九戸一揆(九戸政実の反乱)のとき、九戸側に味方した鹿角侍に、大里修理・大湯四郎左衛門・円子(花輪)右馬允らがいた。しかし、
九戸城は落城した。 参考(出典):「鹿角市史」ほか
大里氏系図(『岩手県史』より) 大里氏:鹿角大里郷住・安保姓 ↓ 親基:大里修理・天正一九自刃四〇・室大光寺左衛門光愛女 女:柴内左衛門佐親白妻 ※親基 ↓ 親易:大里備前介・備前天正一九出奔・文禄ニ羽州ニ去リ慶長二年鹿角ニ帰ル ↓ 親房:大里左衛門五郎・浪人・妻坂牛右市女 女:乙部嘉太夫武国妻 女:西館四郎左衛門妻 ※親房 ↓ 親棟:大里右衛門・浪人 武上:元和六仕彦九郎政直・大里主膳・十左衛門・寛永元浪人 親東:大里五郎・津軽ニ住 親兼:大里長右衛門・出羽秋田ニ住 ※親棟 ↓ 親孝:大里右衛門・浪人 女:西館将監忠珍妻 ※親孝 ↓ 親邑:与三左衛門 親治 親都 ※武上 ↓ 広共:寛文五中小姓出仕・大里庄左衛門・享保三卒 広定:大里重右衛門 女:野沢伝内宗明妻 女:花巻・平沢嘉兵衛親晴妻 女:畑中久右衛門吉長妻 |