独り言過去ログ:No.451〜500(2001.04.21〜2001.06.16)

500では昨日の続きです。オルセー美術館はルーブルに比べて随分狭いんですが、その展示物はちっとも引けを取りません。絵画、彫刻など有名なものが目白押しで、一つ一つ紹介したいのはやまやまなんですが、それはその筋のガイドブックなんかに譲ることにしましょう。で、このオルセーで私が興味を持ったのがオペラ座の模型です。かなり精巧に作られていて、あの大きな舞台に秘められた装置の全容を垣間見ることができるといものです。この模型のことがガイドブックに載ってるのかどうか知りませんが、なぜか全く見ている人がいませんでした。一番奥のちょっと薄暗いところにあったからなのかも知れませんが、せっかくの精巧な模型ですからこれからいかれる方はぜひ見てみましょう。私は前日にオペラ座を見たんですが、できれば先にこのオルセー美術館の模型を見たほうが良いでしょう。その他、オルセー美術館についてガイドブックには書いてないだろうことは、なんと女性の股間をアップで描いた作品が堂々と展示してあることです。それは1階の売店の奥にあるんですが、全裸の女性が仰向けに大の字になってベッドに寝ているところを、左右の足の間から女性とほぼ同じ高さの視点から覗いた、局部付近だけをアップにして描いているものです。いくら絵とはいえ、人物を写真のようにリアルに表現できる画家によるものですから生々しいことこの上ないです。日本のテレビ局が取材しても、絶対に放映できないものです。ということで、きっとガイドブックにも載ってないのでしょう。ローマ、パリでいろいろな絵画をみましたけど、あそこまでリアルに表現したものが無かったところを見ても、とても珍しいものなんだと思います。こちらもオルセーを訪れるならぜひ見ておきましょう。さて、そんなこんなでルーブルに負けず劣らず見事な芸術品を鑑賞した後、私達は一旦ホテルに戻ることにしました。というのも、前日に食べたマクドナルドのハンバーガーのせいなのか、なぜかお腹が張ってしまって食欲も無く1日中何も食べてなかったおかげで急激に体力の消耗を感じたからなんです。時間はまだ午後4時。パリが夜の暗闇に包まれるまでまだ後5時間もあります。このまま街中を歩き回って体調をさらに悪化させ、明日のヴェルサイユ宮殿やルーブルの残りに差し支えるのも嫌だということでホテルに帰って少し休むことにしたんです。というわけで、この続きはまた明日。(2001.06.16)
499さて、では今日はオルセー美術館のお話です。美術館に着いてまず目に飛び込んできたのは、入場制限のために中に入れず順番待ちをしている大行列でした。それまで見てきた大行は半分以上が日本人か?と思うほど日本人が多かったんですが、なぜかオルセー美術館の行列には日本人がほとんどいません。そういえば、私達と同じ飛行機の人たちのコースにもオルセーは入っていませんでした。さて、大行列はしていましたがなんと言っても私達には水戸黄門の印籠以上に力を持つというcarte museeがあります。それまではストライキやうまいぐあいに空いている入り口に回ったことなんかで全然威力を発揮できなかったんですが、とうとうその力を試すときがきました。というわけで、さっそく行列の先頭に回り入り口の係員に見せると、噂どおりすんなり何事も無かったかのように中に入ることができました。まあ、噂じゃなくて同封の説明書にそう書いてありましたけどね。その時の行列していた人達のなんとも言えない羨ましそうな視線は快感でした。ルーブル・オルセー近辺だけでも十箇所近くで使えるので、1日しかフリーが無いという方も1日券(1 jour)を買いましょう。さて、そういうわけですんなり中に入ったんですが、またまたここで問題です。例によって私の持っているガイドブックは「オプショナルツアーで回ると良いでしょう」の一言でオルセー美術館を片付けています。一応informationには日本語の案内図はあったんですが、本当に単なる案内図で、館内の平面図が書いてあるだけです。トイレがどこで食堂がどこかということぐらいが分かる程度ですね。ということで、「しょうがない、適当に回るか」と館内中央の吹き抜けまで出てみました。するとどうでしょう。なんとオルセー美術館全館が見渡せるじゃないですか。そうです、オルセー美術館はルーブルと違ってとっても狭いんです。そうなると話は簡単で、片っ端から全部見て回ればOKです。入り口で入場制限してたのも頷けるほどの狭さ(といってもルーブルと比べてという意味で、絶対的に狭いわけじゃないです)なので、3時間もあれば回れるでしょう。ということで、オルセー美術館めぐりは明日のお楽しみ。(2001.06.15)
498はい、それでは昨日の続きです。3階を見終わった私達は、次に世界史で習った「ハムラビ法典」を目指してリシュリュウ翼の1階へと向かいました。ハムラビ法典からエジプトへと回ればバッチリというわけです。ところが、なんとハムラビ法典の展示してあるメソポタミアセクションは月・水・金曜日には閉館とのこと。これはショックです。が、なんと言っても私達にはcarte museeがあります。そう、何度でも出たり入ったりできるんです。しかも並ばずに。ということで「明日また来よう」ということに話が落ち着き、「明日着てメソポタミアだけじゃもったいないからエジプトやその他の残りも明日にしよう」ということにしてルーブルを後にしました。さて、予定外に早く出てきた私達は、その日のもう一つの予定だったヴェルサイユ宮殿を次の日に回してルーブルの川向こうにあるオルセー美術館へと向かうことにしました。セーヌ川を渡る時、シテ島の方に見えるPont des Arts(ポン・デザール橋)をカメラに収め、ついでに洪水による氾濫で水没していたセーヌ川沿いの道もパチリと撮っておきました。で、またまたついでにオルセー美術館の全景をカメラに収めるべくデジカメの液晶を覗き込んでいると、なにやら私達に話し掛けてくる初老の夫婦がいるではないですか。見た目は中国人という感じでしたが、とにかく言葉が分かりません。英語でもなければフランス語でもありません。ましてや日本語でもありません。でも、しきりに何かを聞いてくるんです。私がつたない英語であれこれ質問しましたけど全く通じません。が、不思議なことに10分ぐらい会話にならない会話を続けているとだんだん分かってくるんですね。どうやら彼らは私が写真に撮ろうとしていた建物(=オルセー美術館)が何か有名なものなのかどうかを聞きたかったようです。で、私が「オルセー美術館、Orsay museumMusee d'Orsay」と日本語、英語、フランス語で言いつつ手にしていたガイドブックを見せると”美術館”という文字に反応してようやく分かってくれました。すると今度は手にしていた立派な一眼レフを私に渡し、写真を撮ってくれのポーズ。事前に下調べしないで旅行に来るのはどうやら私達だけじゃないんだなぁと思いながらシャッターを押してあげました。もちろん私達も撮ってもらいましたけどね。そんなこんなで予想外に時間を潰してしまったんですが、無事オルセー美術館に到着しました。続きはまた明日。(2001.06.14)
497では昨日の続きです。デゥノン翼の1階に降りてきた私達は、「エロスの接吻で目覚めるプシュケ」、「ボルゲーズの闘士」、「夫婦の棺」と一通りのビッグネームを見て、そのままシュリー翼へと進みました。古代ギリシャの彫刻が立ち並ぶフロアを進んでいくと、その先にはなんだか人だかりができている一角があります。なんだろう?と近づいてみると今度は「ミロのヴィーナス」です。今まで嫌というほどいろいろな出版物やテレビで見ましたけど、実物はそれらとはまるで違います。言葉ではうまく表現できませんが、そりゃあ美しいものでした。思わず10分以上も見入ってしまいましたから。そんなミロのヴィーナスを過ぎると次はファラオ時代のエジプト美術のセクターとパンフレットに書いてあります。が、ここでどう間違ったのかいつの間にか1つ下の半地階に下りてしまいました。降りたすぐ右にスフィンクスのような大きな石像があったので気づかず進むと、中世のルーブルというセクターに出てしまったのです。独特の円形の壕に入ったところで「エジプトっぽくないぞ?」と思い、パンフレットを確認して間違いに気づきました。ということで、思惑とは違って中世ルーブルを見た私達は次に一気に3階まで上がり地元フランス絵画を見て回ることにしました。「真珠の女」「トルコの浴場」「マリー・マドレーヌ・ギマールの肖像」「ジル」「いかさま師」「ジャン二世肖像」と有名どころが続いた後はオランダ・ドイツ・フランドルと続きます。「デューラーの自画像」「レースを編む女」を見ていよいよ「ルーベンスのホール」です。あのネロとパトラッシュが命を引き換えにしても見たかった(という内容でしたよね?フランダースの犬って)ルーベンスです。というわけで、このルーブルの3階はビッグネームが目白押しのオススメフロアでした。「民衆を導く自由の女神」「ナポレオン1世の戴冠式」「グランドオダリスク」などが展示されたデゥノン翼の2階とともにルーブル見物では外せないポイントと思います。ちなみに私が最も感銘を受けたのはこのデゥノン翼2階の「ナポレオン1世の戴冠式」でした。すごい臨場感で、まるでその戴冠式の場に自分がいるかのような錯覚に陥るほどでした。これと同じ絵がヴェルサイユ宮殿内にもあったんですが、こちらの方が良かったです。ということで、明日もまだルーブル美術館のお話です。(2001.06.13)
496はい、では昨日の続きとまいりましょう。全館制覇を目指して進んだんですけど、何の目的も無く順番に見るのは面白くないということで、まずモナリザを目指すことにしました。ということで、最初に向かったのがデゥノン翼の2階です。エントランスからすぐの階段を2階目ざして上っていると最初のビッグネームに出くわしました。記念すべき最初のビッグネームは「ニケ」でした。階段の踊り場にポツンと展示してあります。もちろん日本の美術館のようにガラスケースに覆われてなんていませんし、これ以上近づくなロープもありません。「え?こんな扱いでいいの?」と思いましたが、そこは公共の場ではマナーのいい外国人、子供といえども展示物に触ろうとしたりする者は皆無でした。みんな1歩引いてマナー良く鑑賞しています。こういうところは日本人も見習わないといけませんね。さて、ニケのあとも数々の有名な絵画や彫刻が現れます。ここで、日本の美術館ではお目にかかれない光景に出くわしました。それは画材道具一式を持ち込み、絵の前にドンとイーゼルを構えて模写している人です。私は生まれて初めて模写の現場を見ました。珍しいものを見たなぁと思い先へ進むと、なんとあちこちに模写おじさん、模写お姉さんがいるじゃないですか。ルーブルでは特に珍しい光景じゃないってことですね。それにしても、なんで模写しているのはおじさんかお姉さんなんでしょう?10人以上見ましたけど、若いお兄さんやおばさんはいませんでした。さて、「六人の天使に囲まれた聖母子」、「カナの婚宴」など有名な絵画を過ぎるとデゥノン翼の最深部のセクターに辿り着きました。するとそこには一際人だかりのできた一角があります。そう、「モナリザ」です。それまでの絵画とは違い、このモナリザだけはガラスケースの中に展示してあります。近づいてよく見ると分かるんですけど、絵の具の状態が非常に悪く、痛みが激しいんです。ガラスケースで保護されている理由がよく分かりました。こういうことも実際に自分の目で見ないと分からないことですね。で、感想ですが、私としては特にその微笑に心を奪われるということもなく、今までに見た絵と違った特別な感動を覚えることもなかったです。その先にあった「えび足の少年」を見た感想と何ら変わらなかったです。ということで、まずはデゥノン翼の2階を片付けた私達は次に同じデゥノン翼の1階を目指すことにしました。では、続きはまた明日。(2001.06.12)
