『一瞬の微睡み』


【前の頁に戻る】

 

「ヴァルには、そろそろ、自然界の気を自分の物にする方法を覚えてもらいま
しょう」
 古樫の根本で、ユイが言った。「体もすっかり丈夫になったし、第一、そう
でもしなくては、一日中狩りをしなくてはいけませんからね」
 真っ赤になったヴァルを見て微笑んだ。
「食欲があるのは、大きく育っている証拠ですよ。もうすぐあなたは成長期を
終えますからね。リュクレオンが楽しみにしていますよ、剣を教えられるとね」
 ヴァルは座り直すとクリスを見た。昔は同じくらいの背丈だったのに、いま
では自分の肩くらいまでの身長だ。いや、ヴァルが育ったからではなくて、ク
リスが大きくならないような気がするのはなぜだろう? 
「クリスとあなたは、種族が違う」
 彼の心を読んだかのように、ユイが言った。「彼の、大人になるまでの時間
はとても長いのですよ」
「クリスはヒトなんでしょう? ヒトはそんなに長生きしないはずなのに」
「ヒトにも、いろいろな種族がいるのですよ、竜族のようにね」
 白く繊細な指が額に触れる。「さあ、心を開いて。私の知識を送りましょう」
 目を閉じると、暖かい思念の漣がひたひたと体にしみわたる。風のそよぎ、
あたたかい陽の光。雨のもたらす潤い。天と地の間にある力を感じる。なんて
優しい力だろう。
「小さい頃、お陽さまの下で眠っていて、嬉しかった」言葉がこぼれる。「あ
の時みたいだ」
 目を開くと白い穏やかな笑顔があった。「あなたは、私の自慢の弟子ですよ、
ヴァルハラ」
 照れ臭くて下を向くと、大きな掌が、髪をくしゃくしゃとかきあげる。
「そろそろ剣を教えてやるぞ、食いしん坊」
 剣を二本、左手にぶら下げて父親が立っていた。「竜の爪だけじゃ、狩りは
しにくいからな」
「父さま、ボクも!」クリスが父親の腰に抱き付く。
「小さいくせにいうなよ」反対側の腕にしがみつきながら、舌を出す。「早く
大きくなってからだよ」
 渡された木剣は、ずしりと重い。
「いいか、ヴァル。剣を覚えたからといって、むやみに殺すな」
 リュクレオンは自分の剣に目を落としながら言った。「剣に溺れたら人生
踏み外す。一度踏み外したら、なかなかまっとうな世界に戻れないんだよ、俺
の経験ではな」
「父さん........?」
「母さんも知ってるが、お前くらいの歳の時から、さんざん人を殺した。一族
のためとか生きるためとか、自分に言い訳してたが、ま、金とつまらん意地の
ためだったな」
 息を呑んだ。養父は荒っぽいが陽気な人で、息子二人を可愛がっていた。そ
んな殺伐とした過去を持っているとは思えない。
 ぶん、と唸りをさせて剣を振り、正眼に構える。
「剣は、自分の命だけじゃない、おまえの大切に思うものを守るために使え。
ああ、おまえなら、剣だけじゃない、魔法の腕も竜としての力もだな」
 正面から息子を見据えた。「そして、おまえの力で死ぬ命の重さを考えてか
ら、力をふるうんだ。でなきゃ、いつかおまえは自滅するぞ」
「俺........」くちごもった。「俺、一族を滅ぼした連中みたいなことは、し
たくない」
「そうか.......さあ、ためしにかかってこい」


 へとへとになって、ベッドにひっくり返った。重い剣を無理矢理振り回して、
腕が自分のものじゃないようだ。
「ヴァル」
 うとうとしかけて、目が覚めた。「母さん?」
「ほら、湿布をなさい。でなくちゃ、明日は動けなくてよ」
 母親手製の薬を塗りながら、痛みに顔をしかめる。
「剣はたいへんでしょう?」クリスに瓜二つの母親はくすくす笑った。「お父
様、はりきってらっしゃるから」
「.....力に溺れるなって、言われた」
 レナは真面目な顔をして、ベッドの端に腰掛けた。
「レオンは......お父様はね、早くにご両親をなくしたの。叔父だったわたし
の父の家にいたけれど、居辛かったんでしょうね。あなたくらいの年頃に、家
出して、隣の国で腕を頼りに生きてらしたのよ」
 薬の小瓶を膝に置いた。「村に戻ってらした時、それは荒んだ目でいらした
わ。ご自分でも辛かったとおっしゃってましたもの。きっと、あなたにそんな
経験をしてもらいたくないの」
 碧い目が優しかった。「ヴァルは、強いけれど優しすぎるわ。だから気にし
てらっしゃるのよ。お父様の気持ち、わかってあげてちょうだい」
「........母さん」立ち上がった背中に声をかけた。
「なあに?」肩越しに振り返る。
「あの..........」膝を抱えた。
「最近、元気がないけれど、ヴァルは何を悩んでるの?」
「何にも.....」膝の上に、顔を伏せた。「ただね、俺....」
「黄金竜のことは、お忘れなさい」
 見上げると、血の繋がらない母親は首を振った。「あなたの一族の希望は、
ただ一人生き残ったあなたの命が、未来に連なっていくことだと思うわ」
「だって、同族はいないよ」小さく呟いた。「どうしたらいいのさ?」
「エルフでも他の竜族でも、そう、ヒトだって、あなたのことを大切に思って
くれる存在がいますよ、きっと」そっと肩を抱く。「きっと、あなたが大切に
感じる存在がいるわ。命はね、想いから生まれるの。そして、想いは、命の大
切さを知っていなくちゃ生まれないのよ」
「母さんたちが、一番思ってくれてるよ」
 むきになっていう頬をつついた。「雛はね、いつか親の巣から飛び立つもの
よ、坊や」
「雛鳥がどうしたって?」
 リュクレオンがクリスを抱きかかえて部屋をのぞき込んだ。
「さて、おちびさんがた、寝る時間だぞ」
 父親から滑り降りるとベッドの上で鼻をうごめかす。「ヴァル、すごく薬臭
いよ」
 その鼻の頭に、薬をなすり付ける。「クリスも薬臭くしちゃうぞ」
 どたんばたんとじゃれあううちに、二人は疲れて眠ってしまった。



