※お願い:リンク先から戻るときは、ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さい。 「鹿角の民謡」伝承者。高田。 毛馬内の人で俳人。盛岡の一徳庵於曽此一(おそしいち)に師事、慶応四年六月 盛岡桜庭邸内で自決(戊辰戦争)。 夜明島渓谷伝説「天狗に憧れた武芸者」。 前尾去沢鉱山長大江松太郎氏令息、花輪小学校在学後上京、 三井物産会社勤務。明治四十五年三月十二日病没、二十八。 鹿友会員。明治三十五年六月二十七日東京で病没、二十三。 騎兵一等卒、台北にて戦死。 平成8年民俗芸能の保存伝承で鹿角市一般表彰。平成15年民俗芸能の振興で 鹿角市文化功労者。十和田岡田字下モ谷地 昭和58年鹿角市文化功労者。 毛馬内。音楽、郷土芸能の振興に寄与。昭和50年鹿角市文化功労者。 九戸一揆(九戸政実の反乱)のとき、九戸側に味方した鹿角侍に、大里修理・大湯四郎左衛門・円子(花輪)右馬允らがいた。しかし、 九戸城は落城した。 町政に尽力した文化医師。 米博士とよばれた。 小坂鉱山などに勤務。 信州木宮氏出。大正五年九月病没 平成10年地方自治の振興・商工業の振興で鹿角市功労者。十和田毛馬内字毛馬内。 花輪町長など歴任。 「鹿角方言考」の著者。正四位勲三等・花輪町文化功労者・花輪町自治功労者・ 花輪町名誉町民。 昭和61年民生安定・農業の振興で鹿角市功労者。 名利を捨て医療一筋に生きた。 昭和52年地方自治・保健医療の向上で鹿角市功労者。 大里寿の孫。俳句をよくし、また謡曲では明治の終わり頃上京して宝生流宝生九郎 に師事して研鑽を積み、帰郷後花輪に鹿謡会を創った。 鹿友会員。明治三十八年四月十六日入浴後急死。 鹿友会賛助員。 花輪大里平治の息。平治は大里寿の孫。謡曲宝生流能楽師野口兼資(芸術院会員) の内弟子。後花輪宝生会を主宰。昭和62年鹿角市文化功労者。 平成13年地方自治の振興で鹿角市功労者。 鹿角郡の鉱山開発に貢献。 小真木鉱山の設計を担当。 秋田県文化財保護協会能代支部。 「上津野」記念講演バックナンバーNO.31。 「熊沢小学校校歌」作詩者。 鹿角弁丸出し、四中の先生。 大町桂月は、「住まば日本(ひのもと)遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬三里半」 と詠んだ。 平成11年畜産の振興で鹿角市一般表彰。 「上津野」記念講演バックナンバーNO.11。 「八幡平小学校校歌」作曲者。 九戸一揆(九戸政実の反乱)のとき、九戸側に味方した鹿角侍に、大里修理・大湯四郎左衛門・円子(花輪)右馬允らがいた。しかし、 九戸城は落城した。 |