「Funny World じょたの冒険」
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第6話「The gear of the destiny.」(上)
 暗闇の中に太鼓の音が響いている。どんつかどん、ん、どどんがどん、ん、どんつかどん、ん、どどんがどん、ん、すてれんてってけ、すてれんてってけ、すてれんてってけ 、すてれんてってけ、どんつかどん、ん、どどんがどん、ん、どんつかどん、ん、どどんがどん。藍色をバックに、真っ黒い塊が覆いかぶさるように迫ってきている。その黒い 塊の中腹に、橙色の光が幾つも揺れているのが見えた。枯草をざくざくと踏みしめながら木立を抜けると、石の敷き詰められた道を見つけた。この道をずっとたどっていけば、 あの怪しげな太鼓の音がする山の中腹に向かうことができそうだ。いざなわれるようにして橙色の光が揺れ動く山の中腹にたどり着くと、たいまつを持った数人の男女が、輪に なって太鼓の音にあわせて動いていた。その炎の中心には、白っぽいローブを被った男が4人、御神体が載せられた四角い石の台座の頂点に立っていた。太鼓の音はどんどん大 きくなっていく。たいまつの男女も激しく踊りを踊って、辺りに火の粉を撒き散らしていた。太鼓の音がひときわ大きくなったとき、たいまつの男女の合間を縫って、目隠しを されたひとりの女性が現れた。彼女は、頭に意匠の凝らされたサークレットをつけ、右手には刃渡り50センチほどの湾曲した刀を持っていた。サークレットには赤く光る宝石 が2つはめ込まれており、あたかも獲物を狙う猛禽類の目ように見えた。実際、目隠しをされた女性がよろめくことも無く歩いているのは、そのサークレットの力に違いなかっ た。彼女は、湾曲した刀を天にかざすと御神体の前に進み出た。御神体の載せられた台座の一段下に、いつの間にか男性が横たわっていた。彼女は天にかざした刀を、眠ってい る男性の首にためらいも無く振り下ろした。刀が空を切る音、そしてがちっという骨の砕ける音がした。ぎゃぁ!
 んぎゃ、んぎゃぁ、んぎゃ、んぎゃぁ。どこかで赤子が泣いている声が聞こえる。たたんたたん、たたんたたん、たたんたたん、たたんたたん、かたかたこととん、かたかた こととん。足元からはリズミカルな震動が伝わってくる。ヴァルファラ方面へ向かう大陸横断鉄道の列車内では、くたびれた乗客たちが座席に腰掛けて居眠りをしたり、本を読 んだり、干し肉をかじったりしていた。長旅のせいか、座席からあぶれた乗客は床の上に敷物をしいて座ったり、横になって眠ったりしていた。その車両の片隅に、大きなカバ ンにはさまれながら窮屈そうにして座り、眠っている少年がいた。包帯を巻いた両手でひざを抱え、そのひざの間に頭を突っ込んで眠っていたその少年は、びくっと体を震わせ ると顔を上げた。彼は、よだれをすすって右手の包帯で拭くと、寝ぼけまなこで辺りを見回した。あぁ、怖い夢を見た。マルクは、折れた足をもじもじと動かして体勢を整える と、座ったまま背伸びをして窓の外を眺めた。
 平原を走行していた列車は、いつの間にか山間の地方に入り込んでいた。単線の線路は、朝日が反射してまぶしい曲がりくねった河川に沿って続いており、列車が急なカーブ に差し掛かるとぎしぎしと金属のこすれあう嫌な音を立てていた。川向こうから続いてくる道路は、赤茶けたレンガの古い橋を渡って線路と踏み切りで交差していたり、線路の 下をくぐったりしていた。針葉樹林が密集した森林地帯には、所々ぽっかりと穴が開いたように木の生えていない場所があって、その斜面に張り付くように数件の家が建ち、煙 突からは白い煙が上がっていた。マルクは、この山間の静かな朝の風景がノインツェンの寄宿学校に似ていると思った。そして、恐らくこの山を越えた向こう側に、目指すヴァ ルファラがあるに違いないと思った。
