2021年、江戸切子の清水硝子サイトはリニューアル
オンラインショップ開設https://kirikoya.com/
こちらは旧サイトです。

 

コカ コーラ瓶の切断コップ。

それは、ある戦後の一ページ。まだ日本の何処かで使われて?

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日本の何処かで、まだ使っていらっしゃる方・お店、
あるいは、持っていらっしゃる方、いらっしゃいませんか?


そこが知りたい取材時に再現したもコカ コーラ瓶グラス。

昭和20年(1945)夏。
日本の小さな工場、清水硝子加工場は、(
※1
本業の切子の加工から離れ、戦闘機向けの窓ガラスの加工という軍需を行いながら、
空襲におびえて生きていく必要なくなりました。

敗戦と平和の到来。それは同時に、仕事も無く、生きて行くための苦境の時代の続きでも有りました。

そんな折、舞い込んできた仕事が、コカコーラの瓶(ビン)を中央部で切断し、コップの加工する仕事だったそうです。

上記画像は、1994年8月2日放送、TBS系列・そこが知りたい「安くて元気!東京の人情横丁」の取材時に、
復刻加工したものです。
そのため当時の瓶とは色も形状も異なりますし、
ガラスの切断工具も、当時の金板で砂摺りではなく、今日のダイアモンドホイールで再現したものです。(
※2

初代・清水直次郎の娘で、現社長の母である清水きよ子によれば、コーラ瓶をコップに加工していたのは、
・戦後すぐ。
・GHQが入ってきてから、そのコーラ瓶で。
・当時、問屋さんは松田硝子さん、水崎硝子さんの仕事をやらせて頂いていた。
・しかし、具体的にどこの仕事だったなどは覚えていない。多分、松田さんの仕事。 と。

問屋さんからの仕事だとすると、他の東京の切子工場でも作られていたかも知りません。
同じように、コーラ瓶をコップにするというのは、沖縄・琉球ガラスの歴史にも見られます。

沖縄の「民族資料博物館・茶話乃屋」さんのHPによると、
針金と加熱によって瓶にした方法と、(吹きガラスの口部切断方法の火切に近いですね。)
そうして作られたコップ・風鈴の画像が掲載されています。(
※3
また、同じく沖縄の方のwebサイト「ビンの博物館」にも、同様解説のほか
コップのほか、ランプ台・風鈴として利用された画像も掲載されています。(
※4

琉球ガラスの始まりとして、有名になっているコーラ瓶などを溶かして利用というは、
もう少し後からのことだそうです。(
※5

推測になりますが、ガラスを切断する技術や知識を持った方は、
物不足の中で今有る物をなんでも利用し、各地で同様にガラス瓶を切断し、
コップや花瓶にして生活の中で役立てていた可能性もあるのかもしれませんね。

物不足の戦後混乱期。
その時代に沖縄と東京で作られていたコップ。これもまた、昭和史の1ページと思います。

当時に作られた物を実際に見たことは有りません。
沖縄の他に、収蔵・展示されている資料館や博物館、
あるいは、未だに使っているお店等の情報がありましたら、是非ご教授ください。

・コーラ瓶グラスを始め、当社の歴史を振り返った、清水きよ子著
光と影に華やぐ江戸切子 清水硝子の歴史

注釈
※1 当社の会社案内に沿革を掲載。

※2 今日のダイアモンドホイール利用した、江戸切子加工法はカット加工工程、チップや欠けたグラス・花瓶の補修はこちら

※3 名護市親川に在る沖縄生活文化等が観れる民俗資料館・茶話乃屋

※4 ネット博物館、ピンの博物館内、ボトルライブラー・コカ コーラにあり。

※5 沖縄県によるワンダー沖縄サイト内、「名工が語る琉球ガラスの世界」・日本のガラスの歴史等に記述あり(リンク切れ)