「Funny World 番外編」
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第9話「黄金の葉の巻」
 どうも、今夜あたりが峠らしいという無責任な噂話が、町中でひそひそとささやかれていた。魔道王国から奪還されて間もないこの城塞都市が、実は呪われているのだという まことしやかな噂がささやかれるのには勿論理由がある。それは、この地で生まれる子供たちの二人に一人は、5年以内に死亡するからであった。ファニーワールドの南の大 陸ヤマトは、北の大陸マイヤーに比較すると科学技術はそれほど進んでいないのだが、食料に事欠くことは無かったし、疫病の対策を怠っているわけでもない。高度な魔道を 利用した医療システムこそ無かったが、有能な医者がそろっているということは、先の戦争における戦士の死亡率の低さによって証明されている。もちろん、魔道王国との戦 争前までは子供の5年死亡率が50%に達するなどということは無かったし、第一この城塞都市以外の町ではそんな事態は発生しておらず、町の住民が呪われた町であると噂 するのはもっともな事であった。実際この町には、調査されていないエリアが数多く残されており、その中に呪われた場所があったとしてもおかしくはないのであった。
 氷嚢で額を冷やされた子供が、はぁはぁと荒い息をつきながら横たわっている。子供の傍らには、母親らしき人物が両手を合わせて祈るようなしぐさをしていた。ぼんやり と光る衣、恐らく魔道具だと思われる、を着た男が、子供の細い腕に注射を打つと、カバンの中から薬の入った袋を取り出して母親らしき人物に渡した。彼は、この子供の病 がこの地方特有の風土病であること、発病すると1週間程度で熱は下がるが、その後また高熱が出て、恐らくその発熱で体力を奪われ死に至るであろうと母親に告げた。母親 は、医者に深々とおじぎをした。医者が出て行ったあとの部屋の中で、母親は子供の手を握り、顔に吹き出た汗をずっとふき取ってやっていた。
 先の戦争が終わってからというもの、仕事をなくした傭兵たちは、酒場に入り浸るかギャンブルをするか、たちの悪いものはたちの悪い商人のボディガードになったりして いた。中には魔道王国の侵略に備えて西の最果て、ガンマリング防衛の任に就いたり、お宝を求めて旅に出たりするものもいた。そんな、ならずものたちがたむろする酒場、 闇夜のカラス亭に一人の戦士が現れた。その戦士は、ブロンドの長髪をなびかせ、歩くたびに銀のスケールメイル(鱗の鎧)をしゃらしゃらとさせながらカウンターに近づい た。ひゅぅ。誰かが口笛を吹いた。戦士は、一瞬じろりと口笛のするほうをにらんだが、すぐに無視してバーテンダーにたずねた。この町の魔道使いのことを教えてほしいと 。誰かが後ろでささやいた。女だぜ。戦士は、その声の主を振り返ると、微笑みながら言った。

「暇をもてあましているのなら、相手をしてあげてもいいわ。ただし、命の保障は無いけれど。」
 男はすばやく立ち上がり、長剣をつかから引き抜いた。女戦士を威嚇するつもりであった。が、それより早く腰の剣を抜き、弧を描くように接近してきた女戦士の踏み込みを 許してしまっていた。彼は、首筋にひんやりとしたものの感触を味わうと、ごくりとつばを飲み込んだ。彼の戦法は、乱戦の中で覚えた泥臭い力押しの剣であったが、彼女の それは洗練された切れ味の鋭いものであるのは確かだった。彼は、自分の剣を上げることも下げることもできないでいた。酒場の中は、時が止まったかのようであった。その 呪縛を破ったのは、闇夜のカラス亭のマスター、エル・カボネだった。