 列車が駅に停まるごとに、車内に外気が流れ込んでくる。寒い。北国に近づいてきた証拠である。マルクは、ドアが開くたびにぶるぶると身震いをしていた。彼は、田舎の小 さな駅に列車が停車するたびに、珍しいものを見るかのように背伸びをして次の停車駅を確かめていた。ローテンブルクの駅でもらった路線図によると、カレルシュテイン行き の普通列車エリダヌスは、ヴァルファラ到着まで丸1日かかるようであった。彼は、列車がローテンブルクの駅を出たのが前日の早朝であるから、そろそろ目的地に到着するは ずだと思ってしきりに外を眺めていたのだ。そうして、彼が悪夢から目覚めて何度目かの駅に到着したとき、彼は駅の行き先表示板にヴァルファラの文字を発見した。そのとき 彼は、まるでアイゼナッハ嬢に出会ったかのようにどきりとして、恥ずかしいような懐かしいような気持ちになった。
 ヴァルファラの駅前には、正面と左右60度の斜め方向にまっすぐ道が続いていた。駅をはさんだ反対側も同じような構造のはずだから、上空から見れば六角形の各頂点に道 路が続いているはずだ。通りをはさんだ両側には3階建てくらいの切妻破風の建物が並んでいて、店の入り口にはマイヤー帝国の店のご多分に漏れず、どこも意匠が凝らされた 小さな看板が下がっていた。竜、獅子、子供、いや妖精かもしれない、等はその店が何を取り扱っているのか良く分からなくて興味深いが、黒尽くめのスーツを着たシブイおっ さんがぞろぞろと出てきたりすることもあるので、うかつに中を覗いてみないほうがよさそうだった。マルクは、ヴァルファラ駅周辺の探検をしてみたくてウズウズしていたけ れど、アイゼナッハの住んでいる地方へ向かうバスが1日に5,6本しか出ていなくて、しかもあと30分程度で次の便が出てしまうとのことだったので、朝ごはんにガチガチ に固いパンとチーズを買うとおんぼろバスに乗り込んだ。
 白い煙がゆらゆらと上がっている。崩れ落ちた家の石壁の表面には、真っ黒いすすが付着していた。周囲には、ガラスの破片や炭化した樹木、壊れた農具などが転がっていた 。その廃墟の前に、つややかな黒髪の女性が旅行かばんを持って立っていた。「何、これ。」彼女はポツリとつぶやいた。ごうと風が吹いた。かろうじて支えられていた屋敷の 一部が、がらがらと音を立てて崩れた。彼女は、その音に驚いてびくりとすると、旅行かばんを地面に落としてしまった。黒髪の女性は、その場に呆然と立ち尽くしていた。
 玄関の扉が開くと、そこには30代半ばと思われる男が立っていた。少し銀色が混じった癖毛の頭髪、灰色の瞳に青白い顔色、ダークグレーのスーツを着た恰幅のよい男であ る。「こんにちは。ウェドニー・シェリダンと申します。」彼は、クリスタルシティで都市フィールド破壊と殺人の容疑をかけられていたが、証拠不十分で釈放されていた。( と自分では言っているが、実際には勝手に抜け出てきたものらしい。)そして、しばらくほとぼりが冷めるまで、旧友の家に厄介になることになったのだ。もちろん、その旧友 の計らいで助け出されたことは言うまでもないのだが。
 白髪の老人が、いすに腰掛けてふんぞり返っている。彼は足を組んで、少し神経質そうに貧乏ゆすりをすると、目の前に現れた客人に不快の表情をあらわにした。「今回のこ とは、非常に残念だ。」しばらくして白髪が口を開いた。銀髪混じりの男ウェドニーは、いすに座りなおし姿勢を正すと、少しオーバーアクションに身振り手振りを加えながら 事の顛末を語りだした。「というわけでアイゼナッハ卿、クリスタルシティのフィールドジェネレーター破壊事故は、私の望むところではなく、むしろジェネレーターのエネル ギーの有効利用を説いていたわけなのです。そう、君の言うことはもっともだ。しかし、あの事件で殺された被害者の外傷を調べたところ、ニードルガンによるものであると調 べはついている。そして、そのニードルガンを持っていたのは君だけだと所員は証言している。そうでしょう。そうですとも。確かに、私はあの時、ウオルフ卿を警護するため ニードルガンを所持していました。しかしながら、・・・」彼は、いつのまにか自分自身に対して話をしていた。血管を額に浮き上がらせて、真っ赤な顔をした彼は、鬼のよう な形相になっていた。
