46 猪汁(大湯)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 爺様ジサマと、婆様バサマが居ました。爺様は犬っこが好きで、うんと肥コえらかしていま
した。
 「爺っちゃや、爺っちゃ、猪シシ捕りに行こう、鉞マサカリを持って、来て呉クれろや」
と言って、山へ入って行きました。そしたら、犬っこが、
「あっちの山の ししこい、
 こっちの山の ししこい」
と言ったら、沢山の猪っこ達が集まって来ました。そこで爺様は、鉞を振り回して、ワ
ッタ、ワッタと殺して、車に沢山付けて(積んで)、爺様も乗って、帰って来ました。
 捕って来た猪のことを今度はグツグツと煮ていたら、隣の婆様が、
「火っこ給えタモレ、火っこ給え」
と来たのでした。
「火っこもそうだけれども、今、猪汁を煮ているところだ。まんず食って行って下さい
」
と言って、婆様に出したら、あまり旨いものであったために、婆様はお汁椀ツケワンで二杯
も食ったそうです。
「爺っちゃへも持って行くから、下さい」
と言って、一杯貰モラって帰って来ました。ところが、そのお汁ツケのかまりこ(匂いこ)
があんまり旨いようなために、行く階シネ(シナ・途中)に我慢されなくなって、食ってしま
いました。そして爺っちゃに、
「爺っちゃや、爺っちゃ、隣の爺っちゃまは山へ行って、猪こいっぱい捕って来て、猪
汁をご馳走になって来たのだぁ。お前も、山から猪でも捕って来て、そんなに旨いもの
を食ってみたら良いのになぁ」
「んだ、んだ、そしたら、どうして捕ったかって聞いて来いなぁ」
と言いました。
 
 そこで隣りの犬っこを借りて、山へ行きました。そして、犬っこに、
「猪を呼べ」
と言ったら、何と、その犬っこは、
「あっちの山の 蜂バチこい、
 おおじの へのこどこ させっ」
と言ったそうです。
 爺っちゃは、猪どころではなくて、その爺っちゃは罰ツミを食らって、帰って来たので
した。
 だから、人真似すれば、大水オオミズ食らう(罰を食う)と云うことです。
 どっとはらえ。

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47 じほこき男(八幡平)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
                    「じほこき」とは、「坊主ズボウを放コく」
                   つまり坊主ボウズの真似をするの意であると思
                   います。             SYSOP
 
 昔、あったのです。
 八幡平のある処の大きな松の木が生オがっていた金持ちの大きな家に、刈子カレコ(使用
人)として使われていた藤五郎トウゴロウと云う男が居ました。
 ある時、山へ薪タキギを採りに出掛けました。何にも稼がないで、昼寝ばかりして晩方
バンカタに家へ帰って行きました。
「藤五郎、今日は薪をなんぼ採って来た」
と旦那ダンナに聞かれました。
「どど(旦那のこと)さん、十八杷パであります。男は鉈を振り上げたら、薪は十八杷
に決まっているでしょう。それより、山でたまげた(驚いた)ことがありました」
「たまげたこととは、どんなことだ」
「それはな、大きな松の木に、鷹タカが沢山巣を作って、あっちからもピイー、こっちか
らもピイーと鳴き声が聞こえて来るし、忙セワしくあっちへ行ったり、こっちへ飛んで来
たりして、碌ロクに昼寝もされなかったのです」
と、坊主を放いて(ジホコエテ)言いました。旦那さんはそれを聞いて、
「それなら、俺オレも行って見たいので、連れて行け」
「鷹はただじっとしている訳でないから、あっち突っつくし、こっち突っつくして、お
っかなくて、やずかない(とんでもない)ものだろう」
「そんなことは何でもない。俺は慣れているから、連れて行け」
と云うことで、次の日、二人で梯子ハシゴを持って出掛けて行きました。
 
