「Funny World じょたの冒険」
Page 13
第4話「Cloud」(下)
 暑い。陽炎の立ち昇る荒野を、頭からすっぽりとフードを被り、杖をついた旅人が、片足を引きずりながら歩いていた。周囲360度には、乾いた大地が見渡す限り続いてい た。もう、どのくらい歩いただろうか。旅人は、熱風にあおられてよろめき、立ち止まった。フードが風にあおられて、旅人の顔が太陽のもとに現れた。柔らかなブロンドの髪 が、風になびいている。コバルトブルーの瞳は、泥と血で汚れたまぶたに覆われ、絹のように白い顔には、赤黒いあざが幾つもできていた。唇は乾き、血の塊が口からあごに伝 っていた。旅人は、ひしゃげて変形した赤黒い両手をふるわせながらフードを被りなおすと、またよろよろと歩き出した。ローテンブルクの分岐駅まで行けば、列車も出ている はずだ。
 町外れの病院は、黄昏時だというのに、患者であふれ返り混雑していた。みな「事故現場」から搬送されてきた患者だ。この病院の主は、「事故現場」へ向かっているし、今 は見習の自分が何とかするしかない。ごとん。裏口の木戸のほうで物音がした。看護婦が水を汲みに行ったのか。見習ヒーラーのメリダは、看護婦たちにてきぱきと指示をする と、覚えたての神聖魔道を駆使して、薬草の治癒効果を高めたり、傷を直接治したりしていた。ふぅ、彼女は本日10個目の魔道石の封印を解くと、自分のメンタルポイントを 回復させた。病院の床には所狭しと患者が横たえられていた。きりがない。MP(メンタルポイント)の回復は、魔道力が封印された魔道石があればいくらでも可能だが、精神 的疲労は回復しない。いわゆる神聖魔道の使い手には、精神を高揚させ疲れを忘れさせる呪文、歌?を使いこなす者がいるが、見習の彼女にはそれは不可能だ。ごとごと。また もや裏木戸で物音がした。看護婦ではないらしい。「誰?」メリダは、裏口に近づくと扉の向こうに声をかけた。うめき声がする。誰かが、患者を裏口から連れてきたのだろう か?確かに、この混雑度と順番から言って、表から来たのでは今日中に治療を受けるのは無理かもしれない。だからといって、裏口から来た人間を優先するとでも思っているの か?彼女は、看護婦のひとりを呼んで、用心深く扉を開けさせた。扉の外に倒れていたのは、ローブをまとった子供だった。
 気が付くと、目の前には格子模様の白い天井があった。両側には誰かが横たわっている気配がする。周囲を見回すため、体を動かそうとすると腕に激痛が走った。怪我をして いたんだっけ。あちこちからうめき声が聞こえてくる。少しずつ状況を理解してきた。ここは、ローテンブルク。クリスタルシティの東にある町である。大陸横断鉄道の分岐駅 があるこの町には、大陸各地からたくさんの人が訪れる。マイヤー南方のセント・サモアン王国、スルーザー合衆国、そして海を隔てた南の大陸からもやってくる。だが、それ も、これからは無くなるのであろう。少年は、痛みをこらえてゆっくりと起き上がった。両手には包帯が巻かれていた。右足にも添え木がされているようであった。両側に横た えられていた人は、頭に血のにじんだ包帯が巻かれていて、死んだように眠っていた。背後で人の気配がして振り向いた。「どうしたの?」看護婦さんが、けが人の間をすり抜 けてやってきた。彼女は、少年のそばにやってくると、彼の額にかかる髪をかきわけて頭をなでた。「傷が痛むの?」近くで、誰かがうぅぅとうめいた。恐らく自分の方が苦し いのだと主張しているのだろう。看護婦は声のしたほうを振り返り、声の主の方へ行くと何事か声をかけていた。方々で同じようにうめき声がする。そのたびに彼女は患者の方 へ動き回っていた。ローテンブルクは大きな町である。病院の数も10や20はあるだろう。こんな町外れの病院でもこのような状況であるから、被害の大きさが分かるという ものだ。
 少年は、杖を使ってよろよろと立ち上がった。気配を察知した看護婦が少年を支える。「無理をしてはいけないわ。あなたの右足は折れているのよ。エナ先生がいらっしゃれ ばすぐに治してあげられるのだけど、今は事故の現場に向かわれているし。メリダ先生も頑張っていらっしゃるけど・・・」少年は、かすれた声でお礼を言うと、大陸横断鉄道 の状態を尋ねた。「旅客用列車は、どの便も早朝の1本しか運転されていないわ。しばらくは物資の輸送がメインになるようよ。各都市間は、テレポートブロックがかかって、 外敵の侵入を防いでいるし、航空機は規制がかけられて使用できないから、鉄道と地上輸送しかできないのよね。」看護婦に無理やり寝かしつけられた少年は、しばらく両目を 閉じて寝たふりをしていた。翌朝、もぬけのからとなった彼の毛布には、数枚の銀貨と書置きが残されていた。