495では昨日の続きです。ルーブル美術館のエントラスに向かった私の目に飛び込んできたのは「無印良品」の文字でした。そう、あのノーブランドでいいものを安くということでスタートしたのにすっかり「無印良品」というブランドになってしまった、あの無印良品です。店の作り、ディスプレイの仕方、そして「MUJI」という文字と線画の人の絵まで全て日本と同じでした。ただ、値段だけは日本の倍近くなってて、ひょっとするとパリでは一般庶民の手の届かない高級ブランドなのかもしれません(^^;)。そんなパリっぽくない光景を目にしながら先へ進むと、すぐその先に例のピラミッドが登場しました。まあ、正確にはピラミッドをひっくり返したものですけど。通常の観光客とは違って地下通路からアクセスしたので、上からピラミッドをひっくり返したものがぶら下がっていたってわけですね。で、その逆さピラミッドを過ぎるとすぐにチケット売り場です。このチケット売り場が正にあの有名はピラミッドの真下にあたります。ということで、さっきの逆さピラミッドは本物のピラミッドの一部じゃなかったんですね(当たり前だけど)。さて、チケット売り場に着きここでカルトミュゼの威力を発揮...と思ったんですが、なんとこの日はチケット売り場のストライキ(パリでは持ち場ごとに組合みたいなものがあって、その持ち場ごとにストするとのこと)で全員フリーパスで入場できました。しかも、地上のピラミッドの入り口では入るために200mぐらいの行列ができていたのに、地下通路側のアクセス路は全く行列もできていないので、並ばずに入れるというメリットすら堪能することができませんでした。ちょっと損した気分になりながらも、この先に待っている数々の芸術品、工芸品に期待を膨らませ先に進みました。入り口で持ち物チェックを受けて1歩中に入ると「ひ、広い!」の一言でした。手持ちのガイドブックは例によって”オプショナルツアーに参加しよう!”としか書いてないので館内の案内図などあるはずもありません。しかし、先ほどの逆さピラミッドの下にあったインフォメーションで日本語の館内案内図をもらっていたので心配ありません。しかも、その館内案内図にはこれだけは見ましょう的な説明が写真付きで載っているので、時間が無い人や事前の情報が無い人にはもってこいです。で、早速案内図を見ながら数ブロックを見てみたところ、「これなら全館回れるぞ」ということになり、順番に全館制覇目指して進むことにしました。ということで、明日からルーブル見学の話をしましょう。(2001.06.11)
494では今日からパリの2日目のお話です。午前7:30に起床、ホテルで朝食を済ませると早速Montparnasse Bienvenue駅に向かいます。今日も地下鉄乗りまくりです。で、最初の予定は昨日と同じようにInvalidesまで行って、そこで高速鉄道RERC線に乗り換え、Versailles Rive Gauche(終点)まで行きベルサイユ宮殿を見るということです。が、ここで「ベルサイユ宮殿はストライキで入れないらしいよ。」という情報が。なんでも、パリではストライキは日常茶飯事で、特に日本人観光客がどっと押し寄せる4月末〜5月始めにかけてストが目白押しだとのこと。ただ、前日も午後からは開館してたということで急遽予定を変更、ベルサイユ宮殿は午後から行くとしてまずはルーブル美術館へ行くことにしました。ここでガイドブックを取り出し、ルーブル美術館はいったい幾らで入れるのか?ベルサイユ宮殿は?その後に行く予定のオルセー美術館は?などと調べていると、どうやら昨日チケットブースで見たcarte museeなるものがお得であると書いてある。なんでも、このチケット(パス?)を持っていればパリ中の美術館やら凱旋門、ノートルダム寺院の塔、各種教会、そしてなんとベルサイユ宮殿までもがフリーパスになるらしいんです。しかも、入場制限(中が混雑するのを防ぐために入り口を一時閉鎖する)や入場の順番待ちの行列があってもパスを見せれば並ばずに優先的に入れるとのこと。これは買わない手はないってことで、早速窓口でDeux carte musees s'il vous plaitと言ってみる。すると窓口のお兄さんは3種類のカルトミュゼを見せながら「どれだ?」みたいなことを聞いてきます。よく見ると1jour3jours5joursと3種類あります。ここでも早速大学での勉強が役立ちます。すぐに1日券、3日券、5日券であることが分かったので、次の日も使うことを考えてTrois jours。難なくゲットできました。ちなみに料金はそれぞれ85FF170FF255FFとそれなりにお得になっていました。パリであちこち見て回るなら絶対に買いましょう。割安である以上に、長い行列に全く並ぶ必要が無いメリットを享受できるのは何にも代えがたいです。ということで、お得なパスも手に入れ意気揚揚でルーブル美術館に向かいました。地下鉄の乗り換えも前日何回も経験したのですっかり慣れましたし、予想以上に回りのみんなが親切なので何の心配もありません。というわけで、迷うことなくPalais Royal Musee de Louvre駅に到着、エントラスへと足を運びました。と、そのときです。私の目にあるものが飛び込んできました。それは...明日のお楽しみ。(2001.06.10)
493はい、昨日の続きとまいりましょう。店内に入るとすぐカウンターがあり、お決まりのユニフォームの店員がいるというスタイルは日本と同じです。違うのは店内のメニューや店員の会話が全てフランス語ということと、ハンバーガーが四角いことぐらいでしょうか。まあ、システムは日本と同じなので早速注文することにしました。以前、アメリカのマクドナルドでLサイズを注文して大変な目にあった教訓を生かし、メニューを指差して「M」と言うとすかさずフランス語でなにやら言われます。はぁ?という感じで表情で訴えると、今度は非常に訛り?のある英語(つまり何言ってるか聞きづらい英語)で単品か、セットか、セットなら何を付けるのか、飲み物は何かを聞いてきました。適当に「コーク、フレンチフライ、ザッツオール」とカタカナ英語で言ってみるとさすがに通じません。やっぱりなめたらアカンなぁと普通に注文し、なんとか空腹を満たすことができました。マクドナルドで空腹を満たし、「さあ、あとはホテルへ帰るだけだ」となったんですが、ここでふっと気づきました。確かホテルには水がなかったということを。これは大変です。カフェも閉まってしまう時間に水を売っているような売店が開いているはずもありません。ましてやスーパーなんてとっくの昔に閉まってます。それ以前にスーパーがどこにあるのかも知りません。これは困りました。とりあえず地下鉄に乗らなければいけないのは確かなのと、Montparnasse Bienvenue駅は大きなショッピングモールのようになっていたのを思い出したのとで、地下鉄の入り口を目指すことにしました。政治家や役人の得意な問題の先送りっていうやつです。で、地下鉄の入り口を探していると、なんと何でも屋みたいな小さな商店にまだ明かりが点いているのが目に入りました。ダメもとで店に入ると誰もいません。「すいませーん」と日本語で言うと奥からおじさんが出てきました。しばし無言で見詰め合う私とおじさん、意を決して店内を指差しながら一言「OK?」というと「Yes.」の返事。早速奥へと進み、お目当てのミネラルウォーターを発見。日本でも見慣れたエビアンとヴォルヴィックです。どちらにしようか迷いながらも両方を1本ずつ手にしてレジにて支払いを済ませ、無事に今夜の水分補給源を確保して地下鉄に乗った時には午後11時を過ぎていました。こうしてパリの1日目が過ぎたのでした。ということで、明日からパリ2日目のお話をします。(2001.06.09)
492では昨日の続きです。どのカフェに入るか決めかねて先へ先へと進む私達でしたが、しばらくすると店じまいを始めるカフェに出くわしました。え?もう閉店?と思いながら時計に目をやると、既に午後10時を回っています。午後9時近くまで明るかったのと、あちこち歩き回っても大して時間がかからなかったローマの感覚が身についていたのとですっかり時間の感覚がおかしくなっていたんです。「こりゃまずったなぁ」なんて思いながら、今来た道を引き返し、さっき素通りしてきたカフェまで戻りました。と、そのカフェはまだ開いています。「ラッキー」とばかり私達はそのカフェに入り、適当に空いているテーブルを見つけて座りました。しばらくすると一人のウェイターがやってきて「To eat?」と聞いてきました。フランス人はプライドが高く、英語が分かっても使わないと聞いていたのにいきなり英語です。そんなウェイターに「Yes. Can I ...」と言いかけると、なぜか日本語で「ゴメンナサイネ、タベルノ、オワリ」と言われました。彼の説明によるとこの時間帯はバーだけということでしたが、それより何よりなんで私達が日本人と分かったんでしょう?それまで大抵の人は「ニーハオ?コンニチハ?」と間接的に中国人か日本人か、時には韓国人かを聞いてきたのに、彼はいきなり日本語です。で、私が彼の日本語に驚いていると、彼は親切に近くでまだ開いていて食事ができるお店を教えてくれました。お礼を言って店を出た後、彼の説明どおりに行くと確かにそこにはまだ開いている食事のできる店がありました。が、その店先には「ラーメン」とカタカナで書いてあります。そう、日本食のお店、しかもラーメン店でした。どうしようか迷いましたが、「パリまできてラーメンも無いだろう。それならまだこっちのマクドナルドとかの方がいいなぁ。」という私の一言で入店するのはパスとなり、次の目的地はマクドナルドになりました。「どこにあるんだろう?」という心配をよそに、次の角を曲がるとありました、マクドナルドが。パリまできてマクドナルドっていうのも悲しいですけど、雨は依然降っているし傘は持ってないし夜のパリは思ったより寒い(最低気温は6度とか7度でした)しで、結局マクドナルドに入ることにしました。ということで続きは明日。(2001.06.08)
491はい、昨日の続きです。キラキラ輝くエッフェル塔を見ようとコンコルド広場にやってきたのが20:59。ぎりぎりセーフってとこでした。で、エッフェル塔を見ようと足を止めると、ちょうどコンコルド広場で営業していた観覧車の係員が「乗らないか?」と勧誘してきます。「Non merci」と断りながらもちょっと気になって観覧車を見上げると、なんとも不思議な動きをしています。すごいスピードで回ったと思うと、次の瞬間パッと止まるんです。いきなり止まるもんだからお客を乗せたゴンドラはぐらんぐらん揺れてます。で、しばらくするとまたゆっくり回りだし、思い出したように急に高速回転したかと思うとまたゆっくり回る。規則的なのか?と思ったけどやっぱり高速回転、通常回転、ストップはランダムに繰り返してました。それを見てさっきの「Non merci」は正解だったと心から思いました。さて、肝心のキラキラエッフェル塔ですけど、その不気味な動きの観覧車に気をとられているうちに既にキラキラが始まってました。輝き始めこそ見逃しましたけど、数分間続いたキラキラはとてもキレイでした。いつまでキラキラサービスをしてるのかは分かりませんが、一見の価値はあると思います。お目当てのキラキラエッフェル塔も見たし、そろそろ何か食べないとと思ってコンコルド広場を後にした私達は、次にルーブル美術館の方を目ざして歩き出しました。というのも、シャンゼリゼ通りの方がお店がたくさんありそうなことは分かってるんですが、なんせコンコルド広場からシャンゼリゼ通りのお店が集まっている区域までは軽く2kmもありそうなことと、気まぐれなパリの天気が私達にお湿りを与え始めてくれていたこともあって、通り沿いに雨をしのげるルーブル美術館前のR.de Rivoliが私達を呼んでいたからです。リヴォリ通り沿いには閉店していましたがズラリとお土産物にぴったりの小物なんかを売っているお店が並んでいます。そんなお店のショーウィンドウを一つ一つ覗きながら、私達は適当なカフェを探して進みました。途中、英語でメニューを出しているカフェが何件かありましたけど、今一これといった決め手が無く「この先にも何かあるかも知れない。無ければここまで戻ってくればいいや。」という私の一言で素通りして先に進みます。でもこれが命取りになったんです。ということで続きはまた明日。(2001.06.07)
490では昨日の続きです。無事Opera駅に到着し案内表示に従ってオペラ座の正面と思われる出口を出ると、ちょっとあたりが薄暗くなってきていました。時刻は20:30近かったと思います。で、目の前には薄暗い中でも屋根の上の金細工(彫像)がまぶしく輝いているオペラ座がどうどうと立っています。写真を撮ったり入り口を覗いてみたり一通り観光客らしいことをした後、今度は記念柱を見るべくR.de la Paixに入りヴァンドーム広場へ向かいました。途中、ショーウィンドウ(時間的に既にほとんどのお店が閉店している)で見事なマトリョーシカが目に入る(でも、マトリョーシカってロシアの民芸品じゃあ...ま、そんなことはどうでもいいか)。程なくお目当てのヴァンドーム広場に到着、なんかだだっ広い広場で中央に記念柱がドーンとそびえています。時間が時間だけに、私達以外はほとんど人がいません。こうなるとちょっと薄気味悪いです。広場を取り囲む建物は全て統一されたデザインですが、そこには様々なお店が入っています。ホテル・リッツ・パリもそんな様々なお店の1つです。で、ここに限らずパリの街は全体が車の排気ガスで黒ずんでいるんですが、その黒ずみを掃除して落としている店があるんです。そんなキレイ好きなお店はこのヴァンドーム広場にもありました。統一されたデザイン(まるで広場を囲っている建物全体が1つの建物に見える。実際そうなのかもしれないけど)、統一された黒ずみ(^^;)の中のごく一部がきれいに掃除されています。その店だけを見るときれいでいいんですけど、やっぱり全体の中では浮いてしまって異質です。きっと昼間の明るいときに見るともっと顕著にその差を確認できるんでしょう。全体が非常にバランスよく統一されていただけにちょっと残念でした。ヴァンドーム広場を後にした私たちが次に目ざしたのがコンコルド広場です。というのも、だんだんあたりが暗くなってきて道行く車もヘッドライトを点けるようになってきたのと、時間が20:50だったのとで「コンコルド広場まで出ればエッフェル塔が見えるかも!」と考えたからです。現地ガイドの説明によると、深夜1時まで毎時ちょうどには通常のライトアップに加えてフラッシュをちりばめたキラキラ輝くエッフェル塔を拝めるということだったので、チャンスとばかりに見に行くことにしたんです。ということで、明日はキラキラエッフェル塔のお話をしましょう。(2001.06.06)