 「どどさん、俺は意気地なしジクナシで、高い所へおっかなくって上ノボれないな」
「藤五郎、下に居て親鷹が来ないかよく見ていろ」
と言って、梯子を上って行きました。梯子の天辺テッペンまで上ると、
「藤五郎、どの辺だ」
「もっと上の枝の方だけれども」
どどは梯子から離れて、木の枝に保つ支りタモツカリ(掴まり)ながら、ずっと上の方へ上っ
て行きました。
「藤五郎、未だだか」
「うん、もう少し上の方だ」
と言って、どどが上っている間に、藤五郎は木から梯子を外ハズして、それを担カツいで、
ぐんぐん家へ戻って来ました。
「ががさん(お上カミさん)、大変なことになった。どどさんが山の松の木から落ちて、
大怪我オオケガして、動けなくなって寝ています」
と言ったために、家の者達は動転ドデンしてしまって、騒いで居たところへ、どどさんが
ごしゃやいた(怒った)面ツラ付きで帰って来て、
「藤五郎居たか。今日、藤五郎によって、騙ダマされて、ひどい目に遭アった。あの野郎、
ただでは置かない。あんな奴は間木マギにある簾スダレに包クルんで、川へ持って行ってドブ
ンと流して来い」
と、他の刈子達に言い付けました。
 刈子達は、仕方なく簾に藤五郎を包んで、川の側まで運んで来たら、藤五郎が、
「ウーン、今思い出したけれども、困ったなあ。実はなあ、俺の寝床の下に、俺が貯め
た銭ゼンこを置いているけれども、俺が死ねば、誰の物でも無くなってしまうために、お
前達に呉クれるので、取って来て呉れないか。そうすると、俺も快ココロヨく死ねるから」
「そんな事なら、今すぐ行って来て呉れる」
と言って、藤五郎のことを其処ソコに置くと、我れ先と皆、家の方へ馳せて行ってしまい
ました。
 
 其処へ、目腐れの牛方ウシカタが、シーッ、シーッと牛ベゴの尻ケッチを追って来ました。
「おい、おい、おーい」
「俺に、用こなのですか」
「うん。お前さんは眼マナグが良くないようだけれども、そのままにしていれば、死んで
しまうぞ」
「そうしたら、どうしたら良いのだろうか」
「俺も、眼腐れになったので、こうして置いて貰ったら、これこの通り一晩ヒトバンゲのう
ちに良くなってしまった」
「そうですか。俺も代わりに包んで貰えるのですか」
「良いですよ。俺の縄を外して呉れろ」
 藤五郎は牛方のことを簾に包むと、牛方が連れて来た牛を追いながら、町の方へどん
どん逃げて行ってしまいました。
 
 其処へ、さっき銭こ見付けに行った刈子達は、寝床を探しても銭こが出て来ないので、
藤五郎によって騙されたのだと気付いて走って戻って来ると、簾の中味を確かめないま
ま、川へドンブリと投げてしまいました。
 町へ逃げた藤五郎は牛を売って、その銭こで綺麗キレイな上等の木綿(着物)を買って着
たとそうです。それから、どどの家へ戻って来て、
「簾に包まれて川へ投げられたけれども、竜宮城リュウグウジョウへ行ったら、乙姫様オトヒメサマ
に惚ホれられて、婿ムコになることになった。毎日いい木綿を着て、美味しいご馳走が食べ
られるし、鯛タイなど綺麗な魚もいっぱい居て、大した良い所であったのです」と言った
ら、どどは、それを聞いて居て、
「それなら、俺も行って見たいなあ。俺のことも連れて行け」
 
 そこで藤五郎は、どどと縄梯子を持って川へ行きました。それから、橋の上から縄梯
子を掛けて、藤五郎が先に下りかけたら、
「藤五郎待て、俺が先に行く。お前は後アトから来い」
と言って、どどが先に縄梯子を下りて行きました。
 その時、藤五郎は隠して持っていた鉈で、縄梯子の上の方を切ってしまったために、
どどは川へドブンと落ちて、アップ、アップしながらどんどんと流されて行ってしまい
ました。藤五郎はそれを見てから、どどの家へ行って、
「どどは竜宮の乙姫さんの婿になると言って、行ってしまった。俺にどどが帰って来る
まで、この家のどどになって、何でも始末して待って居ろと」
 藤五郎は、遂にこの家の旦那に座ってしまいました。
 どっとはらえ。

