今回のポルトガル旅行で なぜポルトガルの果てにあるサグレスにまで足を伸ばす気になったかというと
沢木耕太郎著「深夜特急」(新潮文庫)の第7章「果ての岬」を読み その舞台となったサグレスを是非一度
訪れてみたいと前から思っていたからです。 沢木耕太郎がサグレスを訪れたのは リスボンで初めて飲んだ
ビール・サグレスがきっかけとなっています。
著者は「深夜特急」の中で スペインのマドリードからポルトガルのリスボンにバスで移動します。 リスボンで
食事時にビールを頼むと サグレスという小瓶が持ってこられたので サグレスの意味を聞くと 地名と教えられ
ます。 著者は 地図を開きサグレスという地名の場所を探し そこが「ポルトガルの果てで イベリア半島の
果てで ユーラシア大陸の果て」であることを知り 果ての果てがどんな所で そこでサグレスを飲んだらどんな
味がするのかを知りたくなり サグレスに行くことを決めます。
私がサグレスで飲んだサグレスは 沢木耕太郎がサグレスで飲んだサグレスと同じ味がしました!?
4. ポルトガル国民の英雄・エンリケ航海王子
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発見のモニュメント
リスボンを代表する観光スポットとなっている
「発見のモニュメント」です。
先の項のサグレス岬は 岬全体が要塞となって
います。
この要塞は 15世紀初頭にエンリケ航海王子が
世界初の航海学校を設立し航海術(羅針盤利用
など)を教えた場所で エンリケ航海王子は
大航海時代の先頭に立って海のルートを切り開いた
国民的な英雄となっています。 |
その後 バスコ・ダ・ガマがインド航路を見つけることができたのも すべてエンリケ航海王子の先駆的な業績
があったればこそだと 高く評価されています。
エンリケ航海王子について 今回ポルトガルに行くまで 私は全く知りませんでしたが スペインに先立ち
ポルトガルが大航海時代(15世紀中頃からの新航路開拓による地理上の大発見がもたらした海外進出と
植民地獲得の時代)の幕開けを担えたのは エンリケ航海王子が先駆者として航海者たちを指導し援助した
からだそうです。
リスボンにある「発見のモニュメント」(写真)は 1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念してカラベラ船
(エンリケ航海王子が考案したとされている3本の帆を持ち逆風でも進める大型帆船)をかたどって建てられた
モニュメントでです。 舳先にはエンリケ航海王子が立ち 大きな帆船の両側に大航海時代を担った天文学者、
地理学者、航海者、宣教師などが表されています。
石の帆船に乗っているポルトガル偉人群像には 先頭に立っているエンリケ王子の他に
バスコ・ダ・ガマ(1498年 インド航路発見) ペドロ・アルバルシュ・カブラル(1500年 ブラジル航路発見)
バルトロメウ・ディアス(1488年 喜望峰発見) フランシスコ・ザビエル(1549年 宣教師として日本到着)等が
居ます。
「発見のモニュメント」は 偉人群像の中で先頭という別格の扱いを受けているエンリケ航海王子が一番
偉かったということを示しています。 このことは 今回のポルトガル旅行で 私にとって大発見でした。
5.ポルトガルでの運転を初体験
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レンターカーで利用したトヨタ・プリウス
リスボンからサグレスまで1泊2日で往復(600km)
した時に借りたレンターカー・プリウスです。
リスボンに住む娘夫婦と家内を加えた4人で
サグレスまでバスで行くことも考えましたが
迷った末 レンタカーを借りることにしました。
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なぜ迷ったのかと言うと ポルトガルは 左ハンドル車で右側通行(日本と逆)の上に 道路交差点に
ランダーバート(ラウンドアバウト roundabout)と呼ばれるロータリーが滅多矢鱈に多いからです。 私は
左ハンドル車を米国で2年間運転しましたが 40年も前のことであり 米国にランダーバートはほとんど
無かったので 今回 ランバートを頻繁に通る運転に余り自信を持てませんでした。
信号機のないランダーバートは 交通量の少ない交差点では流れが良く 優れたシステムです。 しかし
短所として 交通量の多い道路から車がどんどん進入してくるような場合には 右側の道路からはなかなか
ランダーバートに入れず大渋滞が起きます。 また 全ての運転者が左側から来る車を優先させるという基本
ルールを守らないなら ランダーバートは機能しなくなります。 リスボン市内では ランダーバートの短所が
顕著になっているので レンタカーを借りるべきか迷いました。
しかし 遠いサグレスまでバスで移動するとなると 途中のバス接続が悪く 色々と不便であり 難しい場所は