「ねーちゃん。そのチンピラは許してやってくれ。そのかわり、ただでネタを提供しよう。」

「私は、マーベラス・クイン。あるミスティックを探している。」
 彼女は、ふわりと舞うかのごとくカウンターに近づくとそう言った。ミスティックというのは、魔道使いのことであるが、この地方ではこの時期まだなじみの無い言葉であっ た。北の大陸、もしくは魔道王国ブリューニェでよく用いられる言葉なのである。エルは、この女戦士の言葉の端々に、憎たらしい魔道王国の訛りを見出していやな気持ちが したが、この女戦士の腕が半端でないことも確かであり、自分の小者の一人が殺されるのもいやなので、愛想良く振舞っておくことにした。

「オレの名はエル・カボネ。この町のことだったらなんでも知っている。ミスティックといやぁ、くされ魔道のことだが、この町にはそんな高レベルの魔道使いはいないぜ。」
「なんでも、この地方の子供たちは、5歳までしか生きられないという呪いをかけられているとか。最近、その呪いの犠牲になった子供のいる家を知っているかしら。」

「確かに、この町では5歳までに死ぬ子供の数が多い。先の戦争のせいで、それは魔道王国の呪いのせいだってことになってる。確かに、そんなことになったのは戦争が終わ ってからだからな。噂によると、この城下町から撤退する際に、やつらが何かを埋めて行ったとか、コントロール不能の魔道具をどこかに設置したのだとか、名も知らぬ神を 召還したのだとか言われている。もっとも、そのあたりのことは、あんたのほうが詳しいのかもしれんが。」

「その、呪いの犠牲になった人たちのリストはあるかしら。」

「無い。が、調べればわかるはずだ。」
 昼なお暗い森の中、一人の子供が草を掻き分けながら歩いている。くもの巣が顔に引っかかり、小枝が顔を引っかいて傷をつけても、彼は何事も無いかのように歩いていた。 年のころは5,6歳。丸い顔にふっくらとしてうす赤い頬、黒というよりは濃紺がかった前髪は額に垂らしている。彼は、ぼんやりとした表情で森の中を一直線に進んでいた。 目的地に向かって、まっすぐ進んでいるのであろう。しかし、明らかに何かの目的を持っているように思える彼の行動とは裏腹に、彼のくりくりとした目玉には生命の輝きが無 かった。この、魔の森には、いずれわんぱくの森と呼ばれることになるこの魔の森には、魔道王国の使い魔が放たれており、まともな神経の持ち主ならば中に入ろうとは思わな い。いたずら小僧の探検場所として最適とは言えない場所である。彼は、時々何かにつまづきながら、もくもくと目的地を目指して歩いていた。まるで、何者かに引き寄せられ るかのように。
「やっぱりそうだわ。」

 ブロンドの女戦士、マーベラスはつぶやいた。彼女は、闇夜のカラス亭のマスターからもらったリストを、この町のマップ上に落としてみたのであった。そして、城塞都市のマ ップにつけられた印が、ある一定の法則で伸びていることに気がついた。正多角形を何重にも重ねたような図形になる。まるで、巨大なくもの巣のようである。

「この法則に従うと、次に狙われるのは、恐らくこの周辺のはず。」

 彼女は、目星を付けた家に向かった。しかし、時すでに遅し。その家の子供は、最初の発熱が治まった後、どこかへ行ってしまったようなのである。彼女には、その意味が良 くわかっていた。問題は、ヤツがどこにいるかなのである。どうやって、居場所を突き止めるかなのだ。彼女は、憔悴しきった母親の顔を見ると、苦い思い出が脳裏をかすめた 。最初の発熱の後では、もう間に合わないかもしれない。でも、なんとかして助けてあげたい。そのとき、一人の少女がやってきた。そして言った。

