夢現界の死闘
永遠の苦しみを体現するうめき声が、混沌の地を蹴りつける。
骨白の刃が風となってダルガの頬をかすめ過ぎた。
裂かれた皮膚から、つ、と浮きあがった血の筋がしたたる。
ひきずりこまれそうなめまいの感覚とともに、気づいたら四囲をかこんでいた異様な魔界は、ときにふみしめる大地をさえ喪失させてつねに流動しながら渦まいていた。
避ける動作ひとつ、ままならない。
死はつねに、かたわらによりそっていた。
「これはもう、剣の勝負じゃないぜ、デュバル……」
うごめく足場を必死でかためながらダルガは、狂気の炎を血走らせた対手にむけるでもなく、つぶやくように口にした。
対するデュバルは、熱気を吐息にのせて吐き出しながら、のびあがるようにして針山と化した全身を大きくひろげ、異様な声音で吼えた。
哄笑をわめきあげながら歓喜にゆがむ顔は、泣いているようにも見えた。
血の涙を流しているせいだった。
「これぞ、おれの望んでいた闘争だ!」
泣きながら叫んだ。
「おれは最強だ! だれにも負けない!」
吼え猛り、ふいに何のまえぶれもなく、弾丸と化して突進した。
剣をふるいつつ、ゆらめく地を蹴りつけ体をかわす。
白い刃が欠けて飛び、すぐに青白い燐光とともに、より強力な刃が生え出てきた。
おお、とむき出したデュバルの歯は、半分以上が牙と化していた。
血のよだれをたらしながら、にい、と笑う。
そこでふいに、ダルガは気づいた。
胴を斬りつけたときに飛び散るのは、青黒い妖魔の血液だ。
が、その双眸から滂沱と流している血の涙は──赤い。
「あそこだけ、人間か」
つぶやき──
「デュバル!」
叫んで、瞠目しつつ渾身の力をこめて一撃を打ちこんだ。
おお、と叫んでデュバルは、その一撃を真正面から受けとめた。
剣の鋭利な先端が、胸から背中につきぬける。
ぐふ、と妖魔の口の端から青黒い血がはじけた。
そのまま、そのくちびるが笑いの形にゆがむ。
「剣をとったぞ」
言葉どおり、剣は妖魔の肉体にかみこまれたように、おしても引いてもびくともしなくなった。
「決着だ“闇の炎”」
ふん、とダルガは真正面から、炎と燃える妖魔の瞳をにらみつけた。
「これが決着か、デュバル」
あきれた口調でいった。
いぶかしげに見かえす妖魔に、嘲笑を投げかけた。
「人間だったころのおまえなら、デュバル、おれの突きに対するに、こんなぶざまな受けかたはしなかったぞ」
ぎ、と、妖魔の唇が憎悪にゆがんだ。
かまわず、ダルガはつづける。
「いまのおまえは斬られても支障がないことを頼みに、ただやみくもに斬りかかってくるだけだ。嘆かわしいな。あの背筋を凍らせるような突きは、妖魔と化したおまえには無用のものか。血を吐く思いで会得した技は、すべて妖魔と化して無用の長物とするためのものだったのか。デュバル──これが、おまえの望んでいた、決着とやらか」
「そうだ!」妖魔は──全身を痙攣するように激しくふるわせわめき放った。「これが決着なのだ! おれが最強なのだ!」
吐きかける言葉とともに、炎の熱気が噴きかかった。
「そうかよ……」
うめくように口にしてダルガは、剣の柄から手をはなし──デュバルの、針山のような肉体を蹴りつけた。
「おお?」
ふいをつかれて宙に飛ばされたデュバルの肉体が、どさりとうごめく地に落ちる。
「おまえはもう、剣士じゃないんだな!」
狂おしく叫びながらダルガは、ころがるデュバルを追って走った。
一瞬の静止をとらえて、かみこまれたままの剣の柄を、上から思いきりふみしめた。
ずず、と、肉をつらぬく不気味な感触とともに刃は、デュバルの背後の地面に深く突きたてられる。
ぐおお、とわめきながら妖魔は、刃と化した右腕をふった。
ダルガはふわりと飛んで後方にすさる。
ゆらめく足場によろめきながら何とか体勢をととのえ──刃をぬいて起きあがりかけるデュバルに向けて、両手をひろげた。
いぶかしげにながめやる妖魔に、いった。
「お手上げだ。おまえの勝ちだ。殺せよ」
「おれの勝ちか」
デュバルは、狂的な笑顔を顔面にはりつけて問いかえした。
ああ、と、うつろな表情でダルガはうなずく。
「おまえの勝ちだ」
そうか、とデュバルは牙をむき出しにして笑った。
