「Funny World 番外編」
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第3話「スリル・ドライブの巻」
 街灯がまばらにしかついていない道路、舗装もされていない道路の片隅に、つぶれたカエルのような物体が停止して、白い煙を上げています。周囲は田園地帯なので、カエル の大親分が道路でタバコを吸っているように見えないことも無いですが、これはれっきとした人間の手による文明の利器で、付与系魔道理論で動く車であり、光を放ちながら進 む様からメテオドライブとかオーロラシューターと呼ばれています。そのシューターの下から、もぞもぞと人が這い出してきました。彼は、両手にぐにゃぐにゃと曲がった銀色 の道具を持って、ぼんやりとオレンジ色の光を放つ車内の様子をうかがっています。車内では、白いドレスを着たお姫様のように美しい女性が、手のツメにマニキュアを塗って いました。
 「直ったの?」マニキュアを塗っていた女性が、視線を自分の指から外すことなく、窓の外にいる人間に向かって、ぼそりと尋ねました。「全然ダメ。ここまで事故も無く走 ってこれたのが奇跡みたいだよ。」と僕は彼女に答えました。ちょっと不機嫌そうにマニキュアを塗っている女性は、亡国の姫君シェリル・フル・フレイムで、僕はもちろん自 称彼女のプリンセスガードであり、下僕のじょたです。僕たちは、カール帝国の王都バウムクーベンから、南に20キロほど離れた城で開かれる舞踏会に出席するために、もち ろん出席するのはシェリルだけですが、田舎道をシューターで飛ばしていたのです。ところが、そのポンコツシューターが故障して、田舎道で立ち往生してしまったのでした。
 「シェリル、本当にここまで事故にならなかったのは奇跡だと思うよ。」と僕は言いました。何しろ、ブレーキオイルは抜かれているわ、エンジンの一部にヒビが入っている わ、燃料タンクには孔が開けてあり、ご丁寧に火がつきやすいように火打石が地面すれすれにセットされているわで、このままこのでこぼこ道をすっ飛ばしていたら、燃料タン クに引火してえらいことになるのは、文字通り火を見るより明らかでした。「そう、仕方が無いわね。新参者の私たちがでしゃばるのを、快く思わない人たちがいるのよ。」相 変わらずマニキュアを塗りながらシェリルは言いました。クールだぁ。「ところでじょた、分かっているわね。必ず時間通りに到着すること。今夜の舞踏会には、国内外のお偉 いさんがたくさん集まるの。それに、私たちのスポンサーさんがいらっしゃる大事な舞踏会なのよ。その大事な舞踏会に遅れたりしたら。」彼女は、ようやく僕の顔を見て言い ました。「誰かが、責任を取らなくちゃならないわ。…誰かが。」それ、間違いなく僕ですね。「分かったら、さっさと出発する!」
 僕は、またシューターの下にもぐりこんで考えました。燃料タンクの孔は、無理して塞げば塞げないことはないかもしれない。舞踏会の催されるお城までは、あと20分もあ れば到着するはず。それまで黒魔道印の傷テープを貼っておけば、なんとかもちそうな気もする。でも、ブレーキとエンジンだけはどうにも手が出せない。約束の時間まであと 30分。こんな田舎道では通りすがりのシューターもないので、どう考えても僕の命は風前の灯火のようなのでした。そのとき、遠くから砂利道を走ってくるシューターの音が 聞こえてきました。僕は、シューターの下から抜け出すと、緊急ランプを振って幸運の女神のドライバーに合図をしました。もっとも、それは幸運の女神というよりも、悪魔だ ったんですけど。
