黒い夢

 

 亀裂をぬけて、黒い霧状の物質はユスフェラの山の胎内でももっとも奥まった一角へと、暗黒の旅を踏破した。
 青い燐光を放つゼリー状の奇怪な湖が、そこには静かにたゆたっていた。
 湖の中央の小島の上、そそり立つ巨大な岩を背にして眠る乙女のもとへと、霧はただよっていく。
 少女は静かにまぶたをひらき、ためらいがちに、眼前にうかぶ黒い霧に視線を向ける。
 その瞳が、笑みにほそめられた。
「父様」
 至福の笑みをうかべてエレアは霧に呼びかけ、両手をさしのべた。
「いらっしゃい、父様。あなたの居場所はここよ」
 霧が、少女に向けて凝縮していった。
 抱きしめるように、抱きしめられるように、少女と黒い霧がひとつになる。


 いつまでもうごめきをやめない妖魔王の胴と、頭を失ったままこれもとめどなく痙攣をくりかえす上半身とを前に、アリユスはダルガを前面にすわらせた。
 何をはじめようってんだ、と、とまどいを隠せないダルガに幻術使は静かな微笑みをうかべる。
「あなたの力を貸してほしいの」
「おれの力?」
「そうよ」
 けげんそうにききかえす少年の肩に、やわらかく手をのせながらアリユスはうなずく。
「炎の力。あなたの内部に眠る力。大いなる力」
 シェラが、おどろいた顔でダルガとアリユスを交互に、まじまじと見やった。
 おちつかなげに身じろぎをして、何かいいかけるダルガを制し、アリユスはさらに言葉を重ねる。
「占爺からきいたわ。あなたの暗黒の夢のこと。湖の底に眠るかつての神々の使者から、託宣をうけたこと」
 いって、アリユスは静かな視線を正面からダルガにむけた。
 美貌からまぶしげに目をそらしながらダルガは、仏頂面でつぶやくようにいう。
「つまらないことをきいたな」
 そして、なおも無言のまま神秘をたたえた瞳が自分を見つめていることを知り、つけ加える。
「おれは、おれが何者であるのか知りたいだけだ」
 横手からけげんそうに自分を見つめるシェラにちらりと、ばつの悪そうな視線を投げかけ、むっつりとだまりこんだ。
 アリユスは微笑みながらうなずき、いった。
「そのためには、あなたの内側に眠る力を有効に利用することが必要だとわたしは思うわ。そしてその力が、凶暴であまりにも強力なために制御することが非常に困難である、ということもパランからきいている。だからわたしが、その力をすこしでも制御できるようにささやかながら手を貸してみよう、というの。──いいえ、ことわっているヒマはなさそうよ」
 思わず抗議を口にしかけたダルガは、アリユスが指さす方向に視線を転じて──反射的に身がまえた。
 てんでばらばらの無秩序で無意味な動きをしていたはずの妖魔王の胴体が、むくりとその巨体をおこしてその六本の脚を器用にあやつりながら、ダルガたちにむかって前進を開始しようとしていたのである。
「いくわよ」
 身がまえたダルガの背に、タイミングよく声がかけられた。
 反応をおさえられて硬直したダルガの両肩を、背後からアリユスの両の手が、つつむようにして抱いた。
 吐息のように、音声を欠いた呪文がダルガの耳もとにささやかれはじめる。
 とまどうよりはやく──わきあがる熱の感覚が、腹部から膨張した。
 背中が、焼けるように熱くなりはじめた。
 同時にシェラは幻視した。
 肩を抱かれ、吹きかけるように呪文を投げかけられるダルガの背中に、異様な炎の幻像がうかびあがるのを。
 赤から黄へ。そして青へ。
 おそるべきいきおいで燃えさかるまぼろしの炎は、みるみるそのいきおいを増し──ついにその色を白熱にかえて、一気に収縮を開始した。
 老タグリの館で、シェラを媒介にしてヴァラヒダに打ちこまれたときの、白熱の火球であった。
 その瞬間ダルガは、ふくれあがり全身をかけめぐっていた獰猛な熱が、おのれの腹にむけて太陽のように爆縮していくのを感じていた。
 それが──ぞろぞろと脚をうごめかせて前進してくる妖魔の胴体むけて、ゆらりと打ちだされた。
 浮遊する白熱の火球が直線を描いて前進する妖魔の胴に吸いこまれ──
 光が、洞内を占拠した。
 それは──一瞬にして燃えつきる。
 ぬぐったように灼熱は去り、重い闇が痛いほどに帰還した。


