東京の銅像 ベスト10を選ぶ |
東京三大銅像とは何か 皆さん ご存知でしょうか? 正解は上野公園の西郷隆盛銅像
皇居前広場の楠木正成銅像 靖国神社の大村益次郎銅像です。 私のホームページには 今まで ほとんどパソコンやインターネットやに関することを載せて いましたので 何故 唐突に銅像について書く気になったのか訝る方がおられるかも知れ ません。 決して気が狂ったわけではありませんのでご安心ください。 (エッ! 安心できないですって?) 嘗て勤めていた某ベンチャーキャピタルは大手町にありました。 近くにある皇居前広場の 楠木正成銅像前をたまたま通りかかったところ 東京三大銅像の一つという説明ボードが 目に入りました。 好奇心旺盛な私は残る二大銅像は何なのか調べてみる気になったのが そもそものきっかけです。 同時に 最近デジタルカメラを買ったのですが 自宅の猫以外に 何を写したら良いのか分からず 昼休みに会社近くにある銅像を試しに撮ってホームページに 載せ デジタルカメラマンとしての私の腕前を世に問うてみたくなりました。 (ホームページに載せるネタが切れたというのが 実は 正直な理由なのですが・・・・) 日本では先人の偉業を称えるのに 墓碑や記念碑などの巨石をもってするのが主でしたが 西欧から銅像の鋳造技術が入った明治中頃から 銅像として顕彰されるようになった そうです。 第二次世界大戦前に東京には61基の銅像があったそうですが 多くは 神田須田町の広瀬中佐銅像を含め 戦争中に供出され 戦後は軍国主義排除ということ から撤去されました。 現在 東京には会社創業者銅像を除き 有名な銅像が35基あるそうであり その中から 私の独断と偏見で以下の如くベスト10を選んでみました。
和気清麻呂像をベスト1に選んだのは 明治 大正 昭和の時代に活躍した人物の銅像が
多いなかで 奈良朝時代に功のあった和気清麻呂像は特に異彩を放っているからです。 この銅像は紀元二千六百年記念として戦時色が強まりつつあった背景の中で 陸軍大臣 の働きかけで昭和15年(私の生まれる前年)に建ったものです。 敗戦後 軍国主義排除 ということで多くの銅像が撤去されたにもかかわらず この銅像が残されたのは GHQ マッカーサー司令長官による皇室対策の延長であったのではないでしょうか。 皇位につこうとした道鏡の野望を 宇佐八幡宮の神託により退け 天皇家の正統な皇位 継承を存続させた清麻呂の功績は良く知られいます。 生涯独身だった女帝 (孝謙) 称徳天皇の寵愛を受けた道鏡が皇族以外ついたことのなかった皇位を望み 「道鏡を 天位につけたら天下はよく治まる」 という宇佐八幡宮の託宣(神のお告げ)があったと朝廷 に奏上し これが真実であるかどうかを確かめるために和気清麻呂が派遣されました。 和気清麻呂が宇佐八幡宮から持ち帰り奉告した神託は 「わが国は開闢以来君臣定まりぬ。 臣をもって君となすこといまだこれあらざるなり。 天つ 日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。 無道の人はよろしくはやく掃ひ除くべし」 というもので皇統を守る結果となりました。 こうした問題が起きたのは 古代では政治と宗教が分離されていなかったからです。 奈良の都から遠い宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の代わりに もっと近くにある伊勢神宮 (三重県伊勢市)から 何故 神託を貰わなかったのかと疑問を持たれる方が居られるかも 知れません。 朝廷からの崇敬は宇佐八幡宮 伊勢神宮のどちらも厚かったのですが 神託(託宣とも言います)を出すサービスは宇佐八幡宮にしかなかったのです。 宇佐八幡宮の神託をめぐる「道鏡事件」はロマンがあり私の好きな話です。 チョット脱線 しますが 江戸川柳でかなり有名なものに 「道鏡は座るとみっつ膝ができ」 というのが あり 私に Inferiority Complex を読むたびに感じさせる川柳です。 