 流線形のボディの最新型シューターが停車すると、運転席の窓がすーっと開いて、見覚えのある女性が顔を出しました。「お久しぶりね。会いたかったわ、ダーリン。」あわ わ。そう、彼女はヴァンパイア少女チャイムでした。彼女に借りを作ることは避けたいのですが、この状況では仕方がありません。「やぁ、チャイム。元気かい?」僕は、彼女 に状況を説明すると、舞踏会の行われるお城まで乗せていってもらえないかと頼みました。「シェリルだけでいいんだ。僕はここで待っているから。」と、僕が言うと、今まで 黙って無視していたシェリルが言いました。「じょた。あなたは私のボディガードでしょう。私を常に守るのがあなたの務めです。」一人で行くのがいやなんですね。以前、王 都バウムクーベンで行われた立食パーティの時は、僕がいなくても嬉々として出かけていったのに。あの時もまた、いろいろあったみたいで、僕は行かなくて正解だったみたい なんですけど。「いいわよ。私も同じ方向へ向かうところだから。」僕たちは、チャイムのシューター、かたつむり号に乗り込むと、ほんの20分間の旅に出かけました。この 20分間が、地獄のドライブだったわけなんですよ。
 ひゅーんという甲高いエンジン音をさせて、チャイムのシューターかたつむり号は発進しました。僕は、チャイムの隣、助手席に座り、シェリルは後ろの席に座りました。シ ェリルは、まだなんとなく怒っているふうで、それというのも王族である自分の乗っていたシューター、フロッガーがポンコツなのに、町娘、とシェリルが思っている、チャイ ムが乗るシューターが最新式だったからです。自尊心を傷つけられちゃったんですね。こんなときに、彼女にアルコールが入ると大変なことになりますが、今日は舞踏会でお酒 メインの会ではないし、ここにはお酒のたぐいは無さそうなので安心です。間もなく、シェリルはすやすやと寝息を立て始めました。本当に、このシューターの静かなこと!
 「ねぇ、じょた。」ハンドルを握るチャイムが僕に話し掛けてきました。「本当にこの道で、舞踏会の会場へ行けると思っているの?」それは、僕が一番心配していたことで した。実は、真っ暗な夜道をシェリルと走っているとき、おもむろに彼女が言ったのです。「じょた、この道を右に曲がると海のほうに出るはずだから、海岸沿いにずっと走り ましょうよ。」僕も、彼女とドライブするのは楽しいので、たまには違う道を通るのもいいかなと思ったんです。でも、そもそもそれが間違いだったみたいなんです。行けども 、行けども海は現れませんでした。新型のシューターには、車内に方位磁針がついていて、現在向かっている方向がわかるようになっているのですが、我らがフロッガー君には そんな気の利いたものはついていません。空調設備もないんですから。真夏の暑いことといったら、筆舌に尽くしがたいんです。「じょた、水面に星の光が反射しているわ。綺 麗ね。」えぇ、凄く綺麗です。でも、これは、ここはどう見ても海じゃなくて、田園地帯ですね。
 「舞踏会に遅れた責任は誰が取るのかしら?」無情にもチャイムが言いました。「じょた、…かな?えへ。」えへ、じゃない!といっても、僕が道を間違えたわけだから、い いわけはできないんですが。「処刑されちゃうの?」チャイムはにやにやと笑いながら攻撃を仕掛けてきます。「そんなこと無いと思うよ。でも、シェリルと会えなくなったり したら、いやだなぁ。」「ふぅん、じょたの国では処刑にならないんだ。でも、カール帝国では、ちょっとしたことですぐ首を刎ねられるわよ。」彼女は、しつこくも攻撃を仕 掛けてきます。「でもさ、一応国賓だし。」「今夜の舞踏会には、隣国のお偉いさんも来るんでしょ。外交的にちょっと、ねぇ。」ピーンチ!
