お断り・実はチケットのシステムの資料が当時使っていたワープロの不調の為一部しか読めませんでした。後で補足して行きます。

さて、チケットの販売、観客の動員に関して進めていきます。チケットですが一回券についてはいいでしょう、これは日本と変わりませんから。。定期会員の制度が面白いのです。ウルムは日本で考えれば地方の小都市ですが、大都市の少ないドイツでは中核都市です。定期会員は大きく分けて都市内会員と郊外会員(ドイツ語では訪問会員と書いてある)に分かれます。前者から行きましょう。まず、プリミエ(新演出)だけ見るのがプリミエ会員。これは値段も普通より高く設定されています。観客もウルムの名士が多く、皆着飾っています。社交的な意味合いも強いものです。中心になるのは主会員で、ポデュウムを含む全プログラムが見られる物です。勿論これには、芝居とバレエも含まれていますが、管弦楽の演奏会は含まれません。

話を音楽にしぼってお話しましょう。96年9月から97年6月にかけてのオペラの演目は、ワグナー「さまよえるオランダ人」、プッチーニ「トスカ」、バーンスタイン「ウエストサイド物語」、ビゼー「カルメン」、フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」、ブゾーニ「ファウスト博士」(これはブゾ世二がドイツの古い人形劇をもとにしたもので、バリトンのファウストとテナーのメフィ世トフェレスで演じられます。グノーの作品に対して作曲されました。ドイツでは20世紀の最も偉大な作品の一つとされている様です。)、シェンカー「危険な情事」(東ドイツの現代作曲家でライプツィヒのオペラの為に書かれた)です。これに演劇、バレエを加えて12演目ほどをセットにしています。(この項未完)

ドイツに住んで

「神様の住んでいる国に来たと思っていたんですよ。」ある日、杉本さん(ウルム劇場ファゴット奏者)の奥様と話していた時の事です。奥様はソプラノ歌手で杉本さんと同時期(30数年年前)にウィーンに留学されています。「でも、住んでみると普通の国なんですよね。」と続きます。確かに音楽をする者に取って独墺は憧れの対象で、理想の国だと思われる事は珍しい事ではありませんでした。今は世界中の情報が簡単に手に入るだけでなく、外国に行くのが特別な事でもないのでそこまでの思い入れはなくなっているでしょうけれど。ウルム劇場の日本人楽員は四人です。一番の古顔がヴァイオリンの西山さんで71年から、そして半年程遅れて72年に杉本さん、更に次の年にヴィオラの磯村さんとヴァイオリンの磯村夫人が入団されて現在に至っています。その後何人か出入りはありましたが(元N響ファゴット奏者の近藤寿行氏もそのお一人です)、結局古くからの方々がおられるのです。

西山さんと杉本さんは武蔵野音大からの同級生ですから、何とも長いお付き合いですね。磯村御夫妻はお二人とも東京芸大の出身で、御主人がオーディションを受けに来られた時、たまたま急なヴァイオリンのオーディションもあり、受けたら入ってしまったという運の良いケース。東京カルテットの磯村さんは弟さんです。

「都響で弾いてたんですけど、音楽は仕事だったのね。」と磯村夫人「実は音楽の喜びと言うものには、この劇場でめぐり合ったんですよ。」73年に磯村さんがウルムに来られた時の指揮者はフリードリッヒ・プライヤーと言って、ウィーン少年合唱団からアカデミーに行ってスワロフスキー、グロスマンに師事し、国立オペラの副指揮者を経て、やはりこの年に赴任したばかりでした。「彼は何もかもが音楽的で、本当にこの劇場に来て良かったと思いました。」日本では知られていない実力のある音楽家がドイツの劇場にはいます。ウルム劇場の歴史について、もう一つ挙げましょう。実は、かの帝王カラヤンがそのキャリアをスタートさせたのもこの劇場です。また、こちらに留学した人に聞くとこの劇場は歌手達に取っても登竜門として知られているそうです。鮫島有美子さんもここにいました。

ついでながら相対性理論のアインシュタインもウルム出身です。新しく出来たホールにその名前がつけられたのはその故です。

さてウルムの演奏について触れなくてはならないでしょう。ここの劇場に限りませんが、プリミエ以外は稽古が無いので序曲を聴いて大丈夫かいなと思う事があります。しかし、幕が進むと、本当に来て良かったと思います。歌手の水準はさすがに高く、アンジェラ・デノケと言うソプラノは特に素晴らしかったですよ(残念ながら他に移ったそうですが/ウルムの1参照)。ただ、身体の立派な声の良い人が多いのですが、それに頼り過ぎかなと感じる事があります。

