洞光院 (新居町山の田) MENU

  
       【左】二つ並んだ五輪塔    【右】石碑の陰には宝篋印塔が…

   棒塚の隣に
新居町山の田にある洞光院の境内には,ほぼ完全な形の五輪塔があります。本堂に向かって左の方,庫裏の横にあたります。上左の写真の,向かって左側の五輪塔がそれです。「方・円・三角・半円・団」の全てがそろい,しかも下の三つは石の質感にも差がないことから,もとからの組み合わせと考えていいでしょう。積上げ式の五輪塔ですが,半円(風輪)と団形(空輪)は一体に作られています。この部分は石材の色が異なり,別の五輪塔のものを組み合わせたと思われます。

右側の五輪塔は,三角(火輪)の代わりに宝篋印塔の笠石を乗せています。半円と団形の質感が,方形や円形と異なることから,これも別の五輪塔のものを組み合わせたのだと考えられます。方形と円形の部分は左側の五輪塔と大きさや形がほぼ同じなので,同時期に造られたと思われますが,あまり古いものではなさそうです。しかし「尾張旭市誌」には洞光院の古塔の記述はありません。隣に立つ「棒塚」と同様,最近になって他の場所から移されてきたのでしょう。

   宝篋印塔も
左の写真の左端,「棒塚」の後には宝篋印塔が見えます。かろうじて段々が分かる笠石と相輪だけが残っています。また,「無二流棒の手」の碑の陰にも,やはり宝篋印塔があります(右の写真)。こちらは基礎の上にじかに笠石が乗り,その上には五輪塔の半円(風輪)と団形(空輪)が乗っています。

  【洞光院と止水道者の井戸
輝本山洞光院は臨済宗妙心寺派の寺です。永禄元(1558)年に,昌厳繁(しょうがんはん)禅師を首座(しゅそ)として村人によって創建されました。現在,新居の人々からは「西寺」とも呼ばれています(ちなみに「東寺」は退養寺のことです)。

境内の南西には「止水道者の井戸」があります(下左の写真)。その昔,「止水道者」がこの寺に留まっていたとき,村人が生活用水に困っているのを見て気の毒に思い,この井戸を掘り当てたとの伝承があります。これは加藤庄三氏が谷口宮三郎氏の談話をまとめた「新居の道」に記されています。

「尾張名所図会」にも,洞光院の井戸についての記述があります。元禄のころに,「止水」という僧侶がこの寺にいました。京都出身の止水は,初めは嵯峨で,後に越(こし=北陸地方)で修行した後,上洛する途中の船中で盗賊にあい,金品を奪われ志を果たせませんでした。かといって越の国の寺に帰ることもできず,この地に流れ着いたとのことです。和歌をよくする止水はこの寺に庵をあんで住み,境内にある水のきれいな井戸をことのほか愛しました。この井戸を「柳井(やなぎい 又は やない)」といい,次の歌を読んだといいます。(2000/08/06)

 住みすてゝ 我ぞなからん 後もなほ 柳井の清水 世にはにごらじ 

   
止水道者の井戸(柳井の泉)