三郷北交差点 (東栄町2丁目) ▲MENU
舟形高48cm 三面八臂 坐像 持物(輪宝・独鈷杵・羂索・鉞斧・未開蓮)
【左】三郷の馬頭観音 【右】その険しい表情 .
険しい表情の馬頭観音
三郷の繁華街から北へ向かう「森林公園通り」と,東西に走る「旧瀬戸街道」が交わるのが「三郷北」の交差点です。この交差点の北東角の歩道脇に,名鉄瀬戸線(瀬戸電)の踏切を渡る車がつくる渋滞の列を眺めるようにして,一体の石の馬頭観音が座っています。緑の生垣を背にしたこの石仏は,尾張旭市内で見られる馬頭観音の中でも,このひときわ険しい表情をしています。基壇に「出屋敷嶋 嶋中安全 馬車連中」と刻まれたこの馬頭観音には,興味深い由来が伝えられています。事故に由来
それは大正11(1922)年のことでした。当時は今と違って,三郷付近では瀬戸電と瀬戸街道が接するようにして走っていました。そのため,瀬戸街道を馬車をひいて進んでいた一頭の馬が,間近に迫る電車に驚いたのでしょうか,突然暴走し,あげくに電車と衝突して死んでしまうという事故があったのです。当時三郷の出屋敷の集落(嶋)には,馬車運送業を営みながら,同業者を対象にした休憩所を設けている店がありました。そこに集まる馬稼ぎの人々にとって,目前で起きたこの事故は他人事ではなかったのでしょう。翌大正12(1923)年になって,馬稼ぎの人々が,事故の犠牲になった馬を供養するために造立したのが,この馬頭観音なのです。時代の移り変わりの中で
手と右膝が欠けてしまっていますが,大正末期に立てられた比較的新しい石仏のため,顔立ちや表情などの,細かな部分の彫り具合までよくわかります。まだ馬車による輸送が全盛だったこの時代ですが,鉄道や自動車による輸送が増加し,主役の交代を予想させる動きが見えてきた頃でもあります。そうした時代の流れを懸念する馬稼ぎの人々の気持ちが,馬頭観音の厳しい表情に現れているのかも知れません。