 「ウェドニー君、君は疲れている。ゆっくりと休養をとりたまえ。」独り言を聞いていた白髪の老人は言った。ウェドニーは、はっとしてアイゼナッハ卿を見ると、にこやか に微笑み「ありがとうございます。」と言って退室した。卿は、突然態度が豹変したウェドニーに、ぞくりと寒気を感じたが、帝国軍の衛兵が詰めているこの家ならば、何も問 題は起こすまいと思った。もっとも、帝国というのはマイヤー帝国ではなかったけれど。「あの施設にも衛兵はいたはずなのだが。」彼は深いため息をつくと、目を閉じて背も たれに体を預けた。
 酒臭く薄暗い店内には、ざわざわという人の話し声と食器類がたてるかちゃかちゃという音、南国産タバコの煙が立ち込めていた。観葉植物と花の形を模したランプが置かれ た、白とグレーのツートンカラーの丸テーブルの周囲には、花柄がびっしりと描かれた椅子が並べられていて、肌をあらわにした女2、3人と、その女にべたべたとくっついて はびんたを食らっている男、それを眺めてニヤニヤしている男、黙って酒の肴をつつく男などが座っていた。カウンターには丸椅子が並べられていて、目つきの良くない男たち が頭をつき合わせて、酒を飲みながら話をしていた。
 「ボンよ、この町に例のヤローが来ているらしいぜ。」肩に鎖鎌の刺青を入れた男が、ベレー帽をかぶった小男に言った。「知ってるさ、デーブ。」ベレー帽の男は、手にし たグラスを揺らして氷をくるくると回転させながら言った。「俺たちの活動方針はよぅ、帝国の軍国主義のよぅ、そのぅ」ちょっと頭のゆるいもう一人の男が、ろれつの回らな くなった口調で何事か語りだしたが、誰も彼の言葉に耳を傾けようとしなかった。「しかし、あの屋敷の中にいるとなると、そう簡単には殺れねぇ。」デーブは、いつまでもく るくると琥珀色の氷を回しているベレー帽の男に言った。ベレー帽の男は、丸い目をらんらんと輝かせてデーブの方を見ると、「俺様のテクを信用しろ。すでに手は打ってある 。」と言った。「だからよぅ、俺はぁ、まず、人の話を良く聞くということが大事だと思うわけなんだけどな。」頭の弱そうな男がまともなことをしゃべろうとしていたが、や っぱり誰も耳を傾けようとはしなかった。
 人通りの少ない石の通りを、かつこつと足音を立てながら胸を張って歩く男がいた。癖毛の銀髪で恰幅の良いこの男は、クリスタルシティのエネルギーフィールド破壊の容疑 をかけられたウェドニー・シェリダンその人であった。彼は、どうやってか軍人によって見張られた屋敷を脱出すると、街中を見物しにきたのであった。威風堂々と歩く彼の姿 に、すれ違う人は少し緊張した面持ちで挨拶するとちらりと振り返り、どこかのえらい軍人さんなのだろうかとか、高LVのミスティックではないかとか、きっと名門の家の者 に違いないと思った。ま、確かに彼は、元をただせば貴族の家柄のようなのであったが。しばらく歩くと、ウェドニーは放射状に道路が伸びる広場に出た。広場では、子供達が 幾何学模様のタイルの上で跳ねて陣取りゲームをしたり、老人がゆっくりと散歩したり、教会の前のベンチに腰掛けてニャッフルに興じたりしていた。「ここも変わりませんね ぇ。」そう呟くと、彼は陣取りゲームの子供をよけて教会の方へと歩いていった。
