「Funny World 番外編」
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第11話「モンスターレースの巻」
Section 1:Aurora Shooter
 甲高い金属音の咆哮が、辺り一面を埋め尽くしていた。非効率的な化石燃料エンジンが搭載された猛獣からは、薄青い煙が吹き出されていたし、最新式の魔獣からはオーロラ のような霧が発生していて、あたり一面うっすらともやがかかっていた。もっとも、太陽が昇るまであと2,30分くらいの時間であったから、霧が発生していてもおかしくは ない。幅員20m程度の道路に整然と並べられた猛獣たちの周りには、それぞれ10人程度の人間がいて忙しそうに作業をしていた。猛獣たちとは即ち動物の形を模したシュー ター、人間を乗せて運ぶ乗り物であり、作業をしている人間たちは、その整備クルーである。ここはカール帝国の王都バウムクーベン。今日は年に一度の大レース、合計850 0kmを2週間かけて走破する、モンスターレースの開催日であった。スタートの日の出までは、あと30分を切っており、各チームのクルーたちは、シューターの最終調整に 余念がなかった。
 「こちらシェイドワン。マイクテス、マイクテス、感度ok?どうぞ。」

 頭をすっぽりと覆っているヘルメットの内部に、甲高い女性の声が響いた。ちょっとスピーカーのボリュームが大きすぎたのか、ヘルメットをした子供がぴょんとシートから 飛び上がった。

 「こちらシェイドツー。感度良好です。どうぞ。」

 ヘルメットをした子供は、口元に設置されたスイッチを押しながら返事をし、もこもことした耐熱対衝撃性素材のスーツの腕を伸ばすと、右側のドライバーのヘルメットをこ つんとこづいた。そして、親指と人差し指で丸のサインを作った。ドライバーの女性、スーツの胸がふっくらとしているから女性だと思われるのだが、その女性は皮の手袋をは めなおすと、ハンドルに手をかけて、肩をぐにぐにと上げ下げした。赤いヘルメットの風防から見える彼女の瞳は、きりりと前方を見据えていて、彼女の美貌をさらに高めて見 せていた。ただ、ヘルメットで隠された口元からは、凶暴な牙がにょっきりと顔を出していて、彼女が普通の人間ではないことを物語っていた。彼女は、ヴァンパイアの少女チ ャイム・ポロンであった。そして、その隣に座ってシートベルトの確認をしている小柄なナビは、黒というよりは青い髪の少年、さかきじょたであった。
 「こちらシェイドリーダー、日の出まで10分を切りました。クルー、退避します。じょた、頑張ってね。」

 ヘルメットから別の女性の声が聞こえると、ドライバーはハンドルを叩き、ナビは窓の外に遠く見える、プラットホームに停車中の大陸横断鉄道マゼランの方を見た。声の主は、 亡国の姫君シェリル・フル・フレイムである。彼女は、レースチーム「シェイド」のリーダーとしてクルーを統率し、ドライバーたちに的確な指示を出す役目を買って出たのであっ た。彼女は、お姫様だけあって統率力があるので、この役目は適任と言えたが、やはりお姫様だけにちょっとわがままなところもあって、クルーの乗るファクトリーには同乗せずに 、大陸横断鉄道の特別列車から指示を出すことになっていた。
 「リーダー?気に入らないわね。」
 「何か言った?」

 例によってこの二人は仲が悪かった。ニブチンのじょたには未だにその理由が飲み込めないらしいが、そもそもそのあたりに不仲の原因があるような気がしないでもなかった。

 「チャイム、見て。山の上にオレンジ色の光が灯りだしたよ。」

 小柄なナビ、じょたは、前方の山脈を指差して言った。スタート地点を跨いで作られたアーチ状の火時計は、いまやレッドランプからイエローランプのエリアに差し掛かり、 最後のブルーランプに火がともされるまで、あと数十秒となった。あたりの金属音が急激に高くなっていった。キーンというよりは、ぎーんというちょっと濁ったような音であ る。これは、使用されているエンジンのほとんどが、重金属イオン変換方式で動いているからであり、燃料の重金属キューブが超高速回転するスラッシャーによって、元素分解 されていくときの音であった。とうとう、火時計のイエローランプがいっぱいになった。山脈の向こうからは、お日様がよろよろと顔を出し始めていた。
 「いくぞ!オラァ!!」

 ブルーランプが点灯すると、クレイジードライバーと化したヴァンパイア少女は、アクセルをべた踏みしてシューターを急発進させた。シューターのタイヤには、接着剤が塗ら れているため、エンジンの大馬力が一度に大地に伝わるのである。ゼロヨンダッシュだ。小柄なナビは、シートにめり込んでしばし呼吸が停止した。数百台の猛獣たちは、いっせ いに早朝のオレンジ色の道路を走り出した。じょたたちのシューターのように、ロケットのごとく飛び出していくものもあれば、ゆっくりと走り出すもの、ふらふらと迷走するも のあり、また、いきなりのトラブルで走り出さないものや、それらに追突、接触するマシンもあった。まだ夜が明けきらない空には星が瞬いていて、レース開始を告げる花火がぴ かぴかと閃光を発し、一瞬遅れて炸裂音が届いたが、それは猛獣たちの咆哮によってかき消されてしまった。
 その猛獣たちのしんがりから、3枚におろした魚の骨を模したシューターが、エンコしたマシンの合間を縫って、悠々と走り去って行った。その窓からは、馬のように細長い顔 をした、サングラスにひげの男が顔を出し、観客席の方に向かって手を振っていた。

 「レースは長いんだ。あわてない、あわてない。な、相棒よ。」

 馬づらサングラスの男は、樽のように太ったナビに向かって言った。

 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。今日のオンロードは、初日の顔見せレースでしゅからねー。問題ないでしゅねー。」

 樽のナビは、しょっしゅねーというのが癖のようであった。彼らのマシンは、DoKoDoKo団と書かれた小さな三角の旗をはためかせ、しっぽから白い煙をほこほこと吐き 出しながら、朝日に向かって走り去った。こうして、参加シューター780台の大レース、モンスターレースはスタートした。ドライバーたちの様々な思いを乗せて。
Section 2:Bloody Train
 透明な板が何枚も重ねられたコンパクトのようなものを、器用に展開している少女がいた。彼女は、机の上に載った花に向かって何事か話しかけると、コンパクトをぱっと横一列 に広げた。連結された透明なブロックには、ぼんやりと地形が浮かんでいて、彼女が手をかざすとその地形には色とりどりのランプが点灯した。彼女は、そのランプのきらめきをじ っと見つめると、また花に向かって話しかけた。花からは甲高い返答が返ってきて彼女をいらだたせたが、机をばんと叩いて花を黙らせると、ぼんやりと光る透明ブロックをたたん でまた別の形状にした。一冊の本のようにたたまれたブロックには、人物のポートレートとそのプロフィールなどが表示されていた。彼女は、その情報に目を通すと、椅子の背もた れでうんと背伸びをし、まだ薄暗い窓の外に目を向けるとあくびをひとつした。
 大陸横断鉄道の特別急行マゼランは、朝もやの中を時速100km程度の速度で走行していた。王都バウムクーベンを出ると、列車は山間を抜け一度海岸線に出る。有毒ガスを 吐き出す火山を避けるためである。そして、いくつかの河を渡ると、また山岳地帯へと向かって南下する。南北に細長いカール帝国を縦断するには、これがもっとも理想的なコー スであるが、道路事情の悪いこの国では、シューターを利用して南へ向かう場合、かなりの迂回をする必要があった。そういうわけで、この国最大のレース、モンスターレースの 最初の難関は、北の大陸最大級の火山地帯を大きく回りこむ、スタンダードコースであった。
 「こ、こここ、これが、すたん、だーどな、こーすな、ぐっ。」
 「気をつけな。舌かむよ。」

 すでに舌をかんでしまった青い髪の小柄なナビゲータは、ヘルメットの中で半べそをかきながら、通信するときにも舌をかまないようにしなくちゃと思って、あごを両手で押さえ ていた。赤いヘルメットのドライバーは、悪路にもかかわらず、平均時速100kmでシューターをすっとばしていた。まともに舗装もされていないような道路なのに、道路という よりはただの荒地と言ったほうがいいような場所なのに、信じられない速度でシューターを駆っていた。
 「ナビがいいから、道には迷わないよね。」
 「どき。」

 小柄なナビのじょたは、熱血ドライバーのチャイムに痛いところを突かれて、正直あせっていた。彼のレースのイメージは、決められたコースに沿ってシューターが走るもの というものであって、この道なき道を走るという変則的なスタイルにはなじみが無かった。右手に見える、ファニーワールド最大の活火山、ドン・ドラゴが無かったら、自分が 今どこに向かっているのかさえ分からないくらいであった。
 「あの山を右手に見て、ずっと進めばいいんだよ。」
 「ふーん。」

