色金山(長久手町大字岩作色金)長久手MENU

舟形高89cm 三面八臂 坐像 持物(輪宝・水瓶・独鈷杵・鉞斧)

  

    村境の石仏
天正12年(1584)の「小牧長久手の合戦」の際,小牧山を出た徳川家康が布陣して軍議を行ったのが色金山です。当時は山頂から四方を展望できる,絶好の陣地だったのでしょう。その色金山の南東の麓(ふもと)に,祠に収められた馬頭観音があります。現在は県道57号瀬戸大府東海線に面しているこの場所は,かつては名古屋から岩作へいたる「岩作道」の道筋にあたっていたのです。また,この場所は「岩作」と「熊張」「前熊」の村境にあたりました。このように,村境や古道の分岐点に石仏が置かれることは,よくあるそうです。

木造トタン葺きの祠はかなり痛みが進んでいますが,馬頭観音そのものは顔や体に朱色などの彩色が残っています。明治33年(1900)の建立だそうですから,彩色は後世のものかもしれません。彩色が残った馬頭観音は,尾張旭では見られませんね。舟形高は90p近くあり,また舟形に対する尊像の割合が大きいためもあって,非常に大柄に感じる馬頭観音です。

正面の顔こそ唇をへの字に結んでいるものの,うつむき加減の温和な顔立ちは,あまり憤怒面らしくありません。左右の菩薩面も目を半眼に閉じた優しげなお顔です。基壇には「馬車有志」の銘があります。尾張旭の三郷や庄中観音堂,長久手の常照寺の「馬車連中」との違いが知りたいところです。供えられたカーネーションが,馬頭観音のやさしさをいっそうひきたてるように見えました。