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48 稲についた白い虫(花輪)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 日本国中に大飢渇オオケカチが続いていたときでした。
 春の初めから降り出したしゃっこい(冷たい)雨が、来る日も来る日もびしょびしょ、
びしょびしょ降って、なかなか止みませんでした。四月も降り止まないで五月へ入って
も相変わらず降り続きました。
 百姓達は、少しの晴れ間を見て、田畑を耕したり種蒔きをしながら、作物が実るよう
に祈っていました。しかし、毎日の雨降りで、稲の苗っこも、畑のものも、何時イツもの
半分も伸びませんでした。
 人々は「よい世の中にして下さい」と、一所懸命神様を拝んだけれども、雨降りは続
きました。家の中では、炬燵コタツを掛けたり、囲炉裏イロリに火を燃やしたりして、毎日毎
日濡れた着物を乾かしていました、そして、人々達は、
「なんぼ何でも、六月になったら止めるだろうな」
「うんだ、うんだ。去年だって、春から夏まで降ったのであったし、天の神様だって、
いい加減に飽きただろう」
と、気休めなどを言い合ったりしていました。中には、
「おれは、また今年もこのまま降るのであれば、何も食う物がなくなるな。去年だって
旦那(地主)さんに面倒を見て貰モラって、漸く冬を越せたのであるけれども、今年だと、
良いかと思って、そればかり願っていたのになあ」
と、溜息タメイキを吐ツく人達もありました。
 
 玉内の奥の山田や浦志内ウラシナイ、花輪の柏木森カシワギモリや大久保岱オクボタイ、また三倉山
ミクラヤマまでも、薇ゼンマイや蕨ワラビなど、食べられる限りの草の葉、木の芽、木の皮を冷た
い雨の中を人々達は採りに出掛けました。
 ところが、六月に入っても雨は止まず、寧ムシろ大雨になったりして、川と云う川に水
が溢アフれ、橋は流され、低い処の田圃はみんな水こを被カブってしまいました。
 人々は雨のことを呪ノロい、自分達の不幸を悲しみ、嘆いていました。
 その年はとうとう八月の土用中ドヨウチュウでも綿入れを着て、囲炉裏に火を焚タいて当た
らねばならない程寒かったそうです。
 人々は空腹スキッパラを抱えて、食べ物を探して歩きました。体の弱い人などは歩く途中
で倒れてしまい、中にはそれっきり起き上がる力もなく死んでしまう人もありました。
また、乞食ホエドになって、あっち、こっちを流れて歩く人もいっぱい出張デハりました。
 
 幾らた蓄えのあった町の人達が、毎朝大戸オオドを開けると、必ず何人かの人達が餓死
ガシして、其処ソコの家の戸口の前で斃タオれていました。
 お寺やお宮では、干し菜ホシナをいっぱい混ぜたお粥カエを炊いて、お腹の減っている人達
に食べさせました。また、地主ジヌシや金持ちの旦那衆達も、米倉を開けてお粥を炊いて、
食べ物がなくて困っている人達へ配って食べさせて上げました。
 だけれども、中には倉に米がいっぱい入っているのに、米の値段ネダンの上がるのを待
って、倉から米を出さない欲張りの商人アキンドも居ました。腹を空かして居た百姓達は、
「あの倉の米は俺達の物だ。俺達が稼いで取った米だ。このままなら、皆死んでしまう。
あの倉の米を盗トって食おう。さあ、行こう」
と言いながら、欲張り商人の家の倉に押し掛け、米倉を破って、米を持ち出し、みんな
で少しずつ分け合いました。しかし、この倉破りの先立ちをした人達は、重い咎トガめを
受けて、殺されてしまいました。
 