 チャイムは、じょたが一生懸命マップと格闘しているのを、ちらりと横目で見ると、そこに彼がいることに満足した。彼女は、今日こそは、宿敵シェリルに大きく差をつけたのだ と思うと、うれしくて仕方がなかった。いっそ、このまま彼といっしょにアナザーワールドへ、自分たちの故郷アストラルプレーンへ行ってしまおうかと思ったくらいであった。で も、それはできないのだ。彼女は、一族の名誉をかけてこのレースに参加しているのだから。もちろん、シューターをかっ飛ばしていられるのも、それと同じくらいうれしくて仕方 が無いようなのだが。
 「知ってる?カール帝国最大のレースが開催されるのよ。」

 そう言って、涼しげなカフェテラスに目を輝かせてやってきたのは、胸元がちらりと見えそうな、そして、太ももの付け根くらいまでざっくりと裂け目の入ったスカートの、挑発 的なファッションをしたチャイムであった。シェリルは、読んでいた雑誌からほんの一瞬だけ視線を上げると、薄汚いものを見たかのような表情をして、また雑誌に視線を戻した。 じょたは、飲みかけのお茶が入った湯のみをテーブルの上に置くと、チャイムのほうを向いて微笑んだ。彼は、この人間にあらざる少女が嫌いではなくて、というよりむしろ彼女の まっすぐな性格が好きだったので、たまの休日に過ごすシェリルとのゆったりとした時間を邪魔されたにもかかわらず、にこやかな微笑を彼女に投げかけた。この彼の性格及び行動 が、彼女たちの間に新たな争いの火種を撒き散らしているわけなのであるが、ニブチンのじょたには、そこのところどうしても飲み込めないようなのであった。
 「この2年間、連続して人間のチーム、ミツミネに優勝をさらわれているから、今年はどうしても優勝したいの。魔界の貴族の名にかけても。じょた、手伝ってくれるわよね。」
 「面白そうだね。でも、そのレースには誰でも参加できるの?それに、ボクの運転技術じゃぁ、入賞はちょっと難しいと思うけど。」

 「大丈夫よ。出場制限は無いわ。運転さえできれば誰でも出場できるの。もっとも、腕に自信がなければ出場しようとは思わないでしょうけど。危険なレースだから。 私、運転には自信があるのよ。きっと勝つわ。それで、じょたにはナビをしてほしいのよ。ね、お願い。」

 チャイムが、ぺろりと舌を出してじょたを拝むしぐさをした。

 「うーん。どうしようかなぁ。」
 「こほん。くふ、くふん。」

 じょたが、でれっとして迷っていると、シェリルが咳払いをした。

 「チャイム。じょたがチームに入ったら、人間のチームになってしまうわ。」
 「問題無いわ。じょたは、私のハズとして登録するから。」

 バキキ!という静電気がはじける音がした。
 「あ、あぁ、あの。そうだ、ボクも自分のマシンで出場してみようかな。」
 「あの、フロッガーで入賞できるわけが無いでしょう。」

 シェリルが、じょたを睨みつけて言った。確かに、彼の乗っているシューター、フロッガーは、とてもレース仕様とは言えなかった。フロッガーは、彼が安い安い給金を、 それこそつめに火をともす思いでためて買った中古品であった。そして、これが休み休み走らせないとすぐに息切れする、坂道で人間に追い越される、タイヤが先に走ってい くことがある。などなど、とてもシューター同士で競争できるようなシロモノではなかったのだ。
 「優勝賞品のシューターは、じょたにあげるから。出ようよ。」
 「えっ!?優勝したら、シューターがもらえるの?」

 じょたは、まん丸の目を見開いて立ち上がり、チャイムの両腕を握り締めた。

 「そうよ。私には、もう最新のシューターがあるし、チームが優勝できればそれでいいの。それに、…なんでもない。」

 チャイムは、がらにも無く顔を赤らめていた。じょたは、突然自分の体が持ち上げられるのを感じた。彼は、シェリルに首根っこをつかまれて持ち上げられていたのだった。 子猫の首根っこをつかんで持ち上げるように。いつのまにかじょたは、チャイムに近づきすぎていたようであった。
 「じょたがチームに参加するのには条件があるわ。」

 シェリルは、じょたをチャイムから引き剥がすと、彼にスリーパーホールドをかけ、その首をぐきりとひねった。彼は、ことりとうなづいて動かなくなってしまった。

 「じょたをチームに参加させたいのなら、ひとつ条件があります。」
 「ふぅん。まるで、自分の持ち物みたいに言うのね。」

 まるで、ではなくて、じょたはシェリルの付き人兼護衛兼使いぱしり兼、その他いろいろ兼ねているので、彼女にとっては所持品のようなものであった。究極の便利アイテムで ある。究極かどうかは意見の分かれるところだけれど。
 「それで、どんな条件なの。」
 「それは、私が、チームを率いるということよ。」
 「なんですって!?」

 シェリルは、腕組みしてチャイムに真正面から向き合うと、さらに続けた。

 「じょたは私の家臣なの。勝手に使われては困るわ。でも、私が率いるということなら、それならいいでしょう。」
 「ちょっと待って。このレースは、シロウトがポッと出て偶然勝ってしまうような、そんなはんぱなモンじゃないのよ。」

 「分かってるわ。」
 「いや、分かってない!」

 火花が散るような竜虎のにらみ合いが続いた。二人は、顔と顔をぎりぎりまで近づけると、今にも獲物を奪い合って格闘してやるという、気迫のこもった目でにらみ合った。 その獲物は、ぐったりと頭をうなだれていて、時々そっと薄目を開けて様子を見ていたが、今はただじっとしているのがよさそうだと判断したのか、気絶したふりをしていた。
 がたん。居眠りしていたシェリルは、背後で大きな音がしたのに驚いて、椅子から飛び上がった。大陸横断鉄道のコンパートメントには、朝の心地よい風が小窓から吹き込んで きていて、かたことという規則的な振動が、乗客を眠りの世界に誘いこんでいた。
 「何かしら?」

 いまだ夢見心地の彼女は、ドアのノブをつかむと、はっと気がついて覗き窓から通路の様子を伺った。カール帝国は犯罪の多い国である。列車泥棒の類も多いに違いなかった。 小さな覗き窓の向こうには、ぼんやりとした薄闇が広がっていてよく見えなかったが、ドアに誰かがもたれかかっているようだった。彼女は、探知系魔道の呪文を唱えると、ドア の向こうにいる人物が武器を携行していないか確認した。とりあえず、魔道具と刃物は持っていないようであった。彼女は、ドアチェーンをつけたままそっとドアを押し開けてみ た。ごと、ずるずる、どさり。いやな音だ、と彼女は思った。彼女は、ドアの隙間からそっと通路を覗き込んだ。オレンジ色の照明の下に人が倒れていた。赤い通路には、何かオ ブジェのようなものが転がっていた。桜色のしぼんだ風船みたいのや、赤黒っぽいチューブみたいの。それが、何かということに気づくまで、1秒とかからなかった。彼女は、ド アを勢いよく閉めた。がたがたと震えていた。背後でまた物音がして、彼女はすばやく振り返った。それは、小窓から入ってきた風が、壁のハンガーを揺らした音だったが、彼女 は何者かが部屋の中に潜んでいるような気がして恐ろしかった。彼女は、入り口は自分の背後にあるのだから、自分以外の誰も部屋の中にいるはずが無い、と自分自身に言い聞か せた。数々の戦闘をこなしてきている彼女であったが、震えが止まらなかった。自分が居眠りしている間に、何者かが侵入してきたような気さえしていた。誰も隠れるスペースは 無いというのに。
 「じょた。」

 彼女は、急に心細くなって、彼女の唯一の家臣の名前を呼んでみた。しかし、彼は遠い空の下で、憎ったらしいヴァンパイア娘とドライブしているのだ。そのことに腹を立てて みたつもりだったが、今はそんなことで寂しさを紛らわせることはできなかった。背後のドアの向こうで誰かの悲鳴が聞こえた。その後、どたどた、ばたばたという複数の足音が 聞こえた。彼女は、ドアノブを後ろで抑えながら、ずっと立ち尽くしていた。
 生ごみがジャンプしていた。4個の丸い足のついたその生ごみは、薄っぺらな紙が波打つように空中でふにふにと揺れると、白い煙を尻尾からほこほこと出した。そして、 その魚の骨は地上に降りると、上手に地形なりに体をそらしてショックを吸収して走り出した。その、ノラ猫のえさにも見える、生ごみのようなシューターの鼻先には、 DoKoDoKo団と書かれた三角の旗がはためいていた。
 「相棒よ、そろそろ実力発揮といくぜぇ。あのお方との約束もあるしな。作戦B始動ぉ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。スタンダードコースでトップになっても、ポイント低いけど。まぁ、しょっしゅねー。あのお方との約束もあるからでしゅねー。 テストしてみるのも、いいっしゅねー。」