489それでは昨日の続きです。Montparnasse Bienvenue駅で切符売り場を探していると、それまで人のいなかったブースに男の人が現れました。よく見るとテレホンカードぐらいの大きさの写真とともになにやら数字の記入された表が掲げられています。これは切符売り場に違いないと近づくと、それはcarte museeの案内。あれ?と思いながらダメもとでun carnet s'il vous plait(一応、ガイドブックには10枚綴りのカルネがお得と書いてあったのは知ってたし、大学でフランス語をかじってたので...)と言ってみると、「ほれっ、受け取りな。」ってな感じで10枚が1束になった水色の切符をくれました。あ、もちろんお金は払いましたよ。さて、無事切符も手に入れたので今度はいよいよ地下鉄に乗車です。地下鉄の案内板に従って目的の路線の目的の方向(案内板には終点駅しか表示されてない)に進むとホームに到着します。ここまでは日本と何ら変わりません。しばらく待つと電車が入ってきました。と、電車が止まる前にドアが開くではないですか!しかも、開いてないドアもあるじゃないですか!しかもしかも、なんとドアにハンドルがついてるじゃないですか!そうです、なんとパリの地下鉄は(高速鉄道RERもですが)ドアが手動式なんです。乗りたい人は自分で開ける、降りたい人も自分で開ける、というルールで、特に降りる人は電車が止まる前からハンドルを回す(ボタン式のやつはボタンを押す)から電車が止まる前にドアが開くんですね。そんな日本との違いに驚きながら目の前の地下鉄に乗り込んだのでした。で、今度は車内ですけどこちらは日本と同じです。入り口に面した位置の座席が可倒式で、混雑時には使用しないというのも全く同じです。関心なのは、既に座っている人でも入り口付近に人が立ち始めるや否やサッと立ってスペースを空けるんです。結局10枚のカルネを全て使い切り、更に数枚チケットを買ったぐらい地下鉄に乗りましたけど、このマナーのよさは例外なく慣行されていました。それから、車内でも駅構内でもそうなんですけど、楽器を演奏したり、布で簡単なステージを作ってぬいぐるみを使って簡単な寸劇をしたり、手品をしてみたり歌を歌ったりして乗客からお金をもらって回る(払う義務は無いけど)パフォーマーが数組は必ずいます。これは日本のようなやかましい車内アナウンスが無いおかげでしょう。まさに”ところ変われば”ってのを体験できるわけですね。というわけで、車内では退屈しないで楽しく過ごせる一方、車内アナウンスが無いので自分達が降りる駅は自分達の目で見て判断しないといけません。そういう意味でも、地下鉄の路線図はフランス語で駅名が表示されているものが必要です。私が持ってたのはカタカナで表記されていましたのでちょっと苦労しましたけど、先にも書いたように大学生のころフランス語を第二外国語としてやっていたおかげで「意味はわからなくても読める」ため、特に問題はありませんでした。さて、そんなわけで難なく乗換駅で別の線に乗り換え、目的地のOperaに到着したわけですが、この続きはまた明日。(2001.06.05)
488はい、では昨日の続きです。いよいよパリでの滞在先のメリディアン・モンパルナスに到着です。観光名所のあるセーヌ川沿いからはちょっと離れています。今までバスで移動している最中は、同乗していた現地ガイドが「あっちに見えるのが○○、こっちが○○、そのうち○○も見えてきます。」とうるさかったのに、ホテルへの道中では何も説明しません。唯一、近くにモンパルナス墓地があることだけアナウンスしてましたけど。そんな感じで、ちょっと中心部から離れたところに位置するメリディアン・モンパルナスですけど、国際会議やビジネスの商談なんかでたいへん賑わっていました。ローマで宿泊したホテルに比べると、歴史がある(まあ、古いっちゅうことです)ため部屋の広さや設備、清潔感なんかはだいぶ落ちますけど、それでも日本の観光地で泊まるホテルよりは良かったです。さて、ホテルに到着したのが19:00ごろで、当初の私の予定では17:00ホテル着後18:00にホテルを出てオルセー美術館へというものでした。というのも、この日は木曜日で通常夕方で閉館となるオルセー美術館が21:30までやっているということを聞いていたからなんです。しかし、到着したのが19:00ではちょっとオルセーを見て回る時間はありません。ということで、一旦部屋に戻って荷物を整理した後、オペラ座付近を中心にパリ市内を見てこようということにしました。この時期、パリでは21:00ぐらいまで外が明るいので、午後7時といえどもまだ昼間のように明るいです。これが後で悲劇を生むことになったんですけどね。さて、部屋でなんだかんだしてるうちに時計は20:00をさしていました。急いでホテルを出て、とりあえず目の前のモンパルナス駅に行ってみます。でも、このモンパルナス駅は郊外へ向かう高速鉄道RERの終点(始発)駅で、お目当ての市内方向へは行きません。はて、どうしたものかと思っていると目の前にメトロの文字が。その案内に従っていくと、5分ぐらい歩いたところで地下鉄駅Montparnasse Bienvenueがありました。ラッキーと思うのも束の間、その駅にはなんと4つもの線が乗り入れてます。ここで地図を取り出し12号線でInvalidesまで行き、8号線に乗り換えてOperaで降りればいいことが判明。しかし、今度は切符をどこで買うのか分かりません。なぜかほとんど人もいなくて、「みんなが並んでるところで買えばいいや。」という目論見が見事に外れてしまいました。ということで、パリでの初めての買い物(切符だけど...)の話はまた明日。(2001.06.04)
487それでは昨日の続きです。時間の関係でサクレ・クール聖堂は外観を眺めただけでした。しかし、画家の広場ではそれなりに時間をくれたので、似顔絵の値段交渉をしたり、売っている絵の値段交渉をしたりという時間はありました。似顔絵描きの画家はいろいろなタイプがいて、数分でササッと描いてしまう人もいれば30分以上かけてじっくり描く人もいるという具合でしたけど、やっぱり「おお、特徴をよく捉えてるなぁ。」というのはじっくりタイプの人が多かったと思います。特に日本人は顔に凹凸が無く、向こうの人たちからすると取り立てて特徴も無くみんな同じに見えるとのことで、じっくり描いてもらわないと安物買いの銭失いになってしまいそうな感じでした。この後2日間パリを回ったんですけど、このテアトル広場が一番イメージしてたパリの雰囲気に近かったと思います。パリを感じたいならここに寄るのがお勧めです。さて、テアトル広場を後にすると今度の目的地はエッフェル塔です。途中、車窓からマドレーヌ教会、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門を眺めながら到着です。ローマと違って道が広く、路上駐車なども無くてスムーズに到着しました。ここでバスを降りてエッフェル塔をバックにお決まりの記念撮影を済ますと、特に展望台に登るなどということも無く次の目的地へ向かいます。次の目的地はシテ島にあるノートルダム大聖堂。途中、またまた車窓から現在はナポレオンの廟となっているらしいアンヴァリット、その手前のアレクサンドル3世橋(橋に興味を示していたのは私だけでしたけど...)、サン・ジェルマン・デ・プレ教会を眺めながら、今度もあっという間に到着です。さすがにノートルダム寺院は外から眺めて終わりということはなく、ちゃんと入り口付近で現地ガイドの方に説明を受けて入場しました。バラ窓と呼ばれるステンドグラスをはじめ、数々のステンドグラスがなかなか見ものです。ただ、なんせ観光客が多くてローマで感じたあの教会独特の雰囲気は微塵も感じられませんでした。ステンドグラス見物としてはいいかもしれませんが、教会(寺院)として訪れると期待外れとなるでしょう。私の感想ですけど、ノートルダム大聖堂は中より外の彫刻やその建物自体の構造美の方が見ものですね。特に入り口向かって左側の切り落とされた自分の首を抱えている彫像なんかは珍しいんじゃないでしょうか。また、屋根から突き出ている雨樋も1つ1つ異なる彫刻がなされていて感心しました。基本的に動物を象っていてその動物の口から伝ってきた雨水を排出する構造なんですけど、よく見ると動物に混じって人間(女性)を象ったものもあるんです。また、正面は四角形を基本としたデザインなのに裏へ回ると全く別の建物のように三角形をイメージさせる斜角を持った直線を多用するなど、外観をじっくり見て回ると結構楽しめます。ということで、内部より外観のイメージが強く残ったノートルダム大聖堂を後にすると次はいよいよホテルへGOです。では、続きはまた明日。(2001.06.03)
486はい、では昨日の続きです。CDGでJTBの用意してくれたバスに乗り込むと早速両替商の人がやってきました。1万円を555FFと交換するということでした。成田空港の東京三菱銀行で両替したときのレートでは、1万円が501FFだったので悪くないレートです。しかも手数料は無しとのこと。早速6万円を両替しました。ちょっと多かったかな?と思っていると、なんと隣に座ったカップルはそれぞれが二十数万円ずつ両替してました。パリでブランド品を買うのが目的の旅行のようで、日本もまだまだ経済状態を心配する必要ないなと思いました。両替が終わるとやっとバスが出発します。行き先はモンマルトル近くのレストランで、そこでみんなで昼食をとることになっています。高速を飛ばした後、いよいよパリの街中に突入ですが、さすがにローマより新しい街、道は広くてバスでもなんの苦も無くスイスイ走れます。ほどなく目的のレストランにつくと、用意されたテーブルに案内され早速料理が運ばれてきます。ローマと同様、まずは前菜、次にメイン、最後にデザートという構成でしたけど、ローマと比べると量も手ごろで女性もみんな完食してました。味のほうは...たいしたことなかったです。エールフランスの機内食もそうだったんですが、フランスは牛肉や豚肉といった狂牛病や口蹄疫の懸念される食肉に大変敏感のようで、この昼食も白身の魚(スズキかなにか)でした。さて、食事も終わりこれからはフリーツアーにも義務付けられているパリ半日観光です。最初の目的地はモンマルトルの丘です。レストランがモンマルトルに近かったということもあり、あっという間に到着しました。バスを降り、布地屋さんが目に付く通りを抜けると丘の上へと上るケーブルカーが現れます。で、それに乗って上ること1分少々で小高い丘の中腹(8合目ぐらい?)に辿り着きます。そして今来た方を振り返ると...エッフェル塔や凱旋門など、パリの中心部が一望できます。ただ、目の前にはその景色をさえぎるかのようにアパートが建ってますが...。で、その景色の中でも一際目立っている高層ビルがあります。そう、モンパルナスタワーです。私達のパリでの滞在先であるホテル・メリディアン・モンパルナスのすぐ向かいのタワーです。ローマに比べると、ちょっとというか非常に広くてとても歩いていけるような距離ではありません。「やっぱりパリは広いなぁ。タクシー代が大変だぞ。」と思いつつ、現地ガイドに連れられてサクレ・クール聖堂、画家の広場(テルトル広場)に向かうのでした。続きはまた明日。(2001.06.02)
485昨日の続き、今日からいよいよローマからパリへの移動日=パリ1日目のお話です。
ローマからパリへは10:20発のエールフランス1205便で移動です。というわけで、7:40にホテルを出発しました。途中渋滞することも無く、8時過ぎには到着しました。荷物のチェックインや出国手続きを済ませた後、手持ちのリラを使い切るべくお土産売り場へ向かいました。ブランド品の売り場に日本人が群がっているのを尻目に、新聞やら雑誌を売っている売店で地元のお菓子やパスタを数点購入したところで残金が8,000LIT。日本円で500円ぐらいです。まあ、これぐらいならお土産代わりに持って帰ろうかなと思っていると、待合室の片隅でジェラートを売っているではないですか。そういえばイタリア旅行の定番のジェラートをまだ食べてません。ということで、コーンにバニラとストロベリーの2種類を載せてもらうと幾らか聞いてみました。すると、こちらの残金を知っているかのような答えが。そう、ダブルで8,000LITと言うんです。普通に考えるとジェラートが500円はそれまでの物価からするとちょっと高いんですけど、ちょうど手持ちのリラが全て無くなるということで速攻で購入決定です。そんなこんなで理想的にリラを使いきり、満足のうちにローマを後にしたのでした。途中、機内では「皆様の左手にモンブランがご覧いただけます」(多分そう言ったと思う。なんせフランス語だったもので(^^;))というアナウンスがあったんですけど、左手の窓から覗いても眼下に広がるのはアルプスの峰々、つまり全部がモンブラン(mont blanc=白い山)でどれが当のモンブランか分かりませんでした。
