「Funny World じょたの冒険」
Page 16
第5話「じょたとシェリル、出会うの事」(下)
 視界がくるくると回っている。体もふにゃふにゃとして気持ちがいい。空中に浮かんでいるか、水中を漂っているか、はたまたブランコにでも乗っているかのような感覚であ る。うねりが体を高みに押しやって、すーっと底のほうへ戻していく、そんな感じだ。何度目かの波がやってきて体が地面の奥底へ押し付けられると、もう浮き上がるような感 覚はやってこなくなった。そのかわり、体全体が重たくなり、呼吸をするのもつらくなってきた。全身がけだるく、指先をほんの少し動かすだけでも、全神経を集中しなければ ならなかった。汗が首筋を伝って流れていく。首がピリピリと痛んだ。あ、さっきの、傷。ここは、どこ?
 彼は、目玉だけをゆっくりと動かして周囲を見回すと、窓の無い狭苦しい部屋の中にいることが分かった。部屋には調度品の類は一切無く、石のブロックを積んで作られた壁 面しか見当たらなかった。頭の上の方が明るいので、そこに明り取りの窓か、入り口があるのだろうと推測できたが、首が動かないので確かめようが無かった。こつこつと足音 が聞こえてきた。彼は、それが誰であるかすぐに理解した。ミレーネだ。
 「ご気分はいかがかしら、じょた君。」彼女の手には、彼の大嫌いな物が握られていた。それも凄くぶっといやつだ。注射器。「お願いだから、もう少しおとなしくしていて ちょうだい。もうすぐあなたにふさわしい巫女をご用意するわ。それまで楽しい夢でも見ているのね。」彼女は、じょたの腕を乱暴につかむと、ろくに消毒もせずに注射針を血 管に突き刺した。うっ!一瞬どきりとしたが、不思議に痛みは感じなかった。どうやら麻酔薬を注射したようであった。彼はまた、波が連続して押し寄せてくるのを感じた。気 持ちがいい。だめだ、眠ったらだめだ。「おやすみ、また明日くるわ。」ミレーネは、そう言うとじょたの額にキスをして部屋を出て行った。
 国境のゲートには、重装備の竜鱗鎧をつけた兵士がたむろしていた。そのうちの何名かは本当に竜の姿をしており、彼らが人間ではなく亜人種のドラゴラム族であることを物 語っていた。彼らはボトルの酒をまわし飲みしたり、通過する民間人に言いがかりをつけては、通行税を勝手に徴収したりしていた。正規軍ではないからなのか、ドラゴラム族 の性格のせいなのか、まったくもってやくざな兵士たちであった。兵士のひとりが、若い女性がゲートに近づいてくるのに気がついた。彼は、居眠りしている仲間たちを起こす と、彼女をからかってやろうとゲートの前で待ち構えていた。
 「ちょっと待ちな。所持品の検査をしなくちゃならねぇ。詰め所の方へ来てもらおうか。」竜鱗鎧の人間の兵士は、ロングスピアで若い女を威嚇すると、手下の兵士に連れて 行くようにあごで合図した。「カール帝国の兵士も落ちぶれたものね。」女は、赤いハードレザーアーマーを着て、2本のダガーを腰のベルトに帯びていた。旅をしてきたにし ては、リュックや水筒などの荷物も無く、軽装であった。「カールていこくぅ?何を言っていやがるんだ、ここから先は竜族の国家なんだぞ。怪しいやつ。スパイかもしれん、 牢屋へぶちこんでやる!」女は、数人の兵士に囲まれても顔色一つ変えなかった。竜鱗鎧の兵士のロングスピアが女のレザーアーマーを突付いたとき、突如として女の周囲に突 風が巻き起こった。そして、槍の穂先から急速に凍りつき始めた。「うおっ、こいつ魔道師だ!気をつけろ!」だが、その言葉も最後まで発せられることは無かった。槍から両 腕そして心臓までが、一気に凍りついてしまったのである。女はミレーネであった。彼女は、自分の体にある条件で自動的に魔道が発動するような仕掛けを施しておいたのだっ た。彼女は、背後の兵士のほうを振り向いた。彼らは驚いて腰を抜かすばかりで、戦闘の意志は無いようであった。彼女は、何事も無かったかのように国境のゲートを通過する と、跳躍の呪文を唱え始めた。「古魔道のテレポートブロックも良し悪しね。強力なのはいいけれど、使い勝手が悪いったらないわ。」ミレーネは、山吹色の光に包まれて見え なくなった。ゲートでは、凍りついた兵士を助けようとして大騒ぎになっていた。
