51 八郎太郎伝説
 
                         参考:鹿角市発行「鹿角市史」
 
                            『草木の八郎太郎』要約
 
 むかし、草木クサギの村に八郎太郎という大きくて力の強い若者がいた。毎日山々をか
けまわり、マダ(シナノキ SYSOP)の木の皮をはいだり鳥や獣をとって年とった父母を
養っていた。
 あるとき八郎太郎は仲間の若者と三人で、来満ライマン峠からずっと奥山を越え奥入瀬の
あたりまで来て、マダの皮はぎにはげんでいた。八郎太郎が炊事の番のとき水を汲もう
として川ぶちへ行くと、岩魚を三匹見つけた。三人で一匹ずつ食べようと串にさして焼
いていると、そのにおいの良いこと、自分の分をぺろりと食べいつの間にか残りの二匹
も食べてしまった。するとのどが焼けるようにかわき、桶の水を飲んだがかわきが止ま
らない。川ぶちで水に口をつけ、日の暮れるまで休まずに飲み続けた。
 
 ふと顔を上げると、水面に写る姿は火の玉のような真っ赤な目をした龍と変わってい
た。八郎太郎は仲間に、自分はもう魔性となり水から離れられなくなった、これからこ
こへ湖を作る、家へは自分の笠とケラ(蓑のこと SYSOP)を届けてくれと頼んだ。そし
て三十余丈(90m余)の大きさとなり、沢から流れる水をせき止めて十和田湖を作り、深
い湖の底に住む主となった。
 一方、南祖坊ナンソボウという僧が紀州熊野山で人々の救いを願って修業していると夢枕
に老人があらわれ、願いを聞き届けるが、それには龍身となる必要がある、鉄のわらじ
と杖を与えるから杖のおもむくままに歩き、このわらじと同じものが見つかったとき、
そこが願いをかなえる地となる、と語った。
 南祖坊は津々浦々をめぐり歩き、十和田湖へ来た時、洞窟の中に鉄のわらじを見つけ
た。ここがお告げの場所かと、岩頭で経を読み始めると、湖底からさっさと立ち去れと
の大音声が響いた。神のお告げで自分が湖の主になると告げると、八つの頭と十六本の
角を持つ巨大な龍があらわれ、火をふく舌を捲きあげて飛びかかってきた。
 南祖坊が静かに経文を読むと、その一字一字が剣となって八郎太郎の蛇体につき刺さ
った。そして経を衣の襟にさすと南祖坊も九頭の龍となって戦う。八郎太郎は着ていた
ケラの毛一本ずつを小さい龍にしてかみつかせる。激しい闘いは七日七晩におよんだが、
ついに八郎太郎が真っ赤な血を流しながら御倉ミクラ半島をはい上がり、逃げ去った。五色
岩、千丈幕、赤根岩が赤いのはその血の跡である。南祖坊は最も深い中の湖ナカノウミにひそ
み、湖の主となった。
 
さて敗れた八郎太郎が生れ故郷へ帰り、高い山へ登ってあたりを眺めると、西の方で米
代川、小坂川、大湯川の三つの川が合流する、男神オガミ、女神メガミのせまい谷あいが目
についた。そしてあの谷間を埋めて三つの川の水をためれば、大きな湖もできると考え、
毛馬内の茂谷モヤ山を運ぼうとブドウのツルを集めて長い綱をない始めた。
 鹿角の四十二人の神々はこれを知って驚き、大湯の下の方に集まって評定した。集宮
アツミヤの地名はこのことによる。そして八郎太郎へ石のつぶてをぶつけることに決め、石
を切り出すために花輪福士フクシの日向ヒナタ屋敷にいた十二人の鍛冶にカナヅチ、ツルハシ、
タガネなどを沢山作らせ、牛につけて集宮まで運ばせた。あまり重たいので血を吐いて
死ぬ牛がおり、そこは血牛 − 乳牛チウシと呼ばれている。これに気づいた八郎太郎は、あ
きらめて茂谷山の中腹にかけた綱をほどいたが、その跡は今でも残って見える。
 八郎太郎は米代川を下って八郎潟まで行き、そこの主となって暮したという。
 
八郎太郎誕生地の碑 八郎太郎誕生地の碑 [地図上の位置→]
関連リンク 伝説の地「草木」の産土神「草城神社」
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