51 真っ暗闇の夜でも見えた着物の色柄(花輪)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 花輪の狐平キツネタイの人でしたが、ある日、用っこを足タしに花輪の町に出掛けて行った
帰りに、久保田クボタの村を回って、米代川の堤防テイボウを歩いて行きました。日が暮れて
とっても暗い晩バンゲでした。一寸イッスン先も見えない真っ暗闇クラヤミで、とってもおっかな
いと思って歩いていました。
 丁度久保田のしっぱり(外ハズれ)で、用野目ヨウノメの村の神様を祀っている近くまで来
たら、向こうからめらしこ(娘こ)がたった一人で、スタスタと歩いて来ました。「こ
んなに真っ暗な夜バンゲに、若いめらしこがどうして一人こで歩いて来たのか」と不思議
に思って、擦スれ違う時、頬ツラこを良く見たら色この白い、綺麗キレイなめらしこでした。
通り過ぎた瞬間、何となく背筋セスジがゾクゾクッとしました。
 
 暫く行ってから、ふと、「真っ暗闇で、何にも見えない筈ハズなのに、めらしこの着て
いた着物の色や縞模様シマモヨウも、姐様アネサマ被カブりの手拭の柄ガラこも、はっきり見えてあ
った」ことに気が付いて、、急に脚アシ がガタガタと震フルえ、腰が抜けてしまうところで
した。
 やっとの思いで、ビッショリと冷や汗を掻カきながら、走って家に帰りました。
 このことを家の人達に話して聞かせたら、みんなびっくりしたけれども、家の年寄り
が、
「化け物達は、闇夜ヤミヨで遇アえば、着物の色も柄もはっきりと見えるものだ。お前が遇ア
っためらしこは、狐か狢ムジナの化けたものでしょう。よく騙ダマされないで無事に帰って
来たこと」
と言われて、またまたびっくりして、青くなりました。
 その人はすぐ布団を被って寝てしまったけれども、暫く、ガタガタと震えていたそう
です。
 どっとはらえ。

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52 狐が食べ残した鰊貝焼ニシカヤキ(花輪)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 花輪のある処に、林檎リンゴをやっている爺様ジサマと婆様バサマと居ました。
 ある年の秋、林檎がいっぱい成ったので、二人で林檎畑の小屋に泊まって、林檎もぎ
の仕事をしていました。
 ある日、爺様は花輪の町へ用っこを足タしに出掛けて行きました。夕方になっても、戻
って来ませんでした。そのうちに、日も暮れてしまったので、婆様は小屋に入って晩
バンゲの支度を始めました。さっからにし(身欠鰊ミガキニシン)を鍋こに入れて、かやき(
貝焼き鍋)を煮ていたら、爺様の「エホン、エホン」と云う声と「ガッポラ、ガッポラ
」と云う長靴の音が聞こえて来ました。でも、爺様はなかなか小屋の中に入って来なか
ったそうです。
 
 婆様は外に出張デハて見たけれども、爺様の姿は其処ソコいらに見えませんでした。
「爺様、爺様、何処ドコに居たか」
と婆様が呼んでも、何処からも返事がなかったそうです。
「おかしなこともあるものだ」と、思いながら小屋の中に戻って見たら、大きな狐が居
て、鍋に手を突っ込んで、かやきを食っていました。婆様は怒って、
「コラーッ、この狐!」
と、大きな声を出して追っ払ったら、ソロッと逃げました。
 目を放していると、コソッと入って来て、かやき鍋に手を入れて食べるのです。何回
追い払っても、入って来るので、婆様はごしゃやけて(怒って)、わっちゃき(太い棒
切れ)を持って、狐の背中をワッタリと力いっぱい叩タタいたら、狐はボーンと飛び上が
って、「ギャン」と叫んで、下の沢の方へ逃げて行って、後アトは小屋へ来なくなりまし
た。
 それから暫くしたから、爺様が帰って来たので、二人で、狐の食べ残したかやきで、
晩飯バンゲママを食べて寝ました。
 どっとはらえ。