 城のテラスに若者がいた。少しピンクがかった銀色の髪を風になびかせて、城下町を眺めていた彼は、チェロンを奪い取ったファンネル・バウムその人であった。彼は、ごく 自然に腰の剣に手を伸ばした。「私よ。」「ミレーネか。」彼の背後には、いつの間にか先ほどの女が現れていた。「順調にいっているの?」ミレーネは、ファンネルに近づき ながら言った。「巫女にするべき人物ならば確認している。」「そう、こっちも生贄にする子供は手に入れたわ。」しばらくの沈黙。「少し歩かない?」ミレーネは、ファンネ ルの隣に立って城下町を見下ろしながら言った。「もう、昔のようにはいかない。私は、この地の支配を任されたカール帝国の軍人だ。」「そう。じゃぁ、城下町の視察をしに 行きましょうよ。」ミレーネはさらに食い下がった。ファンネルは黙っている。「苦しいんでしょ。」ミレーネは、テラスの手すりによしかかってファンネルを見た。「理想の 世界を築くためとはいえ、帝国を裏切らなければならないことが。ウソをつき続けることがつらいんでしょ。」ファンネルは、黙ってくるりと振り向くと城の中へ向かった。そ して、ミレーネの方は見ずに言った。「私がこの国の姫と婚約したのは知っているだろう。そのほうがこの国を統治するのに都合がいいのだ。まずは自分の足場を固める。事を 起こすのはそれからだ。」あの噂は本当だったのね。ミレーネは、少なからずショックを受けた。
 ミレーネとファンネルは同じ教団の幹部だった。その教団は、現世に神を降臨させて奇跡を起こし、世を救うといういかがわしいものであったが、彼女にとってはそんなこと はどうでもよかった。どうでもよくなったと言うべきか。神を降臨させるには、その媒体となる巫女が必要である。また、生贄が必要となり、それは魔道センスの著しく高い、 しかもある特殊な魔道を持った人間でないといけなかった。生贄が必要という時点で、すでにまともな神でないことは確かだが、誰もそれを口にする者はいなかった。皆、カー ル帝国の支配に疲れきっていたからである。とりあえず現在の状況を何とかしたかった。そのためには多少の犠牲には目をつぶろう。ファンネルと出合ったのは、教団のイニシ エーションのときであった。時を同じくして入会したミレーネとファンネルは、将来の夢について語り合い、そして恋に落ちた。彼には人をひきつける魅力があり、将としての 才能もあった。瞬く間に昇進した彼は、カール帝国の中枢にもぐりこみ、まんまと将軍の地位を手に入れた。それは、カール帝国を内側から切り崩すための策略であった。そし て、カール帝国の国土拡張政策を利用して、理想国家を築くための基礎を作った。ドラゴラムなどという、いやらしいトカゲ人間までも利用して。ミレーネは、彼のために働け ることが嬉しかった。彼のためならば、進んで汚れ役も引き受けよう。この命さえも投げ打って。彼女の瞳からは、いつの間にか涙があふれてきていた。ミレーネは、しばらく ファンネルの消え去った方を見つめて立ち尽くしていた。
 あれからしばらくの間、じょたは睡魔と闘っていた。ふわ、と体が宙に浮かぶ。周囲はほかほかと暖かくて、微妙な震動が足の先から頭のてっぺんまで移動していく。そして 、震動が全身に行き渡ると、急速に地の底へ落ちていくのだ。大丈夫、眠っていても平気さ。巫女?そう、巫女に会うんだ。友達になれるかな。彼の目の前には、白い着物を着 た巫女が現れていた。自分と同じくらいの年齢のようだ。そう、この子と友達になればいいんだから。何も怖くないし、何も悪いことするわけではないし、あの女性だって本当 はいい人、・・・でも、なぜこんなことをするの?また、体が勢いよく持ち上げられた。あ、だめだ、眠ったらだめだ。目を開けなくちゃ。じょたは、全神経を集中して目を開 けようとした。巫女がじょたの手を取って、どこかへいざなおうとする。違う、これは夢だ。彼女は、じょたの手をつかんでぐいぐいと引っ張ると、奈落の底へ落下するかのご とく急降下しだした。巫女が笑っている。幻覚だ、幻聴だ。ここには誰もいない。自分以外誰もいない。じょたは、自分にそう言い聞かせると、部屋の様子をイメージし始めた 。石の壁、横たえられた自分、よし、いいぞ。自分よ目を開けろ。彼は、必死になって自分自身が目を開けて起き上がる様をイメージした。イメージの彼は、ゆっくりと目を開 けた。
