さて、女掘子のはじまりは下タ沢だ、といってみたところで大して自慢になるこ
とでもないだろうが、この掘子が坑内から鉱石を出すときは、どうしていたゞろう
か、麓さんの鉱山史によれば、 「掘子は大工の掘ったノ(ハク)やズリを「えぼ」に入れて、坑外に背負い出し、 ノ(ハク)は金場に、ズリは所定の場所に運ぶのである。「えぼ」は木の皮で編み、 荷形を入れて作る。一荷に七八合容れた。また背負出しが困難な難所では「しっこ」 に入れて引出した。これは莚で作り、銭叺三ツ切れ程のものであったという。」 せまい坑道では向きをかえることが出来なくて、後づさりしで出てきたという話 しを聞いたこともあるが、私達が子供の頃、山へ行くときなど「えぼ」というのを 下げて行ったような気もするが、それもかすかな記憶で、はっきりしないが、たゞ 「むしろ」で作った「こだしっこ」は下げて行った。こだしっこと同じくらいで、 木の皮?で編んだのがあった。もしかしてそれを「えぼ」といっていたろうか。 また叺(かます)は今は見ることもなくなったが、それは莚(6尺×3尺)を二ツ 折りにして袋状につくったもので、「ゼニカマス」ともいったかどうかはおぼえて いないが、また「三ツ切れ程」もわからないが、「三ツ切り」として3分の1と考え れば、2尺×1.5尺くらいになるから、大体の大きさの見当がつく。私達が山に下げ ていった「こだしっこ」もそんな大きさ(一寸小さかったかナ)だったと思う。 私達の親達が坑内に稼ぎに行くとき、昼メシはどうして持って行ったろうか。風 呂敷にくるんで行ったのか、こだしっこの小さいようなものを作って入れて行った ろうか。いづれにしろタガネとか鎚とかオノや鋸といった作業道具も持って行かな ければならないから、なんらかの袋は持っていったろうと思う。それはそれとして、 坑内に働きに行く人(全員ではないが)は「アテシッコ」というのを腰(お尻)に 下げて(つけて)いた。それは物を入れるというより、座る時の座ブトン代り、と いった感じだった。 「えぼ」は木の皮で編んだというが、何んの木の皮か知らない。私達が子供の頃 一番強いロープは「マダナワ」だった。直径5分くらいだったろうか、ゴワゴワして いて固くて使いにくかった。それは「マダの木(級(しな)の木)の皮をなったも のだった。古くから丈夫な繊維として使われていたのだろう。八郎太郎の伝説で、 八郎太郎が十和田の山奥に仲間と一緒に働きに行ったのは、「マダ」の皮剥ぎだっ たとかいう。 参照リンク「八郎太郎伝説」 お願い:リンク先から戻るときは、ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さ い。 |