2021年、江戸切子の清水硝子サイトはリニューアル shimizuglass.com オンラインショップ kirikoya.com/ こちらは旧サイトです。
光と影に華やぐ江戸切子清水硝子の歴史 文・清水 きよ子 初代清水直次郎 長女 |
大正12年12月1日、初代清水直次郎、静枝とで、深川(本所菊川町)に開業。 区画整理の為、昭和3年に東京府葛飾郡綾瀬村大字621番地に転居しました。 戦前までのカットグラスは、現代のクリスタルガラスのような上級のものでなく、ソーダガラスに,花切子と言う簡単なものでした。 戦時中は、軍から皇国第***号の名をもらい、軍の仕事、航空機の窓ガラスの加工や軍艦のマストなどの仕事でした。 |
戦争も激しくなり、弟子たちも元気に出征していきましたが、 (管理人注・2代清水一三も、海軍特務艦「宗谷」乗艦、トラック・ラバウル等南方へ出征しておりました。) |
戦後間もない頃は物が無くて、コカ・コーラのガラス瓶を半分に切り、磨き、コップにする仕事をしたこともあります。 その様なコップでも飛ぶように売れました。(※コーラビンコップについては、こちら) |
昭和23年マッカーサー元帥やアメリカ軍人の家族も日本に進駐し、洋食器、ワイングラス、各種色々なグラス等々、大量の需要がきました。 保谷ガラス(現在のHOYA)を通してカットグラスの仕事をするようなになりました。 その後の高度経済成長の時、追い越せと脇目も振らずに働いた時期で、従業員も40数名もいた時期もありました。 昭和23年以来、保谷ガラスの傘下に入り、宮内庁に納める仕事もしたこともあります。 |
日進月歩の激しい時代に、手仕事でコツコツとする いずれも日本を知る上で大切な仕事が、 この平成大不況下で、頭を痛めています。 今は、安かろう・悪かろうの時代ではなく、 移り変わりの激しい世の中で、初代、二代、三代、と廃業や転職をすることも無く、江戸切子・カットグラス一筋に今日までやって来られたのも、従業員とともに、カットガラスを心から愛し、好きだったからでは? 激動の時代を乗り切ることが出来たのも、お互い(楽与の心と抜苦の心)を大切に、職人、家族共々、力を合わせて懸命に働いてきた賜物と存じます。 |
清水 きよ子 |