「さかきのおばちゃん。あのね、じょた君ったらね、森の中に入っていっちゃったんだよ。なーこが止めても聞かなかったんだよ。」
 直径2mはあろうかという真っ白い繭があった。繭というより、それは白いトンネルと言ったほうが良いかもしれない。そのトンネルの手前で少年はふと目覚めた。自分がな ぜここにいるのか分からなかったが、顔やら首やら足やら手やら、とにかく体中が痛かった。高熱のせいもあるかもしれなかった。そうだ、自分は高熱でずっと寝込んでいたは ずだが、どうしてこんな薄暗い場所にいるのであろうか。そして、この真っ白い物体である。これは、何だろう?彼は、まだぼんやりとした頭の中で、この物体について連想し てみた。これとよく似たものをどこかで見たことがある。どこで?その物体は、よく見ると細い糸で編まれていた。細い、糸。…ぞくりっ。彼は、あるものを連想して背筋が寒 くなった。足の先から頭のてっぺんまで震えが走った。これ、ひょっとして。彼が、そのトンネルの主の名前を想像する直前に、トンネルの奥から人の声がした。老人の声だと 思った。のそり。トンネルの奥で何かが動いた。ランタンの明かりと、細長い杖をついた何かが接近してきた。何か、と思った。人には見えなかったのだ。人にあらざるものが 、人の言葉を発して近づいてきた。杖は一本ではなかった。いくつもあった。ランタンの光もひとつではなかった。緑色の光を発するランタンは、規則正しく配列されていて、 闇夜の猫の目のように光っていた。まさしくそれは、巨大なくもの目玉であった。ひ、ひぃぁあー!彼は、声にならない声を上げた。
 マーベラスは、森の奥に子供の悲鳴を聞いたような気がした。彼女は、声のしたほうに向かって走り出した。遠目に白い繭のようなものが見える。あれだ。積年の恨みを、と うとう晴らす時が来たのだ。だが彼女も、ひとつ気がついていないことがあった。
 少年は、目の前の状況を把握することができなかった。それを信じたくなかったというべきか。目の前には、自分の身長の倍以上もある巨大なクモがいて、老人のしわがれ声 で自分に話しかけてきている。言っていることは良く分からない。自分を受け入れろと言っているようだが、誰が好き好んでクモに身も心も差し出すというのか?術がうまくか かっていないとも言っている。それならば薬を使うのみであるとも言っている。いやだ。いやだいやだいやだ。ここを逃げ出したい。でも、うまく体が動かない。たとえ動いて も、こいつに追いかけられたら、すぐに追いつかれるに決まっている。彼の胸が、絶望で押しつぶされそうになったとき、彼の側面を疾風が駆け抜けた。
 ひゅうという風を切る音が聞こえた。そして、次の瞬間、枯れ枝のようなものが宙を舞った。くぐもったような声が聞こえた。風切音は連続して起こり、そのつど何かが宙を舞 った。彼が、それが人間の攻撃によるクモの残骸であると気がついたときには、戦闘は終了していた。ぐちゃぐちゃの肉塊となった大蜘蛛は、ぴくりとも動かなくなっていた。 ほとんど細切れといってよかった。女戦士は、はぁはぁと肩で息をしながら、地面に散らばったクモの残骸を見下ろしていた。ややあって、彼女は彼の方を見た。そして、にこ りと微笑むと言った。もう、大丈夫よと。しかし、その声は、女性の声ではなく、忌まわしい老人の声であった。大蜘蛛の声である。
 しまった!マーベラスは自分の短慮を呪った。この大蜘蛛は本体ではなかったのだ。しかも、子供の精神を食らうという、呪われた能力を引き継いでしまっている。かくなる上 は、自分の取るべき道は決まっている。しかし、今は、まだダメだ。本体を討ち取るまでは。本体は近くにいる。蜘蛛が吸い取ったメンタルパワーを受け取るために、必ず近く にいる。ヤツの呪いを直接受けた今なら分かる。彼女は、背後に人の気配を感じた。ヤツだ。ゆっくりと近づいてくる。ヤツの使い魔となった今、恐らくヤツに対して攻撃する ことはできないだろう。だが、手はある。ひとつだけ。
「きみ、私の言うことを聞いて。」