 最初、目の前に何が映っているのかよく分からなかった。だんだんと目が暗がりに慣れてくるにつれて、自分が薄暗い石の部屋の中にいることが分かった。あれ、さっきと少 し違うみたい。じょたは、重たるい体に鞭打って、寝返りを打った。あごを石の枕にのせて、先ほど明るかったほうを見た。そこはじめじめとした廊下だった。さっきはこっち が明るかったのに。彼は、壁に何かの燃えカスが残っているのを見て理解した。たいまつだ。そうか、さっきはミレーネがいたから明るくしていたんだ。確か、明日また来ると 言っていた。あれからどれくらいの時間が経過したのか分からないが、なんとか彼女が戻ってくる前に脱出したい。連続して麻酔を使ったせいか、または薬の調合が前とは異な るのか、効果が少し薄いのがラッキーであった。彼は、ゆっくりと体を起こすと、薄暗い廊下のほうへ歩きだした。
 何度もひっくり返りながら廊下の端にたどり着いた。そこは、石の扉でふたがされていた。じょたは、手探りして扉の表面を調べた。扉の内側にも開閉装置があるはずだ。苔 が生えた場所に手を突っ込んでびっくりする。もう少し明るければ調べやすいのに。石の廊下には、照明らしきものは何一つ無かったが、壁の表面がぼんやりと光っているおか げで、おぼろげな輪郭程度は見ることができるのだ。光苔なのかな?そうは見えないけどな。ざらざらとした扉の表面を探っていると、背後に何者かの気配を感じた。え?自分 以外誰もいないはずじゃぁ?それとも、見張りがいたのか?じょたは、背中にじっとりと汗が噴き出してくるのを感じていた。振り向いたときに、自分のすぐ後ろに誰かがいた ら・・・その場で殺されてしまうのでは?いや、ミレーネは今すぐには殺さないと言っていた。巫女が来るまでは大丈夫。では、その後は?いや、今はそんなことどうでもいい 。何かが背後で動いている音がする。確かに誰かがいる。じょたは、ゆっくりと後ろを振り返った。
 「それは、あなたの体質なのです。」白猫のコンキラトッピは言った。オマチの城下町にあるコンキラトッピの家で、シュウ、マルコニャンコ、じょたの3人は、彼女の話を 真剣に聞いていた。彼女は猫だけれど、占い師としてのずば抜けた能力も有していた。オマチ城での、例の一件があってからというもの、じょた達3人組は彼女の家によく出入 りするようになっていた。「あなたに、色々なものが近づいてくるのは、あなたの体質のせいなのです。」じょたは、最近自分の周りでおかしな事件ばかり起こることを、トッ ピに話していたのだった。「そうね、分かりやすく言うと・・・」彼女は、ソファの上で丸くなってうっすらと目を開け、じょたの方を眺めるとこう言った。「あなたの好きな 昆虫の話にたとえるなら、あなたは誘蛾灯のようなものなのです。あなたがいるだけで、あなたという光に向かって、虫たちが近づいてくるのです。」
 じょたが振り返ると、背後に真っ白なものがふわふわと揺れていた。「うわ!幽霊!!」「幽霊?」じょたが幽霊と見間違えたのは、白いゆったりとした全身を包むような服 を着た、青い目をした20代前半くらいの青年であった。青年は、じょたが腰を抜かして驚いているのを見て笑った。「ハハハハ、幽霊だって?どこにいるんだい?」この服装 、神官のようだとじょたは思った。あの部屋の向こうにも、通路があったのかもしれない。「ま、こんな場所だから、出てもおかしくは無いけどね。ところで、君はなぜこんな 所にいるんだい?ここが、誰でも入っていい場所ではないことくらい、君も知っているだろう。」「あの、僕ここへ閉じ込められたんです。ここへ来たのは初めてで、ここがど こであるかさえ分からないんです。」じょたは、薬のせいで少しろれつの回らなくなった口調で言った。「本当かい?」青年は、やれやれといった表情で手のひらを上に向けて 肩をすくめた。「分かった。今ここから出してあげる。」青年は、石扉の手前の壁に手をつくと、壁の一部を反転させて中のレバーを作動させた。なるほど、扉じゃなくて壁に 作動装置がついていたわけか、とじょたは納得した。
