「Funny World 番外編」
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第12話「黒い列車の巻」
 ホカホカと湯気を上げる饅頭が、お皿の上に山積みされていた。テーブルに向かった男の子は、その饅頭を片手に一個ずつ、つまり2個いっぺんにつかんで、もぐもぐと食べ 始めた。彼は、温かい湯気のミルクのような香りと、饅頭の中身のアンコの甘さにうっとりとした表情をしていた。彼は、絹のように細やかで、ぷにぷにとした感触の饅頭の中 に鼻先をうずめると、次の饅頭に手を伸ばした。

 「いやぁ!」
 突如、饅頭が声を上げた、と彼は思った。ぎょっとした彼が饅頭を凝視すると、白い空間に山ほど積まれていた饅頭は消えうせて、白地に黄色い小さな花柄のついた生地が目 に飛び込んできた。彼の目の前には、突然の破廉恥攻撃に身をよじらせた美少女がいた。彼は、自分の鼻先でぷにぷにしている物体が、白いワンピースの彼女の胸であることに 気づき、自分の右手が彼女のもうひとつの山の上で饅頭を探しているということも認識し始めたが、まだ脳みそに血液が行き渡っていないのか、事態の重大さに気づくまでには 至っていなかった。

 「あれ?ボクの、アンマンは、どこ?」
 すると、窓際のシートで身をよじらせて破廉恥攻撃に耐えていた彼女は、彼の瞳をぎらりと凝視して言った。

 「い・つ・ま・で、寝ぼけてんのよ!」

 次の瞬間、彼女のスナップの効いた鋭いびんたが、彼の顔面を直撃していた。
 大陸横断鉄道の支線を走行する蒸気機関車エリダヌス2は、カール帝国王都バウムクーベンを出発し、北に向かって順調に進んでいた。エリダヌス2は、全車両黒塗りのつや つやとしたボディーで、高級志向の白いワンピースの娘は至極ご満悦であったが、同行した少年ともう一人の大柄な女性は、その一種独特の雰囲気が気に入らない様子であった 。その、黒塗りの車内に、がらがらに空いた客車の車両内に乾いた音が響いた。パシーンって。そして、その後、がたがたと通路を転がるような音がして、猫が鳴くようなふに ゃぁという情けない声が聞こえてきた。声の主は、自称プリンセスガードのさかきじょた君。そして、彼に強烈なびんたを食らわして、BOXシートの間で仁王立ちしているの は、亡国の姫君シェリル・フル・フレイムであり、その向かい側でげらげらと下品に笑っているのは、彼女たちの友人であり、ヴァンパイア娘のチャイム・ポロンであることは 説明するまでもないであろう。
 「うーん、ごめぇん。」

 じょたは、烈火のごとく怒ったシェリルの前で、涙目をこすって床に座り込んでいた。彼が涙目なのは、もちろんびんたが強烈だったからなのであるが、彼女は寝起きのまな こと勘違いして、とろんとした表情の彼をさらに2回はたいた。

 「シェリル、もう許してあげなさいよ。ね、ダーリン。」

 チャイムは、じょたにウインクすると、彼を引きずり起こして抱きしめ、彼の頭を自分の胸に引き寄せてなぜてやった。びききっ!じょたは、空中にアーク放電が起きる音を 聞いたような気がした。いや、シェリルの目から光線が出るのを見たような気さえした。例によってニブチンの彼に、彼女たちの毎度の喧嘩理由は飲み込めないでいたが、よう やく自分がシェリルの胸の中で寝返りを打っていたことを理解して、彼は顔を赤らめた。
 「じょた、顔を洗っていらっしゃい。」

 シェリルは、そう宣言すると、ぷいっとそっぽを向いた。列車は、ちょうどカーブに差し掛かかり、彼女はその慣性を利用してどすんとシートに着席した。じょたは、名残惜 しそうにチャイムの胸の中から脱出すると、揺れる車内をよたよたとデッキに向かって歩いていった。
 「今度のお休みに、遊園地に行こっか。」