さて、往きに見ることができなかったアルプスの山々を堪能でき、気分も新たにいよいよパリの3日間が始まりです。ユーロの条約かなんかのおかげでフランスの入国審査はほとんど形だけの簡単なものでしたので、飛行機を降りてからターンテーブルにたどり着くまではあっという間でした。フィウミチーノ空港でロストバゲッジしたのでハラハラしなが待ってると、無事私達のスーツケースが出てきました。荷物をピックアップしてバスに乗り込みいよいよパリの街へGOです。ということで、続きはまた明日。(2001.06.01)
484はい、昨日の続きです。限界まで食べて超満腹でレストランを後にすることになったので、そこでタクシーを呼んでもらうつもりだったのを急遽キャンセルして腹ごなしのためにちょっと歩くことにしました。夜の共和国広場を見て、五百人広場を歩き、テルミニ駅を再度うろうろしてから駅のタクシー乗り場へ向かいました。途中、いかにも白タク風のおじさんたちに「タクシー?タクシーアルヨ」と日本語で話し掛けられながらも、なんとかその勧誘を振り切って無事タクシー乗り場に到着です。でも、このタクシー乗り場は日本のようにタクシーが順番に並んでいるわけじゃなく、どれに乗ったらいいのかさっぱり分かりません。で、キョロキョロしてたら後ろのほうに止まってたタクシーがドアを開けて「こっちだよ」と呼んでくれました。どうやら前にいるか後ろにいるかは関係なく、一番外側(二重駐車ならぬ五重駐車ぐらいしてた)のやつに乗るようでした。というわけで、無事タクシーに乗り「Jolly hotel villa carpegna per favore」と言うと凄い勢いで発車します。現地ガイドからJolly hotelは4つあって、villa carpegnaは新しいから間違って別のホテルに連れて行かれるかもと言われていたので「ホンマにこの運ちゃん知ってんのか?」と不安になり、信号で止まったときにホテルの名前と住所が書かれたコピー(予め用意してた)を手渡すと「ウンウン」と頷いて再びアクセル全開で郊外のホテルまでぶっ飛ばしてくれました。途中、ここはどこ?と思うような住宅街を抜けたりして「遠回りしてるのか?」とも思いましたが、到着して料金メーターを見ると21,900LIT。事前にホテルの人に聞いていた「テルミニ駅からは25,00030,000LITぐらい」というのより安かったのでなかなか良心的な運ちゃんだったようです。ということで、ホテルに着いたのが午後11時。翌日はいよいよパリへ移動のため午前8時前にホテルを出なければいけないので、シャワーを浴びて速攻で寝ました。はい、では明日からはいよいよ3日目のお話となります。お楽しみに。(2001.05.31)
483では昨日の続きです。まだまだ続きますよ。なんたってローマ2日、パリ3日のまだローマの2日目の話ですからね。
さて、レストランに到着したのは予約していた時間から遅れること5分の19:35でした。5分ぐらいの遅刻は大丈夫だよなぁと思いながら入り口で名前と予約してあることを告げると、なにやらメモを見ながら「え?もう来たの?」って感じのことを言われました。なんでもローマでは19:30に予約したら20:0020:30に来るのが普通なんだそうです。まあ、「日本人はたいてい時間どおりに来るからいいんだけど」みたいなことを言われて無事テーブルに案内してもらったから問題なかったんですけどね。で、日本と同じように「まずはお飲み物はいかがです?」というお決まりのやり取りから始まって、前菜、パスタ、メイン、付け合せ、デザートを順に注文し終わるとバスケットに入ったパンと最初に頼んだ飲み物を持ってきてくれます。私は歩き回ってのどが渇いたのでビールを、カミさんは前日の失敗(ワインを飲みすぎて帰りのバスの中で・・・)を気にしてかミネラルウォーターを頼んでたんですけど、出てきたビールのでかいことでかいこと。思わずびっくりしながらもうれしくなっちゃいました。で、ミネラルウォーターも1.5Lのビンとこちらもまあでかいこと。前日の昼食をとったレストランで500ccの水と340ccの缶ビールで20,000LITだったことを考えると「いったいドリンクでいくら取られるんだろう?」と心配になりましたけど、結果的にそのでかいビール2杯とビン入りミネラルウォーターとで11,000LITと、前日のレストランがいかにぼったくりだったかが証明されました。で、肝心の料理ですけど、こちらもビールのでかさに負けていません。前菜は直径25cmぐらいの皿に山盛り、パスタも日本で普通に1人前頼むのと同じぐらい、メインのステーキ(なんと牛のステーキがあり、怖いけど注文しちゃいました)なんて長さ20cm、厚さ2.5cm、付け合せのポテトとナスのグリルも直径20cmぐらいの皿に山盛り、締めくくりのティラミスも10cm角×5cm厚と、とても全部食べられません。味がとてもよかったのでなんとももったいない気がしたんですけど、どうがんばっても無理なものは無理でした。結局全ての皿を少しずつ残しちゃいました。さて、食事も全て終わり時計を見るとなんと22:00を過ぎてます。2時間半も食事してたことになりますが、私達の隣のテーブルの人たち(フランス語でした)も後ろのテーブルの人たち(家族連れ)も私達より先にきてたのにまだしゃべりながら食事をしています。そんなわけで、習慣の違いを思いっきり感じながらレストランを後にしました。続きはまた明日。(2001.05.30)
482はい、昨日の続きです。サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会で世界的に有名なミケランジェロのモーゼ像を見て教会を後にしたのが18:30ごろ。ディナーの予約まで1時間あります。予約したのは共和国広場近くのターゲットというお店で、現地ガイドの人に「フリーであちこち動き回ってるから市の中心部(どこにいても比較的近い)で手ごろな店は?」と聞いて教えてもらった店です。というわけで、比較的中心部から離れたサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会からでも歩いて30分はかかりません。でも、その前に他の名所を回るにはちょっと慌しくなる可能性もあります。そこで、「せっかく知らない街に来たんだからその街の日常生活の一部でも感じてみたい」ということでスーパーで買い物をしてみることにしました。で、向かったのが前日に大行列ができていたテルミニ駅地下のスーパー。昨日とは大違いでレジの行列は10人ぐらい。これなら許容範囲だということで、ペットボトルのミネラルウォーターを買うことにしました。同じテルミニ駅でも、地上のキオスクみたいな売店では1,800LIT(120円ぐらい)だったのに、このスーパーでは900LITとちょうど半額です。名所近辺の車で売っているものだと3,000LITぐらいなのでやっぱりスーパーは安いです。で、ついでに食肉コーナーを覗いてみたらやっぱり牛肉は売ってませんでした。私が立ち寄ったのが午後7時ちょっと前ということもあり、大半の商品が売り切れていたので正確には分かりませんが食肉は大半が鶏肉でした。また、日本に比べて野菜が非常に少なかったのも印象的です。とまあ、ほんのちょっぴりですがローマの日常生活の一部に触れた後、いよいよ本日の最終目的地のレストランへ向かいました。では続きはまた明日。(2001.05.29)
481はい、では昨日の続きです。骸骨寺を後にしてそのすぐ下にある蜂の噴水を見た後、昨日見損なったサン・カリーノ教会を目指してクワットロ・フォンターネ通りを上っていきます。と、途中にバルベリーニ宮殿と併設されている国立絵画館がありました。ディナーの予約時間を考え、この絵画館の展示物とこの先にある目ぼしい教会で体験できるであろう出来事とを天秤にかけ、この国立絵画館は外観だけをさらりと見ることにして後ろ髪を引かれつつ後にしました。で、坂を登りきったところで昨日拝観時間外に訪れたサン・カリーノ教会が現れました。早速中に入ると、事前の下調べのとおり遠近法を巧みに使った見事なクーポラがありました。また、奥に進むとどういう視覚効果をねらったか今一分からなかったんですけど、歪になった窓枠の採光窓がありました。とりあえず日本を出るときにチェックしていたクーポラを見ることができたので満足のうちに次の教会へと向かいます。次の教会は...時間を考えると選択肢は2つです。レストラン方向に向かいながら片っ端から教会を見て回るか、レストランとは全く逆方向でしかもちょっと距離のあるサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会へ向かうかです。結局、ここまできたらミケランジェロ作の超有名なモーゼ像を見ない手は無いということで、後者のサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会へ向かうことにしました。観光客のほとんどいない裏道のような通りを抜けて、本当にこの道でいいのか?と思うような薄暗い階段を上り、今にも崩れそうな古い建物をぐるりと回ると急に目の前が開けます。で、クルッと振り返るとそこにありました、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会が。見た目は教会には見えませんが、数名の観光客らしき人が出入りしています。時刻は18:10。これまで見た教会がほとんど18:00に閉館ということだったので急いで入り口に向かうと19:30までと書いてありました。一安心してゆっくり中を見て回ります。どうやって演奏者がそこまで上るのか分かりませんが、壁の比較的高いところにパイプオルガンが取り付けてあります。私がデジカメで写真を撮ると、それまで見向きもしていなかった外国人観光客(私も現地では外国人ですけど)達が一斉にフラッシュを浴びせます。このあたりは日本も外国も同じですね。で、パイプオルガンの真後ろを見てみると...ありました。柵で仕切ってあり、さらにビティで周りを囲ってありましたけど、確かにテレビや雑誌で見るミケランジェロのモーゼ像です。ということで、この続きはまた明日。(2001.05.28)
480はい、昨日の続きです。バルベリーニ広場からヴェネト通りに入るとすぐに「蜂の噴水」があります。が、通りを渡った反対側だったので噴水を見るのは後回しにしてもう少し上ったところにあるホテル・マジェスティック・ローマを目ざします。というのも、さっきBARでトイレに行ってからしばらくどこにも立ち寄ってなかったので、健康のためにもここらでトイレに行かなければと思ったからです。日本のように観光地に当たり前のようにある公衆トイレが全く無いので、BARやホテルなんかに入らないと用を足せないんです。で、宿泊客でもなんでもない日本人が気軽に入れるホテルというと、街中で出会って声をかけたりかけられたりした日本人観光客たちに聞き取り調査した彼らが泊まってるホテルということになるんです。このマジェスティック・ローマも、そんな聞き取り調査して得た情報の一つだったんです。用を足してスッキリしたら俄然元気が出てきました。車の往来をものともせず、比較的広いヴェネト通りを渡りものの15秒ほど坂を下るとすぐに骸骨寺です。本当の名前はサンタ・マリア・デッラ・コンチェチオーネ教会。骸骨寺という名前の理由は、教会の中に無数の人骨がきれに並べてあり、壁や天井の模様や蝋燭を入れて天井から吊るしているシャンデリアなども全て人骨でできているからです。入場料は無料でしたが、寄付を募るとうい形だったのでカウンターの上の籠の中に5,000LIT300円ちょっと)入れてきました。後ろから入ってきた別の観光客グループは5,000LIT札が入ってるのを見て躊躇してましたけど...。で、その骸骨だらけのフロアを出て2階に上がると、そこはいたって普通の教会です。例によってキリスト教徒でもないのに神妙な面持ちで椅子に腰掛けていると、突然パイプオルガンの演奏が始まったんです。生まれて初めてパイプオルガンの音色を聞いたんですけど、それが教会の中だったことも相まって感動しました。あれは今回の旅行の中でも最も印象に残ったことの一つです。偶然にもそんなずばらしい経験をしてますます気分が良くなった私は、この後蜂の噴水を見たら予約してあるレストランに近いテルミニ駅の地下ショッピングモールでもブラブラして時間を潰そうと思っていたのを急遽変更して、時間的に可能な限り教会を回ろうと地図とにらめっこしたのでした。続きはまた明日。(2001.05.27)