 外に出ると、銀色の満月が煌々と山の斜面を照らし出していた。細長い石の階段を下った先には集落が存在しているのか、家々からもれる暖かなオレンジ色の光が、幾つも小 さく瞬いていた。そのオレンジ色の光の集まりの向こうには、真っ黒い森が広がっていた。そして、森の向こうには白波を立てる海が見えた。じょたは、冷たい風に頬を打たれ て急速に眠気が失せていった。「今日はもう遅い。ふもとの町で休んでいくといい。君を誘拐してきたその女が何者かは分からないが、僕達の町にだって自警団くらいはいるさ 。大丈夫、安心して休むといい。」じょたは、青年と細い階段を下りていった。階段は、じょたの出てきた建物より上の方にもまだ続いているようだった。階段の先をずっと目 で追うと、山の頂上に祭壇のようなものが見えた。「ここは、どこなんですか?」「マヤスの港さ。もっとも、この時期は海が荒れるから、入港してくる船は殆ど無いがね。」 マヤス?聞いたことも無い地名だ。跳躍の魔道を使ってヤマトの外へ来てしまったに違いない。じょたは急に心細くなってきた。「僕、オマチから来たんです。」「オマチ?あ まり聞かない名だな。」青年は、あごに手を当てて、頭をかしげて考えている。やっぱり外国に来てしまったんだ。じょたはますます心細くなってしまった。
 長い階段を下りきると、集落にたどりついた。じょたは、周囲の家々からもれてくる暖かな光に、何とはなしに不安を感じた。人の気配がない。人間が生活している雰囲気が 感じられないのだ。石造りの建物にはめこまれたガラス窓からは、暖かいオレンジ色の光がもれているけれど、部屋の中は道からの微妙な角度のせいで見ることが出来なかった 。「それは、あなたの体質なのです。」じょたは、トッピの言葉を思い出していた。そもそも、この人はあの建物で何をやっていたんだろう。あそこにいたのは自分ひとりだっ たはずなのに。廊下を這って歩いていたとき、自分の周囲には誰もいなかったはず。ひょっとして、本当は、自分はまだあの部屋で寝ていて、夢を見ているのだろうか?これは 皆夢なのだろうか?じょたは、自分の顔をつねってみた。「どうした?」「いや、何でもないです。ところで、この港町はずいぶん静かなんですね。」「あぁ、いつもだったら もっと騒々しいんだぞ。さっきも言ったけど、最近は海が荒れているので入港する船がいないのさ。まぁ、港とこの町は黒い森をはさんでいるから、騒音はこの町までは届かな いということもあるがね。」なるほど、ほっぺも痛いし、どうやら夢では無さそうだ。「ところで、あの建物で何をなさっていたんですか?」じょたは、一番気がかりだったこ とを聞いてみた。青年は、びくりとして足を止めた。「君は、この町の人間ではないから知らないかもしれないが・・・、この町ではもうすぐお祭りがあってね、その準備をし ていたんだよ。」こんな夜更けに?しかもひとりで?じょたは、その言葉を飲み込むと、何も気付かなかったかのようにまた歩き出した。薬でずいぶん眠らされてはいたけれど 、まだ頭がくらくらしていてもう一眠りしたかった。ただしその場所は、真の意味で安全であってほしい。
 「この黒い森の先はどうなっているんですか。」じょたは、さりげなく聞いてみた。「この森を抜けようと考えているならやめたほうがいい。」青年は言った。じょたは横目 でちらりと青年の方を見た。うつろな目をしている。顔色も心なしか白っぽい。お祭りの話をしたときからそうだったと思う。「ここがどこの国なのか気になったんです。ヤマ トですか?それとも南の大陸以外の国なんですか?」青年は、暗い表情をしてうつむき、話し始めた。「僕はね、この町から出たことは無いんだよ。そして、この先も他の世界 を見ることなく一生を終えるのさ。」「港、マヤスの港からは、外海に向かって船が出ているんでしょ?」「あぁ、出ているとも。」「それなら、いつか船に乗って旅に出たら どうですか?僕も、いつか冒険者になって、世界中を旅するのが夢なんです。」青年はニッコリと微笑んでじょたの方を見た。「子供の頃には、僕も君と同じような夢を見てい た。毎日のように入港する帆船を見に行っては、珍しい積荷が商船会館の倉庫に積み込まれるのを見たし、肌の色が異なる船乗りたちがマヤスの港で商売をするのを見物したこ ともある。」