 揺り起こされて、目を開けると母親がいた。
「母さん.......なあに?」寝ぼけながら目を擦るヴァルを、レナはぎゅっと
抱きしめた。
「お逃げなさい、早く」
 嵐なのか、外が騒めいている。
「レナ、ヴァルはまだ起きませんか!?」
 ユイが部屋に飛び込んでくる。「早くしなければ、皆殺しにされてしまう」
 眠っているクリスを抱き上げると、ユイはヴァルの腕を掴んだ。
「私は、裏山から行きます」
「子供たちをお願いします、ユイ。.......ヴァル、私の小さなドラゴン」
 潤んだ瞳で、レナはヴァルを見つめた。「愛してるわ、坊や。忘れないで。
あなたは夜と暁に祝福された竜。生きのびて幸せになって」
「母さん?」
「行って下さい、ユイ」
 ぐい、と引きずられるように部屋を出る。
 煙がたちこめ、きな臭い。何かが壊れる音がする。
「いたぞ、生き残りが!」
 煙の向こうから、誰かが飛び出してくる、と伸び上がるように一瞬立ち止り、
どうっと倒れる。
「行けっ! 早くっ!」
 その後ろから、リュクレオンが血に塗れた剣を振りかざして現われる。
「父さん.......父さんっ」
 引きずられながら、後ろを振り返る。何人かと切り結ぶ、父親の影。
「逃がすか!」
 振り向くと、剣が振り降ろされる。ユイが叫ぶと男は消滅した。
「父さん......母さんっ」
 家が燃えていた。
「早く! ヴァル、逃げなければ!」
「先生、待って........父さんと母さんが!」
 腕を振りほどこうとしても振りほどけない。
「彼らの心を無駄にするのですか!」
 引き寄せると、じりっとあとずさる。闇夜に高く、無数に光る眼に囲まれ
ていた。竜の体臭がたちこめている。
「一角獣殿、貴殿がそこなエンシェントドラゴンを渡してさえくだされば、
兵を引き上げさせましょう」
 老人が、現われた。「なぜ、裏切り者の一族をかばわれる?」
「この子に罪はない。いや、この子の一族には何の罪もなかった」
 ユイとヴァルのまわりには、風が吹いていた。「私達がなにも知らないと
思っているのですか、火竜王の愚かな眷族よ」
 静かな声だった。「あなたがたは、アレが欲しかったのでしょう。かつて、
この界に伝えられ、エンシェントドラゴンが一族の命をかけて守ることを誓
った、アレを」
「あれさえあれば、水竜王が滅びることもなかったのだ!」
 老人は叫んだ。「なのに、愚かなあやつらは、だれから伝えられたのかさ
え言わず、我々に触れることも見ることすら許さなかった!」
 ヴァルの足元に、風が舞う。
「火竜王に仕えし神官よ、あなたにはこの子の命は渡せません。....光よ!」
 ヴァルの足元に魔法陣が現われ、光の柱が生まれる。全てがぼやけ、遠退
いていく。クリスが眼を擦りながら、顔をあげるのが見えた。
「先生! クリス!」
 ヴァル、とクリスの唇が動いたのが見えた。見る見るうちに泣き顔になる。
 光の柱に封じられ、手は届かない。淡い光の向こうで、師が微笑む。
(幸せに........)
 彼を包み込んでいた微かな思念が途切れ、光の柱も消えた。
 ここはどこ? どうして誰もいないの? 一面に広がる夜の砂原。
「父さん....母さん......」がっくりと膝をついた。涙が砂を濡らす。拳を
にぎり、何度も地面を殴り付ける。「クリス......先生......」
 闇色の羽根が広がる。
「うわあああああああああああああああああああああ!」
 血のにじんだ拳から鋭い爪がのびる。腕が鱗に覆われる。人の叫びが、竜
の咆哮に変わる。
 許さない。黄金竜を許さない。一族を殺し、何よりも大切な家族を、今ま
た奪った。
 皆殺しにしてやる。俺の痛みをあいつらに味あわせてやる........。


【次の頁へ】【前の頁へ】【小説目次へ】【トップページへ】