この間飛ぶ練習していて、いい崖を見つけたんだ。ほら、行こうよ」
 腕を引っ張ると、クリスは溜息と共に浮遊と飛行の呪文を唱える。よたよた
と飛ぶ二人を木陰から見上げてユイはくすくす笑うと、書物に目を戻した。


『さあ、行くよ』
 竜の姿に戻ると、クリスをまたがらせる。下手な白竜とそう変わらない背の
上で、クリスは身じろぎをした。
「ねえ、ヴァル、高くない? この崖」
『平気さ、竜に戻ると、随分飛べるんだよ』
 力強く羽ばたくと、ふわりと浮く。風を読み取り、高く舞い上がる。ほら、
川があんなに小さい。山の向こう側が見えそうだよ。
「世界は大きいんだね」
 クリスが、ふと呟く。「きっと、ヴァルは大人になったら世界を旅して行く
んだね」
『あの人を探すんだ』くぐもった声で答える。『いつか会えるっていわれたん
だ』
「名前をくれたんだよね.....。どんなひとだったの?」
『とってもきれいな人だったんだよ。吸い込まれそうな瞳だったんだ』
「母さまと、どっちがきれい?」
『わかんないよ、そんなの』
 ふぅん、といいかけて、クリスは目を細めた。
「.........ヴァル、帰ろうよ、あっちから変なのが来る」
 指差す方角を見ると、竜らしき姿が遠くからやってくるのが見える。
『平気さ、ぼくはドラゴンだよ、こわくなんかない』
(戻りなさい、二人とも)厳しい声が脳裏に響いた。(今のあなたでは危険すぎ
ます、ヴァル)
『先生?』
(クリス、結界を。彼らにヴァルが見つかると、厄介です)
 クリスが呟くと薄雲が二人を取り巻く。大きな手に包まれる感触とともに、
地上に無理矢理降ろされる。
「ヴァル、いいですか」
 降りてヒトの姿に戻るや否や、師が額に素早く何かを描き、呪文を唱える。
「あなたはヒトの子です。竜の血を引いているはずがない。黄金竜が探してい
る者ではないのですよ。あなたは、私の弟子の一人」
「ボクはどうしたらいい? ユイ」
「あなたは、ヴァルのそばにいてください。いいですね、あなたたちは兄弟で
すよ」
 目をぱちくりするヴァルの手を引き、ユイは森のなかを突っ切って急ぎ足で
歩く。森の切れ目から、家が見える。ドアのところに、背の高い男たちが立っ
ているのが見えた。
「ユイ」
 がさりとしげみをかきわけて脇からリュクレオンが出てきた。「あいつら、
何をしに来たんだ?」
「探しているだけでしょう。行ってください、リュクレオン」
 左手に血に塗れた兎の耳をつかんだまま、リュクレオンが急ぎ足で歩いてい
く。声をかけたのか、男たちが振り向き、その囲みの中からレナがかけよるの
が見えた。
 弓矢と兎を草むらに放り出すと、妻を背後にまわして、リュクレオンは剣を
抜いた。構える訳でもなかったが、男たちの一人が歩み出ると、軽く剣を振る。
「先生、父さんは大丈夫?」衣を握ってヴァルは小声で囁いた。
「リュクレオンの剣の腕は確かすぎるほど確かですよ」肩に手を置いて微笑む。
「彼の剣は、一流です」
 男たちは、好戦的な態度にぎくりとしたようだった。二言、三言言い交わす
と、リュクレオンがこちらを指差す。クリスがヴァルの手を握る。
「どうなるの?、先生」
「大丈夫ですよ、ヴァル。クリスと離れては行けませんよ」
 男たちはこちらを眺め、ぞろぞろとやってきた。
「ごきげんよう、黄金竜の方々」
 子供二人を背に隠すように、ユイは一歩踏み出した。
「我等を竜族というのか」男たちの一人が言う。
「オーラを見れば、わかること。我が休息の地になにか?」
 その男がなにか言い掛けるのを制し、別の年嵩の男が口を開いた。
「失礼だが、聖なる一角獣殿が、このような人里で休息されるとは異なことで
ござるな」
「無聊にまかせ、良き才能を持つものを育てるのは、私の道楽。しかし、雑音
は聞きたくないもの。......なにごとでしょう? あなたがたは火竜王に仕え
る一族とおみうけする。あなたがた一族の地から此処までの道のりは遠い」
 男たちは顔を見合わせて黙りこんだ。
 やがて、先ほどの男が口を開いた。
「......我々は、裏切り者の一族を探している。竜族でありながら降魔戦争に
も加わらず、魔族を倒す力を貸すこともなかった輩たちだ」
「探して、どうなさると? 裏切り者と指弾し、滅ぼすのですか」
 温厚なユイにしては珍しい、厳しい声だった。
「精霊たちが噂をしておりましたよ。黄金竜は、古き血の竜族から『一の一族』
の称号を奪い、竜族の頂点に立ち、あまつさえその力を恐れて次々と滅ぼして
いると。
 平和を愛する古の者たちは故郷を捨て、ひっそりと隠れ暮らしているという
ではないですか」
 血が凍るような気がした。では、彼らが殺したというのか。あの凍える夜を
生み出したのは、同じ竜族だというのか。
 ......でも、師がこんなところで嘘をつかないのも、ヴァルは知っている。
「我等を愚弄するのか、一角獣分際で!」
 別の男が怒鳴る。「我等を恥知らずというのか!」
「やめよ!」叱咤する。「わしが話しておる!」
 ぐっと詰まるのを背に、頭を下げる。「無礼者をお許し下され、聖獣殿。し
かるに、そこのお子らがお弟子のかたがたですかな」
 ヴァルは手を握るクリスの指に力が入るのを感じた。
「ヴァルハラ、クリス、ご挨拶をなさい」
「ヤダ!」クリスが下を向いたままではっきりと言った。
「母さまやユイを苛めるひとなんて、キライ! ヴァル、行こ!」
 ぐいとヴァルの腕を引っ張るようにして、森のなかに駆け出す。
 振り返ると、男達が此方を見送っていたが.....冷たい視線を感じた。
「クリス、痛いよ、クリスってば!」
 奥深くまで駆けてきて、クリスはようやく立ち止った。「あいつら、嫌いだ」
 ぽろぽろと涙をこぼす。
「どうしたんだよ」チュニックの裾で手をぬぐうと、涙を掌で拭いてやる。
「だって........ヴァルの一族のこと、あんな風にひどく言うこと、ないじゃ
ない。自分たちの為に殺しても、なんとも思わないんだ」
「うん......。でも、クリスや父さんや母さんや先生がいるから、平気さ。寂
しくなんかないよ。ほら、泣くなよ」
 今度は、こちらが手を引いて歩いてやる。「ぼくさ、ここん家の子供になれ
てよかった。だって、父さんも母さんもぼくのこと、大好きだろ? クリスと
だって、兄弟になれたし。先生がぼくを見つけてくれなかったら、とっくに死
んでたもの」
 立ち止ると、まだしゃくり上げているクリスの頭を撫でてやる。
「泣くなってば。泣き虫の弟なんて、いらないぞぉ」


 クリス。血の繋がらない、だけど大事な弟。いつも一緒に遊んで、一緒に魔
法を習って、一緒に眠った。めったに泣かないくせに、泣くときは、いつも俺
のことでだった。
 あいつがいたから、寂しくなかった。あいつが俺の代わりに泣いてくれたか
ら.....。


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