5.まとめ
これまで私のホームページで取りあげた様々なテーマには 発信したい私の主義主張が何か必ずありましたが
このページは デジカメで撮った観光写真を並べただけの 凡庸な内容となりました。 香港・マカオの単なる
観光旅行に 私から発信したい主義主張がある筈もなく このページは それで良いのだ! と開き直ることに
しました。
香港は 18年前に訪れた時と比べ 街がキレイになり 治安も良くなりました。 新国際空港だけでなく
ショッピングアーケドやレストランのある立派な建物や設備が増え 年間1000万人を超える観光地として
人気の高い理由が良く分かりました。
1997年7月1日に共産主義国である中国に返還され 特別行政区となったので 大きく変わったのではと
思っていましたが 「一国二制度」のもと 資本主義が堅持され 見た目には前と何も変わっていないのは
ムシロ 驚きでした。
マカオは 初めての訪問でしたが 歴史的に深い繋がりがあるポルトガルと日本の関係を思い起こさせました。
ポルトガルにとって マカオは東洋における貿易と宗教(イエスズ会)活動の重要拠点となり 1543年には
日本を最初に訪れた西洋人として ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝来しました。 1549年に初めて日本で
キリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルは 1552年にマカオで亡くなり(47歳) マカオに今も墓があります。
1587年に発せられた豊臣秀吉のバテレン追放令以降は 多くのキリシタンが迫害され マカオに追放されて
います。
マカオ観光の目玉は 何と言っても セントポール大聖堂です。
ポルトガル人だけでなく 長崎を追われた
日本人キリシタンも加わり 20年余りの歳月をかけて17世紀に建造されましたが 火事で焼け落ち 今残る
のは教会正面の壁・ファサードのみです。 そこには 聖母マリアやフランシスコ・ザビエルと共に 日本の
象徴・菊などが彫刻されていて かつての壮麗さと日本との結び付きをしのぶことが出来ました。
最後になりますが 香港・マカオ旅行期間中 フルアテンドいただた香港に住む姪(私の妹の長女)のAちゃん
に感謝します。 英語と広東語を巧みに使って仕事でも大活躍している姿を 頼もしく思いました。 お陰で
3泊4日を楽しく過ごし また ホームページもupdate出来ましたが 毎日 昼も夜も 飲み過ぎ食べ過ぎた
ことを 今になって少し反省しています。
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(補足) フランシスコ・ザビエルの墓
フランシスコ・ザビエルの墓は 正確に言うと ゴア(インド) ローマ(イタリア) マカオ(中国)の3カ所に
あります。 ザビエルは1552年12月に中国・広東港外の上川島で没した後 遺体はポルトガル領だったゴア
に安置されたが 両腕を切り離し 右腕はローマ 左腕はマカオに移された。 18世紀に建てられたマカオの
世界遺産「聖ヨセフ修道院聖堂」には フランシスコ・ザビエルの左腕の遺骨がガラスケースに納められて
いる。