春香のものがたり・四季の詩
 別章〜草原の波涛〜 Kamp:4 Ende

「マイスナーの隊をロープウェイ麓駅に、
 シャルテンの隊は橋の前に戦車を移動、
 残りは現状のまま待機」

 ラシュリ中隊長の指令を副官が復唱すると全員がそれぞれの持ち場へ
走っていく。
 窓から春香がロープウェイ駅の方角を覗こうとするとシュワリンクが
鎧戸を閉めた。
「窓の傍にいては危険ですから下がっていて下さい
 それと、ヘルメットを被って下さい
 あ、顎紐は締めないで、爆風で首が持っていかれます」
 ぎごちなく被る春香に苦笑しながら眼差しは真剣である。
「家屋を攻撃するとは思われませんが出来るだけ奥の部屋にいて下さい」

◆◆◆◆◆◆◆

 全長7キロに及ぶロープウェイは途中駅が2つあり、その2つとも
連合の工作員により制圧されて安全が確保されていた。部隊としては
工作員と亡命者達を鎮圧するのではなく、帝圏と連合との戦闘の余波
からこの町を護るのを第一としている。
 途中駅での降車を見越したのか帝圏の工作員らしき男二人組が自動
車に乗り込み発進しようとエンジンをかけた途端、ボンッとエンジン
ルームが火を噴いた。
 この音を聞いたや否や住民達は窓の鎧戸を閉め、外を出歩いていた
者達は一目散に近くの家や商店、パブやカフェに飛び込んだ。
 爆発した車の難を逃れた残りの帝圏工作員が双眼鏡でロープウェイ
途中駅方向を凝視し、坂道を降りてくる車体色がマルーンの中型車を
発見して指示を与えながらサイドカーに跨り急発進させた。
 側車に乗った男がサブマシンガンの弾倉を確認してコッキングボル
トを牽いていつでも撃てるようにした。
 残ったもう一人の男が爆弾で負傷した二人組の手当を行う。
 帝圏の工作員は五人らしい。

 ――何? 今の音?

 鎧戸を通して聞こえた爆発音に動揺する春香。
 外は慌ただしくなり、戦車のエンジンが唸ると同時にキャタピラが
キュルキュルと路面と擦れる音を出している。
 奥の寝室に戻る春香。
 ベッドの上に座り、両手で膝を抱え込むとその中に顔を埋めた。

◆◆◆◆◆◆◆

「各隊、配置に着け!
 繰り返すがいかなる場合もこちらから撃つな」
 副官の号令の中、3台の軽戦車が持ち場へと散っていく。
「通信班!」
「はい」
「引き続き無線傍受の報告を欠かさずに」
「整備班長!」
「はっ!」
「銃座の弾薬はどの位持ちそうだ?」
「予備は二箱有りますがクリップ留めしていませので二百発迄です」
「そうか」
「威嚇には現状でも充分だと思われますが」
「連合の工作員が陸路を通るなら大丈夫だろうな」
 懸念事項がなにかある横顔を見せる中隊長に聞き直す整備班長。
「狭隘な景勝地だといえど着陸できる場所はあるからな」
 通りに面した階段から川を渡った先の谷方向を見やる。
「駅前広場ですか」

◆◆◆◆◆◆◆

 ――戦争かぁ
 これも戦争の中の一つなのは春香にも充分分かっている。
 元の世界では大規模な紛争は21世紀に入って一度もない。
 20世紀の記憶ですら湾岸戦争は幼な過ぎて覚えていない。
 中東紛争や原理主義者のテロは何度もニュースのライブ映像で
見たけど知り合った人々の戦いは正直、怖い。
 見知った人が戦いで死んでいくのはもう嫌だ。
『妖精だった澪お姉ちゃんは
 きっとこんな想いをずっとしてきたのだろう――』

◆◆◆◆◆◆◆

 サイドカーに乗った帝圏の男達が山腹を縫うように坂道のカーブを
曲がりきれる限界ぎりぎりのスピードで右に左に車体を軋ませながら
疾駆させていると下ってくる車輌が眼に入った。
「来たぞ」
 側車の男がその言葉を受けて身を乗り出すようにサブマシンガンを
構えたが一瞬で尾根の向こうに車体が消える。
 サイドカーが左カーブに入りマルーン色の車体が山の尾根に隠れる。
 次の右カーブ手前で止まり、カーブを下って来た処を狙い澄ます。
「今だ!」
 パパラパラパラ、と銃声を谷間に響かせる。
「?」
「乗っていないぞ」
 車内に居たのは巧妙に偽装されたマネキンだった。
 銃弾を浴びたマネキンが崩れると仕掛けられていたトラップの糸が
外れ、手榴弾の安全ピンが抜けた。
 狭い坂道で衝突を回避しようと男達がサイドカーを急発進させたと
同時にマルーン色の車体が爆発した。爆風で煽られてガードレールを
踏み越えて谷底に転落していくサイドカー。