 銀髪の男が教会の扉を開け、建物の中に姿を消すまで、ずっと背後からそれを覗き見ている男達がいた。彼らは崩れかけた建物の陰に隠れて、頭を半分だけ通りにのぞかせて 様子をうかがっていた。「ボン、見たか?」腕に鎖鎌の刺青を入れた男が、ベレー帽をかぶった小男に言った。「あぁ、見た見た。」ベレー帽の男は、ぎらぎらとした目玉をむ き出して、今にも獲物に飛びかかりそうな肉食獣のように教会の方を睨んでいた。「やつは、昔からこの教会に通うことを常としていた。やってくる時間も同じ。狙うならここ しかない。」と刺青の男。「この建物の影だと見えないからかな?」少し間の抜けた顔をした男が尋ねた。「それにしても、よく帝国兵の目をくらまして出てこれたものだ。」 ベレー帽の男は、間抜けた男を無視して刺青の男、デーブに話しかけた。デーブは、といってもデブではないのだが、筋肉質の刺青男デーブはニヤリと笑うと言った。「俺も昔 は帝国兵だったんだぜ。昔の仲間がいんのよ。」「お、俺も昔帝国兵だったんだ。」間抜けた男が言った。ベレー帽の小柄な男、ボンは間抜けた男の肩を2,3度ぽんぽんと叩 くと、「お前には重要な任務を任せることになる。」と言った。男は、うひゃうひゃと嬉しそうに笑った。彼は、とんでもない犯行の実行犯になろうとは想像していなかったし 、自分自身も危険にさらされるなど夢にも思っていなかったのだった。
 バスの本数が少ないのは、今日が休日だったからだな。マルクは、痛む両手でパンをちぎってはもくもくと食すると、窓の外に広がる田園風景を眺めながら考え事をしていた 。アイゼナッハさんに会ったら、まず何て言おうか?あの大異変(列車の中で皆そう言っていた)のせいで、各地で血なまぐさい事件が頻繁に起きているので心配になりました 。んー・・・いまいち説得力に欠けるな。学園から迎えに来たことにしようかな。でも、学園に戻ればすぐにばれてしまうよな。そもそも、自分はどうして彼女に会いに行く気 になったのか。彼は、そこのところを自分自身に問いかけてみた。しかし、問いかけるまでもなく、その答えは明らかであった。遠くに白っぽい外壁と尖塔が見えてきた。アイ ゼナッハ嬢の産まれ故郷の集落である。曲がりくねった河川に囲まれたこの街は、7つの橋で外界と接しているため、虹の街などと呼ばれていた。虹の根元には幸せが埋まって いるというが、マルクにとって虹の街が幸せのもとになるか、絶望の暗闇になるのかはまだ分からなかった。
 日曜日の教会前広場は人通りが多かった。バスを降りたマルクは、緑の橋を渡って虹の街の中心、教会前の広場にやってきたのだった。バスは橋の手前で止まると、町の外周 をめぐる道路を通って次の町へ行ってしまった。不便だなと思ったが、通りを横切って走り回る子供達や、道の中心を我が物顔で歩く牛などを見たら、バスがこの中に入ってこ ないのは正解だと思った。マルクは、とりあえず教会に行ってアイゼナッハ嬢のことを聞き出し、彼女の家に行ってみるつもりだった。そのとき、彼は放射状の通りの向こうか ら恰幅の良い男が近づいてくるのが見えた。銀色の癖毛の男は、ゆっくりと広場の中央に近づいてくる。マルクは、周囲の風景から浮き上がって見えるこの男に、何かとてつも ない不安感を抱いた。見たくない。彼は、何の脈絡も無くそう思った。これから起こる事を僕は見たくない!激しくそう思った。