娘婿が運転してくれるというので 思い切ってレンタカーを借りることにしました。
レンタカーは 日本で運転に慣れているトヨタ・プリウスでしたが ウインカーとワイパーの操作レバーが
日本仕様車とは逆なので 私が運転を始めいきなり右折れしようとしたら ウィンカーでなくワイパーが作動
したので 少しパニックになりました。 高速道路では 右側車線を走るほとんどの車の巡航速度が時速
140km/hほどであり そのスピードで右側車線を前の車と十分な車間距離を保って安全運転していると
後ろから追い越してくる車がどんどん割り込むので 結構緊張しましたが 楽しい経験となりした。
6. ポルトガル旅行の写真
今回の旅行中に撮った写真の中から 何枚かを追加して以下に載せます。
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リスボンの中心市街
サン・ジョルジェ城から見たリスボンの中心市街。
テージョ川に架かる橋は4月25日橋で
ヨーロッパで一番長い吊橋。
サン・ジョルジェ城から撮った風景。
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ベレンの塔
リスボンの西の砦として テージョ川からの侵入者
を見張る塔。
16世紀にマヌエル1世(大航海時代をリードした
国王)が建設。 |
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ジェロニモス修道院
ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念して
エンリケ航海王子が設計した礼拝堂を基に
エマヌエル1世によって造られた修道院。
完成には16世紀~19世紀に至るまで長い年月を
費やした。
大航海時代の栄華を象徴した建物。
内部には ヴァスコ・ダ・ガマの棺が安置されて
いる。 |
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サン・ジョルジェ城
数々の民族に支配された歴史を持つリスボンを
象徴する城。
5世紀・古代ローマ時代の砦が基礎になっている。
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ロカ岬に立つ十字架の塔
ユーラシア大陸最西端の地であることが 十字架の
ある石の塔に刻まれている。
訪問者は "The westernmost point in continental
Europe where the land ends and the sea bigins"と
書かれた日本語を含めた5カ国の証明書を貰える。
写真はロカ岬の灯台から撮ったもの。 |
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ポルトの町
ポルトはポルトガル最北部に位置し リスボンに
次ぐ第2の都市。
ポルトガル国は歴史的にポルトから発展し
歴史地区は世界遺産に指定されている。
ポルトワイン(ポートワイン)発祥の地でもある。
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ポルトワインの工場見学
SANDEMANという1790年創立のワイナリー(熟成
と出荷の工場)の内部。
説明員の黒マントは コインブラ大学男子学生の
制服で SANDEMANのトレードマークになって
いる。
工場見学時に試飲も可。
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ナザレの海岸
1954年のフランス映画「過去をもつ愛情」の中で
出演したファド歌手アマリア・ロドリゲスによって
歌われたテーマ曲「暗いはしけ」の背景として紹介
され一躍有名になった海岸。 |
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城壁の上から見たオビドスの町並み
オビドスは 8世紀にイスラム教徒が造った城壁
に囲まれた小さな町。
城壁は 高さ13m 全長1565m 城壁上を徒歩で
1周できる。
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サグレス岬の突端
ポルトガル最西南端にあるサグレス岬(要塞)
の突端部分で 断崖の上に砲台がある。
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サン・ヴィセンテ岬
サグレス岬の北にあり 絶壁の上に灯台がある。 |
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蛸のリゾット(Arroz
de Polvo)
ポルトガル料理の定番。
塩茹でのじゃが芋付き鰯の塩焼き(Sardinas
Assadas)もお薦め。
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7. まとめ