Last Summer vacation and so long −「春香の夏休み」−


 様々な医療器具で埋め尽くされた室内。
 何人もの医療スタッフが計測結果を基に議論している、その光景を見るように硝子窓で区切られた別室で御剣 琴乃が
受診結果に目を通していた。
「芳しくないな」
 結果表を読み終えた初老の紳士が憐れむような口調で琴乃を見やった。
「進行状況は落ち着いています」
思わず抗弁する仕草で云い返し、「循環器系の状態も良好です、このまま推移すれば−」
「レセプターの反応率が上がっていない。難しいな。甥子さんには辛い結末になるかもしれんな」
 顔を向けたその先には、ベッド脇の椅子に深く腰掛けた草薙が酸素マスクを着けて眠る綾小路の右手をずっと握り締
めていた。
「…はい」
 ようやく絞り出すように一言だけの返事をすることしか御剣には出来なかった。

プロローグ:南南西の風、風力3

…平年より5日早く、昨年より2日早く東京地方の梅雨が明けた模様です。期間中の降雨量は過去20年
 間の平均降水量より100ミリ余り少なく、天候のハッキリしない日々でした。これも深層海流の……

 付けっぱなしのTVからは今年の梅雨明け宣言をニュースが伝えていた。
 昼食の準備を整えた響子が椀や箸を食前に並べていると玄関から春香の声が響いてきた。
 今日は終業式、明日から夏休みなのである。
 開け放された窓からは子供達の声が緩やかな風と蝉の声と共に流れていく。
 パタパタと可愛い足音を起てながら廊下を駆けて管理人室の扉を勢いよく開けて飛び込んできた。
「おかあさん、ただいまっ!」
「お帰りなさい。廊下は奔っちゃいけませんよ。 お昼にしましょう、手を洗ってね」
「はぁあい」
 見上げれば、一刻館の上には盛夏の空が広がっていた。


第壱章:ドッグ・デイズ

 ちりりりぃん、と風鈴の音が鄙びた一刻館にはよく似合う。
 実は一刻館にはクーラーが1台もないのだ。そのためか室外機の騒音も熱郛からも無縁である。
午後の要項が照り付ける中、静かに時が過ぎていく。日除けの簾に朝顔が絡まり、首を振る扇風機がよく
似合う。そんな中でスヌーピーのタオルケットで昼寝をしている春香が居た。

 また風鈴が鳴った。

くりゃんぷ(キャンプ)、ですか?
 五代が素麺を頬張ったまま聞き返す。
ええ、保養施設の申し込み抽選で当たりましたので、春香ちゃんも一緒にどうかな、と
 バイトから戻ってすぐの夕食で草薙が切り出したのだ。
 週に何度かは材料費を出して草薙達は五代達と一緒に夕食を取っていた。
 これは草薙からの澪をおもんばかっての申し出であったが、大勢で囲む食卓に春香が慣れた方がいいと
考えて、響子は快く受け入れていた。
キャンプといっても野原に野営するわけではありませんから問題有りません
「春香は一人で大丈夫かしら」
春香ちゃん、お父さんとお母さんがいなくても、大丈夫!?
 澪が淡々と、且つ慈しみに溢れた表情で訊ねる。
 箸を置き、食べ終えるまで何度も噛み、両手を食卓に乗せて考え込む春香。
「う〜んとね、う〜んとね、はるかは、はるかは、だいじょうぶ」
泣かない?
 覗き込むように草薙が問うと、
「おにいちゃんとおねえちゃんがいっしょだもん、はるか、なかない」
 とても嬉しそうに歯を見せるほどに笑いながら答える春香だった。

 出発前夜。
 春香は背負うデイパックに荷造りを自ら行っていたが、実際には春香の小さな背中の小さなデイパック
ではほんの僅かな荷物しか入らない。別なバックに着替えを詰め込み草薙が持つことになっていた。
「春香、もう九時を回ったわよ、明日は早いのですから、もう寝ましょうね」
 傍らに響子が一緒に横になり寝かしつけようとしているが、春香の瞳は忙しないままである。
「うん、うう、うう、うわぁ、うう、ねむくならないよぉ」
 ハシャグ気持ちを抑え切られないのか、昂ぶる思いが小さな天使の眠りの邪魔をしているようだ。
 半泣きの様子だが、
「じゃあ、おかあさんが一緒に横に居てあげるわ、だから、まず、眼を閉じましょう」


