La sonate pour onagraire de Haruka


「肝心な時に自分で決めろって、人の気も知らないで、…人の気も…知らな…い…で…」
 御剣 琴乃の頬をつぅー、と泪が線を引いた。
「そっかぁ、知らないのは…あたしの方か……見せようとしなかったのに見ている気でいたのね。
 判ってなかったのはあたしじゃないの…バカね、背中向けていて、見ている気で居たのね…」
 がくり、と頭をハンドルに垂れ、勢い良く両拳を2度、コンソールに叩き付ける。
 同じ頃、遠く離れた赤道付近、某国の邸宅跡正門前で腰を下ろしダウンタウンを見下ろす男が一人。
 長い瞬きをし、星空をゆっくりと見上げた。流れ星の軌跡が2つ、3つと現われては消えていった。
 眼下のダウンタウンでは閃光が2つ3つ煌いては消え、炸裂音が後に響いていた。
 再び、日本。
 泣き出すように雨が振りだし、琴乃が乗るダッジ・ヴァイパーはその中に霞んでいった。
 その霞みを見詰めるように光彩の無い瞳の澪が窓辺に立っていた。

プロローグ:アルペジオ

「それじゃあ、行って来ます」「行って来ます」
「行ってらっしゃい、春香もね、行ってらっしゃい」
「いってきまあすぅ」
 眞司と澪に続いて春香が学校へと向かって行った。見送りを終えて玄関前の掃除を始める響子。
 草薙達が来てから壱箇月が経過し、今日は連休前の土曜日である。
 春香が通学しだして響子は手持ちぶたさが増えていたことを実感していた。
 小学校は学校給食の為、幼稚園までと異なり毎日の弁当の支度は裕作の分だけである。
 箒を止め、空をつい見上げる。
「暇だなあ…」

 春香の通う小学校。
 教室内の春香。窓から2列目、前から3列目の席に座っている。少し椅子の方が大きいようだ。
 教科書を広げて楽しそうに授業を受けている。

 某工科大学構内。
 課程を終え、売店で飲み物を買う澪。
 カフェテリアの窓側の席に座り、ぼぉ〜っと構内を眺望している。
 感情の起伏が乏しいのだが、眼は盛んに動いている。紅茶のカップをゆっくりと上げ、薔薇の蕾のような
唇にそっとあてる。柔らかい日差しの下で何かを思い出すように、ほんの少し目じりが下がり、唇の両端か
ら力が抜けていった。


第壱章:木洩れ日の下で

 連休初日、草薙と澪は揃って出掛けていた。
「仲が良いねえ、あの二人は。甲斐甲斐しくって可愛いじゃない」
「そうですわね」
「ところで管理人さんさあ、出掛けないの?」
「何処へですか」
 洗濯物を干しながら縁側でタバコをふかす一ノ瀬に応える響子。
「春香には学校があるのですから、連休といっても休む訳にもいかないでしょう」
「そうですよ、一ノ瀬さん、サボるわけにもいかないでしょう」
 玄関前で園児たちが使う遊戯道具の修理を行う五代が応酬する。
「何も遠くに行きなさいと言っている訳じゃあなくて、家族揃って出掛けるぐらいしたら、といってる、
 まあ、無理か、二人じゃあ」
 ヴォロロロロロロォー、と大排気量車特有の腹に篭るエキゾーストノートを響かせて、紺色の御剣の
ヴァイパーが一刻館前までに登ってきた。
「また賑やかな人が来たもんだね」
 一ノ瀬が嘆息する。
 春香の入学記念パーティーで豪快な芸を披露し、一気に一ノ瀬達との親睦を深めてしまったのだ。
「済みません、いや、おはよう御座います、御剣ですが」
「はぁあい」
 管理人室側から玄関に回る響子。縁側からそのまま玄関に回るほど横着にはならないらしい。
「眞司くんと澪が居ないようですが…」
「二人なら朝早く出掛けましたが」
「くぅぅっ、携帯に出ないからおかしいと思ったら、やられた。
 逃げられたか、折角いい話だと思ったのに、しゃあない、外堀から埋めていくか」
「どうかなされたのですか?」
「いえ、まあ、大したことじゃあないんですが」

「旅行ですか?」
「はい、仲間内で予定していたのが急な仕事で欠員が出まして、キャンセルするわけにもいかないので
眞司君達を誘おうと思っていたのですが、宜しければ皆様も如何でしょうか」
 管理人室で卓を囲み話す五代達と御剣。
「しかし、そうそう甘えるわけにもいきませんんし」
「いいじゃない、管理人さん、ただなんだし、折角誘ってくれるのだから、御好意に甘えなさいよ」
「五代さんもどこか春香ちゃんを連れて行く御予定がおありなのですか?」
「いや、うちは、その」
「じゃあ決まりですね」