 そう言って、はずかしそうにそっぽを向いた少女の背中で、漆黒の髪がゆらゆらと揺れていた。そして、彼女はちらりと横目で様子を伺うと、銀の髪留めでまとめられた髪を もてあそんで、彼の返事を待っていた。じょたは、あのレースに出場して以来、なんとなく彼女に後ろめたいような気がしていた。勿論チャイムと必要以上に仲良くしたわけで はないので、気にする必要は無いのだが、それでもやっぱりシェリルを一人残してレースに参加していたことが気にとがめていて、彼女とゆっくり話をしたいと思っていたのだ った。しかし、彼女の公用が忙しくて、それはなかなか実現できないでいた。だから、彼女の方からお出掛けに誘ってくれるというのは嬉しかったし、それに彼女の様子がなん となくいつもと異なっているというのも、彼にとってはどきりとする出来事なのであった。
 「私、駅ですごい列車を見たのよ。それが、高級感あふれる漆黒のつやつやボディの列車なの。ナントカ園行きって書いてあったから、きっと遊園地行きね。ひょっとすると 動物園か植物園かもしれないけど。ね、面白そうでしょ。」

 じょたが、色よい返事をすると、彼女は一気にそうまくし立てた。じょたは、列車の行き先が不明なのはちょっと気になったが、彼女と見知らぬ町に出かけるのは楽しいし、 環境が変われば話もしやすくなるかもしれないと思って、彼女のお休みの日に出かけることにしたのだった。それにしても、やっぱりシェリルの様子はおかしい、と彼は思って いた。
 で、なぜか、出発のホームにチャイムがいたのであった。

 「悪いけど、抜け駆けは許さなくてよ。シェリル。」
 「悪いけど、あなたのシートは予約してなくてよ。チャイム。」
 お互いに、ぐんと胸を張って、鼻先3寸の距離でにらみ合うという竜虎激突の図ができあがってしまった。背の高いドラゴンのチャイムが、タイガーのシェリルを見下ろすと いう構図である。すでに、出発前から火花を散らしていた二人なのであった。
 「あぁ、久しぶりのモミジ。」

 揺れるデッキで、鏡を覗き込んだ少年が、ぼそりとつぶやいた。鏡の中の青い髪の少年は、左の頬にくっきりとモミジのマークを付けて半べそをかいていた。彼は、水道の蛇 口をひねると水を出して、ぴちゃぴちゃと顔を洗った。本編とは関係が無いが、その様子から察するに、どうも彼は水が苦手のようである。さて、そのとき、彼は背後に人の気 配を感じて鏡の中を覗き込んだ。そこには、デッキの影からこっそりとこちらを覗いている、3、4歳くらいの小さな女の子が映っていた。
 「おにいたん、あそぼ。」

 彼女は、そう言ってじょたの足にまとわりついてきた。じょたは、鏡の中から彼女に微笑みかけると、いくつ?とか、どこから来たの?とか質問をしてみた。彼女は、質問の 意味を理解していないのか、あそぼ、あそぼと言って、彼のズボンを引っ張って、デッキから隣の車両へ行くように促した。じょたは、ちょっと驚いた。それは、彼女が結構力 持ちだったからだ。
 「ちょ、ちょっと待って。今、顔を拭いたら遊んであげるから。」
 「誰と遊ぶって?」
 振り向くと、そこには腕組みして壁によりかかったシェリルが立っていた。相変わらず、ズボンは引っ張られていたが、見ると、手荷物を引っ掛けるフックにベルト穴が引っ かかっていただけであった。
 「今、そこに女の子がいたでしょう?3,4歳くらいの、ちっちゃい子。」
 「知らないわ。隣の車両に移ったんじゃないの?」
 「そうかな?」

 そのとき、彼は、ぞくりとして、背中の毛穴が開くような気がした。本能が、自分自身に何かが危険であると告げていた。シェリルのことだから、彼女の能力が発揮されてい るならば、さっきのものが何であったか大体想像のつくじょたであったが、不幸にも彼の想像以上の結果が待っており、またしてもざっくりと寿命が縮む思いをするはめになる のであった。
 「シェリル。」
 「なに。」
 彼女は、はっとして返事をした。語尾が上がる返事である。

 「あー、あのー、さぁ。」
 「なに。」
 今度は語尾が下がる返事だ。

 「寝ぼけてると、またびんただよ。」
 「レースのこと、怒ってるんでしょう。」
 「そんなことじゃないわよ。」

 彼女は、くるりと回れ右をすると、客室のドアの向こうに行ってしまった。じょたは、すでに今さっき会った女の子とのことも忘れて、薄暗いデッキでぼんやりと立ち尽くし ていた。
 「泣いてた?」
 「泣いてた。」