また演出の具合が悪い事があります。個性を出そうとする余りか、奇を衒っているとしか思えない事があります。プッチーニの「ボエーム」を見た時、この現実的な話に、まるでワグナーの様な象徴的な舞台にはあきれました。その上、イタリア語上演だったのですが「ピアノ、ピアノ(静かに)」の台詞で天井からピアノが降って来て、あろう事かミュゼッタがその上で歌い出したのには開いた口がふさがりませんでした。象徴的な演出は流行りなのか、経済的な問題なのかよく分かりません。「ピットに入っていると分からないんだけど酷い事があるみたいね。」と杉本さん。しかし、劇場の名誉の為に言っておきますが、普通の演出の時は実に良いんです。

異国で暮らす

 それにしても外国で暮らすなんて、考えてもぞっとするし(してみたいけど)実際大変だと思います。杉本さんはウルムに家を建てられた時、地下に練習室を造られました。朝の7時半から必ず聞こえて来るのはロングトーンです。「年をとると若い時みたいに勢いで吹けませんからね、基礎はますます大事なんです。へたくそな外国人演奏家なんかいらないんですよ。ドイツ人なら下手になっても若い人に言葉で対抗する事も出来るけどね。」私から見れば自在にドイツ語を駆使されている様に思われますが、言葉の問題は何時もついて回る様です。「三十年いてもドイツ語はやっぱり外国語なんですよ。」杉本さんは言われます。

そう言えばアメリカ野村の元社長で現在参議院議員の寺沢芳夫氏が、ある時「日本に戻ってきて何が嬉しいかと言うと耳に入って来る言葉が皆分かる事」と話していた事がありました。仕事で外国語を駆使する人でもそうなんです。演奏には言葉は要らないんですけどね。

「音楽で留学するのは、一般の科目に比べて語学には寛大だし、こちらで暮らしていれば覚えられるのも確かだけど、やっぱり基礎がちゃんと出来ていないんですよ。だから、世間話は出来ても、たまに正式な場で挨拶する時や手紙を書く折なんかは冷や汗物です。」日本語でも冷や汗物の私には、何とも身につまされる話です。それに、食べ物の問題もあります。「日本に何年か前にウルマーシュパッツェン(少年少女合唱団)を連れて行った時のビデオを見たら、えらく太ったおじさんが写っていてね、よく見ると私なんですよ。日本の物が余りに旨いんで食べ過ぎたんですね。太るとファゴットを吹く時息が苦しいんでダイエットしたんですが大変でした。(笑)あはは…」ベルリンフィルの土屋邦夫氏(ヴィオラ奏者)と、ある宴会で一緒になった事があります。その時、氏は日本料理には箸をつけられませんでした。聞けばドイツに帰った時がつらいからだとか。皆さん結構な代償を支払っているんですね。

それでもドイツには、それ以上の魅力がある事も確かです。何と言っても音楽に関しては最高の環境があります。不況で音楽家の天国も変わりつつあるとは言え、まだ我々から見ると天国の様です。

「最近はドイツ人でも音楽が分からなくなっているんですよ。例えばオペラを演奏していて若い演奏家なんかは書いてある通りにしかやらなくなってる。フォルテと書いてあっても歌手や音楽のの事を考えればピアノで吹かなくちゃいけない事もあると分かるはずなんだけど。演奏する技術が上がってもねえ。指揮者も同様だから、我々がエールベルガーに習った事を、誰かがもう一度やらなくちゃ。」

実は古典と言うものは外国人に取って、その国の人達(彼らも勉強しなくてはならないので)と対等に渡り合える分野です。我々も古文の時間が苦手だったでしょう?特に音楽は抽象的なものですから、やり易いのです。

問題は言葉です。オペラが日本で普及するのが遅れたのは言葉故なのでしょうが、それも劇場で何べんも見れば分かります。言葉のみならず内容を理解する為に繰り返し上演される意味は大きいのです。歌舞伎だって一度見ただけでは分からないんですから。そろそろウルムを後にして、次の目的地ハイデルベルクに行きましょう。シュツットガルトを経由して2時間程で着きます。

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