 僕達の乗ったシューターは、田園地帯からいつの間にか険しい山岳道に入って行きました。シューターのライトで、道路の一部が明るく照らし出されていたけれど、真っ暗な 空間から樹木や看板が飛び出てきて、助手席の窓をかすめていくのを見るのはとても勇気のいることでした。彼女が、街灯の殆ど無い山道を、この速度で飛ばしていけるのは、 彼女がヴァンパイアであり、ナイトビジョンという暗闇を見通す能力を持っているからという事は理解できます。しかし、夜目が利くというのと、ドライビングテクニックがあ るというのは別問題です。「ねぇ、チャイム。お城まですっ飛ばしてくれるのはありがたいんだけれど、少しスピード出しすぎじゃない?」「大丈夫、この道は近道なのよ。」 「だったら、なおさらゆっくり行ったほうが…」チャイムは、そんな僕の言葉を無視すると、さらにアクセルを踏みつけていました。
 シューターは、時折後輪をずるずると滑らせながら、コーナーを攻めていきます。ガードレールも何も無い、この峠道でこれだけのスピードを出せるのは、恐らくチャイム以 外いないでしょう。どうも彼女は、ハンドルを握ると人格が変わるようなのでした。「じょた。あの話、考えておいてくれた?」「え?あの話って?」「あなたが私の仲間にな るっていう話よ。」彼女は、鋭い牙を見せながらニヤリと笑いました。そして、僕の顔をじっと見つめてきます。「あぁ、チャイム。前、前!前!!」彼女は何事も無かったか のようにコーナーをクリアしていきました。助手席側のフロントガラスには、コーナリングの際に叩きつけられた樹木の跡がちゃんと残っていましたが。
 「じょた。私たちヴァンパイアが、通常の打撃では倒せないことは知っているわね?」シェリルの攻撃はどうなのかな、と僕は思いました。「もし、ここで、このシューター が事故を起こして大破したとしても、私は死ぬことは無いの。」きゃー、ずるーい!僕は、彼女が何を言わんとしているか、大体分かってしまいました。「でも、あなただって 、吸血鬼の元を飲んでおけば大丈夫なのよ。絶対に死なないから。このビンに入った液体を飲んでもいいし、もし良かったら、私が直接あなたに注入してあげてもいいわ。さ、 首を出して。」またもや彼女は、僕の方を向いて近づいてきました。「ま、ままま、まって、前、前を見て運転して。」チャイムは激しくブレーキを踏むと、すばやくハンドル を回転させ車体をぐるりと旋回させると、またアクセルを踏み込みました。
 僕が凄いと思ったのは、さすが大人物は違うと思ったのは、これだけの激しい運転をしているにもかかわらず、シェリルがすやすやと寝息を立てていることでした。そのとき 、今までで一番強烈な重力を感じて、シューターが停まりました。あたりはうっそうと茂った森になっていました。窓が締め切られた車内には何の音も聞こえてはきませんでし たが、恐らく外に出ても何の音も聞こえてはこなかったでしょう。「このまま、どこかへ行ってしまおうか?」とチャイムが言いました。「じょたがどうしても人間のままでい たいというなら、それでもいいよ。」車内には、シェリルのすやすやという寝息と、シューターの空調が吐き出す空気の音だけが響いていました。僕は、チャイムの悪魔の囁き に対する返答は一つしかないと思っていたのですが、この場合正直に話すことが問題の解決に繋がるという自信はありませんでした。
 もう、舞踏会の開催される時間まで5分を切っていました。ここで、このまま時間を稼がれるとチャイムの勝利です。というよりも、時間を潰さなくたって、5分ではもう到 着するのは不可能ですから僕の敗北は決定、僕は断頭台のつゆと消えるか、チャイムの仲間になって人間の世界から消えるかです。「時間が、もう、あまり無いみたいだけど。 」チャイムは、ハンドルに両手をもたれかけて、指先で軽くリズムを取っています。「お城に向かってよ。」僕は、そう答えました。チャイムと別の世界の旅に出るのも面白い のですが、シェリルには失われた祖国を復興させるという目的があります。出奔した王子が戻るまでは、見つかるまでは、彼女が国のシンボルであり、彼女が皆のまとめ役をし なければなりません。もっとも、カール帝国の人間は、誰も彼女にまともに手を貸そうとはしていないようですが。