 そのうちに、益々死人が増え、道端や舟場フナバの橋の上に死骸が幾つも横たわったり、
新田町シンデンマチの林こなどにも、死人の山が出来た程でした。この死人の中には、岩手の
田山タヤマや兄畑アニハタの方からやって来た人も居ました。
 十一、二才の子供や赤ん坊を懐フトコロに入れたまま、倒れてしまった女の人達も居まし
た。花輪の人達はこれを見て葬って上げたいと思っても、自分達も、粥を啜ススってやっ
と生きていて、力こも出ないし、明日アシタは自分も死んでしまうかと思いながら、ボンヤ
リと見ているだけでした。
 その年も暮れて冬が過ぎて、春が来たけれども、また、同じ様に雨降りが続きました。
 でも去年よりは、晴れ間もあって、今年は幾らか米の取れそうな気配ケハイが見えて来ま
した。人々達は、
「ああ、今年は幾らか米こが取れるのではないだろうか」
と言いながら、毎日田圃を見て回って歩きました。
 長雨と寒さで、ひ弱に伸びている稲の穂こは、僅か膨フクれて来たのが見えて来たので、
朝早く田圃を見に行くのが楽しくなりました。
 
 ところが、ある朝のことでした。何処ドコから集まって来たのだろうか、勘定カンジョウ出
来ない程いっぱいの白い虫が、やっと膨らみかけた稲の穂っこにしがみ付いていて、稲
の汁ツユを啜ススっていました。
 それを見て、百姓の人達や、町の人達もびっくりし、慌アワててしまいました。今まで
聞いたことも、見たことも無い稲の虫でした。これなら、今年も米こが取れなくなって、
飯ママが食えなくなると思いました。
 そこで、みんな集まって「どうしたら良いだろうか」と相談を始めました。その時、
「これは、きっとお腹を減らして、道端で死んだ人達の霊タマシが虫こになって取り付いた
のであるかも知れない」
と誰か言った人が居ました。そこで、町はずれの林この中に、死んで倒れた人達の霊を
弔トムラうことにしました。
 
 それから、みんなが集まって、あつちこっちにあった死んだ人の亡骸ナキガラを集めて来
て、荼毘ダミこをし、までこに(丁寧に)葬った後に、石の地蔵さんを立てました。
 その他虫追いも一所懸命やって、虫こも少なくなり、その年の秋は少しだけ米こが取
れました。
 その時以来、毎年その頃になると、石のお地蔵さんの処に地域の人達が集まって来て、
飢え死ににした人の霊を慰めるため、物を供えたり、拝んだりしました。
 また、虫除けムシヨケのお呪いマジナイをしたりしました。
 こうしたことは、今までずっと続けられているのです。
 どっとはらえ。
[詳細探訪「飢饉」考]

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49 あび餅と夫婦になった長八チョウハチ(花輪)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 花輪の町に、大きな酒屋さんがありました。
 其処ソコで、酒造り人や下働きの人など、沢山の人達が働いていました。
 ある日、其処のおがさん(お上カミさん)が、下男ゲナンの一人に、
「長八、この重箱ジュウバコを持って、湯瀬ユゼまで行って来て呉クれろな。旦那(主人)さ
んが、湯治トウジして七日ばかりになるし、何か用っこあってお出でになるだろうから、
聞き申して湯見舞ユミマイして来て呉れろ」
と、言い付けました。長八は「はい」と承ウケタマワって、大きな割には軽い重箱を持って出
掛けました。
 