479では昨日の続きです。スペイン階段からポポロ広場へ向かう途中、先の尖った鐘楼を持つ教会がありました。それまで見たローマの建物は決まってドーム型のクーポラが特徴的(例えばサンピエトロ大聖堂)だったし、教会も四角い鐘楼が特徴的(例えばサンタ・マリア・イン・コスメディン教会)だったのでなんか新鮮でした。思わずシャッターを押しました。でも、ガイドブックには特に載ってなかったので名前は分かりませんでした。で、そんな尖塔を持つ教会を過ぎるとすぐ目の前がポポロ広場です。広いです。中央にはオベリスクがそびえています。ポポロの門が見えます。サンタ・マリア・デル・ポポロ教会もあります。ピンチョの丘も見上げることができます。今きた道の方を振り返ると、まるで双子のように左右対称な建物(厳密には左右対称ではないけど)があります。サンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会とサンタ・マリア・ディ・モンテサント教会です。実はこれが見たくてポポロ広場を目指してたんですけどね。で、ここで大阪からきたとうい同い年ぐらいの夫婦に出会いました。写真を頼むと快く引き受けてくれて、双子教会をバックにツーショット写真をゲットできました。が、大阪人だからノリがいいのか、この夫婦(というより旦那さんが一方的にだけど)がとりわけノリがいいのか、「ほな、今度はアレをバックに1枚いっときましょか。」「念のためもう1枚いっときましょ。」「あ、あれも入れといた方がええんとちゃいます?」と、頼みもしないのにポポロ広場中をバックに写真を撮ってくれました。で、私が「お二人もご一緒のところどうですか?」と聞くと、「うちらフィルムあまり持ってきてへんので、ええですわ。ほな。」と言ってどこかへ去っていってしまいました。彼らのおかげでツーショット写真を思わなくゲットでき、いい気分で地図を確認して次の目的地を「骸骨寺」に決めると、再びスペイン階段の方へ引き返しました。相変わらず人でごった返しているスペイン階段前のスペイン広場を過ぎドゥーエ・マルッチェリ通りを進むと、その先にビティで取り囲まれたオベリスクが現れました。こうして少しずつ修復したり補修したりしてるのでしょう。それを過ぎてちょっと歩きトリトーネ広場を左に曲がると、今度は車通りの激しい広場に出ます。バルベリーニ広場です。中央にトリトーネの噴水があり、広場に面してバルベリーニ駅があります。ここまでくれば骸骨寺はすぐです。ということで続きはまた明日。(2001.05.26)
478はい、では昨日の続きです。BARを後にして私達はポポロ広場を目指してテヴェレ川沿いを歩きました。と、すぐに川の向こうに立派な建物があります。なんだろう?と思ったら最高裁判所でした。記念写真を撮った後、再びポポロ広場を目指します。途中、川沿いの道から1本中に入ればあとは直進するだけです。が、実はここで道を1本間違えたんです。しばらく歩いていると、前方に黒山の人だかりが見えます。「へ〜、ポポロ広場ってのは思ったより人気があるんだなぁ。」なんて思いながらその人だかりに近づくにつれ、何かが違うという空気が漂ってきます。案の定、そこは広場でもなんでもなく、単なるブティック。しかも「CLOSED」と書いてあります。ではなんで人だかりができているのでしょう?それは、テレビの撮影をしてたからなんです。きっと地元では有名なタレントなんでしょう。その閉まっているブティックの前でポーズをとっています(このときはスチール撮影してました)。日本の芸能人にも疎い私にはそれがイタリアで有名な人か、はたまた世界的に有名な人かは分かるはずもなく、「scusi」の連発でなんとか人ごみを掻き分けて先を急ぎました。が、なんとその人だかりを抜けてもまだ前方には日曜日の心斎橋筋のような人ごみです。「え?他にも撮影してんの?こりゃ道を変えたほうがいいな。」と思いながら地図を広げて現在地を確認すると、なんと今私達がいるのはポポロ広場への道ではなくコンドッティ通りです。そう、有名ブランド店が建ち並ぶ、ローマの一大買い物スポットだったんです。ということは、このまま進めばローマの休日でヘプバーンがアイスクリームを食べていたスペイン階段に出るはずです。というわけで、行き先をスペイン階段に変更してコンドッティ通りをGOです。程なく、人ごみの先にスペイン階段を確認しました。ここでお決まりの記念撮影を済ませ、一応階段を上ったり下りたりしてみましたけど、特にこれといって見所があるわけではありませんでした。人が大勢いる割には大したことないなと思いつつ、当初の目的地のポポロ広場に向かいました。続きはまた明日です。(2001.05.25)
477はい、では昨日の続きです。サンタンジェロ城を後にしてサンタンジェロ橋を渡り街の中心へ向ったんですけど、よく考えたら中心からその先の方面は前日に見倒してるんです。ということは、昼を食べるために中心部へ向った後、また元来た道を引き返さなければならないということですが、それはあまりにも非効率的です。というわけで、街の中心へ向うのをやめ、ポポロ広場の方向、つまり今渡った橋のかかっているテヴェレ川沿いを歩くことにしました。で、歩き始めて数十秒、1組しか客がいないけどそれが見るからに地元の人の集まりだなと思われるBARを発見しました。というわけで、ここで食欲を満たすべくそのBARへを足を運びました。が、普段から観光客が立ち寄らないためか、店員はみんなイタリア語しか話しません。困りました。なんてったって英語でやり取りするのだって苦手なのにイタリア語です。とりあえず注文することはできますけど、自分が何を注文しているかは分かりません(^^;)。まあ、コーラとピザを頼んだであろうことは確かに伝わったんですけど、ピザの種類が何なのか、ちゃんと1つのピザを2人でシェアすることが伝わったのか、ピザは1つだけどコーラや食器は2つくれるのかなどなど、不安要素だらけです。でも、なんとかうまく伝わったらしく、ちゃんとコーラと食器を2つずつと、ピザを1枚持ってきてくれました。で、肝心のピザの種類ですけど...目の前にしても分かりません。でも、メニューの写真のうち私がこれがいいかなぁと思ったやつだったので結果オーライです。ここで食欲を満たし、トイレも済まして再びポポロ広場へ向かった時には既に時計は14:30を回っていました。今日は19:30にレストランを予約してあるので残り5時間です。でも、狭いローマは5時間もあれば十分です。ということで、残り5時間のお話を明日からすることにしましょう。(2001.05.24)
476では昨日の続きです。サンタンジェロ城へ辿りついた私達は、まず中に入れるのかどうか確認しました。というのも、イタリアでは昼休みを2〜3時間取り、その間はお店なども閉まってしまうことと、それは観光客に開放されている教会や有名なブティックなんかでも同じであること、それに今日がイタリアの休日で閉館しているところが多いことなんかがあるからです。でも、心配をよそにサンタンジェロ城はオープンしてました。多くの外国人観光客がチケット売り場を前にして入場券を買うかどうするか躊躇している中、「大人二枚!」と指を二本立てながら日本語でチケットを購入して先へ進みました。サンタンジェロ城は、有事の際にサンピエトロ大聖堂から法王が逃げ込んで篭城したということで、簡単に進入されないように窓の無い暗い通路をグルグルと回りながら上へ上へと上っていきます。途中、上から石を落として侵入者を撃退するための窓が開いていたりしますが、基本的には真っ暗です。そんな通路をしばらく上ると、急に目の前が明るくなります。で、一歩その明かりの中に踏みだすと、意外に高いところまで上ってきている自分に気付きます。そして、ここから先は昔の武器や衣装などが展示された博物館となっています。また、ちょっとしたBARもあります。そして、更に上へと上るとそこからはローマの街が一望できました。ここもローマへ行ったなら是非立ち寄りたいところの一つです。なんてったってローマの街もヴァチカン市国も一気に見渡すことができるんですからね。ここで眼下に見えるローマやヴァチカンをバックに写真を撮れば、きっといい記念になります。ということで、サンタンジェロ城を満喫した私達はいよいよ食欲を満たすために街の中(ヴァチカン、サンタンジェロ城はローマの街の外れにある)へ向ったのでした。続きはまた明日のお楽しみです。(2001.05.23)
475では昨日の続きです。館内をグルグル回らされた後、やっとお目当てのシスティーナ礼拝堂に到着しました。そこはそれまでの雰囲気とは全く違って、多くの職員が厳しく管理しています。もちろん写真も禁止、ビデオも禁止です。で、それまでの一般展示というか常設展示というか、通常の絵画や彫刻、調度品なんかの展示場所は有名な美術館である割には空いていたのに、このシスティーナ礼拝堂だけは超満員でした。きっと、広いヴァチカン美術館をオプショナルに組み込んでいるツアーが、時間の都合で一般の展示品を飛ばしてもシスティーナ礼拝堂だけは外さないからでしょう。さて、無事最後の審判も見てシスティーナ礼拝堂を後にして地図のギャラリーやラファエロの間なんかを見終わると、今度は食欲が鑑賞欲に勝るようになってきます。ということで、館内のカフェへ向いました。が、なんかメニューを見てもあんまりイタリアって感じがしません。そこで、ここでは飲み物だけにして、外へ出て何か食べようとうことにしました。というわけで、めぼしいところをあらかた見て、喉の乾きも癒したところで広いヴァチカン美術館を後にしました。美術館を出た後は、昨日見たサンピエトロ大聖堂をもう一度見ようということで、表の広場へ向いました。そこでなんとウェディングドレス姿の女性を発見。なんでも、今日はイタリアの休日で、日本と同じように日がよいからということで結婚式を挙げるカップルが多いとのこと。その言葉のとおり、何組もの新郎新婦を目撃しました。そう言えば、日本からの飛行機で一緒だった人の中にも海外ウェディング目的でツアーに参加したというカップルがいました。そんなわけで、思わぬ光景を目にすることができ、気を取られているうちにいつのまにかサンピエトロ大聖堂とは反対方向、サンタンジェロ城の前まで辿り着きました。ということで、明日はサンタンジェロ城のお話をしましょう。(2001.05.22)
474はい、では今日からローマの2日目(旅行日程の3日目)のお話をします。1日目のディナーからホテルに戻ったのが23:30で、シャワーして寝たのが午前1時過ぎ。で、2日目の起床が7時目標だったのに目が覚めたのが8時。急いで着替えて朝食バイキングを済ませ、フロントで両替してタクシーを呼んでもらったのが8:55。ちなみに、成田空港の東京三菱銀行よりホテルのフロントの方がレートが良く、手数料も取られませんでした。小銭が欲しかったのに「Please include some small notes.」と言ってしまい、札しか手に入りませんでしたけどね。さて、2日目の第一目標はヴァチカン美術館。というのも、ちょうどこの日は「イタリアの休日」とかいう日でイタリア中一斉に休む日だということで、ローマ市内に繰り出しても休んでいるところが多いと現地ガイドに聞いていたため、イタリアではなくヴァチカンに行くことにしたんです。ホテルで聞いたら「ヴァチカンはイタリアじゃないから今日の休日は関係ないので開いているでしょう。」とのことでしたしね。で、タクシーでホテルからヴァチカン美術館まで10分程度で到着。11,900リラの表示に15,000リラ払ったら運ちゃん大喜び。こっちは単に細かい札がなかっただけなんだけど、あまりの喜びように「お釣りちょうだい。」とは言えませんでした。まあ、お釣りもらってもそのままチップとして渡してたと思いますけど。さて、タクシーも一通り経験しいよいよヴァチカン美術館へGOです。開館が8:45、私が到着したのが9:10ぐらいと、開館から30分程度でチケット売り場には50人ぐらいの行列ができていました。が、待ち時間はほんの数分で無事館内に入ることができました。館内は開館直後ということもあって空いていました。どこをどう見たらよいのか、私が持っていたガイドブックには何も載ってなかった(ヴァチカン美術館はオプショナルツアーで見なさいと書いてあっただけ)ので、とりあえず有名なシスティーナ礼拝堂に向かうことにして案内表示に従って先へ進んでいきました。ただ、その案内表示も素直にシスティーナ礼拝堂へと案内するという感じではなく、あっちこっちぐるぐる回らせて結局館内を見てもらおう的な感じで設置されていましたので、お目当ての礼拝堂につくまでにしっかり彫刻や絵画、テーブルや食器などなどを見ることができました。ということで、明日はシスティーナ礼拝堂から先のお話をしましょう。(2001.05.21)