 「お城に向かってよ。」僕は、チャイムにそう答えました。「了解。分かったわ。じゃぁ、これから、お城に下りるから、しっかり、つかまってろよぉ!!」「下りる?」突 如言葉遣いが変化したチャイムは、アルコールが入ったときのシェリルのように下品な言葉を使い始めました。「下りる?お城に下りるって言ったの?」僕は、もう、はぁ、こ の先の展開が読めてしまって、多分そうだろうと思って、この森を越えた向こう側のがけ下に、目的地があるのが分かってしまって、それで…、でも…非常識すぎる!チャイム は、目玉を、瞳ではなくて目玉をぎょろりとひん剥くと、アクセルをベタ踏みして叫びました。「いくぞぉ!おらぁ!!」
 僕は、以後、そのときの光景を何度も思い出し、跳ね起きて、朝の太陽を拝むたびに、生きていて良かったと実感することになりました。ばさばさという茂みの中を突っ切っ て、目の前に現れたのは真っ黒な空間でした。そして、僕の三半規管が車体の傾きを感知して、体が前傾姿勢になったとき、眼下にきらびやかな光に包まれたお城が現れてきま した。お城に続く道にはずっとたいまつが灯されているのが見えました。僕は、浮き上がるような勢いを感じて、シートベルトに押し付けられました。その後すぐに、お城のテ ラスが近づいてきて、テラスの付近に戦闘服を着ている男達が何人もいるのが見えて、今度はシートのほうにがぐんと押し付けられました。僕の記憶が途切れたのはそのときで す。そして、いつも跳ね起きるのもこの瞬間です。本当に、どうして生きていたのでしょうか?
 僕は、自分の名前を呼ぶ声で目を覚ましました。「…ぁ、…たぁ、じょた、しっかりして!」僕を呼んでいるのはシェリルでした。「ふぅ、良かった。やっと目を覚ましたの ね。死んでしまったかと思ったわ。」いや、実際、生きているのが不思議です。ひょっとしてここは、天国なんじゃないかな、と思った僕でしたが、周囲をいかめしいツラの男 達が取り囲んでいるのを見ると、どうもここは地獄らしいと思ったのでした。シューターは、まだ隣に止まっていました。チャイムは、窓から顔を出して周囲に愛想を振り撒い ています。僕とシェリルは、シューターから降りていて、僕は石の床に横たえられていたようなのでした。
 「じょた、ありがとう。時間ぴったりに間に合ったわ。」そうですか、礼ならチャイムに言ってくださいと言いたかったのですが、腰が抜けて頭がくらくらとしていた僕は、 何も言えないでいました。でも、このとき、僕はまだ気絶するわけにはいかなかったんです。僕は、城の尖塔から尖塔にかけられた旗、文字の書かれた横断幕のようなものを見 て愕然としました。そこにはこう書かれていました。「第**回、カール帝国杯 大武道大会」…大武道大会!?僕が真っ白になった頭の中で考えを整理していると、シェリル が言いました。「じょたの用意してくれたスペシャルドリンク、おいしかったわ。じゃ、私は行ってくるから、お留守番宜しくね。」行ってくるったって、シェリル。これ舞踏 会じゃなくて、武道大会だってば。というか、僕が用意したドリンクって何?まさか、ひょっとして!僕はチャイムのほうを向きました。「大丈夫、あのドリンクは吸血鬼の元 じゃぁないわ。ただの…ビールよ。」僕は、背後から、風に乗ってなにやら恐ろしげな言葉を聞いた気がしました。ウゼェ?僕は、ザーっという、一瞬にして血の気が引いてい く音を、確かに聞きました。チャイムは、窓の上で組まれた腕の上にあごをのせて、面白そうに僕の背後を眺めていました。「チャイム。武道大会って、ドーピングしてたらダ メなのかなぁ。」「さぁ、私は知らないけど。」僕も、もうダメになってしまったのかもしれません。
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