 樽のように太った男は、赤、黄、青のボタンを複雑な順序で押した。すると、骨の魚の尻尾から、排気の変わりにところてんのような物質が流れ出た。ところてんは、地上に 落ちるとぴょんぴょんと跳ねて、まるで生きているかのようであったが、やがて道路にまんべんなく広がって、薄い油膜を作った。
 「うははは、見たか。これが作戦B、ワンダーボムよ!これで後続のシューターは木っ端微塵!」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。これは、スリップボムでしゅねー。ちょっと、間違えたっしゅねー。」
 「がくーっ。サルボンヌ、なにやっとるかぁ。作戦Bは、イイクニつくろうカマキリ幕府の順番だぞぉ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 樽のナビは、そう言いながら、なおもスイッチを連続で押して、作戦Bの始動を試みていた。しかし、彼らがどんなに頑張ろうとも、後続の車は見当たらず、どうもいまだしんがり を守っているらしい彼らに邪魔されるシューターは、一台もいないようなのであった。
Section 3:Families
 その部屋の中には、首をうなだれて小さなテーブルに向かって座っている少女と、その向かい側に無精ひげの男性、そしてその二人の様子を見守っている女性がいた。 テーブルの上には小さなランプがひとつと、男性がつけている調書があった。そして、殺風景な部屋の中には、小さな明り取りの窓がひとつあるだけで、調度品らしきものは何も 無かった。ただ、規則的な振動と音があることが、彼らのいる場所が列車内であることをあらわしていた。
 「要するに、だ。君が物音に気づいて扉を開けたときには、被害者はすでに肉塊に化けていたと。そして、しばらくの間居眠りをしていたせいで、それ以前の物音は何も聞こえ なかった。そういうことですね。」
 「はい。」

 無精ひげの男は、テーブルの上に身を乗り出し、うつむいている少女の顔を覗き込むようにしてたずねた。彼は、大陸横断鉄道に常駐勤務している鉄道警察であった。 横で様子を見ている女性は、婦警に違いなかった。彼らは、列車内で起きた殺人事件について、目撃者の取調べを行っているところであった。
 シェリルは、同じような質問を表現を変えつつこれで3回もされていたので、いい加減ウンザリとしていた。彼らが考えていることは、大体想像できた。被害者のいた部屋の前に、 刃物を持った女性がいて、それはレイピアだから斬殺するのはほとんど不可能なのだが、それでも武装している乗客は少ないし、その数少ない乗客が被害者の直近にいたら、 誰でも容疑者として疑いの目を向けるだろうと。

 「私は、モンスターレースのチームリーダーとして、シェイドに情報を伝える役目をしていました。武装しているのは、私がチェロンの王族であり、特別にカール帝国から 認められているからです。それは、列車に乗るときにも確認済みです。」
 「あぁ、レース、モンスターレースですね。あれは、ファクトリーで移動するのではないですか。それに、他のクルーはどうなすったんで?あなた一人?」
 刑事の言葉はもっともであった。彼女は、ファクトリーは油くさいのでやめたのだった。なんと不運なことだろうと彼女は思った。国を失うことといい、ヴァンパイアにいろいろ ちょっかい出されることといい、この事件のことといい、まったくついていない。

 「ふむ、いいでしょう。そろそろお昼ごはんの時間ですし、このくらいにしておきますか。」

 シェリルは、ほっとして席を立った。すると、刑事があわてて言った。

 「あぁ、あなたは一応重要参考人ということで、私どもの監視を付けさせていただきます。高貴な身分の方に対して失礼かと思いますが、ご了承ください。監視は、 ここにいるルノー婦警が担当いたします。では、また後ほど。」
 また後ほど?彼女は、この無意味な時間が引き続き継続されるかと思うと、胃のあたりがずっしりと重くなった。そして、気晴らしにじょたと話をしようかと思ったが、 スリムで筋肉質の婦警の横でグチをこぼしたくないし、婦警がいなかったとしても、あの憎たらしいヴァンパイアに弱みを見せるのはいやだった。彼女は、ふぅとため息をつくと、 にこやかな表情をして近づいてくる婦警を見た。彼女は、自分の名がルノー・クールライムであると自己紹介をすると、シェリルの手をとり彼女を食堂車に案内した。案内をする 彼女の指には、金の指輪がはめられていた。
 砂埃を上げて失踪する猛獣形をしたシューターが、横滑りしながらカーブを曲がっていった。1台、2台、ときには、3、4台連続ですりぬけていく。みな、車体をわざと横滑り させてカーブの出口に車体の角度を合わせると、アクセルを踏み込んで加速しているようであった。先頭から数えて20台目くらいに、かたつむりのような形状をしたシューターが 通りすぎていった。それは、チャイムとじょたの乗っているシューター、かたつむり号であった。
 じょたは、もう、生きた心地がしなかった。さっきからシェリルとの通信はとれないし、チャイムの運転は荒っぽいからである。といっても、彼女のドライビングテクニックは 最高で、理にかなった運転をしているらしかったのだが。じょたは、これで何度目になるか分からない定時連絡を、シェイドリーダーのシェリルに対して行っていた。
 「だめだ、どうしてもつながらないよ。どうしたんだろう。」
 「ベンピでなかなか出てこられないのかもね。はははははは。」

 チャイムは、大声で笑った。最初の難関である火山迂回のステージは、火山灰の降り積もったくねくねヘアピンカーブに差し掛かっていて、道に迷うことは無いけれど一瞬の判断 ミスがコースアウト、即死、という危険極まりない状況になっていた。じょたは、おなかがすいてぺこぺこであった。これで夕方まで飯抜きなんて、コースアウトしなくても死ん でしまうかもしれないと思った。そして、大食いのシェリルのことだから、きっと食堂でお皿の上の物体と格闘しているに違いないと思うことにしたのだった。
 「相棒よ、今どのあたりだ。」

 そう言ったのは、細長い馬面の男、ポンニュイであった。どのあたり、というのは、どのくらいの順位になっているかという意味である。

 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。大体100番くらいっしゅねー。」
 「おぉ!結構順位が上がっているじゃねぇか。」

 野良猫のえさのような、魚の骨マシーンに乗った二人組みは、DoKoDoKo団の二人組み、ポンニュイとサルボンヌであった。彼らは、スーパーマシーンの能力をつくして、 反則すれすれの能力をつくして、着実に順位を上げていた。

 「あのお方から何か連絡は?」
 「ないっしゅねー。」
 「そうか。こっちの判断に任せる、ということだな。」
 ポンニュイは、レバーをぐいと引くと、車体をぐんぐん高くして、車輪が細長い骨によって支えられているのだが、(まるでテーブルが走っているかのようだ)そうして前の シューターを追い抜いた。

 「どぅだ!これで百番以内に躍り出ただろう!」

 今にも、ひひぃーんといななきそうな表情でポンニュイが言った。樽のように太ったサルボンヌは、何か言いかけたがやめておいた。彼は、ぽりぽりと携帯用食料を食べながら、 車窓を楽しそうに眺めていた。彼は、百番でも二百番でもたいした違いは無いという言葉を食料といっしょに飲み込んだ。彼らの目的は、レースに勝利することではないのだ。
 大陸横断鉄道のビュッフェでは、衆目を一身に集めている美少女がいた。これで何皿目か分からないが、数えてみるとちょうど10皿だったが、骨付き肉をほおばる美少女は、 亡国の姫君であり、チーム・シェイドのリーダーである、シェリル・フル・フレイムであった。彼女は、ストレスで胃の調子が悪いから、今日はこのくらいにしておこうと思って、 骨付き肉を10皿食べたところで一息ついた。ふぅ、列車内の食事にしては、なかなかいけるわね。

 その彼女の食べっぷりを、興味深く眺めている男性がいた。まぁ、たいがいの乗客は、ほっそりとした美少女が大食いしていたら興味深く眺めるのだが、サングラスをかけた 彼は、皆とちょっと違う目で彼女を見ていた。そして、ぼそりとつぶやいた。シェリー、と。
 夕方になった。その日のゴール地点、カスタネット・リヨンのゲートには次々と猛獣形のシューターがゴールインしてきた。じょたたちの乗ったかたつむり号も19位でゴール した。初参加にしてはなかなかの順位である。彼らは、ファクトリーの待つエリアに移動すると、クルーにシューターの整備を任せて夕飯をとることにした。
 「じょた、私のパパよ。」

 そう言って紹介されたのは、ダークグレーのスーツに身を固めた、銀髪の紳士だった。彼は、じょたに握手を求めると、彼の小さな手をぎゅっと握り締め、娘が世話になって いますと言った。そうして、家族を紹介するからと言って、じょたの肩に腕を回すと、彼と肩を組みながら家族の方へ歩いていった。チャイムは、がらにも無く恥ずかしそうに しながら彼らの後をついていった。

 彼女は、いつもとは全く異なる態度で、シューターに乗っているときの彼女からは想像もできないほどおしとやかに、おしとやかっぽく家族の前で振る舞っていた。彼女は、 まず自分の父親を紹介すると、次に母親と兄、そして妹の赤ちゃんを順番に紹介していった。
 「まあ、あなたがじょた君なのね。娘からお話は伺っておりましたが、またずいぶんとかわいらしい婿殿ですこと。」
 「むむ、ムコどの?」

 じょたは、思わず食べかけの焼き魚を噴出すところであった。チャイム、一体君は僕の事を家族になんと言っていたの、と言いたいのをぐっとこらえると、彼はにこやかに微笑 んだ。ちょっとぎこちない表情だったが。
 「疲れたのなら、ファクトリーの中で眠るがいい。部屋を用意してあるから。もっとも、娘の部屋もあるから、君の部屋は必要無かったかな。がははは。」
 「もう、パパ!」