第弐章:夕立の下で

 工場の中で何本ものドラム缶を転がすように雷がゴロゴロと鳴り響き、青空はあっという間に鉛色に塗り
替えられ、濡れた犬が体を奮わせて水を切るようにいきなりの大雨が草原を覆い尽くしていった。

「あははは、濡れちゃった」
 小さな東屋で暫しの雨宿りをする草薙に澪に春香。
 デイバックからタオルを取り出し、当面の水を拭き取っていくと
「やれるやれるぅ、はるか、ひとりで拭けるもんぅ」
 ぷくぅ、と頬を膨らませ、小さな手で放されたタオルを掴むと一人で拭きだすのだがどうもおぼつかない。
 つい草薙も澪も苦笑してしまう。
 母の前では甘えたいのだろうが、草薙達の前では一人で出来ることを見せたいようだ。
じゃあ、春香ちゃん、上(の服)だけ替えようか
 濡れたポロシャツを着替えさせ、取り敢えず一服する一同。
 界雷は未だ鳴り響いているが、そお遠くない間に晴れるだろう。
春香ちゃん。ピカッて光ってから雷さんが鳴るまで数えていると、段々数が多くなってきているでしょう
それはね、雷さんが向こうの方に動いているからだよ
 烈しかった降水も雨粒が小さく、少なくなってきているのか、草々を叩く音もリズムも弱まっていっている。
 次第に所々、雨雲の隙間から晴れ間が覗き明度と彩度のコントラストの高い色相が作られていく。
 屋根とベンチだけの東屋をそよぐ風が涼しげに濡れた草花の匂いを運んでくる。
「もう大丈夫かな!?」
 ちょこんと東屋から飛び出して、ぱらぱらと名残惜しむような雨粒の欠片が舞う中を駆けていく春香。
春香ちゃん、虹よ、ほら、あそこに
 草薙達との夏休み、三日目の出来事である。


「どうしたの、管理人さん?! 春香ちゃんのことかい?」
「ええ」
 急に降り出した夕立を避けるように取り込んだ洗濯物を畳む響子に一ノ瀬が縁側から声を掛けた。
「心配する気持ちは分かるけどね、親が思っている以上に子供は手の中から離れていくもんだよ」
 実際、毎晩ほんの数分だが草薙の携帯から定時連絡があり無事な事は十分承知なので聞いていない
振りをしてアイロンを掛けているが、どうみても背中が心配げである。
「当然ですわ、母親が娘を心配するのは当たり前の事ではありませんか。
 春香はまだ7歳なんですよ、怪我はしないか、泣きはしないか、夜もおちおち寝ていられませんわ」
 皮肉そうな目で響子を見つめ、
「管理人さん、気が附いている? あんたのその口調、あんたのお母さんとまるで同じだよ」


どうも有り難う御座いました」「お世話になりました
「ありがとね、おじちゃぁん」
 今日の宿である民宿の近くまで軽トラックの荷台に乗せられて距離を稼いだのである。
 ゴトゴトとあぜ道を走る荷台で揺られながらの燃ゆるような茜色の残照と草むらの啼虫の音のハーモニーの
雄大さに歓喜の声を上げてやまなかった。
 点滅式の交差点も買い物を済ませた家人が歩く他は子供達がまばらに遊びからの帰路である以外になくて、
路地をいそいそと歩く猫が今夜の夕食の場所に出かけようとしているのだろうか?
 事前に予約をしていた民宿に辿り着くと、そこは日本家屋の瓦葺きの今にしては珍しい民宿だった。
 民宿”ひろゆき”、とブリキの看板が煤こけた白熱灯にぼんやり照らされている。
御免下さい」「お世話になる草薙です」「こんばんはですぅ」

 見上げる夜空には満点の星々が瞬き、小川のせせらぎと染み渡るようなか細い虫の音の囁きに耳を傾ける。
 疲れを癒すように露天風呂に身を沈めて目を閉じている草薙。
 澪の体調は安定しているようだし、ここ数日の疲れも大丈夫のようだ、と。
 隣では澪の膝に乗った春香が数を数えている。
 春先の温泉とは違い、一刻館の面々が居ないので長閑そのものである。
上がりましょうか