473では昨日の続きです。大きな男の人が出てきて、よく通るいい声で「Ladies and gentlemen〜」で始まったオペラ・カンツォーネディナー、出演者は司会者も兼ねている大きなイタリア人男性、店のオーナーというイタリア人男性(こちらはとても背が低い)、とても爽やかな韓国人男性、背が低くて可愛らしいアメリカ人女性、そしてどこの国の人か聞き取れなかったんですけどピアノを担当する男性の5名でした。で、オペラ・カンツォーネディナーと銘打っているものの、結局私の行ったお店はオペラの店ということでオペラディナーでした。きっと予約先が他の店だったらカンツォーネの場合もあるんでしょう。さて、肝心のオペラのほうですが、私は初めて生で聞いたんですけどその声量の凄さと声の質の良さとに圧倒され(さほど広くない店だったので、出演者と私との距離も10mもありませんでした)、目の前の料理を食べるのも忘れて聞き入ってしまいました。基本的にイタリアンオペラということで、全てイタリア語の歌だったんですけど聴いたことのある歌もいくつかありとても楽しめました。司会の人曰く、スペインだろうがパリだろうがニューヨークだろうがどこで公演するときも必ずイタリア語しか使わないとのことでした。まあ、歌と歌との合間のトークは英語でしたけどね。結局約2時間ほどの公演だったんですけど、途中でギャグトークのようなものはするわ客を引っ張り込んでロミオとジュリエットの格好をさせて寸劇をさせながらそれに合わせて歌うわと、なかなか趣向を凝らして演出してくれたおかげであっという間に時間が過ぎました。ディナーの料理も、お決まりのパスタや野菜を使った料理(日本では見たこと無い料理でした)、鶏肉の料理、デザートと一通りのコースになっていてとてもおいしかったです。なによりワインやシャンパンなどのアルコールが飲み放題とうところがよかったですね。私なんか「vino bianco per favore.」(当然この一言でボトル1本持ってきます)の連発でしたから(^^;)。ということで、楽しいオペラディナーも終わり帰りはJTBバスでホテルまで送ってもらって長いローマの1日目が終わったのでした。はい、では明日からローマの2日目のお話をしましょう。(2001.05.20)
472はい、食傷気味ですがまだまだ続きます。なんたってまだローマ・パリのうちのローマの1日目が終わってないんですからね(まあ、これは独り言だから特に断る必要は無いといえば無いんですけど)。
さて、あちこち歩き見てお中も空いてきましたのでオペラ・カンツォーネディナーの集合場所へ向うことにしました。が、なんと言っても妻のスーツケースがロストバゲッジのために替えの下着も歯ブラシも何も無いので、テルミニ駅の地下にあるスーパーで必要品の買い物をしなけりゃいけないこともあって、ディナーの集合場所であるメトロポールホテルに行く前にテルミニ駅へ向いました。さすがにローマ市内の鉄道・地下鉄が交差する駅、午後7時というのに人でごったがえしています。早速地下に降りてお目当てのスーパーを見つけて入りましたが、レジにものすごい行列ができていて、さらにその列がちっとも前に進まないので買い物を諦めました。ディナーの集合時間まで1時間あったんですけど、あの調子だともしかしたら1時間ぐらいかかりそうだったので。そんなわけで、ちょっと早いですけどメトロポールホテルに向いました。受付のローマ大学の学生(ミルコさんといって、日本語を2年ほど習ったとのことですけど会話に支障の無い流暢な日本語をしゃべってました)相手に所定の手続きをして、迎えに来たバスに乗り目的のお店に着いたのは午後8時半ごろ。店の名前は「タリア」で、小さな入り口から地下に降りるとそこはホールのようになっていました。私達のテーブルは最も入り口に近いところで、楽屋のような小部屋の出入り口のすぐ横でした。テーブルに着くとそこにはすでにパンと前菜が用意されていて、座るや否やシャンパンがグラスに注がれます。また、飲み放題のワインも運ばれてきます。で、特にメニューの説明があるわけじゃなく、プログラムの説明も無しにいきなり「ジャアミナサン、スキナダケタベテノンデクダサーイッ」というミルコさんの一言でおもむろに食事が始まりました。食事が始まって10分ぐらいたったときでしょうか、私達の横の楽屋から一人の大きなイタリア人が出てきました。そしてホールの一角にあるスペース(特にステージにはなってない)に立つとマイクで「Ladies and gentlemen〜」とお決まりの文句が始まったんです。ということで、続きはまた明日。(2001.05.19)
471では昨日の続き、今日はフォロ・ロマーノのお話です。私は普通とは違って裏側から入ったんですけど、そのおかげで説明図を見ることができました。説明図の近くにはインフォメーションのような建物もありましたので、もしかしたら私が入った入り口が本来の入り口かもしれません。出るときは大きな凱旋門をくぐるようにして階段を上って出ましたけど、そこには説明図も案内所も無かったです。で、肝心のフォロ・ロマーノですけど見所が盛りだくさんでここもローマに行ったら是非立ち寄りたいところの一つですね。セウェルス帝の凱旋門、元老院、聖なる道、カストール神殿などなど、1個所でこれだけ見られるのはここだけかもしれません。コロッセオとセットで行くとそれだけで古代ローマを満喫できるかもしれません。古代遺跡が無造作にそこらに転がってるという、日本では考えられない管理(?)も見所の一つですよ。というわけで、意外と広くて時間を取られたフォロ・ロマーノを後にして次に向ったのはローマ市庁舎です。これは行こうと意図しないで辿りついちゃったっていうのがホントのところなんですけどね。というのも、さっき書いたようにフォロ・ロマーノから凱旋門をくぐって階段を上ったら目の前にあったわけですから。で、現在地がはっきりしたわけですからここでまた地図です。地図を見るとこのローマ市庁舎からその日の最終目標地である共和国広場近くのメトロポールホテル(JTBデスクがあって、その日のオペラ・カンツォーネディナーを予約していた)方面へ行くのにうまい具合に見所が連なっています。ということで、ローマ市庁舎→カンピドリオ広場→ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂→フォロ・トライアーノ→フォロ・アウグストと一気に回り、最後はナッツィオーレ通りの基点(?)のマーニャナポリ広場を見てナッツィオーレ通りを共和国広場へ向いました。あと残るは本日のディナーだけです。ということで、明日はディナーのお話をしましょう。(2001.05.18)
470では昨日の続きです。スパーダ宮からサンタ・マリア・イン・コスメディン教会まではテヴェレ川沿いを歩きました。途中、ティヴェリーナ島、パラティーノ橋を見物しながらほとんど観光客の歩いていない川沿いを歩くのは気持ちよかったです。で、15分か20分ほど歩いたでしょうか、目の前にポルテトゥヌス神殿とヴェスタ神殿(ヘラクレスの神殿)が現れました。ということは、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会はすぐそこです。視線を教会のあるべき方向に向けると...やっぱり人が大勢いますということで、早速中へ足を踏みいれました。すると、案の定しばらく目にしなかった日本人観光客がいました。その日本人観光客が順番に真実の口に手を突っ込んで写真を撮っていたので、私達夫婦もその中にまぎれてちゃっかりシャッターを押してもらっちゃいました。写真を撮り終えると日本人観光客の一行はすぐに次の目的地へ移動です。私達はもちろん教会の中に入りました。私はキリスト教徒でも何でも無いですけど、やっぱりローマの教会に入ると普段とは違った気持ちになります。まあ、ここまでいくつかの教会に入って既にそういう感覚に目覚めていたってのもあってここで中に足を踏みいれてみたんですけどね。とうわけで、束の間の神妙な心持の後、今度は午前中の半日観光で見損なったフォロ・ロマーノへ向いました。普通の人がアプローチするのとは全く逆で、観光客どころか地元の人も全く歩いていない裏通りからのアプローチでした。初めは入り口が分からなかったんですけど、公園のような入り口に何気なく入ってみたらフォロ・ロマーノ全体を図で説明した看板が出てました。それを一通り眺めた後、いよいよフォロ・ロマーノへ突入です。ということで、明日はフォロ・ロマーノのお話をしましょう。(2001.05.17)
469では昨日の続きです。なかなか先に進みませんけどしばらくは我慢してくださいね。
さて、ナヴォーナ広場に一歩足を踏み込むと「トモダチ!」と男が寄ってきました。もちろん私はローマに友達なんていません。そう、これはかの有名な組紐の押し売りです。日本人を見つけると「トモダチ」とか「サービスネ」とか言いながら近付いてきて、気を許すと腕やバッグなんかにいきなり手にしているカラフルな紐を結びつけアッという間にものの見事な組紐細工を完成させて法外な料金をふっかけるアレです。私は予め聞いていたので、男が近付いてくる度に「Non capisco l'italiano.」(イタリア語は分からん)と、さもイタリア語も日本語も区別が付かずに分からないふりをして難を逃れました。その他、後で行ったパリやベルサイユでも見かけた全身金色の布を巻き付け、ツタンカーメンのマスクを被って直立不動で立っているというパフォーマンスをしてる人、同じように全身緑色で立ってる人、真っ白で立ってる人と、そこかしこでパフォーマンスして小銭を稼いでました。そんな感じで古代遺跡とは違ったローマの一面を堪能して次にボッロミーニの「遠近法を用いた通路」で有名なスパーダ宮へ向いました。ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを横切り、カンポ・ディ・フィオーリ広場を抜け、ファルネーゼ広場、ファルネーゼ宮を過ぎて到着です。所用時間10分程度ですでに3個所もの見所をこの目におさめました。やっぱり凄いぞ、ローマっ!って感じですね。で、お目当てのスパーダ宮につくと早速その遠近法を用いた通路を目にすることができました。でも、なんでわざわざ遠近法を用いてまで奥行きがあるように見せる必要があったんでしょう?なんて思いながらも心は既に次の目的地、ローマの休日に登場したサンタ・マリア・イン・コスメディン教会へ向っています。というわけで、明日はいよいよ真実の口のお話です。(2001.05.16)
468はい、昨日の続きです。トレヴィの泉に着くとそこは驚くほど多くの人でごった返していました。「うわっ、こりゃ噴水に近付いてコインを投げるなんて無理だな。」と思ったんですけど、やっぱりここまで来たら定番ははずせません。ということで、「scusi」と連呼しながら人の壁を押し分けて階段を降りて行くと、そこは予想に反してあまり人がいません。このあたりはさすがにマナーを気にする外国人です。みんな泉の脇まできて予め用意していたコインを後ろ向きに投げるとすぐにサッとその場を離れて次の人に譲るんです。いつまでもその場で写真を撮ったり立ち話してるのはやっぱり日本のおばちゃん、お姉ちゃん達です。同じ日本人としてちょっと恥ずかしかったですね。で、私達もお決まりのコイン投げ(ちょうど小銭を切らしてて、日本の10円硬貨と5円硬貨を投げました)を終えるとできるだけ早くその場を次の人に譲りました。というわけで、あっという間にトレヴィの泉も終了です。邪魔にならないように道の脇に寄ってまた地図を広げます。で、今度の目標はかのラファエロの墓ともなっているパンテオンです。ローマの中心を背骨のように走るコルソ通りを横切り、ローマ大学の前を通って進むといきなり目の前に現れました。早速中に入ると、そこは外の喧騒とは全く異なる空間です。思わず絶句してしまいます。薄暗い空間にクーポラの中心から指し込む太陽の光がきれいです。ローマへ行くならここは是非とも立ち寄りたいところです。さて、感動のパンテオンを後にして私が次に向ったのはナヴォーナ広場です。ここはパンテオンとは対象的に、様々な人が集い、いろいろなパフォーマンスをしたりお店を出したり、時間帯によってはマーケットにもなるところです。で、そのナヴォーナ広場に足を踏みいれるや否やいきなり「トモダチ!」と言いながら手にカラフルな紐を持った男が近付いてきました。では、この続きは明日のお楽しみです。(2001.05.15)