 ローテンブルクの駅は人でごったがえしていた。皆戦争を避けて他国へ避難しようという者達のようであった。切符売り場は長蛇の列をなし、切符を買っている間に列車が発 車してしまうのではないかと思われた。ホームに停車してごんごんと唸っているどの列車にも、先頭と最後尾に砲台のついた装甲車両が取り付けられ、戦争が始まっていること をまざまざと物語っていた。列車内は、座席は勿論床の上にまで、旅行カバンを抱えた人が座り込んでいた。その大きなカバンにはさまれて、窮屈そうに両手でひざを抱えなが ら床に座っている少年がいた。両手と右足に包帯が巻かれたブロンドの髪の少年は、時々胸ポケットに入った大きな切符を気にしながら、泣きじゃくる子供を眺めたり、新聞を 読む大人の方を見て、裏側の記事を読んだりしていた。車内アナウンスが入った。「毎度、大陸横断鉄道のご利用、ありがとうございます。この列車は、ローテンブルク発、ヴ ァルファラ経由、カレルシュテイン行きの普通列車エリダヌスでございます。途中駅は、各駅に停車をしてまいります。途中駅の到着予定時刻は、・・・」アナウンスが終わる と、列車はぶるると身震いし、蒸気をいっぱい吐き出して出発した。少年は、列車のコトコトという規則的な震動を聞いているうちに、ひざの間にあごをのせて、いつしかうと うとと眠ってしまった。
 「あれが、その遊園地よ。」アイゼナッハ嬢が指差した方向には、幾つもの高層建築にまたがって建設された巨大な遊園地があった。「空飛ぶ遊園地って言うのよ。」ふーん 。中央のひときわ高いビルの上には観覧車があり、その横にはジェットコースターのレールが急勾配で空高く上っていた。支柱で繋がれた昆虫や鳥類を模した乗り物が、中央の 巨人によってぐるぐると回転させられていた。乗り物は、高くなったり、低くなったり、時には鳥が羽ばたいて瞬間的な上下動をしたりしながら回転していた。また、ジェット コースターの反対側からは、ひっきりなしに小型のグライダーのようなものが発着しているのが見えた。マルクは、ノインツェンの寄宿学校の遠足で、遊園地に行ったことはあ るけれど、あんなに大きなジェットコースターを見るのは初めてだったし、彼が見たことも無いような遊具があることも遠目から分かりわくわくしていた。
 大陸の有名デパートの回転ドアをくぐると、1Fはブランドショップのようであった。フロアには香水の匂いが充満していた。うぇ、気持ち悪い。鼻につんとくるようなきつ い匂い。いや、臭いと言ったほうがよいかもしれない。そういえば、いつも気にしていなかったけど、アイゼナッハさんのつけている香水はいい匂いがするな。鼻孔を柔らかく くすぐるような甘い香り。マルクは、彼女のほうをそっと見た。しっとりとした黒髪が、紺のブレザーの肩にかかって、彼女が歩くたびにさらさらと動いていた。ガラス張りの エレベータが、各階層の境目を通過する際に、光が髪に当たってつややかに輝いていた。白のブラウスは一番上のボタンが外されていて、ブレザーの左胸には王立魔道院の会員 である事を示す、金色の獅子のバッチが誇らしげに輝いていた。「ん?何?」いや、なんでもないよ。マルクは、あわててガラス張りのエレベータから下界を見下ろした。
 50階建てのデパートから見下ろすクリスタルシティは、素晴らしい眺めであった。大陸横断鉄道のレールが、遠くにかすむ都市フィールドから緩やかな弧を描きながら、楕 円形をした巨大建築の中に吸い込まれていた。銀の車体に赤い流星がトレードマークの特急マゼランが、ちょうど入線してきたところであった。空中に浮かぶイリュージョンの 広告が、周囲の建築からクリスタルのパネルに反射されている様子も見えた。マルクも乗ったトンボが、何匹も都市の空を飛び回っていた。あんなに高速で飛び回って、よくぶ つからないな?王立魔道院も見えた。周囲は黒々とした森に囲まれていた。そしてその森の中に、ぽつりぽつりと尖塔が突き出ているのが見えた。魔女の館かしら?夜は近づき たくないなと思った。
