ジュネスの想い出(2)

さて、本番の日を迎える。練習の時もいろいろあるのだが、まあそれは余りに個人的であるので省こう。

この頃の私は、アルバイトしないと大学に行けなくなる状態だったので練習が足りなかった。と言うと、練習したいのに練習出来ない辛い状態の様だが、さにあらず。元々練習が嫌いで、練習のやり方もろくに知りはしなかった。難しい箇所があっても、まあ何とかなるだろうと高を括っている所があった。それで、何とかやっていたから。これはプロの世界に飛び込んだ時、自分のテクニックや音楽の捉え方が如何にいい加減で穴だらけか思い知るまで、直らなかった。それでも、もう少しは練習したかったのだが。

自分で言うのもなんだが、常人としては才能のある方だったのだろう。しかし才能がどうだろうと、音楽を覚え演奏するには時間が必要だ。パールマンは新しい曲を、フットボールのTV中継の合間にチョコチョコッとさらって弾ける様になるらしいが、練習嫌いと言う所が同じでも一緒になる訳もない。だから今から思うと、それに頼って音楽が覚え切れていなかったのだと思う。無意味だと思っても、繰り返し練習する事は絶対に必要だ。音楽は「訓練」を必要とするのだ。私が尊敬するあのハイフェッツでさえ「指とボウイングを一致させる練習は詰まらないけれど、絶対に必要な事だ」と欠かさなかった事は象徴的だ。聞いた話だが、諏方内晶子もそう言う事を何時間もしていたらしい。「本番の集中力+練習に耐えられる精神力」が要るのだ。良い演奏家は、どの楽器でも同じ様な努力をしている。本当に才能のある人でも、それを怠ると本当に下手になる。努力は擦り減る事は無いが、才能は擦り減るのだ。その頃の自分にはそんな事は分かっていなかったし、そうした精神力も無かった。まあ実の所、分かっているのに今でもしてないんだけれど(自嘲)。

知っての通り、ヴェルディのレクイエムは長大だ。演奏会の前半は「怒りの日」まで、そして後半が私の出番だ。前半は1番のアシを吹いていた。前半が終わった時、レクイエムなので暗転のままで指揮者が上手に消えると静寂が残った。この時のNHKホールは音が全て吸い込まれる様で、その瞬間に「上がった」。上がった事を自覚してはいなかったかも知れない。しかし、後半が始まると自分が何処かおかしい。冷や汗が出る。それでも何とか最後の曲に破綻も無く辿り着いた。最後の1ページ。突然数が分からなくなった。音楽を覚えていた筈なのに、それも分からなくなった。音型は難しくない。楽譜が無いので確かでは無いかもしれないが、アラブレーベで「2分音符+付点4分音符+八分音符」「付点2分音符+4分休符」が連続4回、8小節だったと思う。ただ、周りとどう絡むのか思い出せない。ままよ、と出た。その瞬間、1小節違っていた事に気付いた。ユニゾンの所にフガートを創っていた。

ピアティゴルスキーも暗譜が分からなくなって、バッハの新しい2番の組曲を創ってしまった事があったらしいが、そんな良いものでは無い。只のバカである。時間にして10秒くらいだろうか。頭の中をいろんな選択肢が駆け巡るが、止める訳にはいかない。遂には「これを知らない人は、こんな曲だと思うだろう。そんなに変じゃないし」と腹を括って吹き切った。後で、3番ファゴットの人(彼は1番を受け継ぐのだが、正しく出た)に「どうしようかと思ったよ」と言われたが、謝るしか無い。袖に引っ込んで、周りでこの件に付いて話しているのが聞こえると、逃げ出したかった。

そうしたらインタヴューが来たのだ。NHKの酒井アナウンサー(何とこの方は法政の先輩)。後で、聞いたのだが指揮の尾高さんが、お茶目にも私のところへ行く様に言ったらしい。楽隊だなあ。「いかがでしたか?」と言われてもなあ。「今日は客席が余りに静まり返っていて、緊張しました。それで、いろいろ失敗もしまして。etc.」なんて答えをした(と思う)。恥の上塗りかな、糊塗するつもりも無かったが。この演奏会に関しては、さすがにTVも見ず録音も聴いていない。

三田先生にこの事を話すと、「おお、それは立派だねえ」と言って下さった。さすが楽隊の大御所。今なら私もそう思えるかも知れない、のだが。そして今は、むしろその録音を聴きたい。少し苦いが、青春の想い出だから。

教訓/練習は無駄だと思うくらいやらないと、本番で何が起きるか分からない。

これでジュネスとはお別れと思っていたら、「瓢箪から駒」と言うか「棚からぼた餅」と言うか、次の年に「春の祭典」を吹く事になる。これは、次回。

 

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