467早速いきましょう、昨日の続きです。クィリナーレの丘にあるクィリナーレ宮殿に着くと、そこには高校性ぐらいの団体さんがいました。言葉を聞いてみると英語ではないけどイタリア語でもなかったので、外国への修学旅行のようなものでしょう。で、肝心の宮殿ですけどローマの他の見所に比べてちょっと雰囲気が違いました。なんとなく新しい感じがするんです。色が黄色というか黄土色というかそんな感じで、それで雰囲気が違うように感じたんでしょう。というわけで、ここでは宮殿よりむしろ「丘」であることの方が見所でした。その名のとおり、小高い丘になっているので一応ローマの街を見渡すことができ、遠くにサンピエトロ大聖堂がよく見えました。ここで景色を堪能した後、またまた地図の確認です。地図を見るとすぐ近くにローマと言えば?の答えに十分なトレヴィの泉、同じような距離だけど方向が正反対のところにコロンナ美術館があります。というわけで、やっぱり超有名なトレヴィの泉に行くことにしました。クィリナーレ宮殿のだだっ広い敷地をぐるりと回って坂道を下っていくと、ほとんど人の歩いていない裏道って感じの道に出ます。手元にある地図ではさすがにこんな生活道路までは網羅されていません。いきなり迷子です。でも、こんなこともあろうかと腕時計のベルトに付けておいた高性能ミニコンパスで方角を確認します。と、今下ってきた道とクィリナーレ宮殿の位置から考えてどうやらトレヴィの泉は我々の右側にありそうです。というわけで、次の角を右に曲がることに決定。そしてその次の角を右に曲がってみると...またまた生活道路のような狭い路地です。でも今までの道とは決定的に違います。それは、道の両側にBARがあって、ほどほどにお客がいます。BARがあるということはもしかしてトレヴィの泉に近いのか?と思ってもう少し進んでみると、いきなり目の前に人、人、人です。ということで、この続きはまた明日。(2001.05.14)
466はい、昨日の続きです。食後はさっきまでバスで一緒だった人達と分かれて私達夫婦でいよいよ待望のフリータイムです。ここで日本でマーカーだらけにした地図を取り出し、今どこにいるのかを確認して最初の目的地、さっきバスで通過してきたヴェネツィア広場へ向いました。が、さすがローマ、歩き出してすぐに古そうな教会が目の前に現れました。サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。広い前庭(コンクリートタイル敷き)に続く階段、スペイン階段よりよっぽどゆっくりまったりできそうなのにほとんど人がいません。というわけで、ちらりと見ただけでその場を後にしました。で、ここでもう一度地図を見てみると前から見てみたかった遠近法を取り入れたクーポラで有名なサン・カリーノ教会が近くにあるではないですか。とうことで、行き先をサン・カリーノ教会に変更してクワットロ・フォンターネ通りへと向いました。狭いローマ、地図ではちょっと距離があるかなと思ったのにあっという間に到着です。時刻は14時半。さあ、いざ中に入ってクーポラを拝みましょうと扉に手をかけるも開かない。え?と思って扉に貼ってあった小さな紙切れを読んでみると、どうやら12時から15時まではお休み(シエスタ?)らしい。車どおりも激しく、歩道も幅1mほどしかない教会の前で30分も待つのは危ないことと、狭いローマは30分もあれば少なくとも1個所、がんばれば3個所ほどは他の名所を回れることとを考えて、その場を後にしました。さて、ここでまた地図を確認です。教会の前の道(クィリナーレ通り)をそのまま進めばすぐにクィリナーレの丘、クィリナーレ宮殿があります。というわけで、教会を後にした10分後には次の名所に辿り着きました。はい、では今日はこのへんでお終いです。続きはまた明日。(2001.05.13)
465では昨日の続きです。ちょっと予定を変更して昼ご飯のお話だけにしましょう。昼ご飯を食べるために入ったレストランは、まるで日本にいるかのように食べている客が全て日本人でした。当然店内に響いている声は日本語です。で、なんとウェイターもさほどうまくは無いけど日本語を話すんです。客も日本語、ウェイターも日本語、水が欲しければ「すいませ〜ん、水くださ〜い。」で通じてしまうんです。でも、なぜかついつい覚えたばかりのイタリア語を使ってしまうんですよね。「Olio per favore.」とか。で、ウェイターが「ハイ、オリーブオイルネ。」と日本語で持ってくるんです。さて、肝心の料理のほうですけど、日本人客が多いだけあって非常に食べやすく美味しかったです。ちゃんと前菜、パスタ(イタリアではパスタも前菜の一部ということです)、メインディッシュ、デザートというコースになっていましたけど、ドリンクだけは半日観光の料金に含まれていなくて、飲みたいものを自分で注文するって仕組みでした。とうわけで、私達夫婦はミネラルウォーターと缶ビールを頼んだんですけど、500ccの水と340ccのビールで12,000LIT。日本円で750円ぐらいなのでそんなもんかなと思ってたんですけど、後でこれがとっても高かったことがわかりました。それはまた後日ご紹介しますのでお楽しみに。というわけで、人数分よりいつも1皿多く持ってきて「コレ、オマケネ。」とワンパターンを繰り返す陽気なウェイターのレストランでの昼食も無事終わり、いよいよ待望のフリータイム突入と相成ったわけです。この続きはまた明日。(2001.05.12)
464はい、続きです。コロッセオを出るとそのまま隣接するフォロ・ロマーノへ向いました。まさに古代ローマの政治・経済の中心だった古代遺跡群です。コロッセオから延びるフォーリ・インペリアーリ通りからは眼下に見下ろすことができます。広いです。ホントに古そうな様々な遺跡がごろごろしてます。さあ、これから下へ降りてこの古代遺跡群を堪能するぞ!って時でした。JTBバスの運ちゃんが時間にルーズなイタリア人の本領を発揮してくれたんです。普通は遅れる方にルーズなんですけど、早く仕事を終わりたいからか予定より随分早く我々を迎えに来たんです。前にも書きましたけど、ローマ市内は非常に厳しい観光バス規制をしています。許可を受けたバスですら決められたルートしか走れません。ましてや観光客を待つために路駐するなんてもってのほかです。とうわけで、絶景のフォロ・ロマーノを目の前にしながら迎えに来てしまったバスに乗り込みました。で、バスに乗って現地ガイドとバスの運ちゃんがあれこれやり取りをした後、とんでもないことを私達に告げました。なんとこの先はどこにも降りずにバスの中から名所を見ろって言うんです。道も混んでたし、バスを止めるところもないし、早く昼ご飯を食べたいからだとか。文句を言っても聞く耳を持たないようなので諦めました。フォロ・ロマーノを出た後はヴェネツィア広場、チルコ・マッシモ、カラカラ浴場跡と、まあそれなりの所を回って出発場所のテルミニ駅へ戻りました。駅に戻ってバスを降りたら昼ご飯です。この昼ご飯を食べるところまでがローマ市内半日観光に含まれていましたので、バスで一緒だった人達とガイドに連れられて駅の近くのレストランに入りました。とういわけで、明日はレストランの話とその後のフリータイムでの私の行動についてお話します。(2001.05.11)
463では昨日の続きです。コロッセオに到着してまずJTBバスの乗客全員の集合写真を撮りました。コロッセオの周りにいる写真屋が勝手に(?)撮ったという感じで、欲しい人だけ20,000LIT払えってことでした。まあ、日本円で1,300円ってとこなので私は買いましたけど。で、いよいよコロッセオの中へGOです。外から見ても「ワォ、コロッセオだ!」だったのに、中へ入るとそこはテレビやインターネットでお馴染みのこれぞコロッセオという風景が広がっていました。やっぱりこういうものは自分の目で実際に見ないとダメですね。で、円形競技場とうだけあって当然中は階段状の観覧席になっていて、階段で上へ上ることができます。上へ上るとコロッセオの中を見下ろせるのはもちろん、窓(といってもとてつもなくでかい窓ですけど)からはフォロ・ロマーノ、タイプライター(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂)、コンスタンティヌスの凱旋門などが見渡せます。とうわけで、その大きな窓から外を眺めていると陽気な外国人観光客が「ヘイ、写真撮ってやるからそこに立って笑いなよ。」と言ってきました。もちろんカメラを渡して撮ってもらいましたけど、そう言えばその前に行ったサンピエトロ大聖堂でもフィリピン人風のおっちゃんが「シャッター押してあげるよ。」と写真を撮ってくれました。結構みんなやさしいものです。ものの本によると、シャッターを押すふりをしてカメラを奪い取る人が多いので注意と書いてあったけど、よく考えたら私達の周りにいる人達もほとんどが観光客で、お互い誰かにシャッターを押して欲しいと思ってるわけだからちょっと一声かければ渡りに船って感じなんですよね。てなわけで、ツーショット写真もゲットできたコロッセオを後にして次は窓から見えていたフォロ・ロマーノへ移動ですが、続きはまた明日。(2001.05.10)
462では今日からローマ市内観光のお話をしましょう。初日はホテルに到着したのが深夜0時過ぎだったためシャワーを浴びて寝ただけでした。で、2日目は朝の6:15に起きてホテルで朝食をとり、7:20過ぎにホテルを後にしました。向かった先はローマの中心部にあるテルミニ駅。そこからバスの乗り入れ規制の中、日本系では唯一市内乗り入れ許可を得ているJTBの市内半日観光バスに乗車です。まず向ったのがバチカン市国にあるサンピエトロ大聖堂。一旦バスを降りて大聖堂の中を見物しました。一応、教会などの中は声をたててはいけないとのことなのでバスに添乗していた現地ガイド(日本人で1968年からローマに住んでいるとうおばちゃん)から大聖堂の外で説明を聞き、その説明を思いだしながらじっくり見てきました。これが今回の旅行で最初に目にした建造物内部なんですけど、その大きさは日本では比較できるものは無いです。そこらの体育館よりよっぽど大きいです。また、その中にある彫像や天井に描かれた絵画、モザイクでできている壁画、クーポラと、ローマを訪れるなら必見というものが目白押しでした。一通り中を見物した後に外に出てみると、外部を警護しているスイスの衛兵の当番交代のようなことをやってました。その衛兵の前でお決まりの記念撮影をして、大聖堂の前庭部分を囲っている回廊をぐるりと見物した後、またバスに乗って移動です。今度の目的地はコロッセオ。小さなローマ市内を決められたルートでぐるりと回って行くためちょっと時間がかかりましたけど、それでもあっという間に着きました。で、ここでもバスを降りてコロッセオの中へ。というわけで、この続きはまた明日。(2001.05.09)
461では、今日はローマへ向かう機内のお話とホテルまでのお話をしましょう。
1時間遅れでCDGを出発した機は3列+3列(3席,通路,3席)という構成の小さな飛行機でした。出発するとすぐに機内食が出ます。ローマまで2時間もかからないというのにまた食事です。ついさっきCDG到着1時間前に日本からの機内でしっかり2回目の食事をとったばかりなのに。まあ、ホテル到着予定が23時過ぎで、近所には食べ物を仕入れられるような店が無いとのことなので、何も食べ物が出ないよりいいんですけどね。で、無理して機内食を平らげるとすぐに着陸体勢に入りました。2時間の予定が1時間40分でフィウミチーノ空港へ到着です。で、到着後に荷物の受け取りのためターンテーブルへ行きました。同じ飛行機の乗客の中で、私のスーツケースが真っ先に出てきました。その後、数分間誰の荷物も出てきません。あれ?と思っているのも束の間、今度は堰を切ったように一気に皆の荷物が出てきました。ところが、あらかた荷物が出払ったにもかかわらず妻のスーツケースが出てこないんです。待てど暮せど出てこないんです。結局ロストバゲッジということで、窓口で必要な手続きをしました。ところが、さすがイタリア人、情報の入力はするけど問い合わせはまた明日って言うんです。その手続きの最中も周りの同僚と今夜どこに飲みに行くとか、あそこの店は高いとかくっちゃべっているんです。一緒に手続きを手伝ってくれた現地ガイド曰く「これがイタリア人ってやつですよ。聞いてるでしょ?」だって。結局荷物は次の日以降ということで、現地ガイドが用意してくれたバスでジョリーホテルビラカルペーニャというよくあるローマの観光地図のギリギリ外側にあるホテルへ行きました。というわけで、明日からはいよいよローマ市内観光のお話です。(2001.05.08)
460とうとうゴールデンウィークも終わりました。今日からまたいつもの仕事中心の生活に戻りますね。さて、今日は昨日の予告をちょっと変えてCDGからローマのフィウミチーノ空港へ向けて出発するまでのお話です。
12時間もの飛行の末、CDGに到着したのは予定時刻から2分遅れでした。で、CDGは日本の空港と違いめっちゃ広くて、ランディング後に駐機場まで行くのに「このままローマまで走っていくのか?」と思うほど長い距離走るんです。モニターに写っていた表示によると、時速30キロぐらいで走行していました。で、やっとブースに到着して飛行機を降りるとトランジットのためにバスで別のブースまで移動です。ここでも広さを実感しました。で、予定のブースに到着し、次のローマ行きの出発までの50分間をつぶすためまたまたお土産屋を回りました。ここで帰りに買うお土産を決めて、安心してローマへGOです。そうこうしているうちに集合時間となったので、ローマ行きのボーディングゲートへ向かいました。ゲート前には同じツアー客やフランスからローマへ遊びに行こうという外国人(ホントは我々が外国人なんだけど)が既に集まっています。ゲートの先には乗るべき飛行機が準備を終えて待機しています。「おお、時間にルーズと聞いていたけどなかなか時間どおりに準備できてるじゃん。」なんて思ったのも束の間、なぜが電光表示板には「DELAYED」の文字が。なんでも、機の準備はできてるけど人の準備ができていないとのこと。このあたりから「なるほど、噂どおりイタリア人はルーズだな。」と思い始めました。待っている間、よくイタリアに旅行するという日本人に聞いたら「1時間や2時間遅れるのは当たり前のようですよ。」と言われました。まあ、それでも1時間遅れで無事出発できたので、イタリア人にしては早い方だったのかも知れません。というわけで、無事ローマへ向けて出発できたのでした。明日はローマへの機内でのお話とホテルまでのお話をしましょう。(2001.05.07)