 見ひらいた目がようよう暗黒の中にりんかくを見わけはじめる。
 青い淡光はあいかわらず闇中の陰影をきわだたせていたが、一瞬前に炸裂した白光がすべてをうばい去っていた。
 そこに名残りひとつ、見出されることはなかった。
 六本の脚をうごめかす虫のような巨大な腹部をひきずる下半身も、頭部を破裂させて喪失した上半身も──アリユスの風の矢をうけて爆散したはずの、ヴァラヒダの頭部の肉片さえもが、室の内部からは消え失せていた。
「すごい──」
 シェラはぼうぜんとつぶやき、アリユスもまた目を見ひらいたまま、
「予想以上だわ……」
 驚愕もあらわに口にした。
「浄火の役割をはたしたのね。でも……これは、考えていた以上に、制御するのがむつかしいわ……」
 みずからがこのすさまじい力の発し手であることを信じられずに、これもぼうぜんと目を見ひらいていたダルガが、その言葉をききとめてハッとふりかえった。
 眉をよせる黒髪の少年の面貌にうかんだ、かすかな不安とあきらめを見てとって、アリユスはしいて微笑みをうかべた。
「太古の荒ぶる神の力だもの。制御がむつかしいのは、あたりまえね」
 でもだいじょうぶよ、とでもいいたげにダルガの背に手をまわし、軽く抱きよせた。
 ぎょっとして目をむいたダルガが、頬をあからめ抱擁から逃れようと立ちあがる。
「それはわかった」背中を向けたまま、あわてていった。「エレアをさがそう。奥の間、とかヤツはいったな」
 そそくさと歩きはじめた。
「あ……」
 なりゆきを見つめていただけのシェラが、ようやく我にかえってあとを追った。
「待ってください、ダルガ」
 そんなシェラのうしろ姿を微笑みながらながめやりつつ、アリユスも立ちあがった。
 その美貌はしかし──ダルガの背にむけて一抹の懸念をちらりとうかべた。


 奥の間、あるいは神殿とおぼしき場所には、なかなかたどりつけなかった。
 三人は青い闇のなかをあてどなくさまよいつづけた。
 アリユスの幻術により幾度か、すすむべき方角をさぐってはみたが、同じ種類の力によって撹乱されているせいだろう、それはなかなかさだまらず、正しい方向を示すこともなかった。
「パランに占ってもらえれば、かなり状況はちがっていたかもしれないわね」
 そう口にするアリユスの言葉も、冗談やてれかくしではなく真実のひびきがあったが、だからといって老タグリの屋敷でレブラスの攻撃をうけて傷を負った老占師の助力をこの状況下であてにするわけにもいかない。
 幾度か、切れるほどつめたい水のわきだす泉に出くわした。
 シェラの水への親和性をとおしてアリユスが幻視したところでは、それらの泉や目にはふれぬ水流が、ヴァラヒダのいう“祭壇”らしきところに直結していることが予測された。
 が、水の底をのぞいてみても人が通れるほどの道はどこにも見あたらなかったし、いずれにせよかすかな流れによってかろうじて氷結をまぬかれているだけのつめたい水底を、生きて泳ぎきるなどできる相談でもない。
 さんざうろつきまわったあげく、疲れきって三人はついに腰をおろした。
 実りのない探索だった。