 チャイムは、顔を赤らめてふくれっつらをした。ほんと、いつもの彼女からは想像もできないとじょたは思った。
 「君が、じょた、か。」

 キザな男、チャイムの兄が、じょたを値踏みするように見た。そして言った。

 「ふむ。まぁ、妹のことは頼むよ。」
 「ほほほ、では、私どもはお邪魔でしょうから、二人っきりにしてさしあげましょう。」
 「おぉ、そうだなリーフよ。ワシとしたことがうかつであった。じょた君、ウチの娘は、その、ちょっと普通の娘と違うところもあるかもしれないが、父親の私が言うのもなんだが、 いい娘だと思うのだよ。だから、娘をよろしく頼む。さぁ、後は若いもの同士の時間だ。好きにするがいい。がははは。」
 落雷のような豪放な笑いとともにチャイムの父は立ち去った。なんとも話の分かるお父さんのようであった。じょたは、ほんの一瞬、自分がこの家族の一員になっても良いかな、 と思ってしまった。気がつくと、チャイムが彼の手を握って隣に腰掛けていた。あたりはすっかりと暗くなっていて、彼らの前で燃えている焚き火だけが、ちらちらと彼らを照らし 出していた。
 シェリルは、彼女の横で本を読んでいる女性が、気になって仕方がなかった。ルノーは婦警であり、その職務を全うするため、殺人事件の重要参考人であるシェリルを見張って いるのだ。それは分かる。しかし、時折見せる彼女の表情は、それ以上の何かがあることを物語っており、それは彼女が見せた次の行動ではっきりと分かった。

 「あなたの手、白くて滑らかな肌をしているわね。」
 「はぁ。」

 ルノーは、シェリルの手を握ると、あらわになった肩から手首までをゆっくりとなぜた。シェリルはすばやく手を引っ込めた。
 「そ、そろそろ、眠りたいんですが。」
 「いいわよ。私は、ここで見張っているから。」

 何ですって!シェリルは、この女と一つ屋根の下で眠るのはまっぴら御免だったし、眠いというのもうそなので、今夜は絶対眠れない、眠るもんですかと思った。

 「ちょっと、お手洗いに行きたいんですが。」
 「また?えぇ、行っていらっしゃい。よく食べたものね。おほほほ。」

 シェリルは、いっぺんに頭に血が上ったが、彼女の言うことももっともなので何も言わずに部屋を出た。部屋の外へ出た瞬間、彼女は何者かに羽交い絞めにされて、 口もふさがれた。そして、ものの何秒もしないうちに、隣の部屋へひきずり込まれた。彼女は必死に抵抗したが、背後から抑え込まれている力には全くかなわなくて、 もうだめだと思って抵抗するのをあきらめた。
 「すまん、シェリー。オレだ。おまえの、あんちゃんだよ。」

 シェリルは、涙目で後ろを振り返ると、サングラスをかけた男の顔をよく見た。彼は、サングラスをはずすと、にっこりと微笑んだ。自然と、シェリルの右腕は自由になった。 彼女は、その自由になった右腕に、渾身の力を込めると、スナップの効いたびんたをサングラスの頬に叩き込んだ。
 「あららぁ」

 サングラスの男は、シェリルのびんたを食らってバランスを崩した。そして、続く連続攻撃、山突き+ボディブロー、フェイントを加えての水平ひじうち、 そして後ろ回し蹴りから回し蹴りへのコンビネーションを立て続けに食らっていった。彼がサングラスをはずしたのは、不幸中の幸いだった。パンダちゃんのような目玉に されても、サングラスでそれを隠すことができたからだ。

 「あ、相変わらずのじゃじゃ馬ぶりだな、シェリーよ。」
 「どこに、行っていたのよ。」
 「すまん。」
 「その言葉は、聞き飽きたわ。」
 シェリルは、荒い呼吸で自分の兄を見下ろしていた。出奔していた兄、メリル・エル・フレイムを。

 「すまん。オレのいない間に、あんなことになるなんて。」

 メリルは、うなだれて、しわがれ声で言った。サングラスで隠された瞳からは、涙があふれ出ているようであったが、シェリルからは見えなかった。彼は、彼なりに、 自分が国を出奔している間に、竜族によって国を奪われてしまったことに対して反省しているようであった。もっとも、彼がいてもいなくても、戦力差の大きい竜族と戦争をして、 勝つことはできなかったのだが。
 「そうだ、シェリー、聞いてくれ。俺たちの国を滅ぼした張本人が、この列車に乗っているという情報をつかんだんだ。」
 「何ですって!?」
 「やつは、まだ若いのだが、若い人間の例に漏れずシューターに目がない。そこが目の付け所だ。レース観戦しているところを狙えば、不意をつけば、うまくいくだろう。 もう、仲間が何人も返り討ちにされているが、今度こそは間違いなく、オヤジの敵を討つことができるさ。」

 シェリルは、悲しい出来事を思い出してうつむき、そして首を振った。
 「そんなことをしても、お父様はお喜びにならないわ。それよりも、私にあてがあるから、その方を頼って外交的に竜族を撤退させたほうがいいわ。」
 「そうか。…しかし。…うむ。」

 メリルはしばらく考えていたが、ニコリと微笑むと言った。

 「分かった。お前の言うことが正しい。して、その頼れる人というのは誰のことだい?まさか、例のお付の少年のことじゃぁないだろうね。」
 「じょたのことを知っているの?」
 「あぁ。会ったことは無いが、噂は耳にしている。亡国の姫君と、その、恋人の話をね。」

 メリルはニヤリと口元をゆがめた。

 「まぁ、いいさ。お前ももう年頃だし、そんな相手がいてもおかしくは無い。しかし、それも国を取り戻すまでの話だが。」
 シェリルは、兄の話を聞くと、胸がツキッと痛んだ。そうなのだ、彼女、もしくは彼女の兄が国を復興させれば、じょたとはもうそれっきりなのだ。 彼女は、急に現実を突きつけられて、目の前が暗くなった。

