Cycling
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 鎌ヶ谷市には、サイクリングコースなるものがありまして、市内を走っているとよく看板を目にします。 と、言うよりも以前自転車で走り回っていた頃は、よく見かけたと書くべきでしょう。現在は、訳あって自転車には乗れなくなりましたが、 魂魄飛ばしてバーチャルなサイクリングに出かけてみようと思います。ところで、市川市にもサイクリングコースはあるのでしょうか? 江戸川河川敷にそれらしきものを見たことがありますが詳細は不明です。ご存知の方いらっしゃいますか?

 Page 2,#04-#06:バトルを参照
 Page 3,#07,#08:河童を参照

#01:旅の始まり
 8月の某日。うだるような暑さと、梨畑からはアブラゼミのじゅくじゅくジワジワという大合唱。 見上げる空にはどーんと白い入道雲が、天に届けとばかりもくもくと発達していた。
 そんなある夏の日、陽炎の立ち昇る道路に自転車をとめて、靴の紐を結びなおしている少年の姿があった。 彼の名はじょた。青い髪、くりりとした瞳、丸っこい輪郭に微笑を浮かべた口元。 黄色のシャツを着て、同じ色の半ズボンをはいた彼は、28インチのスポーツ車にまたがると、 力強くペダルを踏みしめ、あっという間に陽炎の向こうに見えなくなった。
ほこら
ほこら
こんな所で戦争ごっことは、ちょっと罰当たり?
 さあ、初回からフィクション90%くらいでお届けしております。このお話しは、このように実体験とフィクションを織り交ぜながら進行して行く予定です。 ドキュメントも面白いですが、特に名所を巡っているわけでもないので、お話しにならないと思いこのような構成といたしました。 さて、左の写真は、私がいつも最初に目的地としていたほこらです。ここは、ただの通過点にすぎませんが、 小学校6年(?)の時に模型の船の戦争をしようとしていた思い出のある場所なので、掲載しました。 (現在の堀には、水がありません。渇水期だからでしょうか?) 場所は、北総線大町駅の近くで、写真の右奥に見えるのが北総線の高架です。
2000年3月19日

#02:蜀の桟道
 じょたは、最初のチェックポイントである二和校地目指して、鎌ヶ谷市の果樹園地帯の合間の細い道路をひた走っていた。 道の両側には、果樹園に沿って細長い木が道路に覆い被さるようにして生えていた。 木陰に入ったので、直射日光は避けられるが相変わらず蒸し暑く、首筋には汗がだらだらと流れていた。 道なりに右カーブすると下り坂となり、左100mくらい先に崖が見えてきた。 この辺はアップダウンの激しい道が多い。どういうわけか、道に迷うと必ず坂道にぶつかるのだ。 じょたは、下りの加速を利用して一気に次の登り坂を登りきった。 そこの果樹園のネットに、アブラゼミに混じって何匹かのカブトムシが、引っかかっているのが見えた。 じょたは、ふぅと一息入れると額の汗をぬぐい、スタジアム前の通りを鎌ヶ谷市街地方面に向かった。
東武線鎌ヶ谷駅
東武線鎌ヶ谷駅
まだH鋼杭で駅ホームを支えている状態。完成はもうちょっと先みたいです。
鎌ヶ谷駅ホーム
ホームが上下線でずれています。
 蜀の桟道と言えば三国志の諸葛亮さんが、物資の輸送のために険しい崖に作った道(桟橋)のことです。確かそうだったと思います。 高校時代三国志のゲームにはまっていたことがありまして、険しい道ばかり続く地域の事を、蜀の桟道と私が勝手に呼んでいたのでした。 実際には、それほどアップダウンは無いのかもしれませんが、なぜか道に迷うと坂道か階段に出くわす事が多かったのも事実です。
 左の写真は、高架になった東武線鎌ヶ谷駅です。(柏崎写真スタジオの方から望む)二和校地に向かうコースとしては、馬込沢まわりの時と鎌ヶ谷まわりと2通りありました。 引っ越してからは、馬込沢まわりが多くなりましたが、それ以前は鎌ヶ谷を通過していました。くぬぎ山、初富方面から向かう事もありました。
2000年3月25日

#03:旅の仲間
 住宅地に入ったので、少し速度を落とした。二和校地は、赤と白の送電線の鉄塔が目印だ。 お蕎麦屋さんから良い匂いが漂ってくる。
 「だいたいやねぇー」店に入ると、椅子にふんぞり返った関西弁の男がこちらを向いた。 角刈りの頭に長いモミアゲ、そのモミアゲに右手の人差し指を添えてポーズを作っている。 「これだけや、これだけ!」左手の親指と人差し指で手帳をつまみヒラヒラさせている。 オヤジくさく振舞っているが、じょたと同じ年である。郷(ゴウ)だ。 それだけで足りなかったらもっと食えば良いのだ。 「えらいすんまへんなー」突如ニコニコ顔に変身すると、「カツ丼大盛り!」を注文。 すでにじょたのおごりとなったようである。「鼻血は出した方がいいんだよー」 なんか分からんが、やけ食いじゃー!
二和校地
二和校地
広いグランドがあります。ゴルフ場ではありません。
 この近くに、春になるとぼけの白い花が咲き乱れる通りがありました。現在は、伐採されて1本しか残っていません。 恐らく向かいのアパートの住民の駐車場となったのでしょう。それとも、花粉症対策で伐採?
 二和校地は、大学時代に測量実習を行った場所です。近くに商店が無いので、飲み物の確保が大変だったと記憶しています。
2000年3月26日
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