 その男がマルクの目の前までやってきたとき、それは起こった。マルクは、なぜか教会の周囲を見下ろしていた。いつの間にか、教会前の広場から子供達の姿が消えていた。 その代わり、小さな箱を大事そうに抱えた小太りの男と、ベレー帽を被った小男、そして筋肉質の男が教会と反対側の通りにいるのが見えた。小太りの男が、小さな箱を持って 銀髪の男の前にやってくると、彼は持っていた箱の蓋を銀髪の方に向けて開けた。その瞬間の映像を、マルクは生涯忘れることはないであろう。カメラのフラッシュが光ったか のような閃光が目の前に現れると、直後に何かがはじけるような爆発音がした。不思議と衝撃は感じなかった。しかし、彼の精神に与えた衝撃が、凄まじいものであったことは 想像に難くない。彼の視点は、爆発のポイントに移動していた。小太りは爆発の衝撃で後ろに吹き飛んだ。両手はちぎれて無くなっていた。銀髪の男は、衝撃をまともに腹部に 浴びていた。服は引き裂かれ、何か細かな破片や、大きな塊のようなものがあたりに飛び散るのを、マルクは見た。赤黒い色をした大きな塊は、幾何学模様のタイルの上で軽く バウンドし、小道に転がり込んだ。銀髪の男は、ふらふらとした足取りでバウンドした物体を追いかけた。そして、一度マルクのほうを振り向くと、物体を拾い上げて体の元あ った場所に戻そうとしていた。彼は両手で腹を抑えると、うつろな目で何事も無かったかのように立ち去った。マルクは、なぜかその映像から目を離すことが出来なかった。男 の銀髪が爆風の影響でさらに真っ白くなっていることや、部分的にはがれている灰色の顔、白くにごった瞳の色などが、妙にリアルに見えた。そして、その男の無念さ、絶対に 助からないであろうという事実、何もしてあげられない自分の無力さが胸の中でいっしょになり、苦しくて仕方が無かった。銀髪が視界から消えたとき、ようやく彼は呪縛から 開放された。いつの間にか、目の前に幾何学模様が近づいてきていた。これが地面に敷かれたタイルだと気がついたときには、がつっという衝撃と手足に激痛が走り、そして静 寂と闇が訪れた。
 気がつくとマルクは、オレンジ色の小さな部屋の中でベッドに横たえられていた。まだ頭がくらくらして、視界もぐらぐら動いているような気がした。彼は、ゆっくりと体を 起こすと、窓の外から差し込む夕日に照らされた部屋の中を見回した。その時、彼は小部屋のドアが開く音を聞いた。扉の向こうからは、年老いた女性が湯気の立つカップを持 って現れた。マルクは、自分がなぜここにいるのか、すぐにはぴんとこなかった。しかし、カップの模様を見たとき、幾何学模様のタイルの上を転がる物体のイメージを思い出 し、自分が助けられて偶然にも命を取り留めたのだと思い、彼女に礼を述べた。「あなたは、広場の中央で倒れていたのです。」女性はそう言うと、カップをマルクに差し出し た。カップの中身はコンソメスープのようであった。彼は、努めて先ほどの事件について考えまいと思い、ふーふーとカップの中に息を吹きかけると、少しずつ暖かい液体をす すった。じんわりとした熱感が、喉の奥からお腹の中へ降りていくにつれて、気持ちも暖かくなったような気がして落ち着いてきた。そして、自分がアイゼナッハ嬢の故郷の町 にやってきて、凄い事件に巻き込まれたのだという事を認識した。しかし、よく生きていたものだ。
 あの銀髪の人は大丈夫ですか?マルクは、自分でもなんて無神経なことを聞いてしまったのだと後悔した。カップを持ってきた女性は、ぎょっと目を丸くして彼を見た。そし て「銀髪の人なんていなかったわ。」と言った。でも、僕の目の前で爆発に巻き込まれた男の人が。彼が、そう途中までいいかけると、女性は言葉をさえぎった。「そんな事を 言うものではありません。あなたは、ふらりと広場に現れて、そのまま倒れてしまったのですから。」では、あれはなんだったのだろう?この人がウソをついているようには見 えないし。マルクは暖かいカップを両手に抱えると、自分の両手の痛みが消えていることに気がついた。恐らく教会の人が治癒してくれたに違いなかった。と、いうことは、こ こはあの広場の前にあった教会なのだろうと思った。マルクは、もう一度女性に礼を述べると、一番気がかりだったことを尋ねた。この近くに、アイゼナッハさんという人がお 住まいではありませんか?すると、女性はさっきよりももっと驚いて目を丸くした。そして突如目を怒らせると、「あなたはどうしてそんなことばかり聞くのですか!」と言っ て声を震わせた。すると扉の向こうから数人のシスターが現れた。皆この女性の剣幕に驚いている。「アイゼナッハ氏と言えば、この街の有力者でしたが、カール帝国のスパイ であることが明らかになって追放されたのです。」今度はマルクが驚く番だった。