 「ところで、その、誰なんだ?あて、というのは。」
 「あ、えぇ。その方は、ファンネル・バウムという、貴族の…」

 シェリルが、そこまで言ったとき、メリルは顔色を変えて立ち上がった。

 「そいつだ!そいつが俺たちの国を滅ぼした張本人だぞ。」
 「うそ!?そんなのうそよ。そんなはず、無いわ。」
 シェリルが、兄の話を聞いて衝撃を受けていたころ、列車内では二つ目の殺人事件が起きていた。翌朝、彼女はこの新たな殺人事件について、刑事と婦警の取調べを受けること になった。鑑識の結果、事件は彼女が婦警の前から姿を消して戻ってくるまでの間に起きたということが判明していたからだ。彼女は、自分のアリバイを証明してくれる唯一の存在、 兄の話をすることはできなかった。
Section 4:Lovers
 モンスターレースもいよいよ大詰めになってきた。難コースに耐え抜いたマシーンは、ザハラ、ルーク・ソル、アフリッシュ、そして最終ステージのシャールム・イエル・ シェイクへとたどりついていた。この最終ステージこそが、モンスターレースで最高の難易度であるスペシャル・ステージであり、また最後の逆転ができるチャンスステージ でもあった。と、いうのも、このステージはフリー・ステージとも呼ばれていてコース制限が無く、舗装されたコースが山を迂回してゴールまで大きく回りこんでいるため、 ショートカットコースを使用すればかなりの時間を短縮できるからだった。しかし、そんなにうまい話があるわけは無くて、ショートカットをするためには巨大な障壁を越え ねばならなかった。いわゆるベリリウム断層帯と呼ばれる巨大な壁である。断層帯の平均垂直高さは50m程度、最高では100mに達する場所もあり、ほぼ垂直な壁となっ ているその障壁を降りられるシューターはほとんど無いし、またあったとしても、そのような能力を持ったマシーンとドライバーならば、難コースを使用しなくても勝利する ものなのである。
 青い髪をした小柄なナビゲーターは、おびえた目をしてクレイジードライバーと化したヴァンパイア少女を見ていた。彼は、ドライバーに最終ステージの危険性について 何度も説明をしていたが、ドライバーの女性に策があると言われてしまって、途方にくれていた。チームリーダーのシェリルとは、あれ以来全く交信できなかったし、チャイム はうれしそうにしているけれど、大陸横断鉄道の中で殺人事件が起きたということを風の便りに聞いていたので、不安はつのるばかりであった。レースのほうは、チャイムの ドライビングテクニックで、なんとか10位入賞くらいはできそうなので、無理して優勝を狙う必要も無さそうなのだが、そんな意見を彼女は受け入れなかった。
 「絶対優勝してやるわ。そのためにはフリーステージの特色を活かして、ショートカットコースを通る必要があるのよ。」
 「でも、90度の壁をどうやって降りるの?空を飛ぶのはルール違反なんでしょう。」
 「大丈夫。このマシンなら行けるわ。そのためのマシンですもの。」
 じょたは、運を天に任せるしかないのだと思い、文字通り運転を任せているのだなぁと思ってみたりしていた。シューターは、とうとう緑のうっそうと茂った森林地帯に さしかかった。この森林地帯を抜けると、目指すベリリウム断層帯が待ち受けている。そのとき、じょたは、ナビ用のルームミラーの中に、妙な形状をしたマシンが映っている ことに気がついた。そして自分たち、というよりもチャイムと同じことを考えているドライバーがいるのだということに少し嬉しくなったが、それでも相変わらず垂直の壁を降りる ことには変わらないのだと気がつくと、やっぱり気が重かった。
 シェリルは、この2週間くらい、ゆっくりと眠ることができないでいた。それは、列車のベッドがあまり上等とは言えないという事もあったが、付き添いで同じ部屋に寝泊り している女性が気になって仕方が無いからであった。気になるといっても、好きだというわけではない。いや、むしろ彼女は嫌いなタイプだ。ねっとりと絡みつくような視線が いやらしいし、やたらと自分の体に触ろうとするからだ。婦警でなければ殴り倒しているところだが、重要参考人となっている自分にはできないことであるし、自分を犯人では ないと信じてくれていることだけは好感が持てたので我慢していたのだった。
 あれから捜査は行き詰っていた。犯人の痕跡も見つからなかったし、動機もはっきりとは分からなかった。被害者にも接点が無い。手帳に書き込まれた小汚い文字を眺める男は、 鉄道警察の男ロッドであった。彼は、デッキにあぐらをかいて座ると、乗客のひんしゅくをかっているのにも気づかずにあぐらをかいて座ると、キャップの取れたペンで首筋を ぽりぽりとかいて、自分の首筋に斜線をいっぱい描いていた。
 怪しい人物は何人か存在していた。要人暗殺を企てているものが忍び込んでいるという情報もつかんでいた。要人といえば一人しかいないので、彼の周辺にはガードを配して おいた。そう、要人といえば、容疑者の一人のシェリルも身分が高い要人であったが、彼女にはルノー婦警をつけておいたので大丈夫であろうと思う。状況から判断すると彼女 は怪しいが、彼は彼女が犯人であるとは思っていなかった。彼の刑事としての勘がそう告げていた。彼女には動機が無い。精神異常のやからが妙な事件を起こしたり、おかしな 宗教にはまっている連中が騒動を起こすこともあるが、彼女と話をしたかぎりではそんな様子は感じられなかった。怪しいといえば、ルノー婦警も怪しかった。彼女は、このモ ンスターレースの警備のために、増員配置されていた人間のひとりであった。彼は、増員された人間の顔を一人残らず記憶していたはずだが、この婦警の顔だけははっきりと思 い出せなかった。彼女の顔に、ぼんやりとモヤがかかったようになって思い出されるのである。誰かが彼女とすりかわっているのではないか、という気がしていた。しかし、そ れを確認しようにも、確認できる人間は本庁にしかいないので無理であった。手持ちの写真は、確かに彼女の顔であったが、彼はどうもすっきりしない気持ちだった。
 彼が、デッキの隅っこにあぐらをかいて座っていると、車両連結部から澄んだ鈴の音が聞こえてきた。ひゅぅ、ちりちり、ちりん。そんな風に聞こえた。彼は、はてなんの音 だろうと思ったが、特に気をつけるべき音でもないと思い、また思考の底に沈んでいった。そして、また同僚のルノー婦警に記憶がたどり着いたとき、彼女の身に付けていたア クセサリーに思いが至った。確か、彼女は、お椀と細長い箸みたいなもの、おみくじ付き風鈴?とか言ったか、それを腰にぶら下げていた。彼は、不思議な趣味だと彼女に言っ たが、彼女は今までに引いた大凶のくじをぶら下げて厄除けしているのだと言っていた。あの、金属棒の特製おみくじが揺れるとこんな音がするのではないか。そう思った瞬間 、彼はばねのように跳ね起きて、車両連結部に向かった。
 いやな予感がしていた。白いワンピースに着替えた黒髪の少女は、ベッドに腰掛けると自分の髪をもてあそびながら考え事をしていた。彼女は、自分がシャワーを浴びている間 に、ルノーがいなくなっていることに不安を感じていた。彼女の身に何が起こっても、自分の関知するところではなかった。しかし、彼女が、自分の見ていないところで何かをし ている、ということに、なぜか不安を感じるのだった。彼女は、こっそり魔道感知の呪文を唱えてみた。すると、背筋がぞくりと寒くなった。強力な魔道が、すぐ近くで感知され たからだ。
 「ルノー!」

 無精ひげの男、ロッドは叫んだ。彼の目の前には、刃渡り90センチはあろうかという長剣を握った同僚の姿があった。そして、その同僚の前には、無残にも肉塊と成り果てた、 あわれな犠牲者が横たわっていた。なぜ、今まで気がつかなかったか。ロッドは思った。畜生!犠牲者が、ほとんど一撃で絶命させられていた理由も想像できた。警察官に背後 から不意打ちを食らうなどとは、誰も考えないだろう。死体は、全て肩口から心臓にまで達する傷が致命傷となっていた。体を切り刻んだのはその後だ。そうでなければ悲鳴を 上げられるし、抵抗されるかもしれないし、殺害に時間を要して誰かに目撃される恐れがあるからだ。彼は、彼女が自分の左手の中に、まるで長剣を鞘に収めるようにしてしまい こむのを見て、凶器をどうやって隠していたのか、という事についても理解した。
 「ルノー、なぜだ。」

 ただひとつ、動機だけは分からなかった。しかし、これは、ノーマルな人間である自分には理解できないことかもしれない、と彼は思った。これは彼の勘だった。 そして、その自分の勘が、自分自身に危険が迫ってきているというサインを、激しく出しまくっていた。

 「青い髪の坊やに、礼をしてやりたかった。」
 「誰だ?そいつは。」

 「あの少女を切り刻めば、青い髪の坊やは悲しむでしょう。目の前でばらばらに切り刻んであげれば、地団太踏んでくやしがるでしょ。ふふ。」

 「お前は、狂っている。」
 ロッドは、のどが渇いてからからだった。彼の武装は、長さ50センチ程度のショートソード、帝国軍標準装備のやつだ。それと、貧弱な投擲兵器としてダーツが2,3本、 それと目くらましの閃光を発する魔道具のみであった。とても剣術の達人とまともにやりあえる装備ではない。そのとき、彼の背後で誰かが悲鳴を上げた。彼は、ビクリとして 一瞬ルノーから気をそらしてしまった。まずい、と彼が思ったときはすでに、心地よい花の香りが目前に迫ってきていて、居合い抜きの要領で抜かれた長剣が、彼の胴体に叩き 込まれていた。
 がづんというか、ぎぃんという大きな音が聞こえた。彼女は、それが何の音であるかすぐに理解した。聞きなれた音だからだ。ワンダリングモンスターとの戦闘で聞きなれて いる音。金属よろいと剣のぶつかる音である。白いワンピースの少女、シェリルは、左手にはめられた魔道の指輪を確認すると、気持ちを落ち着けて精神を集中し、起こりうる 事態を想定すると、詠唱すべき呪文のリストを思い浮かべ、部屋の扉をすばやく開けて通路に躍り出た。
 「うぅ、お。」

 無精ひげの男は、胸に強烈な衝撃を感じると、そのまま吹き飛ばされた。彼がなんとか生きていたのは、帝国軍標準装備の鉄の胸当てが役に立ってくれたのと、本能的にバック ステップしていたことによる。それにしても、とても女性の力とは思えなかった。彼は、このまま彼女の連続攻撃を食らえば、自分が助からないことを確信していた。彼の装備、 そして彼の剣術の腕前では、とても彼女に歯が立たないだろうと思っていた。畜生!彼が、覚悟を決めてルノーをにらんだとき、彼女の顔面に強烈な火炎が炸裂した。ネイル・ ファイアだ。
 「こむすめが!せっかく、生かしておいてやったのに。」

 顔面がどろりと溶けたルノーが、獣性をむき出しにして白いワンピースの少女をにらみつけた。彼女は、シェリルがすでに次の呪文を詠唱しだしていることに気づき、そして 自分が対魔道装備をしていないことを呪うと、扉を開けて車両から飛び降りようとした。そして、一瞬躊躇して踏みとどまると、彼女のほうを振り向いた。

 「青い髪の坊やは事故で死ぬさ。絶対に。私がとどめをさしておくから。」
 「そんなこと、させない!」

 シェリルは、続く呪文を完成させると、ルノーに叩き込んだ。閃光弾であった。しかし、ルノーはすばやく列車から飛び降りてしまい、シェリルの放った閃光はむなしく壁に 当たって消えてしまった。
 がりがり、がりがり、ががっ。青い髪のナビゲーターは、久しぶりに花の形をした無線機が音を出しているのに気がついた。そして、そこから懐かしい声が聞こえてきたのが嬉 しくて仕方なかった。たとえ、これから崖を垂直に下らなくてはならなかったとしてもである。

 「こちらシェイドツー、ずっと連絡が無かったから心配したよ。」
 「じょた、無事だったのね。よかった。」

 しばらく、無線機からは何も聞こえてこなかった。

 「こちらシェイドワン。なにやってたんだ!」
 「ごめんなさい」
 じょたとチャイムは、思わず顔を見合わせた。気の強いシェリルらしからぬ発言である。やはり、何かあったのかとじょたは思った。でも、まぁ、お互いに無事ならいい。 これから無事でなくなる可能性もあるけれど。

