ジュネスの想い出

ジュネス(JEUNESSES MUSICALES ユネスコ傘下組織/本部ブリュッセル)と言うものがあると知ったのは、大学に入ってからである。それまで、田舎の高校生には無縁のものだったのだ。当時はサンケイホール(今のサンケイホールは建て替えたもの)でやっていた。大学オケ(市民オケもだが)も最近は団員が増え、何処のオケもマーラーだブルックナーだバルトークだのやるようになっているが、当時は東大、早慶ぐらいしかそうした大編成の曲に挑むことは無かった。当時は幻想交響曲ですら、やるのは全く不可能だったのだ。その中で、東大はシュトラウスの「英雄の生涯」、早稲田は春の祭典(もっとも、1番ファゴットは現N響の岡崎さん、コントラは三田先生だった。トラの祭典と揶揄する向きもあったが、今はワセオケの十八番ですか)、慶応は「幻想」と言うプロを組めていた。羨ましいと感じずにはいられなかった。

ジュネスはそうした中で、普段出来ない曲をやれる唯一の場所だった。それに、テレビに映るし、NHKの食堂で飯も食える。有名な指揮者で演奏出来るし、その上無料(活動を終える頃には、結構な参加費を取ったらしいけれど)だ。貧乏学生には願っても無い条件ですな。とは言え、競争率も高く、ジュネス担当委員の交渉力や運も大きく作用する。

現在は社会状況も変り、NHKは補助を止めこの組織は解散し活動も終わってしまった。しかし、JMI(国際ジュネス)は今もあり、30カ国が参加しているし、今年(2005年)が60周年記念の年になる。日本でもこの活動から生まれたオーケストラもある。休止では無く、無くなったのは残念な事だ。無くなったものを復活するのは、新しく始めるより大変かも知れないからだ。

私は大学3年の時に初めて出る事になったのだが、1番ファゴットの椅子を巡って3人で争った。その前の回からNHKホールに演奏会場が移り、当時は珍しかったオルガンを使ってサン=サーンスの第3交響曲をやる事になったのだ。ジュネスの世話役から、3人で話し合って決める様に言われたが、決まる訳は無い。結局ジャンケンで決めると言う事になり、私はその時モーツァルトのレクイエムの1番を吹く事になった。でも、全曲では無く「キリエ」と「オスティアス」だけだった。不満はあっても仕方が無い。でも、今思えば当時の自分にサン=サーンスは無理だった。負けて良かったと思う。

この演奏会ではエピソードがある。指揮は尾高忠明氏。NHKホールのオルガンは正面では無く、舞台の上手側に設置してある。これは正面にあっても変らないが、オルガン奏者は鏡で指揮者を見ている。ただ、あのオルガンは位置が高く見難いのでは無いだろうか。第2部の後半、オルガンがフォルテで和音を鳴らす所に来た。尾高さんがオルガンに向かって振り下ろした、が何も起きない。どうしても何も起きない。諦めて音楽は先に進んだ。未だに何故か分からない。

終わって打上げで、尾高さん曰く「テレビの放映では、あのコード(和音)がちゃんと入るそうです。」

確かに、後日の放送では完成品のサン=サーンスがそこにあった。さすがNHK、不自然な所は何処にも無かった。

次の年、大学最後の年にも出るのだが、これは大恥をかく事になった。曲目はヴェルディのレクイエム。聴いた事が余り無かったが、すごい曲だし、合唱やソリストを考えるとやりたいと思うのは当然だ。そしてこれもまた席の奪い合いに。東大のファゴットのN君と二人で話し合った。結局、長い曲なので、前半の「怒りの日」までを彼が、後半を私が吹く事になった。悲劇の始まりは、貧乏でレコードが買えなかった所にある。当時2枚組みのLPは安くて3600円、ヴェルディのこの曲では安いものが無く5000円位したのでは無かろうか。当時のアルバイトの時給は300円前後、駅の立ち食いそばは天麩羅のせて60円、JR(当時は国鉄)初乗り30円、ラーメンは100円しなかったし、元禄寿司一皿(3貫のって)40円と言う時代。だから地方から下宿生で、仕送りが5万円、テレビも電話もあると言えば「ブルジョア!」と言われた。現在ではこの曲のCDが500円で買えるのに。隔世の感がある。携帯を持って、楽器も買ってもらって、それで「お金無いんですよ」と言われても、こちらとしては呆れるしかない。

話を戻そう。つまり、レコードを聴いて勉強と言う事が出来なかったのだ。誰かに借りる手もありそうだが、持っている奴も身近にはいなかった。それにカセットも高かった。60分ノーマルで安くて300円! CDーRが2〜30円で買える今では想像も付かないだろう。もちろんスコアなんか買える訳が無い。加えて、或る人から「レコードを聴かないとイメージを持てない奴は駄目だ」、なんて言われたのをバカみたいに信じていた。どんな曲でも初演の時は、特別な事情が無ければ作曲家が関係している。だから聴き過ぎて、人の音楽を自分の解釈と思ってしまうのでなければ、ある程度は聴くべきだろう、と今は思う。大体パート譜だけで分かろうとする方が本当は乱暴で、いい加減な話だ。とは言え、自分は実践しているかと言うと...笑って誤魔化すか...

そんな訳で、まったく何のイメージも無いままに練習を迎えた。指揮は尾高さんだが、下見に今村 能と円光寺 雅彦が来ていた。最初の練習は円光寺氏で指揮は分かり易いが、こっちが分からないから申し訳ない話だ。まずテンポが分からない。6/8を6ツに振ると思っていて2ツだった時には青くなった。それでも、何とかやったが、知らない曲をこうした状況でやるのは本当に辛かった。それでも何度かやっているうちに曲も分かり、余裕も出て来た。そんな折りのエピソード。

アルトがア・カペラで歌いだす曲で、同じメロディーをファゴットが受け継ぐ所がある。歌手のMさんは上手な人だが音程に少々自信が無かった様だった。私も受け継ぐ時にちょっと音程が合わないので、思わずそちらを見てしまった。すかさず「尾高さん、私音程が悪いですか?」とMさん。良い人なんだ。「別にそんな事は無いですよ」と尾高さん。当然ながら、受け継ぐこちらが上手くやらないといけないのだ。それでも、本番ではその前の曲が終わった時チューニングをして、クラリネットがそっと次の音を吹くと言う段取りになった。

そんなこんなで本番の日を迎えるが、それは悲劇と言うか喜劇と言おうか、ともかく独り芝居の幕になる。

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