必ず最後に「感動の物語」とかいうのやるのは後味を良くするためか?しかし、ちょっと狙いすぎと言うか見え見えというかそんな感じが強くてうざったいんだが・・・
狙いと分かっていながら、それでもやっぱり感動してウルウルしてしまいます。私の場合は、むしろ感動の話が楽しみで・・・やっぱり「あぁ、今週も良い話やったなぁ」で終わらせたいんでしょうね。う〜ん、私も「今週も良かったなぁ」って最後には思いますから、あちらの狙いにハマりまくりですね♪ そういえば「感動のアンビリーバボー」も最後だったような(笑)
本当だ。やっぱりホラーを最後にやるのはよくないのか。
人を感動させるのって意外と簡単なんですよ。その辺のツボを知っているプロにとってはチョロイ、チョロイ。 “ありふれた感動”というのは一種の心理的なギミックであり、ほとんどの人が経験的に身につけている仕掛けなのです。 だから“本当の感動”というのは感動じゃない。というか感動できない。感動とは別のモノだから。 ??・・・意味不明ですか? 実は私もよく解りません。でもなんとなくそう思います。
マナコさん。感動させるのはプロにとっては簡単といいますが、私は「感動の〜」ってついただけでしらけますよ(笑)。感動って作った側が言ってはいけないと思うんですが、どうでしょう?
こうすれば人を感動させられる、というのが定式化しているということです。そこで、いまから感動させてあげますよ、感動してください、ということで、“感動の〜”ということをわざわざ言っているのだと思います。非常にマスメディア的な手法だと思います。 でも、こんなことを言っている私でさえ、感動という感情を持っており、たまには感動させられることはあるんですよ〜。あまり感動はしない人間なのですが、なんかグッとくるときはありますね。その辺りは演出の上手さとかも関係しているのでしょう。 うーん、それで感動っていうのもその程度なのかなぁ、という感じです。ありふれた感動というのは、ですけどね。本当の感動はやっぱり感動できません。感動し得ない。なんかそういうのって結局、とても空虚なモノなんだと思います。
「感動の最終回」ほどしらけるコピーはありませんね。