 「こちらシェイドリーダー。よく聞いて。あなたを狙った殺人犯が、レースを妨害しているわ。ファイナルステージの公道で、大事故が発生したの。それは、殺人鬼の起こ した事故で、…」
 「こちらシェイドワン。言っていることが理解できない。どうぞ。」
 「チャイム。じょたの命を狙っている人がいるの。その女は、じょたがレースの先頭にいると思って、コースに細工を施して事故を起こしたわ。シューターは、 ほとんど火達磨になって。でも、彼女は、じょたがそこにいないことに気づくと、彼を探しに行って、…」
 「シェリル、落ち着きな。」
 「チャイム、お願いよ。じょたのこと、たのんだわよ…」
 通信は、そこで切れてしまった。列車がトンネルにでも入ったのだろう。山がちのカール帝国ではしかたの無いことだった。しかし、じょたは自分が命を狙われる理由がよく 分からなかったし、もちろん狙っている相手にも心当たりが無くて、不安な気持ちが胸の中に広がってきた。

 「じょた、何か心当たりはあるの?」
 「無いと思うけど、分からないよ。」
 「何かの逆恨みかもね。」
 そういえば、と彼は思い出した。以前、チャイムの妹、赤ちゃんを助けたときに、妙な老人に命を狙われたことがあった。しかし、シェリルは彼女と言っていたから、 それとは関係ないだろうと思った。それに、こんな山奥に殺人鬼が現れるとしても大分時間がかかるであろうし、たぶん現れないと思うのだが、シューターに乗っていれば 直接攻撃を食らうことは無いわけで、まず安心である。また、道にしかけを施して事故を起こさせようにも、道なき道を進んでいるシューターの行き先を読むことはほとんど 不可能であるから、まず問題はないものと思われた。それよりも、垂直の崖をシューターで飛び降りるほうが、間違いなくあの世行きになるんじゃないかと思うと、 じょたは身震いをした。その飛び降りる予定の崖が、もう目の前に迫ってきていたからだ。
 「相棒よ。前のマシン、なかなかやるなぁ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」
 「一発逆転を狙うなんざぁ、漢と書いて、男だぜぇ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 野良猫のえさのような、魚の骨を模したマシンが、かたつむりの後を追いかけて岩と岩の間を爆走していた。白い煙をほこほこと吐いていた尻尾からは、いまやごうごうと 火を噴いていて、文字通りの爆走であった。それは、馬面のポンニュイと樽男のサルボンヌの愛機、鼻先にDoKoDoKo団のマークが入った旗がはためいている、ボーン フィッシュ号であることは言うまでもない。彼らは、前のシューターに近づいては離れを繰り返していたが、かたつむりのドライバーは相当肝の据わった人物なのか、精神的 な揺さぶりに動じる様子は全く無かった。走り屋のポンニュイは、そんなドライバーと一騎打ちが楽しめるのが嬉しくて仕方が無かった。
 「ところで、相棒よ。あのお方からはまだ何も、か?」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」
 「てぇことは、作戦は失敗か。ふむ、兵家の常ってやつかね。仕方が無い。作戦通り、あのお方を拾って国境を突破だ。トンヅラするぜぇ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

ポンニュイは、相棒がニコニコしながら、まるでゴーカートに乗っているのを楽しむかのようにして、高速で走り去る岩々を眺めているのをチラリと見た。一歩間違えれば、 一瞬のハンドル操作のミスで岩に激突する、危険極まりないコースだというのに、全く動じることなく非常食を食べているサルボンヌを見ると、こいつもなかなか肝の据わった やつだと思った。そして、目の前に迫る、まるでジェットコースターの発射台か、あの世に続く階段のような上り坂をすっ飛んでいくかたつむりを見て、ひゅぅと口笛を吹いた。
 「お遊びはここまでだ。安全確実な方法で例の場所に出るぜ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」
 「しかし、若いってぇのはいいねぇ。あの崖にチャレンジするたぁねぇ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」
 「おまえ…、ほんと…、そればっかな。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 樽男は、ニコニコと微笑むと最後の非常食をごくりと飲み込んだ。そして、馬面はブレーキを踏んで減速すると、DoKoDoKo団のマークのついたスイッチを押した。 ボーンフィッシュ号は、骨を伸び縮みさせて、ぐにょぐにょと変形していき、いっぱい足の生えた魚の骨になった。そして、それらの骨が地面に突き刺さると、ムカデのように ざわざわと移動した。これが彼らの壁攻略法であるが、速度はせいぜい時速10キロ程度であり、かたつむりにあっさりと引き離されてしまったのだった。
 その崖のてっぺんで、急ブレーキをかけたシューターは停止した。エンジンが停止して、静まり返ったシューター内部には、窓の隙間からごうごうと侵入する風の音、 どこか遠くで鳴いているぴぃーゆぅーというトンビの声、そしてぽろぽろと小石が崩れ落ちていく音が聞こえた。じょたは、ぶるると身震いすると、窓の外に広がるランド スケイプを眺めた。正面右手には、遠くにうねうねと曲がりくねって伸びている河川が見えた。その河川には、小さな橋がいくつも架かっていて、それがファイナルステージ のコースなのだが、そのコースの途中から黒煙がもくもくと立ち上っているのが見えた。そこがシェリルの言っていた事故現場のようだった。じょたは、ゴールのあるべき方向 を眺めた。そこは、この崖を下った真正面に当たるが、確かにうねった正規ルートから見れば、直線距離は3分の1程度に短縮されるはずであった。でも、彼が恐る恐る覗いた シューターの直下には、ほぼ90度の勾配の崖が待ち受けているのであった。
 暑苦しいヘルメットをはずしたヴァンパイア少女チャイムは、シューターの起動スイッチを押し込み90度左回転させた。ぎゅるぎゅるという普段とは異なるエンジン音が 聞こえてくると、かたつむりの螺旋の背中がかちゃりと開いた。そして、その螺旋の中に装備されたファンが勢いよく回転しだした。チャイムが、さらに起動スイッチを180 度左回りに回転させると、いつもの重低音が響き始めた。重金属イオン駆動の音だ。
 「よし!いくわよ!」

 じょたは、フロントガラスの向こうに見える景色が、すぃっと視界の上の方に移動していくのを見た。そして、目の前に50m先に広がる崖下の森林が見えてきたとき、 首筋から背中にかけて、なんとも言えない筋肉の硬直が伝わっていくのを感じた。彼は、体をこわばらせて、重力が彼を地上へ叩きつけるであろう、その最初の牽引力を 待ち受けた。確かに、彼の体は地上に向かって引っ張られていた。顔の前面に血が集まってくる感じがする。しかし、シューターは、彼の予想に反してのろのろと斜面を下って いた。彼は、ドライバーの方を横目でチラリと見た。体を動かすことはできなかった、その瞬間に地上に向かって落ちていきそうだったから。
 「へへーん。じょた、すごいでしょう。」

 チャイムは、無邪気な笑顔を見せると、じょたの肩をばんばんと叩いた。彼は、びくりとして表情を引きつらせたが、いっこうにシューターが地上に向かって落下していかない ので、少し気持ちに余裕が出てきた。

 「じょた、このマシンはね、ホバークラフトの逆理論で壁に吸い付いているのよ。浮き上がるんじゃ無くて、壁に吸着しているのよ。」

 なるほど、この様子を外から見れば、かたつむりのように見えるかもしれない。マシンの形状と能力が一致しているすばらしいシューターだと彼は思った。ただ、吸い付いている 岩ごと落下するのではないか、という一言だけは彼女に伝えることはできず、相変わらず危険な状況には変わりないなと彼は思っていた。
 そのとき、じょたは背後の螺旋の中で、ちゃりんという悲しい金属音を聞いたような気がした。その音がスイッチだったかのように、彼の周囲の時間はゆっくりと流れ出した。 彼の体はふわりと空中に浮かんだ気がした。そして、そのまま地上に向かって吸い寄せられていった。そう、これが重力加速度であり、自由落下というものなのだ。彼は、 恐怖に顔を引きつらせてヴァンパイア少女の方を見た。彼女も目を大きく開いて、スイッチをぐりぐりと回転させていた。しかし、彼らの背後で轟音を上げて回転していた ファンは、今はただ惰性で動くのみであり、シューターを壁に吸い付ける能力は無くなっていた。
 「クソッ!どうしたんだ。こん畜生!動け、動け!」

 チャイムは、予備のファンを回転させると、シューターの姿勢を制御しようとしたが、すでに自由落下に入っているマシンを立て直すほどのパワーは、予備のファンには 無かった。彼女は、自分はヴァンパイアであるから、この程度の落下では死なないことを確信していた。しかし、彼女のかわいいハズは、隣で驚愕の表情をしている青い髪 のナビゲーターは、そうはいかないだろうということもまた確信していた。40から50mもの高さから落下すれば、彼の肉体はばらばらに砕け散ってしまうに違いない。 垂直壁を降りるように設計されたシューターであるから、特別製のエアーバッグが装備されているけれど、この高さでそれがどれほどの効果を発揮するか疑問だ。
 「チャイム、お願いよ。じょたのこと、たのんだわよ…」