 ふと気が付くと、エレベーターガールがデパートの説明をしていた。50階のデパートと言っても、上層階は殆ど宿泊施設や温泉、レストラン、フィットネスクラブなどが入 っているらしかった。一通りの説明が終わると、屋上直通のエレベータは、お待ちかねの屋上遊園地に到着した。チャイムが鳴ると、エレベータの扉が両側にスライドした。ど わぁーという大勢の人間の声、歓声を上げる子供達の声、楽しげな音楽、遊具が作動する音が、扉の向こうから迫ってきた。マルクが、一瞬外に出るのを忘れて眺めていると、 アイゼナッハ嬢がくるりと振り向き、彼の手をつかんでエレベータの外へ彼を引っ張り出した。「マルク君、まず何に乗ろうか?」
 大小のダイヤル、数本のレバーやスイッチ、ひくひくと揺れ動くメーターやちかちかと瞬くランプがついた機械の前で、分厚い防護服を着て、一角獣のような角のついたヘル メットを被った男がいた。彼は、頬に汗を流しながら、聴診器のような物を複雑な機械にあてて、手にした小箱のダイヤルを微調整していた。小箱は、複雑な機械とコードで接 続されており、何がしかの指令を送っているようであった。彼の周囲には、その作業を見守る数人の人間の姿があった。彼らは、これまた分厚い防護服で全身を覆い、細長い槍 状の道具を手にしていた。「制御盤の状態はどうだ?」見守っている人間のひとりが、汗を流して調整している男に言った。「手ごたえがありません。次元震動数をダイヤル調 整で合わせようとしているのですが、こちらからコントロール不能になってしまっているようです。ひょっとすると、内部の震動クリスタルが破壊されているのかもしれません 。急いで召喚魔道の専門家を呼んだほうがよいでしょう。」そう言うと、彼は作業を中断して見守る人間たちのほうを振り向いた。そのとき、機械から怪しげな霧が立ち上って きた。「いかん!すぐ退避するのだ!」細い槍を持った人たちは、その槍を前方に突き出した。霧は、ゆらゆらと立ち上り、槍の方向へ吸い寄せられていった。どうやら槍は、 霧をひきつける効果があるらしかった。調整していた男は、すばやく機材を制御盤から引き抜くと、部屋の入り口に向かって走り出した。彼らは全員が部屋を出たのを確認する と、入り口の扉を閉め、封印を施した。
 ここは、アクエリアスブロックにある、都市のエネルギーフィールドを発生させている施設。その一室で、白いひげを生やした老人が、窓の外を眺めていた。彼の後ろには、 先ほど作業をしていた男たちが並んでいる。作業の状況を報告しているようだ。白ひげの老人は、彼らの報告を聞くとはなしに聞いていた。これだけの大都市に、召喚魔道の使 い手がいないとは信じられぬが、本当のことなのだから仕方が無い。密かに他国へ使いを出しているが、いまだどこからも返答は返ってこない。もともと特別な能力であるため 、そう簡単には見つからないのだろう。こちらから操作できないという構造が裏目に出たか。皇帝陛下直系の子孫であれば、あの能力を使えるというのに。本当の皇帝陛下であ れば・・・「このままでは、フィールドジェネレータのエネルギーが尽きてしまいます。速やかに召喚魔道の使い手を呼び寄せる必要があります。」作業をしていた男が言った 。
 マイヤー帝国には、召喚系の魔道を使用するものは殆どいない。それほど、この魔道力学については、忌み嫌われているのである。それは、遠い過去の時代からのトラウマと 言っていいかもしれない。隣国のカール帝国では、好んでその力を利用しているようであるが、マイヤーとカールは領土の問題で今は微妙な関係にあった。マイヤーの弱みを敵 国に教える必要もあるまい。手を貸すどころか、これを機に攻め込んでくるかもしれない。そういう国だから。「持って、あと3日が限度です。」作業をしていた男は、最後に そう報告を締めくくった。
 紫色のもやがかかった丸い部屋。周囲の壁には、動物が行進をしているところを模した、シュールな絵が描かれている。色付きガラスの天井からは、ぼんやりとした赤い光が 差し込み、薄絹のカーテンが何枚も垂れ下がっている。部屋の中央には天蓋付きのベッドが一つ。その中で周期的に轟音を響かせている物体があった。潮騒などという生易しい 表現では言い表せないほど、大きないびきをかきながら寝ているのは、カール帝国の皇帝ガガンボー11世であった。