 その日、とっても良く晴れた日で、大里オオザトの長道の田圃では、田植えが始まってい
ました。昼間近くになったために、田の畦クロで、大きな豆の粉飯(黄粉gubを付けたおに
ぎり)を食べている童子ワラシ達が居ました。
 長八は重箱を持ち直して、急いで歩きました。小豆沢アズキザワの大日堂の前まで行く
と、手が切れる位しゃっこい(冷たい)水を五、六杯飲んでから、また急いで歩き続け
ました。湯瀬渓谷ケイコクの景色を眺ナガめながら歩いて行くと、岩の上に生オがっている姫
子松ヒメコマツが見えて来たので、「間もなく湯瀬だな」と思って少し行くと、大きな唐傘
カラカサのように枝を広げた赤松の木がありました。その下は涼しい日陰になっていたので、
其処まで行って、長八は腰を下ろして休みました。ヒンヤリしていい気持ちでした。持
って来た重箱の包みこを其処に置いて、腰にぶら下げていた手拭テヌグイで、汗こを拭フき
ました。
 
 一息入れると、ふと、傍ソバに置いた重箱の中味こが気になって来ました。街道は誰も
歩いて来ないので、長八は、そっと風呂敷を広げて、重箱の蓋フタこを取って、そっと中
味こを見ました。すると、白い片栗粉カタクリコをほんのりと被カブった、大きなあび(あん
びん)餅が片側に少し寄って入っていました。
 見ているうちに、知らず知らずに手が出てしまいそうになりました。
 そのうちに長八は、あんびんを数え始めました。
 「これとこれと夫婦、これとこれと夫婦・・・・・・」
と、二つ一組にして数えて行ったら、どうしても一つ余るのでした。何回数えても一つ
余るので、長八は首を傾カシげて、
「これは多分、おがさんが間違って入れたのだかも知れないな」
と考えました。長八は仏事ブツジ以外のものは、必ず奇数キスウを入れることを未だ知らな
かったのです。
 
 長八は念のために、もう一回やってみました。
「これとこれは夫婦・・・・・・」
矢っ張り最後に一つ余ったので、
「これとこれは夫婦、ムニャ、ムニャ」
と、食べてしまいました。
 そのあび餅の旨かったこと、旨かったこと。やっこい(柔らかい)皮と甘いあんこが、
舌の先でとろけてしまいました。こんなに旨いものは初めて食べたと思いました。
 それから、長八は元気いっぱい急いで歩いて、旦那さんの湯治している湯瀬の宿に着
きました。
 
 「旦那さんし、おがさんがこれを寄越ヨコしたのです」
 「ああ、そうか、ご苦労だったな」
 旦那さんは、長八が大事に持って来た重箱の蓋を取って見て、
「ああ、あんびんだな。旨そうだな」
 あび餅は、旦那さんの何よりの大好物でした。
「けれども長八、これはおがさんが入れて寄越したのか」
と、怪訝ケゲンそうな顔で聞かれました。長八が黙ダマっていたら、
「ふーん、そうか。そうであるけれどもおかしいな・・・・・・」
と、一人言を言いましたので、長八は「はっ」と気付いて、大真面目オオマジメな顔で、
「そうであるけれども、俺オレが途中で重箱を開けて勘定カンジョウして見たら、おがさんが
間違ったかのようで、どうしても、一つ足りないために、旦那さんのことをごしゃやか
せて(怒らせて)も良くないと思ったために、余る分を俺が食べてしまったのです」
と、言いました。
 この正直者の長八の言った言葉を聞いて、日頃気難キムズカしい旦那さんも吹き出して笑
ってしまったそうです。
 どっとはらえ。

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50 湖畔に舞った狐灯キツネビ(十和田湖)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、十和田湖のある家のやどこ(家普請フシン)をしていた時の話こです。
 春に雪消えと同時に、建前タテマエをする段取りダンドリこを組んで、正月前から大工ダイク
達が木取り(材を刻む)をやっていました。大きな家を建てるので、大工達もいっぱい
居て、十和田湖の湖畔コハンへ杣小屋ソマゴヤの作業場と飯場ハンバを建てて、其処ソコで稼いで
いました。
 その年はしこたま(沢山)雪が降って、のっこり(沢山)積もっている年でした。そ
のために月二回、食べ物を運ぶのに、大湯オオユまで下がって来て、往復すると云うこと
は、とにかく大変でした。
 確か、二月頃だったと思ったけれども、仲間と二人で、十和田湖畔から下って来て、
その日の晩、大湯の建て主の家に泊まりました。
 次の朝、朝から酒こ一杯ご馳走になって、魚や野菜などのっこり背負って、一杯機嫌
キゲンで、大湯を出掛けたのが昼過ぎでした。
 