第弐章:夕暮

 時計坂商店街で夕食の買出しをしている草薙と御剣。
 戻ってきたことろを御剣に見つかり、夕食も同席する御剣の分が足りずに買出しに来ているのだ。
「お、草薙君、今日の買出しは澪ちゃんと一緒じゃないのかい」
 肉屋の親父が包みとつり銭を渡しながら話す。
「澪は準備をしていますので、それに−」「姐の琴乃です、弟がお世話になっています」
「い? 弟!?」
 丁寧にお辞儀を行い、大量に抱え込んだ食材を運ぶ御剣。
 坂を登り、一刻館に向かう二人。
「琴乃さん、姐はないでしょう、どう見たって姉弟には見えませんよ」
「あら、ひど〜い、眞司君。まだまだ肌の張りも瑞々しいわよ」
「そうですかぁ?」
 疑念の眼差しを御剣に向ける草薙。この買出しも大食漢の琴乃の分を補う必要もあったのだ。

 草薙と御剣が買出しに出掛けた後、部屋の整理を行い着替える澪。
 歩き疲れたか、身体が少しだるい。ワンピースを脱いでシャツを着ようと立った途端、視界が
反転し、暗くなって、ふっ、と遠のく感覚。ドサッと倒れこむが眩暈ですぐには起きあがれない。
 弐号室前に居た五代が戸を開けて、
「どうしたんですか?」
 倒れている澪を見つけたが、半裸の為、部屋に入るかどうか躊躇してしまう。
「あなた、どうしたの? 弐号室で何か?」
「いや、その」
 うろたえる五代を勘繰り、戸を開けて見ると倒れている澪が居る。
 きつく睨む響子。
「何があったんですか」
「違う、違う、なんにもしていない、いきなり倒れたような音がしたから」
 五代の脇腹を力任せに抓った後、倒れている澪を起そうとする響子。
 同じ頃、腕時計の文字盤が明滅し、オーラルトーンがピピリッピ、ピピリッピと鳴りだし、途端に
坂を走り出す草薙。
失礼、綾小路 澪はここに居ますか?」「イマスカ?
 誰か人が来た様だ。
 反射的に五代が慌てて弐号室の戸を閉め、戸を背にするように立ち来訪者を迎えた。
「どちらさ…ま…? へぇ?」
 来訪者を確認してみると、二人の女性が古めかしい玄関とは不釣合いの感じで佇んでいた。
 髪の毛と瞳の色が異なるが、顔形が澪とほぼ同じ女性だった。


第参章:萌える息吹

 買出しと入れ違うように二人の女性が来ていた事で御剣と草薙は不機嫌になっていた。
 気を失っていた澪は草薙の胸に抱かかえられ、優しく慈しむように髪の毛を撫でられている内に
ゆっくりと眠り姫が王子様の口付けで長い眠りから醒めるように目蓋を開けた。
「御心配御掛け致しました、もう大丈夫です、多分、今日、歩き疲れたのでしょう」
 丁寧だが明確に五代達の退室を促す草薙。
「御剣さん、御願いします」
「ええ。済みません、ちょっと込入った話が有りますので」
 とニコヤカに微笑み静かに戸を閉める。
 ガチャリ、と鍵をしめると
「早いわね、来るのが。−で、今日は何の用なのかしらん?!」
 さっきまでの表情とはうって変わりその視線は厳しい。
姉であるテイア・ファーが妹に会いに来るのは当然です
 栗色の縦巻き髪、アイスブルーの瞳の、澪より二歳ほど年長の感じの少女が話す。
妹でもあるフェイ・フォーが姉に会いに来るのも当然ですわ
 と、続けて深い緑がかったワンレングスの髪と瞳の、澪より二歳ほど年下の少女も追随する。
「ゼロデューア・エシェル・ティア・ファー・ナスミス
(神我彌 倖乃)、
 ゼロデューア・エシェル・フェイ・フォー・パラナル
(神我彌 迦葡瑠)。
 シェズ・フィー・サタミム(澪)は私と暮らしているんだ、これまでも、これからも、ずっと」
 照れるように笑う草薙だが眼は笑っていない。
それは一つの選択肢でしかありません
あなたを必要としない生き方もあるのでありませんか
 そんな事、云われなくても判っているわ、と拳をきつく握る御剣。
 激発しそうになるのを必死で抑えているのだ。
居心地のいい揺り篭で眠っていたいのなら、御自由に
居場所は自ら決めるもの。探すものでもなく、辿りつくもの、ということですか
 立ち上がり、帰ろうとするティアとフェイに対し、始めて澪が口を開いた。
「夕食ぐらい食べていきなさいよ、私だって料理は憶えているのよ」