 「お休みのところ失礼いたします。陛下」いつの間にか、部屋の隅にコオロギのような物体が現れていた。黒い上下のつなぎに、両脇からひらひらとした紐が何本も垂れ下が り、数本のシッポが生えたような服装の男は、ばったのようにがに股で立っていた。いや、立っているのか座っているのかは、見ただけでは判断しがたいのであるが、恐らく立 っているのだろう。「陛下」そう言うと彼、と思われるのだが、彼はばったのようにその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。爆音が止まった。しばらくの静寂の後、またしても巨 大ないびきが響き渡る。「陛下、我が事成れり、でございますぞ!」コオロギは、隈取のされた顔面を紅潮させながら、またもぴょんぴょん飛び跳ねた。
 ここは、カール帝国王都バウムクーベン。東の大陸の果てに存在する、毒の霧に包まれていると噂される、忌み嫌われた国である。実際には、毒の霧を発生する火山は、国の 南部に集中しており、北方の地域は濃霧が発生しやすいというだけであった。シーンは、王城バウム・ベ・ロングに戻る。「陛下、我が事成れり、でございますぞ!」「ええい !だまらっしゃーい!!」ぷちぃ!コオロギが平ぺったく潰れてしまった。突如彼の周囲に巨大な重力が発生したかのようである。「うぅ、なんじゃぁー。」肉団子のような物 体が、ベッドからのそりと起き上がると、潰れたコオロギの方を睨む。そして、ぶるぶるとお肉の震える腕を上げ、手首をくるりと上に向けた。すると、床で紙のように平たく なっていたコオロギが元通り3次元的体に戻った。「陛下、御目覚めでございますか。」彼は、潰れてしまってもなんとも無いのであろうか?「あー、腹減ったぁ。」丸々と太 った豚が拍手を打つと、空中から大きなテーブル、椅子、巨大な椅子だ!それから大皿に載った豚の丸焼き、得体の知れない生物の頭、噴煙を上げる壷、等が現れた。今度は、 ぱちりと指を鳴らすと、殆ど裸同然で、3段腹、5段腹から出べそが飛び出た状態だった豚が、服を来た豚に変身した。長靴を履いた猫というのは聞いたことがあるが、服を着 る豚というのも珍しいのではなかろうか。
 豚は、コオロギを無視して黙々と餌を食っている。「陛下、クリスタルシティの件、片付きましてございます。」豚は、じろりとコオロギを睨むと、口から肉の塊が飛び出た ままで、ニヤリと笑った。「陛下が天下に号令を下すのも、もうすぐでございます。」豚は、またニヤリと笑った。そして、また無心に餌を食いまくるのであった。コオロギは 、ニコニコと愛想笑いを浮かべていた。
 「きゃぁ!」うわぁ!ものすごい轟音と共に、龍をかたどった乗り物がレールの上を急降下していった。お腹の真中に穴が開いたかのような感覚、そして今度はシートに押し 付けられ、足ががくがくする。また下りだ!今度はスパイラルに回転する!うわ、うわわぁー!マルクは、ジェットコースターの手すりに力いっぱいしがみつくと、首をすくめ て硬直していた。アイゼナッハ嬢は、両手を離して万歳をしている。コースターは、ビルの上からレールがはみだしていて、乗っている人間にとっては、龍に乗って空を飛んで いるような気がするのであった。
 「マルク君、面白かったね!」アイゼナッハは、ジェットコースター乗り場の階段からふらふらと降りていく、マルクの背中をどんとたたいた。マルクは、なんだかまだ地に 足が付いていないような、頭がくらくらするような心持ちであった。それにしても、生きてて良かった。「今度はあれに乗ってみよう!」彼女が指差した先には、大昔の帆船が 宙吊りになった乗り物があり、ブランコのように揺れるだけのようであった。あ、あれなら大丈夫、かな?マルクは、遊園地が大好きだったし、乗り物も当然大好きなのだが、 ここの乗り物は全てスケールが違うのだ。ジェットコースターの上り詰める最高地点の高さは、他の遊園地の比ではないし、まぁ50階建てのビルの上では当然だけど、スピー ドだって落雷のようにすさまじかった。ちびるかと思ったくらいに。帆船に乗り込みシートに腰掛けた。あれ、ベルトが切れてるぞ。ねぇ、ベルトが切れてるよ。「まぁ、ほん と。」がくん、帆船がゆっくりと揺れだした。まぁいいか。たいした揺れでもないし。しかし、予想に反して揺れはどんどん大きくなる。振り子運動の振幅がMAXに達する地 点では、マルクの腰はシートから離れて浮いていた。うわぁ、ビルから落っこちちゃうよ!「すごい、マルク君。」真っ白で引きつった笑顔のマルクを見て、アイゼナッハ嬢は 言った。相変わらず無邪気な方です事。