 等間隔に並んだガス灯、切妻破風の家々から漏れる明かり、大陸横断鉄道のヴァルファラ駅の夜は、ローテンブルクと比較すると寂しげで、人通りもまばらである。こんな深 夜に営業しているのは、冒険者会館及び宿屋兼飲み屋くらいなものであった。その宿屋兼飲み屋の1階に、白いフードを被った人の姿があった。ミスティックの多くは大体こん な格好をしていたし、大陸の宗教の中にはこのような服装を義務付けているものもあるらしいが、こんな田舎の駅でお目にかかることはまず無いので、通り過ぎる人は皆一瞬ぎ ょっとして立ち止まり、すぐに視線をそらして立ち去るのであった。
 「プリム」白フードが酒を注文した。しわがれた声だったが、作られたようなぎこちなさがあった。恐らく女性であろうと思われたが、誰も声をかけようとはしない。白フー ドは、薄い朱色のグラスを手にすると、ぐいっと一気にあおってしまった。「憎い、絶対に許さない。」白フードがぼそりと呟いたようである。バーテンが声の主の方を見ると 、ゆらゆらとしたオーラのようなものが立ち上っているのが見えた。いつの間にか他の客は退散している。「商売上がったりだ。」バーテンは、思わずそう口にしてしまったこ とを後悔した。フードがこちらを向いて、その暗がりの中から2つの光が覗いていたから。からころ、からころ。その時、店の入り口の扉が開いて、バーテンの金縛りは解かれ た。「いらっしゃい!」バーテンが、にこやかな愛想笑いを浮かべて入り口を見ると、そこにはみすぼらしい姿の子供がひとり立っていた。なんだガキか。そう言って子供を追 い出そうとした彼であったが、今は化け物と二人きりになるよりはましと思い、見てみぬふりをすることにした。少年は、店内を見回すと白フードの存在に気付き、迷わず彼女 の前に腰を下ろした。
 「マルク君」白フードがつぶやいた。今度は、やわらかな、しゅわしゅわと響くような心地よい声であった。ぼろぼろの服を着た少年は、店内を見回すと散々迷った挙句、ジ ャガイモのふかしたのを注文した。「マルク君」白フードがもう一度つぶやいた。マルクと呼ばれた少年は、ニコリと微笑むと「ずいぶん探したんですけど。」と言って、グラ スの水をごくりと飲んだ。しばらく沈黙の時間が流れた。白フードは、言うまでもなくアイゼナッハ嬢である。彼女の精神は、まだ憎しみと悲しみの仮想空間と現実の世界とに 重なって存在していた。そのため、目の前にいるマルクにも、機械的にしか反応できなかった。これで何度目か分からないが、仮想空間の彼女は廃墟と化した自分の屋敷を見た 後、祖父が世話していた軍人の家に向かっていた。そこで、今回の事件のいきさつを知らされるのだ。
 「ハインツさん、カレンです。カレン・アイゼナッハです。」彼女の屋敷に勝るとも劣らぬ大きな屋敷の入り口で、つややかな黒髪の背の高い女性が、重厚な扉についた呼び 鈴を鳴らしていた。すぐに豚のような姿をした使用人がやってきたが、彼女は取り次いでもらえなかった。それどころか、胡散臭そうな目で見られる始末であった。「なぜ?な ぜなの!?」ヒステリックに叫ぶ彼女に、使用人は吐き捨てるように行った。「この汚らしいカール帝国の犬が!!」「なんですって!?わたくしが、なぜあのいやらしい帝国 の犬なのですか!」「お前のじい様はな、クリスタルシティを破壊するために、工作員を送り込んだんだ。当然の報いを受けたのだ。