 チャイムの頭の中に、シェリルのか弱い声が聞こえてきた。畜生!分かってるよ。分かってる。

 「チャイム、お願いよ。」

 彼女の頭の中に、シェリルの声がひときわ大きくこだました。

 「えーい!私はこんな役回りばっかりだ!」

 チャイムは、そう言うと青い髪の少年に覆い被さった。自分の体で、どれだけショックを吸収してあげられるか分からないけど、と彼女は思った。
 がりがりがりという岩盤の削れる音の後、どすんという衝撃があり、何か柔らかいものの中に体がめり込んでいくのを感じた。ガラスの割れる音、金属フレームの折れ曲がる音、 車内の装備が外れて叩きつけられる音、それから何か、想像するのもいやな、鈍いくぐもった音が連続して聞こえた。そうして、彼はしばし気を失った。

 彼は、自分を呼ぶ声で目を覚ました。耳元で誰かが自分を呼んでいた。彼は、ゆっくりと首を動かすと、ぬめったエアバッグをのけようと思って、手を伸ばした。 が、そこで、あることに気づいて体を硬直させた。確か、地上に近づく寸前、彼の前に覆いかぶさってきたのは…。チャイム!?じょたは、そのことに気がつくと、 はっきりと目を開けた。そして、血まみれになったヴァンパイア少女が、自分の盾になってくれたことを知った。
 「チャイム!」

 じょたは、口から血を吐いてうつろな目をしているヴァンパイアの少女が、目の前に横たわっているのを見た。彼女の背後には、真っ赤なエアバッグが膨らんでいたが、 そのエアバッグの周囲の色が黄色であることに気づき、真っ赤になっているのは彼女の鮮血のせいなのだと気づくと、パニックに陥いって癒しの魔道を詠唱し始めた。
 「だ、ぃじょうぶ、よ。私は、不死身の、ヴァン、パイア、なの、だから。」

 チャイムは、とぎれとぎれにそう言うと、げほげほと血を吐いた。尋常ではない出血だ。恐らく、折れた骨が肺に突き刺さっているに違いない。じょたは、自分の精神力と 生命力を1ポイント残して、全て彼女に注ぎ込んだ。彼の魔道は、シェリルの得意な神聖魔道ではなかったので、自分自身の生命エネルギーを消費しなければ対象を癒すこと はできなかった。回復する生命ポイントは、消費した自分の生命力×技能レベル×係数である。係数とは、基本消費メンタルポイントに対する消費率であり、基本消費ポイン トが5ポイントならば、10ポイント消費すれば2倍の効果が出ることになる。
 しかし、ここで、彼らは大変な幸運に恵まれていたということを、偉大なる存在に感謝しなければならなかった。不幸中の幸いというやつである。ヴァンパイアとは、 負の生命力を持った存在である。したがって、生命力を数値でデジタル表示したならば、マイナスで表示されることであろう。じょたは、ノーマルな人間であるから、 生命力はプラス表記される。そのプラスの生命力を、マイナスの生命力に注ぎ込めば、その生命力はゼロに近づく。生命力がゼロ、すなわち無の状態にである。人は、 その状態を死と呼ぶ。じょたは、自分の全生命力をかけてチャイムを癒した。したがって、彼女が本当にヴァンパイアならば、彼女はさらに大ダメージを受けて、 即死していたかもしれない。彼は、大切な友人の一人を、自らの手で殺してしまうところだったのだ。しかし、パニックに陥っていた彼が、そのことに気がつくはずもなく、 それがまた幸運であったというわけなのである。
 「じょた、ありがとう。」

 とりあえず、しゃべれるほどには回復した彼女のようであった。じょたは、くらくらと貧血を起こして、もう一度彼女のエアバッグの中に、彼がうずまっていた彼女の胸の中に 倒れこみそうになった。彼女は、そんな彼を支えようと、反射的に腕を伸ばした。伸ばしたはずだったが、彼女はただ苦悶の表情を浮かべるだけであった。彼女の両腕は、もう、 修復不可能なほどのダメージを受けており、レースを続けることはおろか、彼を支えることもできなかったのだ。そして、実はじょたも、彼自身自分では気がつかなかったが、 背中に大ダメージを受けていて、このまま放置されれば日没を待たずして死んでしまうに違いなかった。
 そのとき、じょたはシューターの外に近づいてくる人影を見た。それは、警察官のようであった。よかった。レースの関係者が助けを呼んでくれたに違いない、と彼は思った。 その婦人警官は、ゆっくりと彼らのシューター、かたつむり号に近づくと、じょたを外に引きずり出して、彼に癒しの魔道をかけてくれた。そして、車内で苦しんでいる少女を ちらりと見ると、突如取り出した長剣で彼女の胸を刺し貫いた。
 じょたは、その婦人警官の行動が理解できなかった。信じたくなかった。彼女が刺し貫いた場所は、チャイムの左胸であった。彼女は、ぶしゅっと血を吐いて、 びくりと体を震わせると、動かなくなった。

 「私の名はルノー。いえ、ヴォルトと言ったほうがよいかしら。あなたとお会いするのは2度目だけれど、覚えているかしら。私の秘密を知ったあなたには死んでもら わなければならないのよ。それにしても、自分の苦しみには耐えられても、人が苦しんでいるのを見るのはつらいでしょう?」
 彼女は、意味不明のことを言って、にやりと笑っていた。いや、彼女の言っていることは理解できるが、それがどうしたというのだ?それを実証するために、 それだけのためにチャイムを手にかけたのか?ヴォルト?あの老人?じょたは、体の中に怒りがこみ上げてきて、自分の体力も精神力も、もうほとんど残っていないという事を 忘れてしまっていた。あの老人と同じ名前のこの女が、彼とどういう関係なのか、ということももうどうでもよかった。憎い。心の底から憎いと思った。彼は、戦闘で数多くの モンスターを殺してきたが、それは自分と仲間の身を守るためであって、別に殺したくて殺しているわけではなかった。できれば、逃げていってほしいとさえ思っていた。が、 このときは、このときだけは、どうしてもこの女を殺してやろうという気持ちが、心の奥底から沸いて出てくるのを抑えることはできなかった。
 「このぉ!」

 じょたは、素手で彼女に飛び掛ると、彼女に右ストレートをお見舞いした。しかし、それは難なくかわされて、逆に彼女の空気投げで無様に地面を転がった。彼女は、 訓練を受けた兵士であった。素手の戦闘も得意だ。体格も女性にしては大柄で、小柄なじょたとは大人と子供ほどの違いがある。肉弾戦では、彼に勝ち目は無かった。 しかし、かといってこのままでは、チャイムが本当に死んでしまう可能性も高かった。今ならまだ間に合うかもしれない。自分の最後のメンタルポイントと生命力を注ぎ込めば、 チャイムを助けることができるかもしれないとじょたは思っていた。だが、この女がいては、それも難しいと思っていた。ルノーは、いやらしく顔をゆがめると、腕を組んで じょたを眺めた。そして彼女は、猫がねずみをいたぶって殺すように、じわじわと彼を痛めつけてやろうと思っていた。が、それは彼女の戦略ミスであり、即座に始末しておけば よかったと後悔することになるのだった。
 ポンニュイとサルボンヌは、崖の上からかたつむりが大破しているのを発見した。彼らは、大陸横断鉄道に乗った仲間、メリル・エル・フレイムを拾うために、 レースからはおさらばするはずだった。たとえ、目の前で何が起きようと、おばあさんが横断歩道を渡れなくて困っていようとも、捨て猫が箱の中で雨にぬれていても、 美しいレースクイーンが自分に向かってウインクしていても、全てを無視して忠誠を尽くした人のために約束の場所へ出かけるはずであった。

 「相棒よ。俺たちの目的はなんだったっけな。確か、平和な国を取り戻すことだったよな。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」
 「メリルの旦那なら、うまく逃げおおせるよな。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」
 「これしか、ねぇよな。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」
 彼らのマシーン、ボーンフィッシュ号は、変形して足がいっぱいムカデ君になったボーンフィッシュ号は、高速に移動することはできなかった。したがって、今にも殺されんと している少年を救うことは、このマシーンの能力ではできない。しかし、ひとつだけ方法があったのだ。

 「相棒よ。これしかねぇだろ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」
 「ほんと…、おまえ…、そればっかしな。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 DoKoDoKo団の旗がはためいた骨マシーンは、崖からジャンプすると、ルノーめがけて飛び降りた。勿論、彼らのマシーンがその高さから飛び降りて、 無事ですむはずがないのだが。
 ルノーは、勝ち誇った表情でじょたを見ていた。金の指輪は、装備した人間の心の闇を映し出す。殺しを楽しむ人間が装備すれば、その性質を120%引き出して、 さらに肉体的精神的にも強化して、無敵の殺人マシーンを作り出す。永遠の命を作り出さんとした、過去の大魔道の作品であった。だが、その作品も、人間のおごり、 油断を無くすことはできなかった。彼女は、何か空を切るような音に気がついて、それが、自分の頭上から近づいていることに気がついて、空を見上げた。が、そのときに はすでに、妙な形状をしたシューターが目の前に迫っていた。彼女は、避ける暇もなく、金属の塊に押しつぶされた。