 サッシで枠どられたのではなく、木の格子に嵌めこまれた旧い窓。
 カーテンではなく、障子。鎧戸のような木の雨戸。蛍光灯ではなく、白熱球主体の電灯。
 一刻館にも似た建具は春香にとって心地良いものだ。
「おにいちゃんとぉ、おねいちゃんはぁ、けっこんするぅのぉ?」
 草薙と澪に挟まれるように布団の真中に入り、とろんとした眼の春香が唐突な質問をした。
「おかあさんも、おとうさんもぉ、いっこくかんにすんでからけっこんしたの。
 おにいちゃんとおねいちゃんは、いっこくかんにすんでいるからけっこんするの?」
 住んでいるからといっても結婚する訳ではなかろうに、と誰でも答えるだろうが
そうね、そうなりたいわね
 我が子をあやす母のような眼差しで答えながら、もう寝ましょう、と春香の頭をさする澪。
「よかったね、おにいちゃあん」
うん、うれしいね
 笑顔で答えながらもそれは草薙にとって心を突き刺す言葉だった。
 その日が澪に訪れる事は多分ない、だからこそ春香の頭を澪は撫でたのだ――と。
 抱締めた澪の身体が華奢であったことを思い出す。
 病室の白い部屋の中で澪の寂しく潤んだ瞳が切なさをいやがうえでも高めてしまう。
 初めてのキス。
 眞司は、一刻館に来て良かったと思わずにはいられない。


第参章:秋蟲の音

 独逸某研究施設内。
 全身に計測機器を付けたティア・ファーとフェイ・フォーが酸素マスクで呼吸しながら薄暗い水槽の中に佇んでいる。
 周囲には誰も居ない。
 コポリ、カポリと酸素マスクの排出孔から気泡が洩れて浮かび上がっていく。
 目を閉じきったまま全身が弛緩したまま、魚が眠るように漂っている。
 不安も怒りも哀しみも喜びも、何も頬を動かすことのないままの能面のような寝顔で。
 それと相反するように薄気味悪い地の底から響くような鼓動と呼吸の音が絶え間なく聞こえてくる。
 二人と向かい合うもう一つの水槽に人影は無い。
 認識タグにはシェズ・フィー(澪)の名前がただ書かれているだけだった。

 涼やかだが午後の蒸し暑さを予感させる抜けきった青空に早くも入道雲が首を擡げ始めている。
 旧道沿いでの鎮守の森からは蝉が競うように嘶き、そよりとも動かない大気の中を歩く背中に今にも汗を吹き
出させようとしている。
あらら、ついさっき出たばかりだよ
 錆が浮いて鄙びたバスの時刻表を見て草薙がごちる。
 次のバスまで30分以上待たされるようだ。
 旺盛な生命力で密集した雑草に取り囲まれたバス停標識横の角が取れ陽に焼けて色褪せたベンチに荷物を
置いてから、澪が折り畳み傘を取り出し差した。荷物の傍らに春香がぴょこっと坐ると
「あっつぅいぃ」
 ひょこ、っと飛び退いて小さなお尻をぱたぱたとはたく。
はいはい
 苦笑しながら澪がスポーツタオルをベンチの上に敷くと満足げに再びタオル越しにベンチに座り直す。
 じっとしていると暑さを余計に感じるので草薙が停留所の周囲をぐるりと回りながら田畑を眺めていく。
 弐拾分近く経っても、そんな3人の前を通り過ぎるくるまは一台もなく、小学生低学年らしき子供達の自転車が
数台通過しただけである。
もうそろそろじゃないかな
 バスが来るであろう方向をポロシャツの胸元をばたつかせながら見やる草薙。
あ、来たわね
 微かに聞こえるエンジン音を聞き取った澪が応じると、曲がりくねった狭い町道を抜けブルドックの様な顔をし
た使い古されたボンネットバスが現れた。
「はいはあぁい」
 右手を掲げて勢いよくぐるぐると振りながら乗車のアピールを春香が行うと、バスの運転手は苦笑しながらも
老体からギギーっとブレーキ音を軋ませて停車した。
年代物だねえ〜、さあ、春香ちゃん、乗ろうか
 呆れたような物言いだが表情は反して嬉しそうで、春香に続いて荷物をえいやっと持上げ乗り込む。
 澪もやれやれという表情をしながらも内心は春香と一緒に楽しんでいる草薙を喜んでいるようだ。
 エアコンもなく、全ての窓が開け放たれているのに外よりも熱そうな車内は、オイルの染込んだ木張りの床が
一層使い込まれていることを強調する。
「進路よし、発車ぁ」
「はっしゃあぁ」
 春香の追従を受けるように重々しくも力強いエンジンで車体一杯を揺らしながらバスは発車していく。