 「慰めてきたの?」
 「もう一回ぶん殴ってきた。」

 シェリルは、そう言うとシートに体を預けて目を閉じた。ほどなくして戻ったじょたは、さりげなくシェリルの隣に腰掛けると、チャイムと小声で話をした。そのうち彼は、 かたことという規則正しい振動と音によって、またしてもずるずると眠りの世界に引きずりこまれていく心地よさを感じた。眠りに落ちる直前、彼が最後に見たものは、自分と シェリルに毛布をかけてくれるチャイムの姿だった。
 じょたは、両肩に何かが載っているような感覚で目を覚ました。そっと目を開けると、それはやっぱりシェリルの頭で、彼女はすーすーと寝息を立てていた。彼は、疲れてい る彼女を起こしたくなかったし、こうしていることで彼女の不安が解消されるような気がしたので、そのままそっとしておいた。

 ところで、右肩が重いのはなぜだろう。そう思ったじょたは、首を回そうとしてあせった。首が動かないのだ。寝違えたかなと思ったじょたは、ゆっくりと上体を起こして体 ごと向きを変えようとしたが、それも不可能であった。重力が自分をシートに押し付けていた。ただ、それは1Gではなくって、10Gくらいありそうだったが。
 寝返りをうとうとして悪戦苦闘していたじょたは、あることに気づいて背筋がぞくりとした。たくさんの人の気配がする。いつの間にか周囲の席が埋まっているのだ。途中駅 で乗ってきた人たちかなと思ったけれど、そんなことがあるはずは無かった。この車両は、シェリルが貸し切りにしていたし、第一この列車は終点までノンストップのはずだか ら。

 ざわざわという人間のざわめき声に混じって、妙な振動音がするのも気になった。ぶぶぶぶという、明らかに列車の振動とは異なる音がするのだ。シェリルかチャイムのいび き?なんて聞いたら、即座に往復びんたを食らいそうだ、などと考えている余裕のあるじょた君であったが、いきなり耳元で囁かれたときには肝をつぶした。
 「おにいたん、あそぼ。」

 あぁ、やっぱり。目の前のシートで、口をぽかんと開けて寝ているのはチャイムであるし、シェリルがこんなことを言うはずもないし、だいいちシェリルとは反対側からの声 である。消去法で可能性を洗い出していくと、やっぱりアレしかないだろうと彼は思った。と、いうよりも、最初からその可能性しかないわけなのであるが。
 「おにいたん、あそぼ。」

 首を回すことのできないじょたであったが、なぜか隣にいる女の子の様子が分かった。おかっぱ頭には、ひまわりの髪留めが付けられていて、ピンクのシャツには熊のプリン トがされていた。そのプリントからは、何かが飛び出ていて、それはどうもダガーのようなのだが、そのダガーからは、彼女の血液がぽたりぽたりと垂れていた。そして、彼女 の隣には腰の曲がった爺様が立っていて、血まみれの爺様が立っていて、その爺様の目玉が、じょたをじっと睨んでいるということが分かって、怖くて怖くて仕方が無かった。
 「席は、まだひとつ空いとりますけぇ、どうかミリムと遊んでやってくだせぇ。」
 「おにいたん、あそぼぅよぉ。」

 まずいことになったとじょたは思った。シェリルと旅を続けていた頃、オカルト的なモノ、ゾンビやゴースト、ワイトなどに襲撃されることはあったが、神聖魔道の使い手で あるシェリルや、生命エネルギーをコントロールできるじょたは、それらを昇華させたり、消滅させたりしてきた。もちろん不意をつかれることもあった。が、それにしても体 の自由は利いたし、しゃべることも可能だった。キャンプ中だって、どちらかが必ず起きて見張りをしていたから、それはほとんどじょたの役割だったけれど、寝ている間に襲 われるということは無かったのだ。
 まずったなぁと、彼は思った。完全に油断していた。貸切の車両の中で、ゴーストに襲われるとは思わなかったのだ。こんなときに限って、ヴァンパイア少女のチャイムも眠 りこけている。彼女の能力なら、低級アンデッドなど、簡単に退けてしまうだろう。シェリルも眠っている。もっとも、彼女もじょたと同じ状態になっていないとは言い切れな いのだが。

 「席は、まだひとつ空いとりますけぇ。」と爺様。
 「そうだ、ひとつ空席がある。」と新聞を読んでいたビジネスマン。
 「きみ、乗りたまえよ。」と騎士風の人。
 「来るんだよ。」とおばはん。

 なんか、この人たち、わけわからないこと言ってますけど、とじょたは思った。そして、やっぱりこの団体さんは、そっちの方面の人たちで、空席に座ってしまうと河を越え てしまうのではないか、越えてしまったら帰ってはこれないのではないかと思った。そのとき、彼の耳元でうめき声が聞こえた。それは、シェリルだった。彼は、やはり彼女も 金縛りにあって動けないのだと思った。
 「おぉ?もう一人いるのか。目上の者に挨拶も無く、寝たふりしおって。どれ、ワシが教育しちゃるけぇ。」

