耳塚 (京都市東山区塗師屋町) MENU

 
【左】耳塚の五輪塔       【右】巨大さがわかるでしょうか?

    京都の耳塚
愛宕山」の項でも触れたように,京都市東山区の豊国神社近くに「耳塚」という大きな塚と五輪塔があります。中学校の社会科の教科書などにも,よく写真が載っていますから,ご存知の方も多いのではないでしょうか。尾張旭とは直接関係がないものの,時代的には一致する可能性があると理屈を付けて,行ってきました。

   豊臣秀吉の負の遺産
桃山時代の豊臣秀吉による朝鮮出兵「文禄の役」(1592〜1593)「慶長の役」(1596〜1598)の折りに,日本の将兵は論功行賞の検分用の証拠として,殺した朝鮮の「軍民男女」の耳や鼻をそぎ,樽に塩付けにして持ちかえりました。検分の後,それらの耳や鼻を埋め,供養したのがこの五輪塔といわれます。戦国の世,日本国内でも倒した敵の首を切り取り,証拠として首実検にかけていたのですが,さすがに朝鮮から生首を持ちかえることは,はばかられたのでしょう。いずれにしろ,現代の感覚からすれば残忍極まりない行為ですね。供養塔を建てたという点が,わずかな救いです。

    巨大な五輪塔
秀吉の霊を祭った豊国神社の西,大和大路通を渡った正面通沿いに耳塚があります。直径十数m,高さ7〜8mの大きな塚の上に,基壇を含めると4mになろうという巨大な五輪塔が立っていました。写真から想像していたよりもはるかに大きく,尾張旭で見られる高さ数十cmの五輪塔を見慣れた目には,いささか異様に映りました。この大きさになると造形にも制限がでるようで,「三角」の広がりが少なく,また「円」もミカンのようにつぶれています。ちょっと寸胴でバランスが悪いのですが,存在感は圧倒的でした。基壇には蓮華の反花模様がみられ,この点は尾張旭の愛宕山の五輪塔と同じです。

    朝鮮の人々にとって…
上の写真を撮った際,観光客らしい朝鮮語を話す2人の男性がタクシーで乗りつけました。そして耳塚を背景に記念撮影をしただけで,あっという間に立ち去ってゆきました。ここで記念写真を撮る意味を考えながら,走り去るタクシーを見送りました。