和気清麻呂や姉の広虫(孤児教育の創始者)などを祭った和気神社が岡山県和気町にあり ます。 和気清麻呂の生誕地に所在し 朝倉文夫作の銅像が神社の入り口に建っています。 私は平成12年2月 倉敷市に居る愚息を尋ねた後 山陽本線の和気駅で下車し和気神社 を訪れましたが極めて印象的でした。 東京三大銅像である 楠木正成 西郷隆盛 大村益次郎 の各銅像はベスト10当確で 外せません。 大村益次郎銅像は西欧の鋳造技術を取り入れた我が国の本格的な 記念銅像第一号です。 西郷隆盛が入るなら勝海舟を入れざるを得ません。 (ところで 楠正成 楠木正成 何れが正しいのか私自身混乱していて良く分かりません。 皇居前広場にある銅像案内 には楠正成となっていますが ほとんどの参考書では楠木正成です。 インターネットの検索エンジンでは何れも出て きますが 楠木正成の方が多いです。 私はこのページでは楠木正成としました。 家系図で遠縁にあたる方から 楠木正成が正しいというメールをいただきました。 「日本の苗字七千傑」という苗字についてのサイトがあり 出身地の 観点から判断すると やはり 「楠木」が正しいようだというメールを 他の方からいただきました。 同じ方から 楠木正成の家紋の「菊水」と皇室の紋章である16弁の「菊」はベースが同じというご指摘がありました) 「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞかなしき」と小娘に笑われた 太田道灌は江戸城を築いたゆかりの人物として また都庁のシンボルとなっていた銅像 として入れました(注: 山吹の逸話は後世の作為で実際にあった話ではないそうです)。 ペリーの黒船に乗って米国に密航を企て失敗し安政の大獄で29歳の若さで江戸の獄中で 処刑された吉田松陰 福島県猪苗代湖畔の農家に生まれ世界の医学会で細菌学者として 知られている野口英世 赤穂四十七士の墓が祀られ参詣者が絶えない泉岳寺の大石内蔵助 もベスト10に入れてオカシクないと思います。 渋谷駅の忠犬ハチ公も除けません。 東京の銅像ベスト10に何を入れるか 色々な考え方があると思いますが こうしてみて みると 私が選んだベスト10の銅像は 結構 常識的で妥当なのではないでしょうか。 番外の 自由の女神は フランスから訪問していた銅像で お台場の海浜公園に平成11年 5月9日まで展示されました。 ニューヨークにある自由の女神よりサイズはかなり小さい ですが さすが本場の銅像だけあって出来が良いと思いました。 ベスト10の順位は 偶然の一致なのですが年代順と同じとなりました。 年功序列を信奉 する私としては この並べ方は日本の美徳として誰からも文句がでないものではないかと 思っています。 東京の銅像ベスト10の内容と順位について ご意見や異なるお考えなど ありましたら 是非メールでご連絡ください。 必要なら内容を改めるつもりです。 デジタルカメラで撮った銅像の写真と簡単な個別説明は以下です。
東京にある銅像としては 上記以外にも 品川弥二郎 大山巌 平田東助 渋沢栄一
北白川宮能久親王 板垣退助 伊藤博文 大熊重信 尾崎幸雄 ジエンナー 小松宮彰仁親王 ジョサイア・コンドル 瓜生岩子 木村安兵衛夫妻 榎本武揚 震災遭難児童 嘉納治五郎 鳩山一郎夫妻 高橋是清 有栖川宮親王 新聞少年 樺太犬タロ・ジロー 三沢初子 田村成義 などが有名です。 デジタルカメラを買い初めて使ってみた印象は バッテリーがあっという間に無くなるという ことと 写真一枚あたり8KB〜18KBの容量を必要とするということでした。 このページについて ご意見ご感想を下記アドレス迄いただければ幸いです。 Eメールアドレス*: 123hakuzouszk@kha.biglobe.ne.jp (注意*正しいアドレスは数字123を除く) (参考文献: 桜井正信編 「歴史散策 東京江戸案内」 八坂書房) |
|