さて、わが鹿角では、「明治9年地租改正委員として東京に出張していた花輪の吉
田清兵エが、やはり勧業寮から柿や梨の苗木とともに払下げてきて、同人はじめ同
町の村山義知、毛馬内の高橋嘉六等がそれぞれ栽培を試みたのが、本郡リンゴ栽培
のはじまりとする」といっているが、それは試作程度で、明治13年に毛馬内に石川
儀平がりんご園を作ったのが始まりで、つづいて横田富蔵、高橋宇平等も栽培した
が思わしくなく伐採、明治19年(17年とも)に花輪の佐藤要之助が盛岡方面から苗
木400本を購入植栽したのが、鹿角りんごの基を築いた初めある(鹿角市史第三巻
上)、という。その後幾多の病虫害になやまされながら研究改良を続け、今日に至
っている、ということである。
※勧業寮(の説明:省略) |
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