 「人間には、それぞれ役割というものがあるんだ。」青年は、じょたの手をつかむとまた歩き出した。じょたは、何か恐ろしいことに巻き込まれていくような気がして、もう 一刻も早くこの場所から逃げ出したくなった。青年がじょたの手を握っているのは、自分を逃がさないようにするためだと思った。「僕には僕の役割がある。そして、それを果 たさなければならない。」青年は話をそう締めくくった。じょた達は、いつの間にか町はずれの寺院にやってきていた。「今日はここで泊まっていくといい。ここのシスターは 僕の妹なんだ。」
 扉を開けると中はオレンジ色の光に包まれていた。寺院の礼拝堂では、ひとりの女性が、光に包まれて神に祈りをささげていた。彼女は不意の来客に驚いて振り向いた。そし て、じょたと一緒にいる青年を見て2度驚いた。「兄さん、どうしてここに?」「この子供が、あの建物の中にいたんだ。」「まぁ、あの中へ入ってはいけないと言われている でしょう。」「この子供は、この土地の人間ではないんだよ。」「あの、僕オマチから来たじょたといいます。」「私はミュウ、この寺院のシスターをしているの。」「紹介が 遅れたけど、僕はイプシロン。猟師をしているんだよ。」
 応接室で、じょたはミュウにお茶を入れてもらった。お腹がジーンと温まり、首の後ろもほかほかしてきた。よかった、この町にはちゃんと人間が住んでた。ほっとしたらま た睡魔が襲ってきた。じょたは、ミュウに寝室へ案内してもらうと、ばたんきゅーと眠りこけてしまった。夢うつつの状態で彼は、誰かが言い争う声を聞いた気がした。
 ふと目が覚めた。あたりは静まり返っている。まだ夜は明けていないようだ。じょたはベットから起きだすと、寝室の扉を開けて廊下の様子をうかがった。冷え切った廊下は 月明かりに照らされて青白く浮かび上がり、自分の歩いてきた足跡が点々とついているのが見えた。じょたの寝ぼけた脳みそに血が巡るのには、しばらく時間がかかった。自分 の歩いてきた足跡がついている。え?ミュウさんの分はなぜ無いの?それに、こんなにほこりがたまっているなんて、ここは掃除をしていないのだろうか?じょたは、背筋がぞ ぞぞっと寒くなってきた。やっぱり、この町は普通じゃないよ。じょたの第六感が危険シグナルを発していた。跳躍系アイテムがあればなぁ!じょたは悔しがったが、アイテム の類はミレーネに全て奪われてしまっていた。
 じょたは、自分の足跡をたどって礼拝堂へ続く扉の前へやってきた。冒険者セミナーではないけれど、実技試験をもう一度受けているような気分だった。今度は、失敗は許さ れない。じょたは扉に耳をあてると、全神経を耳に集中した。隣室からは、ことりとも音は聞こえてこない。ドアのノブに手をかける。うわ!やっぱり絶対におかしい。ほこり だらけだ、さっき開け閉めしたばかりなのに。ドアを開けると、薄暗い礼拝堂には誰もいなかった。さっきまでミュウさんが祈りをささげていた女神像の前には、黒っぽいしみ が広がっていた。嫌な予感がする。「それは、あなたの体質なのです。」コンキラトッピの言葉どおりだとすると・・・。いや、それは考えるまい。じょたはすばやく寺院の入 り口に移動すると、扉の後ろに張り付いた。よし、誰もいない。じょたは、一瞬自分をもてなしてくれたミュウさんに、お礼も言わずにここを立ち去るのは失礼かなと思ったけ れど、無事に帰れたらいつでもお礼を言えるのだと思い直して、やっぱり黙って立ち去ることにした。
 満月に照らし出されたマヤスの町を、建物の影から影へひた走る影が一つ。オレンジ色の光が溢れ出していた家々は、今や全ての窓を固く閉ざして、一筋の光も漏れてくるこ とはなかった。白い息をはぁはぁと吐き出しながら、息を切らせて走っていたのは、寺院から逃げ出したじょたであった。彼は、これからどこへ行けば良いか分からなかったけ れど、じっとしているのは嫌だった。誰かに見られているような気がするから。港は、波が荒くて船が入港していないと言っていた。黒い森の向こうへは行くなと言っていた。 閉じ込められていた石の建物の方へ行くのはまっぴらだったし、今さらあの誰も住んでいない寺院へ行くのも嫌だった。朝になれば、朝になれば全ての呪縛から逃れることがで きる。じょたは、何の根拠も無いけれど、漠然とそう思っていた。
