ヘンカー先生は、ハンブルクのオケを定年で辞められ東京に来られました。御歳68歳でした。年齢から言えば老人なんですが、これがスーパーマンでした。どうしてこんなに吹けるのだろう、と感嘆するばかり。普段の事をするのは不器用なのに、楽器を持つと変ってしまいます。タンギングは速いし、指は回るし、音はデカいし、PPも出るしetc.参りました。でも、幾つになっても吹ける可能性を見せて下さった訳で、勇気付けられもしてるんですね、きっと。
さて、新しいフィンガリングの件です。一生懸命に直そうとするんですが、長年愛用したフィンガリングは容易には直りません。それに響きが違うので、音を出すのが恐くなるんです。自分でも、どのフィンガリングになるのか分からないほど混乱しました。どうなってしまうんだろう、と不安で一杯でした。
加えてヘンカー先生のレッスンが、また普通じゃないんです。ある日、ウェーバーの協奏曲を持って行った事がありました。そのレッスン自体は1時間くらいで終わりましたが、そのあとがオーケストラスタディーなんです。いつもの事ではあるのですが、ワグナーだけなんです。私はと言えば、オペラは視野に入っていなかったし、ましてワグナーに至ってはマイスタージンガーの前奏曲くらいしか知らない有様。とは言え、ワグナーのオケスタの楽譜を買って持って行きました。これも沢山あるんだよなあ。家には今でも10冊ぐらいあります。時々だしますがね、何処の場面か分からないのも沢山。これが、3〜4時間(!)続きます。一番長かった時は6時間でした。もうへとへと。こっちにしてみれば初見で、しかもどんな音楽か分からないんですから...。最初に先生が吹いて下さるのを聴いて、大体の感じをつかんでから吹きます。英語でするんですが、「Good!」とは中々言ってもらえない。うまく吹けたかなと思っても「Better」がせいぜい。それにしても、「まあ良く音楽を知ってるなあ」と思うばかり。
こんな事がありました。マイスタージンガーをやっていて、ある場所にかかりました。テンポは遅くて16分音符、32分音符と休符が交互にあります。先生が吹いて下さっても、私が吹くとどうも違う。吹くと「違う」と言われて、そこだけ30分くらいしたでしょうか。それでも必死に楽譜に噛り付くんですが。とうとう先生が諦めて、終わり。私はがっくりして帰り、またさらいました。ちょっとおかしな事に気付いたんです。数えてみると休符が足りない。32分休符1つ分足りないんです。ガ〜ン!そうだったのか。先生は楽譜なんか見て無かったんです。覚えている「音楽」を演奏していた。私は「音楽」が分からないから「楽譜」にしがみついていた、そう言う事です。次にお会いした折に、それを言ったら「ああそう」てな感じでした。「音楽の森」の深さを、改めて感じた瞬間でした。
そしてワグナーをやるには意味がありました。先生の言によれば、「グレートヘッケル(今日のヘッケルを完成した2代目、ヴィルヘルム)の工房にワグナーは興味を持ってよく行っていた。そして、ヘッケルとファゴットで何が出来るかを何時も話した。フィンガリングに付いても、どれが最も良い音がするか二人で考えたのだ。だからワグナー以上にヘッケルを知る作曲家はいないし、その作品にはヘッケルのエッセンスがある。従ってワグナーを全てやれば、ファゴットで出来る事が、全て出来るのだ。」う〜ん、反論のしようがありません。例えば、ワグナーには高いe(ホ)がタンホイザーの序曲で出ますね、中々難しい。でも、ワグナーにあるから出せなければ「プロじゃあない」「ファゴット吹きじゃない」と言う訳です。
それから先生は、ゆっくりの長いフレーズ(もちろんワグナーの)をよく吹いて下さり、「Schoen!(綺麗だ!)」と仰いました。そして決定的なのは「ファゴットは協奏曲を吹く楽器では無い。ファゴットの本質は『和音の楽器』なのだ」と言われた事です。これは深いなあ。確かにそうです。笛やオーボエと決定的に違うのは、ホルンと(ファゴットだけでも)コードが創れると言う事です。音域が広いですからね。
もちろん先生自身は協奏曲もソナタも吹かれて来た訳で、そうした人だから、尚更この言葉は意味のあるものでした。もっとも当時の私は、理解するには若過ぎましたけれど。皆さんも考えて見て下さい。
念の為言えば、ワグナー以外も教えて下さいました。協奏曲のレッスンもちゃんとして戴きました。それにR.シュトラウスもやらないといけないと言う事だし、要は最重要な作曲家のワグナーやってから他のものもやれ、と言う事ですね。
話を戻しましょう。多分3ヶ月くらいした頃、とにかく混乱して仕事でもポカをするので、菅原先生にレッスンの時に話したのです。そうしたら先生がヘンカー先生に「森川のフィンガリングを戻してもいいか」とまで言って下さいました。有難いですねえ、涙が出ます。ところが面白いもので、この頃から安定期にさしかかったんです。どの指でも100%では無いけれど、コントロールが出来て来ました。そうしたら、仕事先で誉められる様になって来ました。こうなると新しいフィンガリングが良く思えて来ました。音を出す恐さは影を潜めました。それに、元々のフィンガリングも当然使えるので、結果的に技術的な幅が広がった訳です。
この当たりで、また私の音楽人生を左右する出来事がありました。(続く)