 丁度その頃、麓駅手前に近付いたロープウェイからは博士と連合の
工作員が緊急脱出路から縄梯子を伝って降りていた。
 身を潜め、周囲の気配を伺い、足音をたてないようにしながら町外
れ近くの民宿に忍び込んだ。
 急いで服を着替え、装備の再点検をすると博士を促し、車庫に入る。
 中には少々草臥れたボンネットバスがあった。
「これで山を越えるのですか」
 目立ちすぎるのでは?と不安を表す博士に
「いえ、これは強行突破するために使うだけです」
と答える工作員のリーダー。
 防寒帽を脱ぐと端正な映画スターのような顔で笑った。
「ここからは我々二人と博士で逃げます」

◆◆◆◆◆◆◆

 第一小隊が護る陣地では街道を進んできた帝圏の装甲トラックとの
銃撃戦状態に入っていた。
 砲の威力だけでは軽戦車といえど四七ミリ速射砲で装甲トラックの
装甲を撃ち抜くには充分だが歩兵の動きに留意しながらの対応は困難
だった。
 小隊長のラフェネアがキューポラに備えられた機関銃で牽制する。
「曹長、向こう(のトラック)が少しでも動いたらすかさずバックだ、
 そしたら連射する」
「ですが小隊長、狙いが――」
「足止め出来れば結構、よし、今だ、下がれ!」

 ドドォオン、と鈍い爆音を聞いて眼を開ける春香。
「ラフェネアがうまく街道を塞いだな、残骸を片づけるのが大変だが」
 愚痴ともとれそうな口調でラシュリが将校帽を被り直し右手人差し
指を空に向けた。
「脱出機と送り狼のお出ましだ」
 その指さす方角に一機の連合の小型単発連絡機とそれを追うように
迫る帝圏の単座主力戦闘機がいた。
「よし、対空迎撃用意」

◆◆◆◆◆◆◆

 博士を乗せたバスは狭い路を抜けて駅前広場に向かっていた。
 追いすがる帝圏の工作員との銃撃戦をバス後部窓で行い、ようやく
振り払うと大回りした路をとって返すように駅へと向かう。
 空では着陸させまいと帝圏の戦闘機が執拗に撃墜しようと連絡機の
後ろに食い下がるが、小回りの効く連絡機は右に左に銃撃を回避して
旋回を繰り返す。
 戦闘機の逸れた流れ弾が町の鐘楼や背の高い民宿の屋根を貫く。
 ラシュリ中隊長の戦車砲塔上に据え付けられた一挺の大型機関銃が
ようやく火を噴き、戦闘機の後を追うように銃弾が弧を描く。
 慌てた戦闘機が慌てて急上昇し連絡機を見失ったのか機首を盛んに
降っている。

 ――目を閉じて隠れていてはダメだわ、
 みんなの生き様をちゃんと見据えていかないと――。
 プロペラ機が何度か上空を舞う音と銃撃が何度か聞こえたけれど。

 身を屈め、空の様子を伺いながら門柱の壁に駆け寄り、階段の下、
街道の三叉路の様子を恐る恐る顔を覗かせて確認する。
「!!」 
 ローザマイン伍長が足を怪我してうずくまっている。
 予備の弾薬を運ぶ際に不意に現れた二機目の銃撃で負傷したのだ。
 見渡せば右側の街道の奥、山間を旋回する戦闘機の姿が見える。
 春香は考えるよりも早く、足が動いて階段を駆け下りていた。
 ラシュリの怒声が飛ぶ中、倒れている伍長の左腕を取り肩を貸し
て歩き出す。
 次第にプロペラの音と地を這う掃射音が近付いてくる。
 ラシュリが撃ち返すがすぐに弾切れになってしまう。
「伏せろっ!!」
 その叫び声が届く前に射線が伍長と春香の貫抜いた。
 そう見えた。
 一瞬のうちに二人の体が消え、いままで居た空間が泡立つように
して弾けていく。
 ヴォンッ、と音が立つとラシュリの横に二人が現れて倒れ込んだ。
 気絶している伍長を戦車の陰にそっと横たえると春香がラシュリに
その後の様子を伺った。
「貴方達が消えていたのは十秒に満たないよ、
 それに、別な援軍が現れたようだ」
 ラシュリが手で指し示した空には先程の戦闘機がようやく到着した
連合の戦闘機に追い回されているところだった。
「態勢が決まったな、どちらもこれ以上は損だからすぐに引き上げる
だろう」
 その言葉通り、十分と経たない間に帝圏と連合の戦闘機は引き上げ
ていった。それを見計らったように駅前広場から僅か三十メートルの
滑走で飛び立っていく博士を乗せた連絡機。
 それから十分と経過した頃に第二,第三小隊が整備班と共に戻って
きた。 
「ご苦労、少尉、一機目の尾翼を吹き飛ばしたのは少尉の隊か?」
「はい、中隊長、それは整備班長の隊であります」
「そうか、少尉もご苦労、班長は?」
「班長はパラシュートで脱出した帝圏のパイロットを警察に突出しに
行っています」
「それは可哀想だな、班長に墜とされたのが運の尽きだな、
 同情するよ」
「ははっははっは」
 笑いながら宿舎の食堂に入る一同。
 その笑いがソファに横たわる春香の姿を見て静まり返る。
 服が埃を被っていて煤の汚れもあったからだ。
「中隊長、春香さんは――」
 通夜のように悲痛な沈黙が漂う。
「大丈夫、無事だ。
 ローザマイン伍長を銃撃の中、助け出してその後、
 緊張の糸が切れたのだろう、気を失ったという訳だ」

