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安生山退養寺 (新居町寺田) MENU

舟形高72cm 三面六臂 立像 持物(鉾・錫杖・輪宝・宝珠)

   
【左】馬頭観音?          【右】中央が馬頭観音 左は十一面観音   .

   不空羂索観音か馬頭観音か?
新居で「東寺」と呼ばれる安生山退養寺。裏の愛宕山には,新居を開いた水野又太郎良春の墓とされる宝篋印塔や,かつて名鉄が観光用に建てた大弘法があります。この退養寺の山門の東側に,丸彫りの僧の坐像や地蔵菩薩,十一面観音に混じって多臂の石仏が一体ありました。実は以前から気づいてはいたのですが,頭部が馬頭らしくないこと,一番上の腕が長いものを持っていることから,不空羂索観音かなぁ…と考え,このWebサイトに取り上げないで来てしまいました。しかし良く見てみると,馬頭観音の可能性もあるなぁ…と思い直し,記載した次第です(最近,種切れ気味ですし…)

   羂索がない…
まず,持物の中に羂索(けんさくorけんじゃく)が見当たりません。また肩に鹿皮を掛けているようにも見えません。しかし手元の資料では,弥勒菩薩半跏思惟像で有名な,京都の広隆寺にある一面八臂の不空羂索観音立像も羂索を持たず,持物として鉾と錫杖を手にしているうえ,鹿皮も身につけていませんから,これだけでは断定はできず判断に迷うところです。

   三面像らしい…
二つ目はお顔の両側の彫り方です。右の写真の水色のの箇所が,耳というには複雑過ぎる凹凸になっています。これも顔だとすれば三面の像となり,不空羂索観音としてはめずらしく,逆に馬頭観音としては一般的な形になります。とはいえ,三面六臂の不空羂索観音もあるとのことですから,これも絶対ではありません。

   耳でしょうか…?
三つ目は耳の存在。頭の上は一見髻(もとどり)を結っているだけのようですが,写真の黄色のの中,つまり舟形に接しているところに耳のような曲線がかすかに見られます。馬頭観音とはいえ,トレードマークの馬頭が欠損しているケースは少なくないので,何らかの理由で削り取られてしまったのかもしれません。でも,調べれば調べるほど,馬頭観音とするには無理があるような気がしてきました。退養寺って,殿様街道以外は特に旧街道に近いという訳でもないし…,やっぱり不空羂索観音なのでしょうか。

   三面八臂?
お顔は典型的な菩薩相で,とても穏やかです。かなり写実的な彫り方で,鉾・錫杖などの持物は磨耗して見にくいものの,腕や身体は立体的に表現されています。天衣のすそは台座までゆるやかに垂れ下がっていて,なかなか優雅な様子です。合掌する腕の肘の下,身体に沿った膨らみが手のひらのようにも見えます。持物を持たない与願印ですね。だとすると三面八臂になります。

なお,お隣の十一面観音像(尾張旭市誌文化財編では聖観音ですが,頭の形をみると明らかに十一面観音です)には「正徳四年七月十八日」と記銘されています。正徳4年は1714年。徳川吉宗が改革を行った「享保」の前が正徳で,江戸時代の中ほどになります。ま,同じところに並んでいるから,同じ時代のものという訳ではありませんけれどね。