「あ、あのさぁ」
 御剣が激発しないように五代達を夕食に招いた草薙に対して、罰の悪そうな表情をする五代。
 生来の融通の利かなさのためか不機嫌な響子。
 そんな両親の心境を知らずか春香は楽しそうに澪の隣で食事を愉しんでいた。
「ちょっと辛いけれど、ピリピリするのが美味しいよ」
 下手な箸使いだが小さな手で行儀良く食べる春香。響子の躾の良さであろう。
ありがとう、それは私が作ったのよ
 にこりと笑うティア・ファー。演技ではない笑いだ。
「いくら料理が上手くたって性根がひん曲がっていたらぁ台無しよ」
 ガツガツと大口を開けて食べる御剣が悪態を吐く。
料理も性根も下手な人もおりますが
 とフェイ・フォーが御剣に対し茶々を入れる。
「決まりだね、ティアもフェイも旅行に参加だね、宜しいですね、御剣さん」
「わぁあったわよ、旅行は大勢が愉しいもんね」
「わぁあい、わぁあい、たくさんだあ、たくさんでりょこうだあ」
 はしゃぐ春香を尻目に面倒なことが一段と押し寄せてくることにガクリと肩を落とす五代と響子であった。
 その横で黙々と澪が料理を草薙の皿に盛りつけていた。


第四章:スペース・ライオン

 調布飛行場を飛び立ったPIAGGIO P-180Lアヴァンティは百参拾分程で屋久島に到着した。
 チャーター便(自家用機扱い)としているので五代達の費用はほんの僅かである。
 独特の先翼/主翼/尾翼の三翼配置とプッシャープロペラだが羽田−鹿児島経由便よりも20分以上早い。
勿論、これは直行した為距離と乗り継ぎを短縮できたからだ。
 九人乗りの為、乗客はパイロットの御剣とユーリー・楓を除いて五代に響子に春香、草薙に澪、
ティア・ファーにフェイ・フォー、それに一ノ瀬夫妻である。
「悪いわね、私達まで誘ってもらって」
「いいんですよ、こういう旅行は愉しくいかなくっちゃ」
 と笑顔で返答する御剣だが、本音は別で一ノ瀬達を連れてくればティア・ファー達も強い態度には
出ないだろうと踏んでの算段であった。
 実際、御剣の同僚も同行する予定であったが、ティアとフェイが来ると判った途端、その行動への
裏面の調査に赴いてしまっていた。
「大勢で温泉に旅行なんて久しぶりですわね」
「そうだね、わはははっはっはは〜」
 与圧されているとはいえ、機内で飲酒したことで酔いが回っている一ノ瀬が豪快に笑い飛ばす。
 目指す温泉は尾の間温泉で、空港前の交差点を左に曲がり右手に愛子岳、小瀬田前岳、三野岳、明星
岳と続く急峻な山々を望みながら噎せ返るほどの新緑の中を南下していく。
 春香にとっては南国情緒、いや熱帯の迸る植物の息吹に圧倒されながらも素直に喜んでいるようだ。
 安房川を渡り、平野の茶屋「ひらの」で昼食を採ったのだが素朴且つ多彩な味、トビウオの天麩羅や
亀の手に驚きながら愉しい食事となった。当然、一ノ瀬は地酒の三岳に御執心である。
 尾の間に到着し、銭湯と変わらない温泉に浸かった後は来た道を戻り、安房川辺のホテルに宿泊する。
 大型の1BOXのレンタカーが信号の少ない道を進んで行く。
 車内では一ノ瀬と春香がはしゃいでいるが、ティアとフェイは沈黙を保ったままで、敢えてそれを
無視するように同じく一言も澪は言葉を発しない。
「こ、これではまるで通夜じゃないか」
 と心の中で思ってもついつい表情が突っ張ってしまう五代。
 そのままの雰囲気で尾の間温泉に到着。
 更にそのまま険悪な雰囲気で風呂場まで持ち越されてしまう。
 ぽつねーん、と取り残されたように静静と湯船に入る五代、草薙、一ノ瀬(夫)。
「な、なんか侘しいねえ」
 場を取り繕うように五代が切り出すが
「おんな達はおんな達のルールでやるから大丈夫でしょう、それに琴乃や響子さんがいるから暴発
 まではしないでしょう」
 五代の懸念を取り払うユーリー。
「ユーリーさんは草薙君達とはどういう御関係で?!」
「俺はちょっと琴乃と付き合いがあるだけですよ。
 仕事と、プライベートでね。久々に日本に来たら面白い事態になっていた、という所かな」
「いつまでも放ったらかしにしないで早く琴乃さんと結婚したらどうなんですか?」
「眞司君は、元旦に年越蕎麦を食えというのかい?」
「なんですか、それ」
 言葉の意味がわからず尋ねる五代。
「31過ぎたら、売れ残り、と言う意味ですよ」
 皮肉たっぷりに手で蕎麦を食べる振りのジェスチャーで、もう食べられない、と説明する。
「はっはっはっは、は、上手い例えですな」
 淡々と一ノ瀬(夫)が笑った。
 その隣では。
「あらあ、響子さん、お肌もまだまだ張りがあって、若若しいですわね」
 と御剣が掛け湯をする響子の背中姿を見て感想を漏らす。
「胸の張りも、お腹のラインもとても素敵ですわね、春香ちゃん、お母さん、綺麗ね」
 ニカッ、と横一文字の口で笑い、春香を湯船に誘う。
「えへへへへぇ、はるかもね、おかあぁさんみたいにきれいになるの」
「もっちろん、成れるわよ、春香ちゃんならね、今、こんなに可愛いんですもの、男の1ダースや2ダース、
手玉に獲っちゃえるわよ」
「御剣すわぁん、は、春香になんてこと云うんですか!」
 軽いジョークが通じず、真剣に抗議する響子。
 どちらの言葉の意味もわからずきょとんとしている春香が
「御剣さんもおかあさん?」
「ひぇえ? どうして?!」
「だって、おかあさんみたいなオッパイだものん」
 不思議そうに母と変わらない大きさの乳房に小さく可愛い手で触り出す。
「いや、あの、これはね、そう、そう、いい女はね、胸が大きくなるのよ、そう、そう」
 的確な返事が出来ずに取り繕う御剣が矛先を変えようと
「澪もほら、大きくなっている途中だし」
 なんて事をこちらに振るんだ、という抗議の視線をティアとフェイ共々送る澪だが、反論できるほどプロ
ポーションが良い訳でも言葉が立つ訳でもないので早々と白旗を揚げるしかなかった。