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53 みそさざえ(大湯)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、山から鳥達がいっぱい集まって来ました。多分お宮かお寺のような大きな木が、
沢山生ォがっていた処でした。
 鳥の大将の尾長鶏オナガドリがね、鳥達皆に向かって、
「朝日を見た鳥が、一番賢サカしい鳥だ」
と言いました。すると、みそさざえが前の方に出張デハって来て、西を見たり、東を見た
り、キッチョ、カッチョ、キッチョ、カッチョして居たのであったけれども、突然一番
先に、
「俺オレは朝日を見た」
と大きな声で言いました。
 すると、他の鳥達も、皆銘々メイメイに、
「朝日を見た。朝日を見た」
と言ったけれども、みそさざえはキッチョ、カッチョ、キッチョ、カッチョして、何も
かも忙セワしなくして、騒サワいでならないために、みそさざえが「一番、賢しい鳥だ」と
云うことになりました。
 それから、今でも落ち着きのない者のことを、「みそさざえみたいだ」と言うように
なりました。
 どっとはらえ。

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54 狐に憑ツかれた話(大湯)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 蛇沼ヘビヌマに、八ハチと云う人が居てありました。立坂にある新城シンジョと云う家に婆
ババと二人で来ました。そして、その帰りに塩引シオビキの頭だとか、何だかんだを背負っ
て行ったら、狐がそれを食べたがって、チョロ、チョロ付いて来るのでした。婆は、
「八、狐が食ってがって来た。呉れだら」
と言ったけれども、八と云う人は気の強い人で、
「何のために狐に呉れていられるか」
と、狐に構わないで行きました。狐は、
「呉れろ、呉れろ」
としっぺこ(尾っぱこ)を回して、爺ジジになって来ました。
「重たかったろう。その魚は俺オレが持つか」
と言ったけれども、八は、
「何、この狐の畜生チクショウ、これは、さっさと山へ行け」
とぼったくって(追っ払って)やりました。
 
 その次の年になって、盆の時、また八が新城へ行きました。そして新城の光さんと盆
踊りを見に行きました。
 光さんは踊りを見ていたら、踊りたくなったために、
「八、俺オレの家へ行って、着物を持って来い」
と使ってやりました。八は新城の裏まで来て、暗い処を歩いていたら、狐がぴったり八
におぼさりました(負オんぶさりました)。
 そのために、八はおっかなくて、おっかなくて、ヤンヤと叫んで、やっと新城へ着き
ました。
 今度は盆踊りが終わって、家に帰るとなったら、おっかなくて、どうにもこうにもな
りませんでした。
 そうしたために、新城のおばちゃは、
「八や、八、灯アカシを点ツけて行こう」
と提灯チョウチンを点けて送って行きました。
 そして、いつもの和町ワマチの坂まで来たら、プッツリと提灯の火が消えました。そし
て、それからと云うものは、八の声が掠カスれたそうです。
 それはきっと、狐憑きであったのでしょう。
 どっとはらえ。

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55 舌切り雀スズメ(大湯)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 爺様ジサマは山へ柴刈りに行きました。婆様バサマは川へ洗濯に行きました。そうしたら、
箱ハコっこがドンブリ、ドンブリと流れて来ました。
「実ミの入った箱っこ、こっちへ来い、実の入らない箱っこ、あっちへ行け」
と言ったら、実の入った箱が流れて来ました。
 家へ持って行って開けて見たら雀っこが入っていました。
 爺様が帰って来てからそれを見たら、爺様は、
「あや、良いことをした。孫も持たないし、子も持たない。大事に育てよう」
と、育てました。そうしたら、ある時、婆様が仕事をしているうちに、雀っこが、婆様
が付けていた糊ノリを食ってしまいました。婆様は、
「あや、憎ニクらしいな。お前のことを、幾ら目に遭って(苦労して)育てたものではな
いか」
と鋏を持って、舌をチンと切って、頭を叩タタきました。そうしたら雀は、
「頭が痛いで、チンチン、舌っこ痛いで、チンチン」
と、山の方へ飛んで行きました。
 