全ては、わしが…いや、ご主人様によって 白日の下にさらけ出されたのだぞ!もちろん、クリスタルシティを灰にした張本人も、裁きを受けた。ククク。」背の低い豚のような姿をした使用人は、いやらしく笑うと言っ た。「木っ端微塵にされたようだぞ。ククク。」カレンは、自分の祖父が送り込んだ工作員という人物が誰なのか全く心当たりが無かったし、祖父が工作員を送り込んでいたと いう事自体信じられなかった。彼女は、ハインツ氏に会って、祖父について直接話を聞きたいと思ったが、いやらしい笑みと視線を這わせてくる豚野郎の顔を、もう1秒でも見 たくないと思って、くるりと振り向くと屋敷を後にした。「何が犬よ、自分は豚のくせに。」
 マルクは、お皿に載って湯気を上げているジャガイモをフォークでつつくと、器用に4つに切り分けた。「ほら、熱いうちに食べようよ。」彼は、ふはふはと息をしながら、 熱いジャガイモを口の中に放り込んだ。白フード、アイゼナッハは、黙って彼を見ていた。実際彼女は、まだ事態を把握できないでいた。なぜ、彼がここにいるの?彼はノイン ツェンに帰ったのではなかったの?「マルク君、どうして?どうして、あなたが、ここに?」彼女は、ワンセンテンスごとに言葉を区切りながら、一言一言確認するかのように 彼に話しかけた。「それに、その傷はどうしたの?」彼女はようやく、マルクの服装や顔色が尋常な状態でないことに気付いた。そう、あれから、私がクリスタルシティを出発 してすぐ、あの大異変が起きた。アイゼナッハは、憎しみによって麻痺していた思考回路に、だんだんと電流が流れてくるのを感じた。その事故に巻き込まれた?「マルク君、 よく無事で・・・」急にこみ上げてくるもののあった彼女は、マルクの頭を両手でつかみ、ブロンドの髪をくしゃくしゃとなぜた。その拍子に白いフードの下から彼女のつやつ やとした髪が流れ出た。マルクはニッコリと微笑むと、もう一度言った。「ずいぶん探したんですけど。」
 彼は幾つかの幸運に恵まれていた。一つは、虹の街が比較的小さな集落であり、聞き込みが容易であった事。ローテンブルク周辺だったら、彼らが再会する事は無かっただろ う。幸運の二つ目は、彼が深夜にヴァルファラ方面に向かう車に乗せてもらえた事。彼は、アイゼナッハ嬢がヴァルファラ方面のバスに乗ったところを見たという情報を得たの だった。三つ目の幸運、それはヴァルファラ駅の終電が早い時間で無くなり、また駅前の宿屋が数件しかなかった事である。
  アイゼナッハは、ようやく正常に戻った思考回路で、マルクが自分を心配してやってきたことを理解した。そして、それは彼が自分に対していだいている感情の表れであるこ とも理解できたし、自分自身もそれを嬉しく思っていた。しかしその反面、こんな子供に対して自分がいだいている感情を正常でないと思っていたし、これから自分がなそうとし ていることに彼を巻き込みたくないのだとも思っていた。彼女の心の中では、しばらくの間二つの感情が闘っていた。マルクは、そんな彼女のほうを見て無邪気にジャガイモをほ おばっていた。
 「マルク君、あなたは帰らなければならないわ。」おもむろにアイゼナッハは言った。彼女は、顔を隠していたフードを取るとさらに続けた。「マルク君、あなたが来てくれた ことは、その気持ちは、私すごく嬉しいわ。でも、私には、これからどうしてもしなければならない事があるの。それは、アイゼナッハ家の、私の家族の名誉を守るために絶対に 必要な事で、そしてそれはあなたには関係のない事なのよ。それに、あなたにだってすべきことがあるはずです。ノインツェンの寄宿学校だって、ずっと休学しているわけにはい かないでしょう。あなたは帰らなければならない。あなたを待っている人のもとへ。」