第五章:五月の潮騒

 宿泊ホテルの部屋。
 五代と響子は春香を寝かしつけた後、窓を開けて潮の匂いを部屋の中に招きこんでいた。
「なんか騒々しい温泉だったみたいだったらしいね」
「ふう、そうね、御剣さんと一ノ瀬さんが賑やかなのはいつものことだけれど、澪さん達が上せるまで湯船で
我慢比べをしているなんて思わなかったわ。
 物静かなようで案外、澪さんは頑固で負けず嫌いなのかもしれませんわね」
「ははは、それじゃ響子と同じだね」
「あら、私、そんなに頑固でしたっけ」
「ちょっぴり頑固ですよ」
 薄い月明かりが太平洋の波間を照らし、遠く染み渡るように響いてくる波音だけが部屋を満たす。
 一刻館の騒々しい毎日から開放され、五代が響子と二人きりに(春香は寝ているが)なれるのは何年振り
なのであろうか。
「響子……」
「…あ、…あなた」
 ゆっくりと響子の肩を引き寄せ、唇に唇を重ねようと、
「わははははっははっは、今夜も夜通し飲み明かそう!!、あわははっは」
 扉を開けて一升瓶を抱えた一ノ瀬が現われ、丁度良いところに、ガックシ、とうな垂れる二人。
 一刻館でなくても、ここには一ノ瀬が居たのである。