 爺様が山から帰って来て、雀っこが居ないために、
「婆様、雀っこは何とした」
と聞いたら、
「舌っこを切ったら、山へ飛んで行った」
と言いました。爺様はじっとして居られなくて、山へ探しに出掛けました。
 ずっと、ずっと行ったら、萱カヤ刈り達が居ました。
「萱刈りや、萱刈り、俺オレの家の雀っこを見なかっただろうか」
「お前の雀っこは、山奥のお堂この前の木に住んで、爺様が来たならば金の箸ハシで金の
御器ゴキで米の飯ママ三膳ゼンチンチン。婆様が来たら萱の箸で猫ネコの御器で糠飯ヘヌカ三膳チ
ンチンと、泣いていました」
と言いました。そうしたために、またずっと行ったら、布を着ていた人が居ました。
 
「布ちぎ(布を着ている人)や、布ちぎ、俺の家の雀っこを知らないか」
「布汁ツル三杯ベ飲んだら知らせる」
と言いました。婆様は、
「そんなもの、こ汚キタナい、飲まれるだろうか」
と言ったけれども、爺様は、
「俺が飲もう」
と飲みました。布ちぎは、
「お前の家の雀っこは、山奥のお堂この前の木に住んで、爺様が来たならば金の箸で金
の御器で米の飯三膳チンチン。婆様が来たら萱の箸で猫の御器で糠飯三膳チンチンと、
泣いていました」
と教えました。山へ行ったら、居ました。爺様は雀に、
「あんでけろ(歩いて帰って呉クれろ)」
と言ったけれども、
「飯ママを食って、腹拵えハラゴシラエして戻って呉れろ」
と、雀っこが言ったら、婆様は、
「早く行こう。此処ココに来て何が食う物があると言うのや。行った方が良い」
と言ったけれども、爺様は、
「何でも食わせて呉れろ。俺ならば何でも食う」
と言いました。雀っこは爺様には旨い物を食わせて、婆様には糠飯を食わせました。
 
 そして、爺様と婆様が帰るとき、雀っこは、
「爺様や、爺様、重たい篭カゴを欲しいか、軽い篭を欲しいか」
と聞きました。
「おれは与太ヨダっこ(か弱い者)なので、重たい物は持てないので、軽い篭を呉れて呉
れろ」
と爺様が言ったために、爺様には軽い篭一つ、婆様には重たい篭二つを持たせました。
 家へ帰って開けて見たら、婆様の篭は、蛇とか、もっきゃ(蛙カエル)などがゴヨゴヨと
入った篭でした。
 爺様が開けて見たら、絹物がビンとありました。だから生きているものには、親切に
してやるものだそうです。
 どっとはらえ。

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56 十二支(大湯)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 ある時、神様が十二支を決めると言って、「つめ(年の暮)の十二日に集まれ」とお
触れオフレを出しました。
 猫は鼠に、
「何日に集まるのか」
と聞いたら、鼠は、
「十三日に集まるのだ」
と騙ダマした訳でした。
 その時になったら、牛は「一番先に行かねばならない」と食物タベモノを背負って、夜も
寝ないで行くつもりで歩いていたら、鼠が見付けて、食物の陰に隠れて行った訳です。
 そして、神様の前に来たら、
「俺オレが一番だ」
と、ポンと飛び出しました。
 それで子ネ、丑ウシの順となって、鼠が一番になりました。
 そして、決まったところへ猫が遅れて来ました。
 それから、猫と鼠は仲悪くなりました。
 神様は困ったことだと思って、それから鼠は家の中に入れて置くことにしたそうです。
 どっとはらえ。