「眞司君は春香ちゃんに自分を見ているのかもしれませんわ」
 久しぶりに御剣が中元を持参して一刻館を訊ねたので大人だけの宴会を行っていたのだが、宵も深日て
一ノ瀬と四谷は部屋に戻っていた。普段より酔いが回っているのと、子供達が居ないことから御剣の枷が
外れて静かに喋りだしていた。
「春香、にですか?」
 草薙が自分の事を話したことはなかったので、五代が訊ねるのも当然だった。
「ええ。
 眞司君がちょうど春香ちゃんぐらいの頃、事故で御両親が亡くなって、甥である眞司君を私が引き取ったんです。
 両親もいろいろ事情が悪くて、眞司君の家も仕事場に近かったし、引っ越すよりも今まで住んでいた場所で暮ら
 した方がいいと思って。独逸に赴任する時も一緒に。
 手当も付くし、日本に居た時より過ごせる時間も増えるだろうって」
 五代も響子も御剣が豪快な素振りをしているのが草薙の父や母の代わりでそうなっているのであり、姉や
友達としての役割も担っているのが理解できた。草薙の事を話す御剣の表情は柔らかい。
「ある日、仕事で遅くなって夜中に帰ったら寝ていなくてずっと待っていたから“どうして寝なかったの?”
と叱ったら、小さな花を出して“お誕生日おめでとう”って。“一人より二人が愉しいよ”って。
 自分の誕生日も忘れてしまうくらいになっている私を逆に心配していたなんて…」
 化粧が流れるくらいの滂沱で声を詰まらせてしまい、
「寂しいとも心細いとも泣き言もわがままも一言も云わないで無理をしてきたんですもの。
 最後ぐらい好きなようにさせてあげたくて…」
 涙声でテーブルに突っ伏したまま、肩を揺らしてしまう。
「こちらこそお世話になっています」
 この人が一番春香の事を心配しているんだ−、そう感じた二人は心からの礼をした。
 だが、この時、御剣が”最後に”と云ったことを二人は聞き逃してしまった。
 その意味を知るのは未だ先である。


第四章:潮騒の午後に

 かんかんと夏の太陽に照り付けられている時計坂界隈。
 五代は幼稚園の庭の草むしりと園内での花火大会の準備で出掛けている。
 打ち水をした芝も強い日差しの下で既にカラカラに乾いてしまい、日蔭では惣一郎が草臥れたようにただ
ただ眠りこけている。
「なんか、退屈だなあ」
 今更ながら時間を持て余している事に気付く響子。
 春香が旅行に出掛けて丁度一週間。
「子供なんてものはさ、遊びにいって遅くなったら帰ってくる、その繰り返しの中で場所と時間が広がって
ゆくもんさ。意固地なまでに親離れしようとしてたあんたが心配し過ぎるのはおかしいね」
 洗濯物を干していたときの一ノ瀬の言葉がリフレインしていく。
「親ってのは帰れる場所があることを見せてなきゃダメなんだよ」

 ガラガラゴロン、と旧式のエンジンを長閑な単線で奏でながら春香達を乗せた一輌編成のディーゼルが
快走している。車内ではボックス席に荷物と向かい合うように草薙と澪が座り、春香は澪に抱き付くように
眠っている。正午過ぎのためか壱拾人ばかりの乗客はまばらに座り、幾人の子供達が日焼けした肌を覗
かせながら騒いでいる。
蜻蛉…
 見れば半分開けられた窓から迷い込んだ蜻蛉がバッグの上で羽を休めている。
 ……………。
さ、飛んで、君の空で
 指先に留まらせて窓外へ送り返す。

「テイアもフェイも眞司君と綾小路の旅行のことを話したら羨ましがっていたよ」
 国際電話からユーリの声が聞えてくる。
「そう、残念だったわね、二人とも。
 でもこの夏の憶い出は眞司君と澪には掛け替えのないものになるから、二人の好きなようにさせてあげる
のが一番よ。きっと……」
 夜空を眺めると月が白銀に輝いていた。
 白く、白く、無機質なまで白銀に、寂寥も昨日も想い出も掠めてしまうほどに。
『…無慈悲な女王の輝きね』
「じゃあ、あの事、眞司君が帰ってきたら話すけれどいいわね」
「ああ、勿論さ」
 電話を切るとガラス戸を開けて、夜風を吹き込ませると御剣のキャミ・スリップの裾がふわりと揺れた。
「…ほんと、無慈悲な輝きね」
 月光が差し込むリビングの壁には草薙と御剣の写真が幾十枚も貼られていた。
 小さい頃から最近のまでを、ユーリと一緒のも、そして澪と一緒のも。