 そんなこんなで憔悴しきったマルク君であったが、産まれて始めてのデートということもあり、疲れさえも心地よかった。マルクとアイゼナッハは、オープンカフェで飲み物 を飲んで休んでいた。マルクの心臓は、まだどきどきとしていた。首の後ろ側がじんとしびれるような感じ、頭もぼぅっとしていて、向かいに座っている彼女をぼんやりと眺め ていた。「疲れた?」アイゼナッハは、カップを置くとテーブルの上で手を組み、上目遣いにマルクのほうを見た。マルクは、はっとして首をふるふると横に振った。彼女はに こりと微笑むと、お隣のカップルの方を一瞥した。マルクも改めて周囲を見回せば、アベックが多いことに気がついた。一つのグラスに2本のストロー、向かい合わせでジュー ス飲み。二人掛けのシートでは、女の人が男の人の肩にもたれかかり、顔と顔を近づけて何事かひそひとと囁きあっていたし、・・・きゃー!ちゅーしている人もいる。ここは 、恋人たちが羽を休める場所なのではと思い、改めて彼女の方を見ると、彼女はマルクの考えを見透かしたかのように、悪戯っぽく微笑んでいた。アイゼナッハさんって、恋人 いるのかなぁ。マルクは急にそんなことを思いついた。こんなにきれいな人なんだからいるんだろうなぁ。「どうしたの?」アイゼナッハは、まだ悪戯っぽく微笑みながらマル クの方を見て言った。「どうしたのかしら?」どうしよう?恋人がいるかどうかなんて聞けないよ。「ここはね、ラバーズエリアといって、恋人同士でないと入れないんだぞ。 」マルクがもじもじしてうつむいているのを見て、彼女はますます悪戯っぽく言った。あ、あの、僕、マルクは言いたいことが喉まで出かけていたが、そこから先が言えなかっ た。あの、僕さっき、ジェットコースターの向こうで、遊覧船が発着するのを見たよ。何を言っているのだ。
 遊覧船乗り場は、屋上遊園地の端の方にあった。遊覧船は鳥の形をしたものが多く、昆虫型、かっこいい戦闘機の形、船をかたどったもの、などが人数に応じて貸し出されて いた。基本的に遊覧船は自分で操縦するのである。オートパイロットが標準装備なので、方向さえ指示してやれば地形に応じた高度、速度で飛行する仕組みになっていた。貸し 出しの時間は、10分から1時間まで。まぁ、1時間というのは団体さんが大型の遊覧船を借りる場合が多いのだけれど。「お客さん、アベックの方はこちらの機体がお勧めで すよ。」乗り場のオニーサンは、マルク達を見るなりそう言った。「見えるんだってよ。」アイゼナッハは、マルクにウインクすると、ひらりと機体に乗り込んでしまった。マ ルクは、自分の気持ちにウソをついて、いやな気持ちになっていたのだが、また少し嬉しくなって、操縦席に乗り込んだ。
 「シミュレーターを操縦したことはありますね?」ハイ。乗り場のオニーサンは、マルクに遊覧船の操縦方法を簡単に説明した。「起動スイッチは、この緑のボタンです。赤 はマニュアルに切り替える場合のスイッチで、普段は使用しません。緑のボタンを押して起動させたら、後は音声ガイドに従って操縦桿を操作してもらえれば大丈夫です。」ひ ゅーんという音と共にコックピットの窓が閉じた。色ガラスがはめられた窓の下は急に暗くなった。暗がりに目が慣れると、隣にアイゼナッハさんがいて、シートベルトをして いるところであった。マルクは、外で合図するオニーサンの指示に従って、緑のボタンを押してマシンを起動させた。
 目の前のコンソールがちかちかと点滅しだした。「システム起動中」女性のマシンボイスが機内に響いた。コンソールでは、システムの起動状態が円グラフによって示されて いた。アナログ時計の長針と短針が、くるくるとめまぐるしく回転しているところを思い浮かべてもらえれば大体間違いは無い。長針が12回転する頃には、システムの起動が 完了したようである。「システム起動完了、致命的エラーありません、ロボットアーム解除します。」遊覧船を固定していたアームが外される音がした。がくん、機体が少し揺 れた。フィーン、エンジン音がひときわ高くなった。「レグルス、発進します。」遊覧船は、滑らかに屋上遊園地から滑り出していった。