 じょたは、金属の塊と化したシューターの下から、金の指輪をはめた白い腕がにょっきりと飛び出ているのを見て身震いした。そして、真っ赤な小川が、シューターの下から じわじわと流れ出てくるのを、しばし眺めていた。
 「そうだ、チャイム!」

 じょたは、螺旋が吹き飛んで大破したかたつむり号に駆け寄った。そして、彼女の胸に耳を当てた。かすかに、心臓がまだ動いているのが感じられた。まだ生きている。 じょたは、すかさず癒しの呪文詠唱に入った。しかし、すでに体力が尽きかけていた彼は、呪文を詠唱しているうちに、急速に意識が遠のいていくのを感じた。だめだ、 このままじゃ、チャイムが死んでしまう。眠ったらだめだ。と思うじょたの奮闘も空しく、収束しかけた魔道力はふわふわと拡散していった。しかし、彼は、突如うなじの辺り が熱くなるのを感じ、その熱い感覚がずんとおなかの中に降りてくると、体中に力がみなぎってくることが分かった。そして、拡散しかけた魔動力が収束し始めるのを感じた彼は、 全ての力を振り絞って彼女に癒しの呪文をかけてあげた。破けたスーツから見える彼女の傷口はみるみる小さくなり、ひしゃげた腕も元通りに修復されていった。そして、 彼女はすやすやと寝息を立て始めた。
 「グッジョブ!相棒よ。」
 「しょっしゅねー。まぁ、しょっしゅねー。」

 イカの形を模したパラシュートで、崖の途中に引っかかっている二人組みは、DoKoDoKo団のポンニュイとサルボンヌであった。樽男のサルボンヌは、 どうやら神聖魔道の使い手であったらしく、じょたにメンタルパワーを転送したものらしかった。直接チャイムを治癒しないところが、相棒のポンニュイの言うとおり グッジョブなのかもしれなかった。
 「じょた、レースどうなったろう?」

 目覚めたと同時に彼女は言った。この期に及んでまだレースですか、と言うじょたに、彼女はいくつか指示を出した。じょたが、ハンドルの下にあるレバーを引くと、 螺旋を取り付けていた台座が外れて、スリムなスポーツカーのような形状になったかたつむり号が現れた。落下のショックで大破したフロントボディも取り外された。 かたつむり号は、クサビ形をしたカッコいいシューターに生まれ変わってしまった。そして、彼がエンジンの点火スイッチを入れると、驚いたことにぎゅんぎゅんという 駆動音を発したのである。じょたは、チャイムをシューターに乗せると、ゴールに向かうと嘘をついて市内の病院へ向かった。
 「じょた、シェイクの町に入ったのはいいけれど、こっちはゴールの方向じゃないわ。」
 「病院へ向かっているんだよ。」
 「なんですって!だめよ、ゴールへ向かわないと。噛むわよ!」
 「病院で検査を受けたほうがいいよ。」
 「がぶっといくよ!」
 「それに、もう優勝は不可能でしょう。」

 と、彼が言ったとき、花形の通信機から懐かしい声が聞こえてきた。
 「こちらシェイドリーダー。調子はどう?生きてる?」
 「うん。なんとか。」

 じょたは、いろいろと言いたい事があったけれど、何から話していいのやら分からなくなってそう答えた。文字通り、なんとか生きていたから。

 「よかった。殺人鬼の特徴を言い忘れたので、気になっていたのよ。長ったらしいトンネルからなかなか出られなくって。いい、聞いて。その女は、婦人警官に化けていて、…」
 「シェリル。いいんだ。もう、いいんだ。彼女、死んだよ。」

 しばらく沈黙が続いた。

 「こちらシェイドツー。これから、重症を負ったチャイムを連れて、病院へ向かうから。レースは棄権するからね。」
 「えっ!?チャイムが、重症?」

 シェリルは、さも奇妙な話を聞いたかのように素っ頓狂な声を上げた。

 「そう、チャイムが、重症を…」

 そして、また同じセリフを繰り返した。
 「あたしはなんとも無い!」
 「ダメ!君がなんと言おうともこれから病院へ行って、検査をしてもらうからね。」
 「噛むわよ。」
 「いいとも。ヴァンパイアは、血をすえば元気になるんだろ。」

 ばか。一滴や二滴の血を吸ったって、元気になるわけがないでしょう、とチャイムは思った。蚊ではあるまいし。でも、たまには彼に甘えてみるのも、 悪くないかなと思うと、彼女はカーブの遠心力のせいにして体を彼に預けた。
 「ヴァンパイア!?」
 「近寄らないで!ウイルスに感染してしまう。」

 じょたが立ち寄った、市内最大の病院で、彼らは看護婦たちの手荒い歓迎を受けた。チャイムがヴァンパイアだから、誰も彼女を看ようとはしないのだ。 果てには、警備員をよばれる始末であった。じょたは、怒りで全身に震えが走った。そして、スモーレスラーのような看護婦に、ヘルメットを叩きつけてやろうかと 思ったそのとき、チャイムが後ろからぼそりと言った。
 「もう、行こうよ。」

 じょたは、彼女のこんなさびしそうな表情を見るのは初めてだったし、彼女が自分の一族、家族を大事にする理由も、なんとなく分かってしまった。彼らは、 だまって病院を出ると、シューターに乗り込んだ。いつの間にか、ドライバーの席には、チャイムが座っていた。そして、彼女は突然吠え出したのだ。
 「よーし。見てろよぉ!じょた、これからファイナルステージのゴールに向かうわよ!そして、ぶっちぎりで優勝して、あいつら見返してやるのよ!」
 「あわわ。でも、コースアウトしてるから、失格なんじゃぁ。」
 「何言ってんの、ファイナルステージはフリーステージなのよ。どんなコースをたどろうが、最後にゴールすりゃぁいいの!」
 「で、でも、もう時間が…」
 「最後まであきらめない!でもじゃないんだ!分ぁかったか!!」
 「ハイ!」

 ぎゅるるるというタイヤと道路の摩擦音をさせて急ターンしたシューターは、クレイジードライバーと化したヴァンパイア少女によって、地上をすべる矢のように すっ飛んでいった。
 ゴール地点は、異様な熱気につつまれていた。例年ならば、もうとっくにゴールするマシンがいるはずなのに、今年に限ってまだ一台のシューターも姿を見せない からである。シェリルは、貴賓席のファンネルの横で、澄ました顔をして遠くを眺めていた。兄、メリルの言葉が、ずっと心の奥に引っかかっていて、この席を用意 してくれたことにも、素直に喜べないでいた彼女であった。そして、いつか本当のことを自分で調べる必要があると思って、チラリとファンネルを横目で見るのだった。 と、突然、観客席が沸きあがった。彼女は、直線道路の先から近づいてくるシューターに気がついて、思わず涙が出そうになってしまった。それは紛れも無い、 螺旋が取れていたけれど、ナンバー128、チャイムの運転するかたつむり号であった。
 「チャイム、エンジンが焼きつくよ。システムも不安定!」
 「あとちょっと持てばいい!」
 「後ろからライオンが追って来る。ミツミネのマツラオカだよ。」

 V字型の新生かたつむり号は、鼻の差でミツミネのライオン号を下し見事優勝した。初出場、初優勝、しかも女性ドライバーということで、会場は多いに盛り上がった。 白煙を上げながらウイニングランをするかたつむり号の中では、じょたがチャイムに唇を奪われていた。
 表彰の後、シェリル、チャイムそしてじょたは、マシンといっしょに記念撮影をした。じょたを真ん中にして、両側を竜虎が固める図である。フラッシュがバチバチと たかれる中、彼らのマシンの後ろに隠れて、彼らにわざと聞こえるように話をしている男たちがいた。一人は細長い馬面の男、もう一人は樽のように太った男だった。
 「相棒よ。小さいナビは頑張ったよな。」
 「しょっしゅねー。」
 「ドライバーと、しっかり、仲睦まじく頑張ったよな。」
 「しょっしゅねー。」
 「あの熱い夜は忘れられネェって、言ってたっけなぁ。」
 「しょっしゅねー。」
 「男と女の仲だものなぁ。」
 「しょっしゅねー。」
 シェリルは、ムチのようにしなる腕をじょたの首に絡ませると、彼の頭にほお擦りしてチャイムを見た。

 「ありがとう、と礼を言っておくわ。何があったか知らないけれど、今度だけは許してあげる。じょたを助けてくれたから。でも、君にはちょっと、お仕置きが必要かな?」
 「ごっ、ごご、誤解だよ。何にもないってば。」
 チャイムは、にやりと笑って腕組みすると、ずっと3人いっしょにいられればいい、この関係が続くといいなと思って、何も言わずにシェリルにウインクしてみせた。 シェリルは、もう彼を危険な目に合わせるまいと思って、じょたの背後に回りこむと、彼の首っ玉にしがみついて、ぎゅうっと彼を抱きしめた。じょたは、チャイムの ことも大好きだけど、やっぱりシェリルといっしょにいるほうが気持ちが安らぐなぁと思って、まだまだ彼女たちのけんかの火種を作りまくるようなのだった。
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