笑いながら、鉤爪のはえた足をぐいと一歩、ふみだした。
「おれの勝ちか」
いいながら、横隔膜を大きく上下させてあいかわらずうめきつづけていた。
つきせぬ苦痛と不快に、たえきれぬようにあげる苦鳴であった。
「おれの内臓は生きながら腐れていくのだそうだ」
そして、そういった。
眉をよせて見かえすダルガに、滂沱と血の涙を流しつづけながらデュバルはつづけた。
「地獄の苦痛が、おまえに裂かれた腹から絶え間なくおれをさいなみつづけているのだ」
くいしばった牙をむき出した。
「おまえを殺せば、おれの復讐はおわる」
ずず、と、また一歩をふみだした。
「おわるのだ!」
癇癪を起こしたようにして、叫んだ。
そして、憎悪を噴き出させつつダルガの目をにらみつけた。
「なぜ、剣を捨てる!」
ダルガはますます眉間のしわを深める。
「捨ててはいない」
小さくいった。
かぶせるように、
「捨てた!」とデュバルは叫んだ。「おまえは、おれと刃をまじえるのを、拒否したのだ!」
言葉に、ダルガはむっとして唇をへの字にゆがめた。
「それはおまえがすでに人間ではないからだ」腕を組みながら、傲然と告げた。「好きなように斬りつけられる。そしていくら斬っても、おまえは死なない。──刃をまじえても、意味がない」
「立ちあえ!」
化物はもう一度、叫んだ。
二年の歳月をへて、ふたたび対峙を果たしたあの、邂逅の時のように。
胸に突きたてられた剣を、ずずずとぬいた。
ぬいて、ダルガの眼前に放りだした。
「剣をとれ! とって、おれと闘え!」
血を吐くように、吼えた。
ダルガは──そんなデュバルの様子を真正面からにらみすえていたが、やがて組んだ腕をますます深くして胸をそらし、
「おことわりだ」
鼻頭にしわをよせて嫌悪の表情をつくり口にした。
おお! と、怒りの咆哮が混沌世界をゆらがせた。
どん! と地を蹴りつけデュバルの肉体がおどりかかった。
あわててダルガは、ころがって避けた。
「闘え! 剣をとれ!」
再度、デュバルは吼えた。
「悪いな、デュバル」
尻もちをついたかっこうで、体勢をととのえ直そうともしないまま、ダルガは静かに口にした。
「考えてみれば、おれはおまえのその言葉をうらぎりつづけてきた」
「そのとおりだ!」
と、炎の言葉がそれに応じる。
「だから、いまこそそれに応えるのだ! 剣をとれ“闇の炎”! とっておれと闘え!」
あぐらをかいてダルガは腕を組み、デュバルの炎の双眸を正面からうけとめ──
「ことわる」
短く、そうこたえた。
おおお、と、妖魔は吼えた。
両手を逆まく天につきあげ、音声に血と炎を噴き上げて、吼えた。
青白い燐光が、その全身から燃え上がった。
その燐光のあいだから──血が、しぶいた。
赤い血が。
霧吹きのように吹きだした血が、うねる足場を赤く染めはじめた。
そしてつぎの瞬間──
からころと音を立てながら、全身から生え出た骨白の刃がつぎつぎと、落剥しはじめたのである。
ダルガは、目をむいた。
またたくまに無数の刃は地に落ちて肋骨の砕けた破片と化し──
ダルガに腹から胸を裂かれたときのままに、血にまみれて憎悪をその眼光にたたえたデュバルがそこにたたずんでいた。
断末魔のように全身をおおっていた燐光が、潮がひくように消えていく。
狂気の眼光だけが、妖魔の名残をとどめていた。
いや──
最初からそこだけが、人間のままであったのかもしれない。
そしてふいに──がは、とデュバルは血塊を吐いた。
よろよろとよろめき、崩おれそうに上体をかたむけた。
「デュ──」
叫び、半身をあげかけたダルガに、ぎろりと眼光がすえ直された。
視線は仇敵にすえたまま、デュバルはたおれかけた姿勢のまま足もとにうず高くおり重なった骨刀のひとつに手をのばした。
ひろいあげ──背筋をのばした。
剣を──かまえる。
「“闇の炎”」
静かな声音で、そう呼びかけた。
「剣をひろえ」
いって──彫像のように、その動作が一瞬にして凍結した。
炎の眼光だけが、ダルガに呼びかける。
“闇の炎”は腕組みを解き──立ちあがった。
打ち捨てられた剣に歩みより、ひろいあげる。
そしてかまえた。
デュバルの血まみれの口もとに、笑みがうかんだ。