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57 柳の精セイ(八幡平)
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、あったのです。
 ある村に、正直で働き者の男が居ていました。
 この男は、妻アッパに死なれ貧乏して、その上男の子二人もあったために、誰も後添え
ノチゾエの嫁っこに来て呉クれる人は無かったそうです。
 その妻は何して死んだかと云うと、三人目の子を生ナす時、子供が生まれないうちに、
早く機ハタを織ってしまわねばと思って、夜昼死にぎりで、糸をおんだり(撚ヨったり)、
機を織ったりしたために、おたって(疲れて)しまって、子供が僅ワズか早く生まれてし
まったそうです。
 その時は詰ツメの月(十二月)で、正月も近くなって来るし、早く布を仕上げて売って、
正月の支度もしなければならないと思って、また産後サンゴの日も経たないのに、灰水
アクミズを立てて布を煮て、手杵テキネを以てそれを搗ツいたりしました。
 そうしたら、あまり早く稼いだせいか、灰水が中アタったので、風邪を引いて大熱を出
して、とうとう、妻と生まれたばかりの赤子も死んでしまいまったそうです。
 
 泣いていたって、叫んだって死んだものは生き返る訳でもないので、残された男は、
二人の男童子ワラシ達に宿ヤド(留守番)させて、毎日兄川アニガワ(岩手県二戸郡安代町)の
奥山へ、山子ヤマゴ(木こり)に歩いて行っていました。
 湯瀬ユゼを過ぎて、兄川へ行く道端の川原に、大きな雲へ突くような柳の木がありまし
た。あまり見事に伸びる柳なために男は、毎日其処ソコを過ぎる度タビに、
「ああ、綺麗キレイな柳だ、見事な柳だ」
と、その柳の木を撫ナでて歩いていたのでした。
 
 そうこうして、盆過ぎのある晩バンゲ、さあもう寝ようかなと思っていた時、トント
ン、トントンと表の戸を叩タタく者がありました。男は、
「今頃誰だろうかな」
と言いながら、戸を開けて見たら、若くて綺麗な女オナゴが立っていたのでした。
「道に迷ってしまったし、暗くなったし、何とか今夜一晩げ泊めて給えタモレ」
て言いました。男は、
「泊めるのは良いけれども、この通りのあばら家で、碌ロクな夜着ヨギも無いし、食い物も
無いけれども・・・・・・」
と言ったら、
「何にも無くても、泊めて貰モラったばかりで、有り難いものなのです」
と言って、その晩げ泊めて貰いました。次の朝間、男が起きて見たら、夕べ泊まった女
は、こっぱやしなく(早々に)起きて、飯ママ炊くやら掃除するやら、死にぎり稼いでい
ました。
「俺オレのような者でも良かったら、何とか、後添えの妻にして給えタモレ」
と言いました。男も、丁度後添えの妻を尋ねていたところなので、稼ぎ手で女こ振りも
良いし、気だても良いようだと思って、
「見るとおりの、このような男だけれども、お前さんがそれでも良かったら、俺の嫁っ
こになって呉れろ」
と、妻になって貰いました。
 
 この妻はよく稼ぐし、二人の童子を生ナした母親アッパにも劣らない程、童子をめんこ(
可愛い)がって育てるし、男も家のことを何も心配なく毎日山子へ行って、のっちのっ
ちと稼ぐに良かったそうです。
 そして、親子四人は幸せに何ごともなく暮らしているうちに、十年ばかりも経って、
五つと三つであった子供達も大きくなって、良い若者になり、夫婦も大した喜んで居ま
した。
 