459では、今日は行きの飛行機のお話です。ご存知のとおり、日本とローマ・パリとの時差は7時間(現在は既に夏時間)です。成田発が23日の12:30(日本時間)、パリCDG着が同じ23日の17:40(現地時間)、目的地のローマ着が20:55(現地時間)ということで、機内で寝ないで起きていて、現地到着後ホテルで普通に寝れば時差ボケも一気に解消と、行きの飛行機はずっと起きていました。私が乗ったのはエールフランスの275便で、12時間のフライトの間映画を2本上映しました。1本目は英語(フランス語の字幕付き)で、ウィル・スミス主演の映画でした。で、2本目が日本語(フランス語の字幕付き)の映画でサラリーマン金太郎でした。フランスの人にあれが日本の標準的なサラリーマンだと思われたらどうしよう?と思っていましたけど、あの早いテンポで会話が進む映画に付ける字幕には限界があるのか、日本人以外はほとんど見ていませんでした。あと、映画の合間に2回機内食が出たんですけど、エールフランスということでやっぱりフランス料理でした。もちろん和食のメニューもありましたけど、せっかくだからフランス料理の方を頼みました。でも、回りの日本人観光客はなぜか和食を頼んでいる人が多く、???でした。それから、飲み物やケーキなどは自分達で勝手にキャビンと呼ばれているところに取りに行くことになっていたんですけど、行ってみて驚いたのがおにぎりやカップラーメンがあったことです。やはり日本人観光客はこのおにぎりとカップラーメンに群がっていました。ご他聞に漏れず私もゲットしましたけど...。とまあ、あっちうろうろこっちうろろして、映画を見て、おにぎりやカップラーメン、ケーキ、ビール、ワインとあれこれつまみ食い(飲み)してたらあっという間にCDGに着いちゃいました。というわけで、明日はCDGからローマのホテルまでのお話をします。(2001.05.06)
458では、ローマ・パリの旅行のちょっと詳しい説明に入りましょう。まずは出発からです。4月23日の月曜日でした。私は今回初めて成田空港へ行ったんですけど、いつも利用している羽田空港に行くより簡単で安いことを初めて知りました。うちはJR総武線の駅も京成線の駅も歩いて2〜3分というところにあるので、成田空港までは京成で行きました。途中、特急に乗りかえるために船橋で一旦降りますけど、そのまま降りたホームで待っていればいいのでとても楽チンです。で、ドアツードアで1時間で成田です。で、成田空港へ着いてすぐに空港内の東京三菱銀行で2万円をリラに、もう2万円をフランに両替。とうのも、ものの本に「日本円は当然日本国内が最も強いので、両替はできれば国内で」と書いてあったからなんですけど、これが大きな間違いであったことがこのあとローマ、パリで両替したときに判明するのでした。で、両替が終わった後、集合場所へ行き、荷物をチェックインしたあと添乗員さん(私はフリーツアーなので関係無かったんですが同行の他のツアー客(オプションてんこ盛りツアー)のために付いていた)に簡単な説明を受け、搭乗までの約1時間半、お土産売り場をうろうろしたり、ドリンクを飲んだりと結構退屈しながら過ごしました。というわけで、明日は行きの飛行機のお話をしましょう。では。(2001.05.05)
457はい、では今日はパリの第一印象です。パリはシャルルドゴール空港(CDG)からまずモンマルトルまでバスで行ったので、ローマと同じく『狭い』と感じました。で、走っている車が日本と同じような大きさのセダンが中心だったので、ローマより新しいから道は広いんだろうなぁぐらいに思ってました。モンマルトルの丘に上って絵描きの広場でパリの雰囲気を味わった後、いよいよパリ中心部に向かったんですけど、パリの中心部に着いて印象が変わりました。『ひ、広い!』これが第一印象ですね。あとは、『ローマに比べるとやけに新しいなぁ』というところですね。ローマは紀元前の建造物も残っているのに対して、パリは18世紀とか19世紀ってのが主流ですから、やっぱり新しいんです。簡単に言うと、建物が18世紀前後の雰囲気になった東京って感じでしょうか。街ができた当時にすでに馬車なんかの移動手段が一般的になっていたためか、各名所間の距離が比較的大きく、ローマのように歩いて名所回りするなんてことは不可能でした。その代わり、ご存知メトロが大変普及していて、このメトロを駆使すれば自由自在にパリを徘徊できます。そんなところもやっぱり『広いけど新しい』という感じがしました。というわけで、パリの第一印象はこの辺で終わりです。明日からもう少し細かくローマ・パリをご紹介することにしましょう。(2001.05.04)
456では昨日の続きです。と、その前に今日は私の三十ン回目の誕生日です。自己紹介のページにも書いてありますけど、プレゼントは誕生日の前後6ヶ月受け付けてますのでお気軽にどうぞ。
さて、では今日はローマの街の印象ですけど、簡単に言うと「小さいけどやっぱり凄い!」です。ローマ市内だけなら、日本で売っている観光ガイドブックに載っている名所を回るのに1日半、歩くのが苦手という人でも丸2日あれば十分なほど小さいんですけど、どこをどう歩いても、目に入ってくる全てのものが古代遺跡で、逆に全ての遺跡を見るためにはローマ市内の全ての建物を見ないといけないというほど凄い歴史を感じるんです。また、街が小さいのと比例してなのか、道路がめちゃくちゃ狭くて、走っている車は9割がフィアットプントとかパンダ、ルノーサンク(?)、フォードのカー(?)、スズキアルト、フォルクスワーゲンのポロ、そして一番目にしたメルセデスとスウォッチによるスマートという感じで、小型車なんです。私の愛車であるオペルアストラワゴンもよく走ってるんですけど、日本ではほんとに小さなワゴン車という感じですけどローマではもう大型車の部類です。というわけで、世界的な古代遺跡が歩いて回れる範囲に凝縮されている、そんなところでしたね、ローマって。というわけで、実に簡単ですがローマの街の第一印象はこの辺で。明日はパリの第一印象をお話しましょう。(2001.05.03)
455では、今日からしばらくローマ・パリへの旅行のお話をしていくことにします。ということで、まずは初めて行ったローマ・パリの印象からお話しましょう。
まずはローマです。ローマは成田→パリ(シャルルドゴール)→ローマ(フィウミチーノ)という経路で入ったんですけど、いきなりパリ→ローマで1時間の遅れとなりました。飛行機は用意できているけど、なぜか時間になっても搭乗手続きの窓口が開かないという感じで、事前に聞いていたイタリア人は大雑把というのを実感しました。で、いざフィウミチーノに着いたらなんと妻のスーツケースがロストバゲッジ。関空→パリ→フィウミチーノで来ていた関西のツアーの方も2組がロストバゲッジ。で、ロストバゲッジの手続きをしに窓口へ行くと、「入力はするけど確認は明日にするから、明日以降にここに電話して確認してくれ。」と紙切れを渡される。「なんで?」と思ったけど現地のガイドによると「エールフランスといってもパリと違ってここの職員はイタリア人ですから、仕方ないですねぇ。」とのこと。だいたい、手荷物受け取りのターンテーブルのところに現地ガイドやら出迎えの家族、友人、知人などほとんどフリーパスで入ってこれること自体なんていい加減なんだろう?と思いましたよ。適当に誰かの荷物を持って出ていっても全然ノーチェックですから、ひょっとしてロストバゲッジじゃなくて誰かに持っていかれたのか?と思いました。まあ、結局次の日の夜中にホテルに届いた(届けさせた)んですけどね。ということで、ローマの第一印象は『イタリア人って大雑把でいい加減』でした。長くなりそうなので今日はこの辺で終わります。街の印象はまた明日。(2001.05.02)
454皆さん、こんにちは。久々の独り言です。そうです、新婚旅行から帰ってきたんです。いやぁ、楽しかったですよ。で、疲れました。ローマとパリをこれでもかってぐらい歩き回りましたから。というわけで、旅行の行程や内容は明日以降に順次ご紹介するということにして、今日はこの辺で終わりです。もう時差ボケでなんか頭が回って無いですからね。はぁ〜、早く体調を整えないとなぁ。(2001.05.01)
453今日から4/30(月)まで新婚旅行でローマ・パリへ行ってきます。今日の12:30成田発のエールフランスでGW直前の日本からバイバイです。ということで、4月一杯はこの独り言もお休みです。このページの一番上に書いてますけど、このページはWindowsCEマシンであるHPのJornada720で更新してます。その他にも、メールや予定表(PIM)など、ほとんどをこのモバイルマシンでこなしてます。そんなJornada720のデータ記憶領域はコンパクトフラッシュ、CFです。そのCFは実はデジカメの記憶媒体でもあります。というわけで、このJornada720のCFもこの独り言アップの後にフォーマットしてデジカメ用として旅行に持っていきます。これで64MB×2、32MB×1、8MB×1のCF体勢で旅行に臨むことになります。何が言いたいかというと、これから普段使ってるデータを全て破棄するってことです。一応、PCのHDDにバックアップをとりますけど、万が一の場合は今までのようにページの更新ができなくなるかもってことです。と、予防線をはっておいてしばらくお休みということにします。こうしておけば帰国後間が空いても言い訳できるでしょ?なーんてね。(2001.04.23)
452昨日に引き続き変な夢の話です。昨日、関連性があると書きましたけど、どんな関連があるのかと言うと舞台が同じ島根県なんです。それも遊びに行った所が昨日の夢と全く同じ家なんです。で、今度はその家の離れにいるときに突然地面が揺れ始めるんです。それもものすごく長周期のゆっくりとした揺れです。で、その揺れがだんだん大きくなって、しまいには立っていられなくなるほどになり、地面は裂け、建物は倒れ、車が地面の裂け目に落ち込んでゆくんです。で、私はどうしているかというと、庭に出てあちらこちらで裂けている地面を睨みながら、あっちへ飛んだりこっちへ飛んだりしながら裂け目に落ちるのを必死で防いでいるんです。そして、そうやって必死に揺れに耐えながらあちこち飛び回っているうちにまたまた目覚まし時計が鳴るんです。島根県、大規模な天災という関連性を持っているけど、昨日のも今日のも体験したことも見聞したことも無い夢です。でも、昨日のがちょっとリアルさに欠ける夢だったのに対して、今日のは天災の規模が想像を絶するほど大きなところ以外は全く不自然なところが無く、細部までものすごくリアルで鮮明な夢なんです。これは何を暗示しているんでしょうか?ちょっと気になります。私の関連するところで大変なことが起こらなければ良いんですけど...。(2001.04.22)
451えー、昨日までの50話を過去ログに移しました。興味のある方はご覧ください。
さて、突然ですが最近立て続けに変な夢を見るんです。No.447に書いた小さな白い河童の夢もそうなんですけど、他にも関連性のある変な夢を見るんです。ということで、今日と明日の2日、その関連性のある変な夢をご紹介します。まずは火山の噴火の夢からです。それは私が島根県のとある街に遊びに行ったところから始まります。夜寝てると、突然地響きがするんです。で、なんだろう?と思って窓の外を覗いたら、数キロ先にある火山から噴煙があがってるんです。「お、噴火かぁ」と思ったその時です。突然山頂付近の岩が爆音とともに私のいる家の窓に向かって一直線に飛んできたんです。私は寸でのところで岩の直撃を交わすんですけど、次から次へと一直線に大きな岩が私めがけて飛んでくるんです。で、その数キロもの距離をもろともせず一直線に飛んできて家の壁を突き破る威力のある岩を、こともあろうに手近にある卓袱台で防御しながら家から脱出するんです。その後、なぜか近くの山が噴火しているのに運休になってない電車に乗って、その噴火している山のふもとまでごはんを食べに行くんです。もうわけワカメです。当然その電車に乗っている最中も噴石を気にしながら車内をあっちこっち逃げまわるんです。そうこうしているうちに耳元で目覚まし時計が...。ね、経験したことも見聞きしたことも無い現実離れしたことを夢で見るんです。変でしょ?ではこれに関連した夢の話をまた明日しますね。(2001.04.21)