 「もはや限界です。」フィールドジェネレータのコントロールルームには緊迫した空気が流れていた。アクエリアスブロックのエネルギー不足を補うために、他のブロックか らエネルギーを供給していたが、都市のエネルギーフィールドのバランスが失われて、フィールドが消滅するのも時間の問題となったのであった。「すぐに警報を出さなければ なりません。」ジェネレータが停止する際に、強力な電磁波を発生する可能性があるからであった。
 遊覧船は、クリスタルシティの上空をゆっくりと旋回していた。オートパイロットとは言っても、操縦桿のとおりに動くのである。マルクは、にわかパイロットとなって、ク リスタルのパネルが張られた建造物の間を縫うように飛んでいた。「マルク君、向こうの方に湖が見えるわ。行ってみましょう。」うん。マルクは操縦桿を右に倒すと、ペダル を踏んで速度を増した。そこは、クリスタルシティのアクエリアスブロックに作られた人造湖で、都市の飲み水の供給の90%以上は、ここでまかなわれていた。湖の上をゆっ くりと旋回していたときのことである。あれ?空の色がおかしいねぇ。「まぁ、本当。いつもは青色なのに、今日に限って真っ赤になっているわ。」エネルギーフィールドは、 供給されるエネルギーが不足して、今まさに消滅しようとしていたのであった。天空に巨大な放電が生じ、白くまばゆく光る球体が幾つも空を飛び回った。そして、ついに都市 のフィールドは消え去ってしまった。ざ、ざざざ、機内に不気味な音が聞こえてくる。「が、がが、シ・・ステム・・・に致・的エラー、緊急・の対処・必要とス、ガガ。」が くん!機体が大きく揺れた。「き、きゅう、の、た・・・を、ようス、ガリガリ!」機体は失速して墜落しかけていた。「マルク君!マニュアルに切り替えて!」あ、マニュア ル!どのボタンだっけ?あぁ、赤いボタン!マルクが、赤いボタンのカバーを叩き壊すようにして押すと、またアナログ時計がくるくると回りだした。「システムを再起動しま す。」早く!早く!何やってんの!これじゃ、緊急の対処に間に合わない!マルクは、システムの不備に毒づきたかったが、今はそれどころではない。時計の針がくるくると回 る。あれだけの放電現象があったにもかかわらず、機体は奇跡的にも無傷で、マニュアル操作にすれば飛べないことはなさそうであった。機体を選択してくれたオニーサンに感 謝すべきだろう。帆船タイプだったら、真っ先に落ちてたよ!かちり!「全システム、オートからマニュアルに移行完了しました。」「マルク君、機体を安定させることを中心 に考えるのよ。」うん!もはや、エンジン音もしなくなり、完全なグライダーと化した機体を、マルクはゆっくりと旋回させると着陸できそうな場所を探した。やっぱり、湖の 中しかないか。ばりばりばり!そのとき、マルクたちの乗った機体に落雷がヒットした。アウトオブコントロール!だめだ、操縦桿が全くいうことを聞かないよ!マルクが操縦 席から後ろを振り向くと、機体後部の垂直尾翼が無くなっているのが分かった。「パワーコントロールで失速しないように調整して!」だめ、エンジンに火が入らない!マルク は起動スイッチを乱暴に何度も叩いた。システムが飛んじゃってるよ!急速に水面が近づいてくる。いい子だから、もう少しこのままの体勢を保っていてよ!「マルク君!機首 をもう少し引き上げて!」やってるよぉ!操縦桿が重くて動かない!二人で精一杯操縦桿を引っ張った。機体は、水面に向かって投げられた石のように、何度もジャンプすると 、最後には頭から水の中に突っ込んで止まった。
 真っ黒い闇。その闇に無数の点が張り付いている。大きいのや小さいの、ぼうっとしたもの、白いの、青白いの、黄色やオレンジ、赤などだ。その中でひときわ明るく輝く白 点があった。動いている。周囲の点は全く瞬くことをしなかったが、その白点だけはチカチカと瞬き動いていた。自分は、分厚い服を着てヘルメットを被り、意味不明の表示が 周囲を取り巻いている、狭苦しいコックピットに座っているようだった。コックピット?なんだっけ?何か重大なことがあったような気がする。女性の声がする。誰かを呼んで いる。る、・・・か?ルカ?・・・誰?とても懐かしい名前のような気がする。でも、自分ではないと確信している。不思議なことだけどそうなのだ。自分は誰なんだろう?