 じょたは、爺様の表情に、ぎょろ目に、いやらしい光が灯されているように思えた。少なくともじょたには、爺様の表情が、目上の者が下のものを教育するという風には見え なくて、ただただいやらしいじじいが、若い娘に手を出そうとしているようにしか見えなかった。爺様は、じょたの腹の上にずんと乗っかると、うめき声を上げる彼女に手を伸 ばした。じょたは、渾身の力を込めて爺様を払いのけようとしたが、どうしても身動きができなかった。声も出せない、いや呼吸すらできなかった。爺様のいやらしい顔が、ゆ っくりと近づいてくる。そのとき、じょたの体に強烈な慣性力が働き、彼の体がシートから数センチ浮いた。その直後、彼の金縛りが解け、そして、彼は叫んでいた。
 「ボクのシェリルに手を出すな!」

 はっと気がつくと、列車内にはもとどおり彼ら3人組しかいなくて、きょとんとした顔をしてじょたを見上げるシェリルと、くすくすと笑いをこらえているチャイムが、その 後彼女は大爆笑していたが、いるだけであった。列車は、終点に到着したのか、駅のホームへゆっくりと進入しているところであった。じょたは、駅名表示板を見た。目をこす ってもう一度見た。ズィーヴェン・アハト霊園とそこには書かれていた。
 「じょた、ちゃんと顔を洗ってきたの?またシェリルにびんたされるわよ。」

 とチャイムが言った。シェリルは、何事も無かったかのように、じょたを無視して階段を登っていた。じょたは、なんだかすごいことを言ってしまったような気がしたけれど 、なんとなく胸のつかえが取れたような気もしていた。
 階段を登ると、そこいらじゅうに、ぷんとお香の匂いが立ち込めていた。そこからは、予想通り広々としたランドスケイプが広がっていた。山々に囲まれた盆地には、見渡す 限り石のプレートが並んでいて、今度こそ本当に正真正銘人間が?花束や水の入った桶を持って歩いていた。じょたが、さっきまでの出来事を思い出して身震いしていると、遠 くを眺めていたシェリルが言った。

 「じょた、遊園地の入り口って、どこなのかしら。」
 「この期に及んで遊園地は無いでしょう?というか、この場合、入り口を発見してしまうと、かなりまずいんですけど。河、越えたりとか、あの…」
 「遊園地?」

 チャイムもいぶかしんだ。
 「じょた、まさかさっきの列車の行き先を、知らなかったわけじゃ、ないわよねぇ?駅の電脳で、調べたんでしょ?シェリル。」
 「私が機械を使えるわけがないでしょう。」

 ぷんとすねてしまったシェリルは、じょたの手をつかむと彼を引きずりながら駅前の広場に向かって、階段を降り始めた。

 「ほら、向こうでおじいさんと女の子が手招きしてる。人もたくさん集まっているし、あそこが遊園地の入り口なのよ、きっと。いや、私のカンだと、あれはお化け屋敷ね。 早く行こうよ。」
 「あぁ、本当だ。あの女の子なら同じ列車に乗ってたよ。おじいさんと一緒に。…って、それ、絶対遊園地と違ーう!でも、お化け屋敷は、ある意味正しいかも。」
 シェリルは、遊園地にしては殺風景でさびしいところに来てしまったけれど、静かな場所だからゆっくりとできそうだし、それにじょたの気持ちも分かったから、いい休日に なりそうだなと思った。そして、ちょっとチャイムに見せ付けてやろうと思い、彼をぎゅっと抱きしめて、チャイムの方を見上げてニコリと微笑んだ。
 じょたは、駅に隣接して建てられた、煙突から白い煙を吐いている建物が、遊園地ではないと言い切る自信があったし、漆黒の列車から運び出されている、人間程度の大きさ の木箱が何を意味するのか、彼らが乗っていた隣接車両にその木箱が納められていて、倉庫が一個だけ空きになっていることも、空席があるという意味も理解した。だから彼は 、チャイムのことも好きだけど、やっぱりこの娘にはボクがついていないとダメだと思って、恐る恐る、シェリルの背中に手を回した。
 チャイムは、階段の途中でじゃれあう二人を見て、背中からリュックを叩きつけてやりたい衝動に駆られた。しかし、彼らが似たもの同士であることは認めてしまい、やっぱ りあんたたち似合いのカップルかも、と一瞬だけ思ったが、悔しいから口にはださなかった。
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