 マーベラスは、少年にささやいた。彼は、おびえた目をして彼女の背後を見ていた。やはり、何者かが近づいているようだ。

「いいこと、私の背後から近づいてくるものが、あと一歩の所まで来たら合図するのよ。振り向きざまに斬りつけてやるから。」
 のそり、のそり。マーベラスの背後から何者かが近づいてきた。彼女は、剣を振り上げた状態で彫像のように固まってタイミングをはかっていた。少年は、ごくりとつばを飲み 込んで彼女の背後を凝視していた。ゆらり、と自分の足元の影が動いた。少年は、何度もうなづいていた。よし!彼女は、振り向いて剣を振り下ろそうと思った。しかし、体が 言うことをきかない。予想どおりだ。やはり術者への攻撃はできないようになっている、と彼女は思った。ならば。彼女は、今度は振り上げた剣をそのまま振り下ろすと、自分 の腹めがけて剣を突き刺した。

 がしゃり。スケールメイルが何枚か剥がれ落ちた。しかし、彼女の腹部に剣は刺さっていなかった。頑丈なチェインメイル(鎖帷子)が、剣を滑らせたのだ。だが、それでいい 。鈍い痛みを腹部に感じながらも彼女はそう思った。滑った剣の勢いは衰えることなく、彼女の脇をすり抜けて背後へ伸びていった。剣には何の手ごたえも無かった。
「おひょ、おひょおひょ、おひょぉ。」

 背後で老人の笑い声、だろう、が聞こえた。

「おぬしの行動など予想済みである、と。だてに年はくっておらん、と。」

 老人は、ゆっくりと、マーベラスの前に回りこみ、いやらしい笑みを浮かべた。ひび割れた顔面が、ぞわぞわと動いた。彼女は、そのひび割れた表皮を剣できれいさっぱりこそ げ落としてやりたい気分に駆られた。しかし、こそげ落としても、その下からまたぞわりとした皮膚が浮き出てくるのだろうと思うと、吐き気がこみ上げてきた。

「もう観念したかね、と。」

 老人は勝ち誇って言った。老人は、彼女にさらに術をかけるためか、額に指先を近づけた。が、もちろん、彼女の作戦はまだもう一段あったのだ。
「観念?覚悟ならしていたわ。ずっと。」

「それは殊勝な心がけである、と。不死身の大魔道の使い魔になるとは、なんという名誉か、と。喜べ、と。」

 老人は、おひょひょと笑った。

「えぇ、うれしいわ。やっと、子供たちに会いにいけるんだから。あなたも、私に感謝しなさい。やっと死ねるのよ。イクスプローション!」

 マーベラスがそう唱えると、彼女のスケールメイルからはがれた鱗が、足元で突如閃光を発した。呪文の詠唱が不要なタイプの魔道、キーワードのみで発動するタイプの魔道で あった。次の瞬間、少年は爆風で樹木にたたきつけられた。彼は、薄れゆく意識の中で見た。彼女と憎むべき老人が、爆風で吹き飛ばされ人形のようにばらばらになるさまを。 そして、彼女のスケールメイルからは、さらに何枚もの鱗が剥がれ落ち、連鎖的に爆発を起こしていった。彼には、それがスローモーションのように見えた。まるで金色の木の 葉が舞うかのように。それが、なぜか、とても美しいとさえ思えた。
 海の見えるがけの上に、少年が一人たたずんでいた。年のころは5,6歳。丸い顔にふっくらとしてうす赤い頬、黒というよりは濃紺がかった前髪は額に垂らしている。彼は 、海を見つめて立ち尽くしていた。何も見えない海の向こう、水平線の向こうを見つめて立っていた。強い風が彼の髪をなびかせた。彼は、女戦士マーベラスの面影を思い出す と、命を犠牲にして自分を救ってくれたことに感謝したが、死んでしまってはだめだと思った。そして、いつか彼女に、彼女の魂に恩返しするためにも、もっと強くなろうと思 った。
 ごう、と強い風が吹いた。少年は一瞬よろめいたが、ただ黙って海の向こうを見つめていた。彼が、いずれ大切な人を守るために、マーベラスと同じ方法を取るということは、 今はまだ誰も知らない。
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