◆◆◆◆◆◆◆

 その夜、部隊の宿舎では帝圏軍との戦闘の勝利(?)を祝して前庭で
盛大な夕食会が催されていた。
 次々と杯に発泡酒を注ぎ、焼き上がったふかふかでチーズがとろんと
とろけるピザを頬張る。国歌や隊員の出身地の郷土歌謡を謡い、合唱と
町の住民から差し入れられた山盛りの料理皿を空にしていく。
 手持ちの楽器を弾く者、笛を吹く者、置かれた古いピアノを弾く者。
「次は私が弾こう」
「中隊長、待ってましたぁっ」

 夜も更けて小雪が麓のこの町にも舞い始めた頃、部隊全員を前にして
対面するように椅子に座って話す春香。
「――じゃなくて、ただ、あの時は夢中だったんです、
 それと――
 もう皆さんとはお別れになりそうです、
 見て下さい――」
 春香が手を差し伸べると薄く透けだしている。
 ざわざわと隊員の動揺が声となって上がる。
「短い間でしたがお世話になりました――
 私は小さな時、大切な人を闘いで亡くしてしまって
 戦いは嫌いなんですがやっぱり嫌いだからといって目を背けては
いけないことも分かったような気がします……
 上手く言えないですが、皆さんのことは忘れません――」
帰る春香
 言い終えない内に春香の身体を包むようにシャボン玉のような輝く
光が泡となって溢れ返り、きらきらと弾けながら春香は元の世界に帰
還していった。
 秋虫の小さな鳴き声が殊更寂寥感を昂める。
 りろりろるるん、りろりろるるん、と。
 大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐きながら立ち上がりラシュリは
隊全員に向き、一拍おいた。
「春香には春香の生活がある、そこに一足早く戻っただけだ、
 良かったじゃないか、祝ってあげようじゃないか、そして、
我々も任務を早く終えて帰ろう」
「はいっ!」
 全員が立ち上がり、夜空に向けて敬礼した。

◆◆◆◆◆◆◆

 気がつくと春香は一刻館の前に立っていた。

 門柱の前にはチノパンにデニムのビスチェ、白麻のジャケットを着た
ミレイが「お帰り」の笑みを浮かべて立っていた。
「戻るのをわがまま言って遅らせて済みませんでした」
「気にしなくてもいいわよ、別に大したことじゃないから」
 申し訳そうに照れながら「それで今回は何日かかったのですか」と
フォールダウンに要した日数を尋ねる春香。
「位相を二日にしておいたわ、振り替え休みで良かったわね、
今からじゃ着替えても学校には間に合わないところだったわ」
 腕を見て時間を確認する仕草で腕時計を春香が慌てて見るともう朝の
6時を廻っていた。
「うわぁっ、ほんと今日が休みで良かったわ」
 急いで家に帰ろうとするが足をすくっと止めて「あの後、あの中隊は
どうなったんですか?」と案じるようにミレイに訊く。
「戦争が終わるまで誰一人として死ななかった、と言っておきましょう」
 その言葉が意味するのは一つではないだろう。
 だが春香は深くゆっくりとミレイにお辞儀をすると家へと駆け出した。
「また落っこちた時にお世話になりま〜す」と言いながら。

『こうして今度の転落は終りました。
 今はお兄ちゃんとお姉ちゃんのあの時の想いが
 少しだけ分かりました、そして、哀しみも――』

    Ende


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