「とうとう明日の夜か」
「そうですわね」
「長かったかい?」
 枕に胸元を乗せた五代が響子に問い掛ける。
「長かった、というよりも私も改めて母親なんだな−って実感させられたわ」
「一ノ瀬さんに何か云われた?」
「母そっくりだって……」
 苦笑しながら一ノ瀬の声色をまねて
「”そのうち彼氏を紹介しろ、だの、あんたの幸せを考えているのよ”、なんて云いかねないよ、ですって」
「はははっ、一ノ瀬さんらしいや。
 それでお母さんからは何か電話でもあったの?」
「ええ、ありましたわよ、”どうして春香ちゃんを連れて遊びに来ないの、さっさと来なさい”、てね」

 帰路の客室内で静かに寝入る春香。
乗った途端に眠くなってすぐ寝ちゃったわね
 薄い毛布を掛けながら澪が嬉しそうにこぼす。
そうだね、帰れるから安心して疲れが出たのかもしれないね
私達も少し眠りましょう
うん、眠ろう…か
  :
 羽田空港グランドフロア、到着ロビー内。
 大きめのサングラスにタンクトップを着た御剣が出迎えに来ていた。
「ことのおばちゃぁああん!」
 春香が先に御剣の元に駆け寄り、草薙と澪にここだと手をぐるぐる振りだす。
 内心、おばちゃんはないだろうと感じながらも母親と歳が近いとこうなるだろうな、トホホと諦めている。
「お帰りなさい、眞司君。お帰り、澪」
ただいま、琴乃さん
ただいま…
 道中のことを少し話しながら春香を連れて駐車場へとエレベータを上がり向かっていく。
 トランクに荷物を積み込み、駐車場を出て高速のランプに向かいながら左手を草薙と澪に見せる御剣。
 薬指にキラリと指輪が光る。
じゃあ、したんですね、琴乃さん
「そうよ、あたしがしたの…!!」
そう、良かったですね
 ようやく御剣がユーリにプロポーズしたのだ。勿論、二人の付き合いは御剣と草薙が独逸に居たときから
なのだが、『眞司君が自立するまで待って』と引き伸ばしていたのだ。
「ことのおばちゃん、結婚するの?」
「うん、そうよ、春香ちゃん」
 夕立の残るビルの谷間を眺めながら草薙がポツリとこぼす。
もう、待つ必要はないですからね…

「ほんとうに御二人にはお世話になりました」
「草薙君、綾小路さん、ありがとう」

 弐号室で五代と響子が草薙と澪に深深と頭を下げる。
そんな、止めてくださいよ、僕達はただ遊んでいただけですよ、感謝されるほどの事は何もしていません
こちらこそ、御心配をお掛けしまして申し訳御座いません
 返す様に草薙が照れるように答え、澪が無事を感謝する。
春香はとても大きくなった気がしますわ。
 そして逞しくなって、自分でしていくことに自信が持てるのではないでしょうか。
 まだまだ甘えんぼさんですけれど…

俺達だと親としてつい手を出してしまいがちだけど、今、この時期に一人ですること、感じること、出きる
ことを分かる、いやあ、頭で分かるんじゃなくて身体でかな、それを憶えているのといないのでは、たぶん、
これから違うんじゃないかな、そう思うんです。俺、あんまり父親らしく出来ないし、つい甘やかしちゃうし

謙遜しないで下さいよ……。
 僕も、澪も、ただ春香ちゃんと一緒に歩いただけです、寝て、起きて、食べて、一緒に居た、それだけ

「私は五代さん達のお気持ちが良く分かるわ、眞司君。
 春香ちゃんが大きくなって、一人立ちする時に挫けても泣いてもね、肩を叩いて前に押し出してくれるのが
自分自身だってことの、力になるわ。貴方達はね、未来の春香ちゃんを励ましているのよ……」
『大きく、立派になったわね、眞司君…、もう一人前なのね…』
 御剣の手に澪がそっと手を添える。

 春香の夏休み絵日記より。
くさなぎおにいちゃんとしずくおねえちゃんとのりょこうからかえってきました。
 おかあさんとおとうさんからたくましくなった、ていわれちゃった。あしたもっともっとりょこうのたのし
 いはなしをするのです、こんどはうみにいくやくそくをいっしょにしました、はるか

 絵日記を抱えながら海に行っている夢を見ている春香であった。

― 完 ―


「春香の入学式」 「春香のGW」  「春香のクリスマス」 [創作小説のメニューに戻る]