春香のものがたり・四季の詩
 別章〜草原の波涛〜 Kamp:2

 ゴトゴトと三台の戦車を載せた貨車三輌と無蓋車、及び
車掌車それぞれ一輌を連結した蒸気機関車がリュウバルデ
平原をのんびりと疾駆していた。

 戦車中隊の各員は無蓋車に乗っており、ひと時の休息で寝入る者、隣の
兵と歓談する者、銃の手入れに余念のない者など様々だった。
移動中の春香
 春香は客員である以上、無蓋車に乗せる訳にもいかず中隊長、各小隊長と
一緒に車掌車に居た。鉄路は次第にカーブの半径を小さくしていき、車窓を
流れる景色にも一目で起伏が大きくなってきていた。また林の木々も密度を
増し、時折、小動物や小鳥達が視界を横切っていく。
「最前線に移動するのですか?」
 居心地の悪さを覚えながらも尋ねない訳にはいかなかった。
「配置換え、だな。
  大隊からの無電によれば帝圏の北部方面軍が連合の要塞線を突破したそうだ。
  これにより担当域の重要性が低下した。
  歩兵小隊規模の越境偵察はあるだろうが、戦車を置いておくほどの重要度が
薄れたという訳さ」
「詳しく話されるのですね」
「なに、兵の士気を保つだけさ。移動先はこの先の川を挟んだ町の前面だ」
「街道、そして橋の防備だ」


 この世界に来て既に五日目。

――長い、長すぎる、いつになれば帰れるのだろうか、と不安もある春香。
人口は200人に満たない町であったが古くからの街道が整備されており、橋も
鉄骨で頑丈な構造をしており戦車の渡架にも問題なさそうなくらいだった。
 何より春香が嬉しかったのは市場があることだった。
 これで借りていた下着を市場の商店で購入することが出来た。
 勿論、春香の所持していた紙幣、貨幣はこの世界では一切通用しない。
 だから客員待遇だが部隊で働くしかなかった。
 食材の市場は朝早くから毎日催されていて、二百メートル弱のヘンテルグ通りの
両側びっしりに並んでいた。初夏に近い気候と豊富な色とりどりの野菜に果物が
味覚と視覚を刺激する。
 料理と買出し部隊専属になった春香が兵站班のシュワリンク曹長と本日も市場に
出掛けて明日の夕食までの食材を求めていた。
料理をする春香
「ここは野菜の種類が多くて、しかも新鮮で美味しいのが多いですね」
 補給用の0.5tトラックに買い込んだ食材を積み込む春香。
 色とりどりの緑黄色野菜が甘い匂いを荷台一杯に積み込まれていく。
 春香はまだ取得可能年齢に達するのはまだ先なので運転免許を所持していない。
 春香が助手席に乗り込むと曹長はエンジンを掛けて出発した。

◆◆◆◆◆◆◆

 街道が橋を渡る手前、徒歩で三分弱ばかりの距離、山の尾根に沿うように凹んだ
街道部分に中隊の戦車三台の内、二台が配置されている。渡河を目的に街道を進ん
できた場合、右カーブを曲がると正面に戦車が配置されている状態になる。
 そのカーブへと至る道筋は緩いカーブが連続する見通しが効くので斥候を配置し
監視を続けていた。中隊の野営地は橋を渡らずに道を進んだ地点の斜面にある古い
民宿を借りていた。ここからは街道を通らずに木立の間を縫って右カーブの先まで
行くことが出来た。橋は河の渓谷の最も狭い部分、差し渡し幅二十メートル余りの
部分に架けられている。水面から街道までは橋の場所では八メートルあり、下流に
向かって十八`余り容易に渡河出来ない渓谷が続く。
 橋の付け根にある階段を降りると小さなテラスがあった。
 民宿のカフェのファサードを捲り、星空を眺める春香。
 クラブで何度も観測した見慣れた夜空とは違う星々の煌き。
 食後は春香の世界の出来事を語るのが日課のようになって、見張りに就いていて
聞きそびれた者が悔しがるほどだった。流行の歌や映画、ドラマにラジオの事、雑
誌や本、食事やお菓子のことなど次から次へと尽きることはない。
「みんな、変わらないのね」
最前線ではないとしても春香には今が戦争中だと思えなかった。
今まで何度も危険な場面に遭遇したが、それらは全て春香自身に絡んだことだった。

◆◆◆◆◆◆◆

 春香が居る戦車中隊が駐屯するバルメソロ山脈の峰を二つ山嶺北に進んだ連合圏の
国の一つ、西ゴルタ国。帝圏と隣接し、国境線が最も長い国で、北部ブレリア海へと
続くノジルマ要塞線を帝圏に突破されて以来、劣勢が続いていた。
「今日も市場は賑やかですね」
 焼き立てのパンを入れた大きな紙袋を抱えながらシュワリンク曹長に話し掛ける。
「山脈の南の中立地帯の中で、ここがこの先、四つの街道が交錯するローテンバル
クへと至る唯一の道ですからね、敵味方問わず利用するでしょう」
「敵、といいますと?」
 きょとんとした春香の問いに苦笑しながら
「帝圏も連合も我々にとっては生活を脅かす存在です。
 対抗するだけの軍事力はありませんが、どちらかに与するのも国の利益には
 そうそうなりえません、ですから、敵ということになります」
「そういうものですか」
「そういうものです。
 多分、この通りを歩いている中に帝圏や連合の間者が居る筈です」
 表情を変えずにさらりと云うシュワリンクに目を丸くしながら辺りを見回す春香。

◆◆◆◆◆◆◆

 二重連星の月明かりがそれぞれ三日月となって夜の闇を深める頃、音を立てずに
夜空を滑るように忍ぶグライダーが1機。薄明かりの中、山々の嶺を縫うようにして
飛んでいる。
 機内では特殊装備で完全武装した降下兵が八人、息を潜めている。
 指揮官らしき男が立ち上がり手を上げて、降下を促した。
 一斉に残り七人が立ち上がり、開け放たれた後部扉から勢いよく次々と傘を広げ
ながら飛び出していった。

◆◆◆◆◆◆◆

『長閑な夜空の下で何かが蠢きだしていたことを
 心の片隅で私は感じずにはいられませんでした――』


[Kamp1へ] [Kamp3へ] [Kamp4へ] [TOPへ] [Menuへ]
PasterKeaton copyright