 山腹にぽっかりと口を開けたトンネルからひとりの少女が現れた。ストレートのロングヘア、卵型の顔は月の光を浴びて白く生気が無い。全体的に白を基調とした服装は、生 気の無い表情とあいまって、彼女を幽霊のように見せていた。彼女は、空を見上げると、煌々と輝く月を眺めて身震いをした。「なんでだろ。私、月を見るのが怖い。」彼女は 、朽ち果てた石の道の先に見える町の方へ歩いていった。その町は、一目見て人が住んでいないと分かるほどの荒れようであった。殆どの家には屋根が無かったし、壁に穴が開 いていない家を探すほうが大変なくらいであった。静かだ。風の音以外何も聞こえない。「?」足音?彼女は、すばやく建物の影に身を隠すと、通りの様子をうかがった。誰か が走ってくる。自分と同じくらい、いやもっと子供みたい。どうして子供がひとりでこんな所にいるのかしら。彼女は息を殺して、近づいてくる少年を見た。蒼い髪の少年は、 しきりに自分の背後を気にしながら、建物の影をたどるようにして走っていた。通りを通過する際に、一瞬自分と目が合ったような気がしたが、彼はそのまま通り過ぎてしまっ た。彼は、何から逃げてきたのだろうか?彼が走ってきた方向に目を凝らすと、朽ち果てた寺院が見えた。彼女は、背筋にぞくりと寒気を感じた。いつもならば、寺院で宿泊す るところなのだが、この町では止めておこうと思った。そして、走り去った少年の事が気になるので、彼の向かった方へ歩きだした。
 じょたは四つ角の通りを走り抜けた。交差した通りの影の中に、何か白い物体が動くのが見えたような気がした。強い風が吹いて、どこかで扉の閉まる音がした。寺院の方向 だ。ひょっとして、ミュウさん?それともイプシロンさん?じょたの頭の中に、扉の前にユラリと立つ男女のイメージが浮かび上がった。足がわなわなとして力が入らなかった 。とりあえず、寺院から離れなくては。このまま行くと、閉じ込められていた建物に続く階段があるはずだった。あの建物にはミレーネがやってくる。でも、今は、足音も無く 追いかけてくる奴らよりは、ミレーネのほうがずっといいような気がしていた。つけてくる。何かが僕の後をつけてくる!肩越しにひょいと後ろを振り向いたとき、じょたは見 た。月の光を浴びて透明になった人たちが、わらわらと壁から抜け出して彼の後を追いかけてくるのを。
 なんだか嫌な雰囲気だわ。ここが、死んでしまった町だからかしら。彼女は、ここへ至るまでには、ひとりで森の中で野宿したこともあるし、長い地下トンネルの中でだって 、器用に眠れる場所を探して休んでいた。もっとも魔道具のキャンプ用品があったからの事であって、それが無かったら一日たりとも旅を続けることは出来なかっただろうけど 。あぁ、暖かいふかふかのベッドで眠りたい。彼女は、少年が走り去る方向に、細長い階段を見た。階段は、遺跡らしきものが建つ山の頂上へ向かって続いていて、その途中に はドーム状の建物が建っていた。彼女は、山頂の遺跡とそのドームを見たとき、心の底から恐怖がこみ上げてきた。嫌な感じ。早くここを立ち去りたい。あの子、どこまで走っ ていくつもりなのかしら。
 じょたが階段を途中まで登ったとき、そのことに気がついた。予想はしていた。想像どおりだ。でも、期待はしていなかった。じょたの登る階段の先に立っているのはイプシ ロンさんであった。彼は、出会ったときと同じ白い神官衣をまとい、建物の入り口でじょたを待っているようだった。振り向くと、月明かりを浴びた細長い階段の下には、向こ う側が透けて見える人たちが、じわじわと接近しつつあった。「それは、あなたの体質なのです。」あぁ、分かった。分かったよ。こういう事なんだ。彼は、全身が総毛立って くるのが分かった。ちくちくと痛いミレーネにつけられた傷が、自分がまだ人間であると気付かせてくれたのが嬉しかった。どれだけ続くか分からないけど、やってやる!