 こうしたある日、急に妻アッパが病ヤマイになりました。男も二人の子供達も心配して薬を
飲ませたけれども、一向に良くならないで、一日ぎりに弱って行くばかりでした。そう
したある日、やつれ果てた妻は、枕元に男を呼んで、
「俺は、今まで隠していたけれども、本当は兄川の川原の柳の精です。誰にも声を掛け
て貰ったことも、撫でて貰ったことも無かったのに、お前さんから初めて声を掛けて貰
い、撫でて貰って本当に有り難かったのでした。それで、恩返しにお前さんの妻になっ
て、今まで世話になり、仲良く暮らして来たけれども、この度殿様の下知ゲチ(命令)
で、あの柳が伐られることになり、四、五日前から木挽きコビキが係って伐り始めている
のです。それで、俺は病になったので、幾ら薬を飲んでも、看病して貰っても、俺の命
は後アト少しで終わるのです。そして伐られた柳は八戸の浜へ運クバられて、舟になるので
す。
 今までお前さんの恩に報いるために、柳を運るとき、何十人何百人係って引っ張って
も、びくっとも動かないので、そのときお前さんが二人の子供七之助と弥三郎に引かせ
て見て給えタモレ」
と言って、息を引き取ってしまいました。
 
 さあ、木挽き達が伐り倒した柳の大木は、八戸へ運るために、其処ソコいら中の村の男
達何十人も集められました。幾ら引っ張っても、びくっとも動きませんでした。また別
の村からも何百人の男達が来て引っ張っても、びくっとも動きませんでした。
 役人達は困り果てて居た処へ、男は七之助と弥三郎の二人の子供を連れて来て、
「どうか、俺に引かせて見て下さい」
と頼みました。
 役人達は、どうせ引けないだろうと思ったけれども、動かせなくて困っていた時なの
で、
「それでは、やって見ろ」
と言いました。男は二人の子供に引綱ヒキアツナを持たせ、自分は柳の木の上に跨マタガって、
心の中に神を念じて掛け声も勇ましく、
「それーっ、七之助、それっ、弥三郎」
と叫びました。そうしたならば、柳の大木は、じしーっと、動きました。
 
 それ、動いたのでしたので、男は、
「それっ、七シチ、それっ、弥ヤさ、それっ、七、それっ、弥さ」
と掛け声を掛けました。するする、するすると、訳も無く運ばれて行きました。
 殿様はこの事を聞いて、親子に褒美ホウビをどっさり呉れました。
 今でも重たい物を持ったり、運ったりするとき、
「しっち、やっさ」
と掛け声をするのは、そのときから始まったそうです、
 どっとはらえ。

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58 猫又ネコマタ
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔にあった話っこです。
 ある人が尾去沢オサリザワから山を越して、毛馬内ケマナイへ行こうかと思って、新田シンデンへ
出ました。それから迷って、遥ハルか知らない山へ来てしまいました。
 そのうちに日が暮れて来たので困っていると、向こうに明るい大きな家が見えたので、
泊めて貰モラいに行きました。
 台所に大勢の女オナゴ、子供ががやがやしていたので、
「泊めて呉クれろ」
と頼んだら、常居ジョイの方へ通されました。
 そのうちに、どやどやと客地カクヂ(家の裏)へ行く音こがしました。暫く経つと、後
ろの襖フスマが開いて年寄った婆様バサマが入って来て、
「父様オドサ、お久し振りですね。動転ドデン召メさないで下さい。私は、爺様に永年育て
られた三毛猫ミケネコなのです。此処ココは猫又と言って村の余り猫が集まる処で、今お前様
の夜具布団を取りに行ったけれども、此処に居ると食われるから、早く逃げて御座れ」
「この床の隅に元穴があるから、それを潜クグると縁の下に出る。そして門を出張デハれ
ば川があって、この川を渡りさえすれば猫が行けないから、もう安心だ。早くして御座
れ」
といいました。
 