 がぐん!がたがたがたがた!機体が激しく震動した。あぁ、一瞬気を失っていたマルクは、機体の震動で目を覚ました。墜落のショックで失神したのか、その前から気を失っ ていたのかよく分からなかった。機体は湖の水面で何度か跳ねると、機首の方から水中に突っ込んだ。激しい衝撃、シートベルトが腹に食い込む。息が、できない。墜落の慣性 力から開放されると、今度は機体への浸水が始まった。早く脱出しないと。アイゼナッハさん!大丈夫!?彼女は、髪を前に垂らしてうつむいていた。アイゼナッハさん!「大 丈夫、平気よ。」
 機体は殆どばらばらだったが、奇跡的に二人とも軽傷ですんでいた。アクエリアスブロックのレスキューに救助された二人は、病院でマイヤーとカールが戦争に入った事を知 った。カールは、マイヤー北部の都市に侵攻を開始しており、すでに幾つかの都市が妖魔の部隊に蹂躙されているとの事だった。マイヤーの機械化主力部隊は、これを迎え撃つ べくクリスタルシティから北部へ移動を開始したらしい。科学技術、魔道の技術、軍事力、どれをとってもカールがマイヤーにかなうとは思えなかったが、都市のエネルギーフ ィールドが消滅したという混乱に乗じて攻め込んだ物と思われた。クリスタルシティの北東部には、アイゼナッハの故郷ヴァルファラも存在した。
 クリスタルシティのプラットホームは、いつにもまして混雑していた。マルクは、実家へ帰るアイゼナッハを見送るために、一緒にホームまでやってきていた。「どうしても 家族が心配だから」と彼女は言っていた。国境付近の戦場はこう着状態で、ヴァルファラの方まで侵攻される可能性は低いが、戻れるときに戻っておいたほうがよさそうだ。家 族も心配しているだろうから。「マルク君も、ちゃんとノインツェンの寄宿学校に帰るのよ。」列車に乗り込むとき、彼女はマルクにそう言った。「一度、ヴァルファラに遊び に来るといいわ。いいところなのよ。」マルクは、彼女に言いたいことが山ほどあるような気がしたが、何も言えないでいた。「じゃ、元気でね。」
 彼女を乗せた列車が行ってしまった後、マルクはホームの端に立って、列車が走り去った方向をずっと眺めていた。思えば、彼女と出会ってからはまだ10日くらいしか経っ ていなかった。その間色々なことがあった。スタイン先生の実験室では発作を起こして大変だった。彼女が部屋の掃除をすれば、雲のようなものがたくさん出てくるし。そうい えば学会の最初に現れた雲は何だったのだろう?いっしょにディナーを食べたり、街へ繰り出して大陸最大の遊園地にも行ったりした。全てが夢か幻のような日々であった。
 マルクの乗る電車が入線したのは、アイゼナッハ嬢の列車が出てから半日くらい後のことであった。世界最強の軍事大国マイヤーが、カール帝国ごときに遅れを取るなどと思 っている人はほとんどいなかったが、沈没する船からネズミが逃げ出すように、首都クリスタルシティを後にする人は多いようだった。マルクは、窓際の席を陣取って、離れて いくクリスタルシティを眺めていた。彼がそれに気付いたのは、列車が都市のフィールドを越えて間もなくのことであった。始め、それは一番星のように、都市の上空で輝いて いた。しかし、それは見る間に大きくなり、数秒後にはそれは隕石に違いあるまいと確信した。都市のフィールドの向こうに巨大な隕石が消えると、空全体が真っ白に輝くほど の光が都市のほうから広がってきた。そして、次の瞬間には、ものすごい地震と衝撃波が列車を襲った。
