『一瞬の微睡み』
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......夜よりもなお昏きもの。暁よりもなお眩きもの.........。
光が、力が押し寄せる。渦巻く光と力に飲み込まれていく。
全て消えてしまえばいい。懐かしいあのころにはもう戻れない。俺自身が
消えてしまえばいい。神の力の眷族のくせに、魔の力を受け入れた。復讐の
ために。生き延びるために。神も魔も人も、俺から何もかも奪う世界なんて
要らない.......。
ふと目が覚めた。部屋には火の点ったランプがオレンジ色に輝いている。咽
喉の乾きを覚えて布団を抜け出すと、眠い目を擦りながら扉をあけた。灯の点
ているほうに歩くと、声が聞こえた。
「.......ラゴンも強引なことをする。古の一族は私達との約束で.........」
声が途切れたのは、彼が扉のところに立ったからなのか。
「........おや、坊主、どうした? 風邪をひくぞ」
暖かくくるまれ、がっしりした腕に抱き上げられる。
「どうした? こわい夢でも見たのか?」
「..........お水ほしい」
知らない大人の膝にのせられ、水を飲む。なんとなく眠気がさめた。見回す
と、スープをくれた女の人と、白い長い髪の男の人、そして膝にのせてくれて
いるのは、栗色の髪の男の人。
「さすがに竜族は回復がはやいなあ」栗色の髪の人がいう。「ユイの薬がこん
なに効くとは」
「クリスが一緒ですからね」
白い人は、ゆっくりと彼のそばに歩み寄り、床に片膝をついて彼の顔をのぞ
き込んだ。
「幼きエンシェントドラゴンよ、あなたの名は?」
「.........わかんない」
大人たちは顔を見合わせた。
「........ショックで忘れたのかな」膝の上の彼の頭を撫でながら、呟く。
「坊や、お母さんには、なんて呼ばれてたの?」
「わかんない」
「まだ、幼いので名付けていなかったのかもしれませんね」白いひとは立ち上
がった。
「私達が名付けてあげないと........」
ふ........っと風が吹いた。ランプの炎がゆらめき、影が流れる。
彼の向こうに佇んでいる女がいた。艶やかな黒い瞳が、遠目にも印象に残る。
「これは......」白い人は優雅に頭を下げた。「ようこそ、公主。お珍しいですね」
「ようこそ、スクレーツァ。どうなさったの? こんなに遅くに」
白い衣をまとい、白いターバンから黒髪が耳元に揺れる。滑るような優雅な
歩みでその女は彼の前に立った。
「我が竜よ.....」
白い腕がのびると、シャリン、リン、と銀の音色がする。頬に触れた掌は、
少しひんやりとして気持ちいい。
「........ようやっと見つけた。私の側に在るはずの者よ」
「この子はあなたの眷族なのか? 闇姫」膝から降ろしながら、訊く。
「そうらしい.......」
闇姫と呼ばれた女は、しかしまるで清廉な存在だった。「リュクレオン、あ
なたの息子の側にユニコーンがいるのと同じように、私の側にも在るはずの者
が生まれたらしい..........。いつものことながら、母上も気まぐれなこと」
夜の空のような、奥深い瞳は、彼を見下ろした。
「今生で我が下に来れるかどうかはわからないけれど、いつか私の側にあなた
は立つ宿命。.........名を与えましょう、その日のために」
彼と同じ目線に、膝をつく。
「覚えておきなさい。ヴァルハラ......それがあなたの名前」
両手が彼の顔を包み込む。「いつの日か.......険しき道を歩んで、我が下にお
いでなさい、誇り高きエンシェントドラゴンよ」
「ぼくがヴァルハラなの? お姉さんは?」
静かに微笑んだ。「.........我が名はスクレーツァ。混沌たる母の側にあって、
夜の力を司るもの。夜と暁の祝福を得たものよ、汝に金色の母の加護あらんこと
を.......」
甘い吐息と共に、柔らかい感触が唇に触れた。
「また会いましょう、我がドラゴン......」
声に包まれたような気がして、目を開くと、そのひとはいなかった。
「さぁ、ヴァルハラ........ヴァル、寝なさい」
栗色の髪のひとが抱き上げる。「闇姫から預かった、大事な養い子だよ、お
まえは。今日からここのうちの子供になったんだよ」
「ここのこども?」
「そうだ。お父さんと」と自分を指差す。「そして、お母さんだ」
お父さんとお母さん....。嬉しくなって抱かれた首にかじりつく。
......その力は眩しくて、でも懐かしいぬくもり。優しく抱いてくれるのは
誰だろう。
母さん? 金色の髪と碧い瞳。誰かに似ている..........そうだ、俺を真っ
直ぐに見る、あの黄金竜の娘.............。
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