「Funny World 番外編」
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第8話「ミーア・ルーアの巻」
 この世とあの世を繋ぐとか、妖魔の世界をまたいでいるとか噂されている、ミーア・ルーアの巨大な門を下ること早一年。ようやく僕も学問の都の一部として、しっくり馴染んできたような気がしていました。ここ、夕映えの水竜通りは、酒場のネオンと道行くシューターの発する七色の光が入り混じって、 文字通り竜の鱗のように見えるのですが、その鱗に混じって歩く人たちの中には、明らかに人間でないモノが紛れ込んでいて、それは他種族=亜人なのですが、そんなことがあるのにも慣れたし、肩がぶつかって挨拶も無く通り抜けていく人、正確には肩がぶつかったはずなのに素通りしてしまうヒトのような もの、が二人に一人はいることにも驚かなくなっていたんです。
 この学園都市に闘争が始まった70年代後半からこっち、ずっと僕は超震動魔道理論の研究を続けてきたわけですが、いつか学問の最高峰たるミーア・ルーアの学園都市にやって来ようと思っていました。その学園闘争も、僕が学園に編入する頃には軍隊の介入によって終焉したようでしたが、 首謀者たちは捕まっておらず、地下に潜伏して決起の機会をうかがっている、というのがもっぱらの噂でした。そんな、騒がしくちょっと浮ついたような、集中力を欠いたような学園でも、僕が得られたものは当初予想していたものよりもずっと多くて、予定では1年間で帰国するはずだったのを、 もう一年延長申請したのは昨日のことでした。僕は、申請書複写の入ったカバンを持って、夕映えの水竜通りを駅に向かって歩いていたのでした。
 僕はノーマルで、いや、突然こんな事を言うのは変だけれど、普通に女の子が好きになる、普通の男の子なのですが、その彼に出会ったときの衝撃は、初めて彼女に出会ったときに匹敵するくらいでした。彼は、駅の方からこちらに歩いてきました。この地方には初めて訪れるのでしょうか、 あちらこちらをきょろきょろと見回し、露店で売っている団子や、明らかに色をつけて売っている小モンスターのジェリーが入った小ビンを覗き込んで、大きな目玉をくりくりとさせていました。
 僕は、彼に初めて会った気がしませんでした。どこか懐かしいような気がしたんです。不思議だけれども、彼の雰囲気は、僕の良く知っている友人とよく似ているのでした。胸の奥がぎゅっと締め付けられるような、足や腕がわくわくするような気持ちになるのも、その友人に対する反応といっしょでした。 その友人というのは、僕の恋人の、いや、正確には僕の片思いの人なのです。彼を見ているとそんな気持ちになるのと、漠然とした不安を掻き立てられるのが不思議でした。
 僕は、しばらくそこに立ち尽くしていたのかもしれません。気がつくと、その彼は僕に手を振って、道路をきょろきょろと見渡して横断しようとしていました。僕は、はっと我に帰ると、なぜか彼に会わなくてすむように、足早に駅に向かって歩きました。夕映えの水竜通りは、シューターが途切れなく 続いてくるので、ちょっと急げば彼が道路を横断する間に駅舎に入り込むことができるはずです。彼は、道路の向こうから僕に何か大声で話し掛けているようでしたが、僕は気がつかないふりをして小走りに通り過ぎました。
 改札を息せき切って走り抜けると、ちょうど列車の発車を知らせるアナウンスが流れてきました。僕は、そのままホームに走りこむと、列車に飛び乗りました。間一髪セーフです。僕は、扉付近の手すりに背中をもたれかけて、はぁはぁと荒い息をつくと、なんだかほっとしたような、 でも少し寂しいような気持ちがして、窓の外に何かを探していました。だから、がしゃりと重たい音を立てて閉まる扉の向こうに、改札を飛び越えてこちらに向かってくる影が見えたとき、僕はまたどきりとしてしまったんです。驚いたというよりは、正直に言うと、嬉しかったんです。
 ごとり。僕は、列車が動き始めたことに少し安心すると、窓に顔を近づけて彼のほうを眺めてみました。黒、というよりは少し青みがかった髪の少年は、切符を持っていなかったのか、駅員に呼び止められていました。そして、僕のほうを見てまだ何か叫んでいるようでしたが、少なくとも僕の名前を呼んでは いないようでしたので、ちょっと落胆しました。僕は、彼の黒髪が自分に錯覚を起こさせたに違いないと思いました。自分の大好きな人を連想させるから。彼女のためなら命も投げ出す覚悟があるんです。と、思ったとき、胸の奥がずきんとしました。そう、僕の気持ちは一方通行なんです。
 僕は、なんだかたまらなく切なくなって目を閉じると、列車の揺れに身を任せました。僕は、とても大事な何かを忘れているような気がしました。それは彼に会えば明らかにされるような、そしてそれを自分がひどく恐れているという事も、おぼろげながら理解し始めていました。僕は、ごとりと扉に頭をぶつけると、 車窓から遠くに見えるミーア・ルーアの門を眺めました。
 この世とあの世を繋ぐとか、妖魔の世界をまたいでいるとか噂されている、この巨大な橋梁は、今日も門のような構造の主塔の間を通して、一列の光の集合をこの国に招き入れていました。1年前には、僕もあの橋を通ってこの国へやって来たのです。その前は。僕は、マイヤーにある魔道の学園での出来事、 美しい黒髪の彼女のことを思い出しました。僕は、今すぐに、空を飛んででも彼女に会いに行きたいと思いました。そのとき、轟音とともに列車はトンネルの中に入って行きました。そう、でも、それはできないのだと思いました。青い髪の彼とも、会いたくないのではなくて、会ってはいけないのだと思いました。 それは、彼自身が解決しなければならない問題があるからで、僕にもまた僕の問題があるのです。僕は、窓の中に映る自分の顔に、恐ろしい死神が重なっているような気がして、すばやく目を伏せてしまいました。そして、このトンネルを抜ける頃には、今日の出来事も全て忘れてしまうだろうと思うと、とても悲しいのでした。
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