 男はなる程、爺様の代に三毛猫が年寄って居なくなったことがあったが、この猫だっ
たのかと思いました。
 そして、言われた通りにして、屋敷の外に出て、着物を頭に結ユわえて川を渡り掛けた
ら後ろから、
「にゃご、にゃご」
と大勢の猫が追い掛けて来て、何もかも恐ろしかったけれども、やっとの事で川を渡っ
て、向こう岸に着いたら、猫達は後ろを追っ掛かけて来なかったそうです。
 山を登って行くと、そのうちに白々と夜が明けて、辺りを見たら、とんでもない方角
に迷い込んでいたのでした。
 それから、やっと道を見付けて家へ帰りました。
 どっとはらえ。

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59 歌っこを歌う猫
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔の話っこです。
 あるとき、婆様バサマ一人で留守番をして炉ロに当たっていました。
「誰も居なくて、ぎやない(退屈・寂しい)な」
と言いました。すると、側に居た猫が突然口を利キいて、
「婆様や、婆様、それなら俺オレが歌うから誰にも黙ダマって、言わないで下さい」
と言いました。
 婆様は、よし、よしと承知すると、その猫はとろっとするような、真に良い声で歌っ
こを歌いました。
 そのうちに息子が帰って、家の近くへ来たら、家の中から何とも云えない良い声の歌
っこが聞こえて来たので、そのまま外に立って聞いていました。
 
 やがてその声が止んだので、
「今来た」
と言って家の中へ入ったけれども、婆様の他は誰も居ませんでした。
「婆様や、婆様、今歌っていたのは誰じゃ」
と聞いたら、婆様は、
「俺だ」
と言いました。
「んにゃ、婆様でないだろう。とても良い声だったもの、んで、誰でしたか」
と聞きました。
 婆様は、初めは黙ダマっていたが、あまりしつこく聞くので、とうとう、
「あのな、今猫が」
と言い出したら、その途端トタンに、側の猫がぱっと飛び掛かって、婆様の喉ノドを噛み切
ってしまいました。
 どっとはらえ。

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60 蛙カエルの女房ニョウボウ
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔の話っこです。
 「俺オレは、飯ママを食わないで、旨く御汁オツユを煮る嫁カガが欲しい」
と言いました。
「俺は、飯を食わないで、旨く御汁煮る」
い言って来た女オナゴがありました。そうしたところで、
「そうしたら、お前を嫁にする」
と言いました。
 それはな、それはぎゃろ(蛙カエル)が人間に化けていたものなのです。
 そして、飯を食わないで、旨い御汁を煮て食わせました。「飯を食わなくても、どう
して旨く御汁を煮るのかな」と思って、今度はそれ、夫エデが隠れて見ていました。
 そうしたら、御汁鍋を架けて、今度はガボンと手前(自分)で跳ねて入りました。そ
して、ガバガバと体を洗って、そして、でろっと上がって、御汁を煮て食わせました。
 
 「この畜生、体を洗って、こうやって御汁を煮たものだろう。返しを執トって呉クれる
」と思っていました。あるとき、
「神楽カグラがあるために、神楽を見に行く」
と言いました。
「行って来い」
と言ったら、そうしたら、嫁は這ハって行きました。
 「何処ドコへ行くのだろう」と思って、後ろを付いて見たら、前の良い草にガボッと倒
れました。
 「どう言うことをやるのだろう、神楽をやると言っているので、黙ダマって見よう」と
思っていたら、今度は蛙がみんな集まって、ガクガクガクと叫びました。
 お祭りなのです。その騒いでいる奴等にガッポリ石をぶっつけました。そうしたら、
ピッタリ止めました。
 
 そうしたところで、家へ戻って黙って、知らぬ振りをしていたら、嫁も戻って来たの
で、
「今夜の神楽はどうでしたかな」
と聞きました。
「大した、賑やかで面白いところへ、石が詰めて来たために、はい、止めました」
と言いました。
 これは、おどさん(夫)が、それ、「石をぶっつけたのだと知らないでいたので、こ
の畜生」と思って、「俺を騙ダマしたので、俺もだましてやろう」と思って、嫁のことを
追い出しました。
 どっとはらえ。

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