 彼女が、周囲の異変に気がついたのは、階段の途中に立つ少年がこちらを振り返ったときである。彼は、何を思ったか、突如こちらのほうに向かって呪文を詠唱しだしたのだ 。何よ?あ、あれ?誰かいる。彼女は、自分の周囲にいつの間にかたくさんの人が現れている事に気がついた。彼女は、基本的に幽霊というものは信じていない。彼女の信じる 神の教えでは、魂は全て神のもとに召されて、この世にさまよい出る幽霊など存在しないはずであった。この人たちいつの間に現れたのかしら?気持ち悪いわねぇ。
 じょたは、両手のひらに柔らかいエネルギーを集中させると、リズム良く握りこむ動作を繰り返した。すぐに胸やお腹からエネルギーが熱い流れとなって腕に流れ込んできた 。「天空に漂う粒子よ。大地の創りし至宝の輝きよ。我、今まさに天地をつなぐ渦動の中心となりて、宇宙の理をここに示さん。」じょたの周囲に、きらきらと輝く粒子が集ま って渦を巻き始めた。それは、まるでじょたを中心にしてたくさんの星々が回転しているかのようであった。そして、その星の密度はどんどん高くなっていった。「おまえらぁ 、跡形も無く消えろぉ!銀の涙!」じょたの体を取り巻いていた光の粒子は、回転する傘から振りまかれる雨滴のように周囲に放たれた。雨滴は、半透明な幽鬼たちに触れると 、アストラルボディの一部をむしりとって蒸発していった。数千数万という雨滴が、じょたの周囲を取り巻いていた幽鬼の群れを駆逐するのも、時間の問題と思われた。しかし 、じょたは突然へなへなと地面にへたりこんでしまった。しろがねの涙は、術者の正の生命エネルギーを燃焼させて、負の生命エネルギーにぶつけ、両者を対消滅させる魔道で ある。負の生命体であるアンデッドやゴーストには有効な魔道であるが、術者の生命力を湯水のように消費するため、生命力の絶対値が少ないと命に関わる危険な魔道なのであ る。ミイラ取りがミイラになるのだ。
 「あの子、何をばかな事やっているの!」術者を中心として光の粒子が渦を巻き、その粒子が勢い良く周囲にばらまかれていた。銀の涙だ。その呪文ならシェリルも知ってい た。あんな子供が使うべき魔道でないことも。あのままでは、術者の体力はあっという間にゼロになってしまうだろう。少年は、ぐらりとよろけると地面に倒れこんだ。そら、 いわんこっちゃない!それにしても、銀の涙ってヴァンパイアに対する魔道じゃなかったかしら?と、いうことは・・・この人たち、ひょっとして!
 じょたは、白い何かが階段を駆け上がってくるのに気がついた。白い革鎧の女性だ。それは月明かりの下、女神のように見えた。女神がアンデッドを押しのけて登ってくる。 凄い人だ。じょたの背後に人の気配がする。イプシロンさん!彼は悲しそうな目で、倒れているじょたを見下ろしていた。突如じょたの額の前面にスクリーンが現れて映画が始 まった。それは細長い階段のある山を見下ろすシーンから始まった。あれは、この山かな?月が照らす階段を、人々が行列をなして山頂へ登っていく。いつのまにか山頂のシー ンになっている。白い神官衣のようなものを着た男が、石の祭壇の上に横たえられている。イプシロンさんだ。顔までは見えないのだがなぜか分かってしまった。そこへ見覚え のある女性が現れた。ミュウさん!彼女の手には湾曲した刀が握られている。ミュウは、祭壇の前でひざまづき、何事か神へ祈りの言葉をささげると、刀を天にかざした。じょ たは、この後何が起こるのか予想できた。彼は、自分自身の心臓がぎりりと痛むような気がした。だめだ!そんなことしちゃだめだ!湾曲した刀は、月の光を浴びて怪しく光っ ていた。
 目の前の幽霊が、女神の投げ技を食らって地面に叩きつけられて消えた。「君、大丈夫!?」うわ!なんて非常識な人だろう?「僕は大丈夫」でもないか。じょたは体力を消 耗してふらふらになっていた。彼は再度銀の涙を詠唱し始めた。「それ、やめなさい。あなたの命を削っているのよ。それより、あれだけの数のヴァンパイアを相手にするのは ちょっと骨が折れるわ。だから、あそこにある建物に隠れて、日が昇るのを待ったほうがいいと思う。」イプシロンさんは、いつの間にかいなくなっていた。じょたは、シェリ ルの後に続いてドーム状の建物の中へ避難した。