 マルクは彼女の話を聞いて、なんだか頭がくらくらしてしまった。彼は、床に届いていない両足をふらふらさせると、手を組んでうつむいた。拒絶されるなんて信じられない、 と彼は思った。彼は上目遣いにアイゼナッハのほうをチラリと見た。そこには、いつになく厳しい目をした彼女の顔があった。マルクは組んだ両手の指を交互に曲げ伸ばしたり、 手を自分の口のところに持っていって、唇をかんだりしていた。そうしているうちに、彼は頭の奥のほうがじんと痛み出した事に気がついた。例の発作が起きようとしているよう だった。強い精神的なショックを連続して受けたせいだ。軽い吐き気を伴う頭痛が始まりかけたとき、彼は自分の視界の周囲にウネウネと動くものを見て、発作の苦しみの始まり に絶望した。しかし、あることに気づいてさらに衝撃を受けた。雲が見える。シュティル・シュバイゲンの学園で見た、そしてクリスタルシティの学会会場で見たあの雲が、あろ うことかアイゼナッハ嬢の全身を包み込むようにして広がっているのだ。発作じゃないぞ。マルクは、彼女の周囲に現れた雲が何を表しているかよく分かっていた。彼女の身によ くないことが起きる。クリスタルシティの時のように。
 アイゼナッハは、一通り自分の言いたいことを言うと、少しすっきりとした気分になっていた。彼女は、マルクの気持ちが痛いほど分かるし、本当は自分もそれを受け入れたい と思っていたが、これでよかったのだと自分自身に言い聞かせた。そして、しばらく無言だったマルクが、彼女を見て何かをつぶやいているのを聞いたとき、彼が何を言っている のか理解するまでしばらく時間がかかった。雲って、何?
 アイゼナッハさん、雲が見えるんだ。クリスタルシティの会場でも見た、シュバイゲンの学園でも見た、あの雲が見えるよ。僕は、この雲が何か不吉なことを表していると思う んだ。マルクは、自分でもおかしなことを言っていると思ったが、今はそれ以上の表現は思いつかなかった。彼女が何をなさんとしているのか、彼には知るすべがなかったが、そ れが彼女にとって身の破滅を招くことであろうということを、いまや彼ははっきりと確信していた。
 「マルク君、どうしたの?」破壊と憎悪の海を抜け出したアイゼナッハは、いつもの理知的で合理的な頭脳の持ち主に戻っていた。マルク君、よっぽどショックだったのね。で も、仕方が無いんだよ。君とは年の差もあるし、ノインツェンに戻ってガールフレンドを見つけなきゃ。彼女は、ちくりと胸の奥が痛んだ。
 アイゼナッハさん、シュバイゲンのスタイン先生も言っていたよ。重なって存在する世界の話。僕の発作は、重なった世界と関係があるって。この雲みたいに見えるのは、重な った世界の一部だと思う。僕たちの住む物質の世界とは異なる世界。クリスタルシティでは、たくさんの人たちがその世界に続くゲートを開けてしまったんだと思うんだ。飲み込 まれてしまったのかもしれないけど。その世界は、生きた人間の、物質である人間の行く世界ではないんだと思う。僕たちの魂が行き着く先の・・・
 「やめて!」アイゼナッハは、マルクの言葉をさえぎった。彼女は、もともと理屈に合わないことは好きではなかったし、自分の研究、アナザーワールドの存在を肯定する召喚 系魔道理論にしても、オカルトじみたものと結びつけて考えることを嫌っていた。召喚系魔道理論が毛嫌いされたり、時としてまともな評価を受けなかったりする理由のひとつが 、そこにあるからなのだ。「マルク君、素人が召喚系魔道理論について話をするものではないわ。あなたの発作は気の毒に思うけれど、召喚系魔道はれっきとした学問です。まじ ない師のあやしい世界といっしょにしないで。それと、私の気持ちはもう分かったでしょう。もうこれ以上私につきまとうのはやめて。迷惑だわ。」
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