 雪は降っていなかったけれども、昨夜に降って積もった雪で、道は埋ウズまってしまっ
て、見えなくなってしまっていました。二人は、ボッツリ、ボッツリと雪を漕コいで歩い
て中滝ナカタキ辺りまで行ったら、辺りは真っ暗くなってしまいました。段々と降り出し始
めて、少し辺りの様子も気味悪くなってきました。
 そしたら、雪で薄暗がりの中で、道端の高い処から、反対側に「ヒョイ、ヒョイ」と
跳び移ったのが見えました。
 「ハハァ、狐こが出たな」と思って、二人で雪の上に「どっこいしょ」と腰を下ろし
て、一服しながら相談こをしました。
「此処ココで、狐こに騙ダマされれば、崖ガケから落ちて死ぬばかりだ」
と云うことになって、背中の荷物の中から、さっからにし(身欠鰊ミガキニシン)一把イッパを
取り出して、
「狐達や、騙ダマされないで、真っ直ぐ連れて行って呉れれば、魚こを幾らでも呉クれる
ので頼むし」
と、大きな声で言いながら、にしん束を「ぶーん」と道の上に投げてやりました。暫く
その辺りを狐達が跳ね回っている気配がしていてあったが、やがて、道の両側にポッカ
リと明るい青い灯アカリっこが二つ点ツいて、シャンシャンと前の方へ歩き始めました。
 
 「ハァ良かった、良かった」
と二人でその後アトこに付いて、歩いて行きました。
 暫く行ったら、先に見えて歩いていた青い光の灯っこが、プチッと消えてしまいまし
た。真っ暗闇になってしまいました。
「さて、困ったな」
と思っても、
「まんず、もう一回だけ試して見よう」
さっからにしをまた一把を出して、
「また、灯っこを点けて、先達サキダチして呉れろ。頼む」
と言いながら、ブンと前の方へ投げてやったら、ペカッと青い灯ヒっこが付いて、シャン
シャンと歩き出しました。
 
 こんなことを何回も繰り返して、漸ヨウヤく発荷峠ハッカトウゲの上まで辿タドり着いた時は、
夜の八時過ぎ頃になっていたようでした。
 それから、急な峠の坂道を、股マタの脚アシを深雪フカユキに泥濘ヌカらせて、雪を掻き分ける
ようにして、越えて下りました。その時も、勿論モチロン狐の青い灯っこが先に立って、ち
ゃんと九十九曲がりを上手に曲がって案内して呉れました。
 そのお陰で、やっとこさ湖畔の、やどこの大工達の飯場に着くことが出来ました。
「やれやれ、お陰だ」
と言いながら、さっからにしを沢山だして、青い灯っこをめがけてブンブン投げてやっ
たら、狐こ達は喜んだの何のって、青い灯っこを点けたまま踊り上がって、其処ソコいら
中を跳ね回って歩きました。
 
 狐の青い灯っこが二つ、グルグルと湖の岸の其処いら中一面イチメンに動き回るので、そ
の綺麗キレイなことったら無かったのでした。
 それから二人は、飯場へ入って、荷物をどっさり下ろして、
「やれ、やれ、今日は良い日だったな」
と言って、これまでのことを、飯場の大工達に話して聞かせたのでした。それから、濁
酒ドブロクを飲んでみんなと寝ました。
 次の朝、起きて見たら、小屋の周りや湖の岸辺の雪の上に、狐の足跡が沢山付いてい
ました。
 どっとはらえ。

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