 ぎぎぃー!がががが!列車は急ブレーキをかけたが、爆発の衝撃波にあおられて吹き飛ばされ、止まるどころの話ではなかった。マルクは、座席から吹き飛ばされ壁に激突し た。背中をしたたかに打ちつけた彼は、目の前に星が飛ぶのを見た。そして彼は見た、傾斜した車両の上のほうから自分の上に降ってくるかのごとく、何人もの人が飛んでくる のを。空中に投げ出された人たちが、そのまま彼の上に折り重なっていれば、彼の小さな心臓は一撃で潰されてしまっていたはずである。不幸中の幸い、脱線した列車が倒れる ことによって、壁に叩きつけられた彼は、シートの隙間に転がり込んだ。ぐしゃ、ばきばき・・・マルクの横から嫌な音が聞こえてきた。人間のうめき声らしきものが聞こえて きたが、彼にはどうすることも出来なかった。
 しばらく気を失っていたようである。マルクは、何かの物音に気が付いて目を覚ました。どうやら列車の外に誰かがいるようだ。よかった。とりあえず生きてる。シートには さまれたのが不幸中の幸いで、どこにも怪我らしい怪我はしていなかった。何かの拍子で床に手をついたとき、背筋がぞっと寒くなった。ぬめっている。恐る恐る手をついたあ たりを見た。そこには想像どおり、真っ赤な液体が流れ込んできていた。小川のように流れるそれが何であるかよく分かったし、自分もその川の源となっていたかもしれなかっ たことを想像していたら、また例の発作の前兆が起き始めていた。あまりの精神的ダメージで発作が始まったのだろう。まずい、なんとかしないと。彼は、倒れて傾いた列車内 を、自分の座っていた座席のほうへよじ登っていった。周囲にはガラスの破片でずたずたになったけが人や、折り重なって潰された人が倒れていた。まだ息のある人もいるだろ う。助けを呼ぶか?しかし、三日月が出来始めている、急がないと。確か網棚のカバンに入れておいたはず。荷物は、列車内に散乱してしまっており、自分の荷物がどこにある のかさっぱり分からなかった。彼は自分の荷物を発見すると、中からアメーバクリスタルを取り出して、震動を与えた。ぴーんという鈴やかな音がしたかと思うと、発作の前兆 は霧が晴れるように消えていった。
 「おい、そこで何してる!」マルクが、アメーバクリスタルで発作を抑えていると、背後から声がした。外からやってきた救助隊だろうか。「おまえ、今泥棒をしていただろ う。見ていたんだぞ!」え?その人は、マルクが混乱した車内で、泥棒をしていたと勘違いしているようなのであった。違います。これは自分の荷物です。「自分の荷物?ウソ をつくな!大体こんなときはけが人を救出するのが先だろう!」発作止めを探していたんです!マルクは、列車から引きずり出された。「俺たちの町では、泥棒をすると腕の骨 を折ることになっているが、それは勘弁しておいてやろう。」そう言うと、マルクは数人の男たちに押さえつけられ、両手をレールでしたたか殴られた。
 うぁ!気が付くと、マルクは大きなカバンにはさまれて、混雑した列車の床にじかに座っていた。玉のような脂汗を全身にかいていた。列車のかたことという震動が右足と両 手に伝わり、骨折がずきずきと痛んでいた。あの後マルクは、ごろつきどもに暴行を受けて荷物を奪われてしまったのだった。事故ではなく、人間に襲われて怪我をしたという のが空しかった。火事場泥棒はあいつらのほうじゃないか。
 ところで、どのくらい列車に乗っていたろうか?ひょっとして、もうヴァルファラは過ぎてしまったのでは?列車が停車したので、彼は首をひょいと上げて窓の外を見た。駅 の行き先表示板にはローテンブルクの文字が見えた。まだ一駅しか進んでいないのか。マルクはまた、ひざの間に顔をうずめると、うつらうつらと眠り始めた。夢の入り口で彼 は思った。学会で見た、あの雲のようなものの正体、あれはきっと凶兆だったんだ。あの雲にとり憑かれた人たちは多分、クリスタルシティと運命を共にしたに違いない、と。 彼女には、雲はとり憑いていなかった。きっと大丈夫。彼女の美しい面影を思い出すと、彼は急速に夢の海の底へ沈み込んでいった。
Top Page  , List  , 前頁  , 次頁