 翌日、再び道を南下し、千尋の滝を、続いて近くの屋久島熱帯果樹園を見学の予定だ。
 5月とはいえ、日差しは強く、初夏の乾いた心地良い風が島を吹きぬけて行く。
 海の色も紺碧を深めて、汐の匂いも角の取れた柔和な感じがする。
 果樹園の中で何もしない、何もしないで木陰の下でのんびりと時間を過ごす一行。
 本を開いて読み耽っている草薙と澪。
 昼寝を採り、寝息も微かに心地良さそうに寝入るティアとフェイ。表情もきつさが消え、寝顔は
無垢なままである。
 無邪気に走る春香を見詰める響子。
 果樹園を出て、中間のフルーツガーデン(パパイヤの里)へ向かう中、軽いにわか雨が島の南側を濡らして行く。
 雨雲に隠れて険悪な峰のモッチョム岳、耳岳、割石岳は見えない。
 雨上がりの濃密な木々の芳香が車内に充満し、改めて旺盛な自然の息遣いが一同を捉えていく。
「いやあ、しっかしまあこんなに違うとは思わなかったわよ。
 でも、まあ、だからこそ酒が美味いって物だけどね」
 隠し持っていた一升瓶を掴み、再び酔いどれ状態になっていく一ノ瀬。
 小島、平内、湯泊を通過し、右カーブを曲がると白砂の浜辺が飛び込んでくる。
 中間浜海水浴場である。
 中間川手前を右に曲がり、大きなガジュマルを左に望みながら細い坂道を登りフルーツガーデンへ進んで行く。
見切りの悪い角を曲がり、こじんまりとした駐車場に停めると入り口はそこである。
 垣根を越えて芳しい南洋フルーツの香りが漂ってくる。
 園内を歩き、奇妙キテレツな形状の様様なフルーツを手に春香と澪と一緒に愉しんでいる、ティアとフェイの表情は
本来の姿なのであろう、眼差しは慈しみに溢れ、全てを愛でる微笑みが絶えない。
「来て良かったわね」
 御剣が草薙の肩を叩き、ニッと笑顔を作る。
 目頭が熱くなり、涙が草薙の頬を伝っていく。向直り、
「ありがとうございます」
 五代と響子に礼をする草薙。
「そんな、顔を上げてくださいよ、草薙さん、お礼を言いたいのはこちらの方ですよ」
「そうですわ、貴方達二人が来てから春香はより元気になったわ。
 それにここできっと大切なことに出会えるかもしれません、強く、逞しい心を育める一歩になる、そう、思います。
今、頭で分からなくても…」
 見掛けからは意表を突く中身や味に無邪気に反応する春香や澪達を見やる五代達だった。


第六章:アラマンダーの花の下で

 フルーツガーデンを出た一行は、栗生→大川の滝経由で西部林道のツイスティロードを通り→永田のいなか浜
(白砂の日本で最も海亀の産卵上陸が多い浜)、一湊→史戸子の順で宮之浦に到着した。
 東シナ海に沈みゆく夕映えを眺めながらの車窓は、草薙の肩で眠る澪、ティアとフェイの間に座って一緒に眠る
春香。御剣も言葉には出さないが、ティアとフェイを誘って良かったと思っている。
 この先澪達には辛い苛烈な現実が待ち受けているのを避けられなくても今日のこの日を憶えていて欲しい、と。
「さて、皆さん、明日は屋久杉記念館とヤクスギランドに行って、その後、東京に戻りますからね。
 あ、ヤクスギランドは山の中ですからちょっと時間が掛かるし、すこぉし山歩きになりますよ」
「ああ、あたしゃいい、酒飲んでいるわ、御剣さんと」
「じゃあ、皆さん、明日を楽しみにして下さいね!!」
 そして、翌日。
 ヤクスギランドの80分コースを回り、3つの橋を通り、切り株更新、倒木更新を見、ツガ、モミ、ヤ
マグルマ、ヒメシャラ、ミヤコダラの下を歩いていく。春香にとって踏破するには険しいのだが、澪達が手を貸し、
身体を持ち上げていく。
 あっという間に時間は過ぎ、一行は空港へと向かい、名残惜しげに芳醇な風が吹き抜けていく中でエプロンに
佇むアヴァンティに乗り込んだ。
 峰嶺を見上げれば、既に雲に覆われ翌日からの低気圧接近に伴う湿度の上昇を匂わせている。
 コクピットに座ったユーリと御剣が管制塔からクリアランスを取り、エンジンを始動させる。
 キュイ――――ッン、とギヤが唸り、燃焼が始まるとギュォ―――――ンと金属音混じりにプロペラの風切り音が
高まっていく。油圧、油温、電圧に回転数の上昇を確認し、滑走路に正対する。ブレーキをリリースして一気に加
速し、操縦桿を静に引くとふわりと浮かび上がる。
「ばいばぁ〜い、ばいばぁ〜い、みんなげんきでねえぇ」
 窓ガラスにおでこを当てて見えなくなるまで春香は手を振り続ける。

 
−春香の日記より−
 はるかはこのやすみにおとうさん、おかあさん、くさなぎのおにいちゃん、しずくおねえちゃんたちと
いっしょにやくしまにいってきました。みどりのにおいがあつくて、ふるーつもいろんなかたちとへんな
あじがいっぱいあっておもしろくて、おねえちゃんたちとたのしみました。すぎのなかもちゃんとあるけ
ました。みどりのなかをおよいだかんじです。ごはんもおいしくてまたいきたいです。
 はるか。

―完―


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