 しばらく呼吸が乱れていた。建物の中は真っ暗で何も見えない。さっきは明るかったのに。シェリルはトーチに火を灯すと辺りを照らし出した。「この中にはヴァンパイアは いなかったみたいね。ラッキーだったわ。」確かに、何も確認せずにこの中に入ってしまっていた。危ない危ない。まぁ、ここにいるとしたら、神官衣を着た青年だけだろうな とじょたは思っていた。「ところであなた、あんな所で何をやっていたの?」シェリルはじょたに尋ねた。「僕はじょた。実は僕、誘拐されてきたんだ。」「私はシェ、・・・ シェロン。」シェリルは、自分の正体が判明すると、また以前のようなことになると思い偽名を使った。「わけがあって、カール帝国まで行かなければならないの。それにして も、誘拐?」じょたは、港町ファーベルで行われた冒険者セミナーのこと、屋敷の探索で女魔道師に捕まりここへ連れてこられたこと、そしてこの建物の中で出会った青年のこ となどを彼女に話した。「その青年もヴァンパイアだったのかしら。君、ちょっと首を見せて。」彼女は片手でレイピアを握りしめながら、じょたの首筋の髪の毛を掻き分けた 。「刃物の傷跡以外はなさそうね。銀の涙を使えるのだから、あなたがヴァンパイアって事はないと思っていたけれど。」
 扉の外から聞こえる怪しげなうめき声がだんだんと遠ざかると、石の扉の隙間から暖かなオレンジ色の光がもれてきた。廊下を細長く照らすその光は、待ちわびた太陽の光に 違いなかった。じょたが壁の開閉装置を操作すると、扉はのろのろと開いていった。廊下は金色の朝日を受けてまぶしく光り輝いた。彼は外の様子をうかがうと、誰もいない事 を確認して恐る恐る外に出た。そして、眼下のマヤスの町が廃墟であったことに驚いた。うすうす感づいてはいたのだが、改めて確認してみると背中がぞくりとするのだった。 「さぁ、とりあえずマイヤーを目指して行きましょう。」「え?ここはマイヤーの近くなの?」「東西大陸の境目、カナル運河を地下トンネルを抜けてやってきたのだから、恐 らく間違いは無いと思うけれど。」
 「ずいぶんと方向音痴のお姫様ね。」そのとき、じょた達のすぐ横で何者かの声がした。じょたには声の主がすぐにわかった。ミレーネだ。「誰!?」シェリルは、自分の正 体が相手に判明している事に警戒心をいだいた。「この人だよ。僕を誘拐してきたミレーネって人は。」ミレーネ?シェリルは、どこかで聞いたことがあるような名前だなと思 ったが、相手が銀色の杖を振りかざし呪文の詠唱に入ったので、すばやく対抗呪文の準備をした。ミレーネは思った。この小娘がファンネルの婚約者・・・憎ったらしい!絶対 私のほうが女性として魅力的に決まっているのに。彼女は嫉妬の炎を燃え上がらせると、火炎呪文を完成させた。ネイルファイアだ。銀の杖に凝縮された魔道エネルギーが、鷹 の爪のような炎となってシェリルに襲いかかった。シェリルの対抗呪文、水性の魔道コールドウインドも完成した。魔道のエネルギーは、彼女たち二人の中間地点で炸裂したが 、地力に勝るミレーネの火炎がじりじりとシェリルを追い込んでいった。じょたは、ミレーネを攻撃したかったけれど、全くの丸腰で物理的なダメージを与えることが出来なか った。また、攻撃呪文として水性魔道のキュールを覚えていたけれど、キュールの上位呪文コールドウインドも押し返されているというのに、じょたのキュールが通用するはず がかった。しかし、彼がシェリルの腰のレイピアを見たとき、あることが閃いた。「そうだ!金性の魔道を使えばいいんだ。」じょたは覚えたての金性の魔道、シルバーチャク ラムを唱えた。この呪文は攻撃呪文ではないが、対象のステータスを一時的に上昇させることができるのだ。「何ですって!?併せがけ?」ミレーネは、じょたが金性の魔道を 使用できる事に驚いた。そして、あれを唱えられたら自分のネイルファイアも押し戻されてしまうかもしれないと思った。いまいましぃがきども!この次に会う時は容赦しない んだから!ミレーネは、バックステップして魔道具で空中に飛び上がると、跳躍系アイテムをすばやく使用した。彼女が跳躍系アイテムで空中に消えるのと、じょた達の併せが けの呪文が完成したのはほぼ同時であった。「ブリザード!」コールドウインドの上級呪文ブリザードが、ミレーネのいた空間を空しく駆け抜けていった。
 「ふぅ、助かったわ。ありがとう。」「いや、僕の方こそ助けてもらってありがとう。えーとぉ・・・」「シェロンよ、じょた。」「ありがとう、シェロンさん。」じょたは 思った。ミレーネは、この人の事を姫って言っていたけど、確かにお姫様みたいにきれいだな。そうすると僕はプリンセスナイト、いやプリンセスガードくらいかな?シェリル は、頼りない護衛じょたとともに、朝日を浴びたマヤスの町の方へ向かって山を降りていくことにした。黒い森の向こうに城壁らしきものが見えたからだ。それはオマチ城のガ ンマリングであり、マヤスの港は再整備される前の西の港なのであった。じょたは、冒険者セミナーの卒業試験が、お姫様を守って無事お城に帰還する事、というのも悪くない なと思い、胸を張って彼女の前を歩いていくのだった。
Top Page  , List  , 前頁  , 次頁