 深い、暗黒だった。
 光界はもうろうと遠ざかり、四囲は闇一色にぬりつぶされていた。
 いつからそこにいるのかおぼえてはいない。
 永遠のむかしから封じられていたのかもしれない。
 ダルガは息をつく。
 これは夢だとわかっていた。
 幾度となく夜を訪なう夢告である。
 夢だとわかっていながら、しかしその闇は、圧倒的な質感をともなってダルガの精神にのしかかってくるのだった。
 声はいつも、脳裏にひびく。
 ひびきながら、それがどのような声であるのかさだかではなかった。
 ささやきのようにもきこえ、あるいは世界を震撼させる巨大な獣の咆哮のようにもきこえた。
 ──われを求めよ。
 それはそう呼びかけてきた。
 ──われを求め、手にとり、そしてふるえ。
 と。
 灯火のようにわき上がった言葉は、無明の中でなお濃密な闇のように、濃く、そして狂おしいほど熱く、意識のかけらをさえ燃やしつくしてしまいそうなまでに圧倒的に、爆発した。
 ──われを求め、手にとり、ふるえ。
 狂気のように燃える意念は闇にみち、そして、宣告のごとくさらに言葉を重ねる。
 ──世界を、焼きつくせ。
 と。
 同時に、呼応して燃えあがる炎が、なお外部をつつみこむ熱い悪夢を圧して内部から、胸の、腹の、奥深い淵から、灼熱の溶岩が噴きあがるようにふくれあがった。
 恐怖と歓喜が魂から意識を、意志を、焼きあげる。
 自分の内部からおさえようもなくあふれかえる力と炎への、恐怖と歓喜。
 この炎に身をゆだねてしまいたい。
 この炎に身をゆだねてしまえば、おれはおれでなくなる。
 この力をふるいたい。
 おれがおれでなくなってしまっても。
 意識は混沌と渦まき、奔流に撹拌されて存在さえうつろにゆらめく。
 そしてまるで、混沌とした状況に意識をなくすようにして逆まく闇にのまれ──目をさます。
 静寂と冷気が、寝汗を不快に意識させる。
 ダルガは熱と冷気にしぼりあげられた全身からけだるく力をぬいて、ながいため息をついた。
 寝返りをうち、薄目をひらく。
 ──ぎくりとした。
 黒い影を見た。
 見た、ような気が、した。
 気のせいだったのかもしれない。
 そうは思えなかった。
 影は、ひるがえされたマントが闇に吸われるように、一瞬にして見えなくなった。
 そして――その下に眠っていたはずのシェラが、立てたひざにうずめた顔を静かにあげて、目をひらいた。
 ひとのよさそうな、やさしさと愛らしさを同居させたシェラのやわらかな美貌が──氷のような表情をうかべていた。
 眠っていた者の顔ではなかった。
 伝説の氷の女王レレバ・セレセが、地界より浮上してきたときに見せるような顔だった。
 シェラの内部から、別人があらわれたのかと、ダルガは思った。
 ちがっていた。
 氷の双眸がダルガにむけられ──シェラは、笑った。
 かなしげに。
 その微笑は、いつものシェラのそれだった。
 淡い、ほのかな、素朴でやさしげな笑みだった。
 基底にかなしみさえたたえられていなければ、ダルガも笑いかえすことができたかもしれない。
 かわりに、ダルガはほとんど反射的につぶやいた。
「いまのは──」
 シェラの顔から、ぬぐい去るようにして一瞬に微笑が消える。
 ダルガは口にしてはならない問いを口にしてしまったことに気づき、深い後悔の念にさいなまれた。
 知らぬふりを決めこもうと思ったが、シェラがそれを許さなかった。
「見たの?」
 青い燐光に照らされた闇の底で、少女は淡々ときいた。
 たすけを求めて、なかば無意識にアリユスに視線をむけたが、奇怪な悪夢や黒い影の訪問には気づかなかったのか、あるいは何か理由があるためか、幻術使はふたりには背をむけたまま横たわって身じろぎひとつしない。
 ダルガは観念して、うなずいた。
「黒い影を」
 シェラは無言で顎をうなずかせ、底知れない視線でダルガをじっと見つめた。
 どう反応していいのかわからず途方にくれて、ダルガは視線をそらす。
 そのまま青い闇の底で、あらぬかたをながいあいだ見つめた。
 どれほどの時間がたったのかはわからない。
 ほんの短いあいだの、ちょっとした沈黙にすぎなかったのかもしれない。
 シェラがふいに、濃密な静寂をやぶって言葉を発した。
「夢を見ていたの?」
 逆襲をくらったか、とダルガは一瞬、苦虫をかみつぶした。
「ああ」苦笑しながらうなずく。「夢告らしい。定期的におとずれるんだ」
「夢告?」
 きょとんとした顔つきで、シェラはおうむがえしにくりかえした。小さくすぼめたくちびるが意外にあつぼったく、愛嬌たっぷりにダルガの目にうつった。
 笑いながらうなずくダルガの様子には気づかぬげに、シェラは真剣な顔をして質問を重ねる。
「アリユスのいっていた、大いなる力に関係すること?」
「そのとおりだ」
 真顔になってダルガはうなずいた。
 しばしためらい、すべてを吐露することに決めた。
「ずっとむかし、おれがものごころつきはじめたころから、この夢はおれにつきまとってきたんだ。三年ほど前からはその頻度が徐々にふえはじめて、そのうちに毎晩のようにおれの夜を悩ますようになっていた」
 ダルガは夢の内容を語ってきかせた。
「何か神秘的な存在がおれに何事かを語りかけてきているのだ、と告げたのは、そのころおれと寄宿舎で同室の同僚のひとりだった。そいつは、その夢の意味を解いてそれにしたがうべきだとおれにいったんだ。ずいぶんと迷信的なことをいう、とそのときは思ったんだが、あまりにも頻繁でしかも意味ありげな夢だったから、そのうちにおれもそうしたほうがいいのだ、と思いはじめた。だがおれは奴隷戦士だったからな。外出することさえ自由にはできなかった」
 だから無断で寄宿舎をあけた、と口にした。
 ダルガ自身はそのことが脱走、と即バラルカにとられるとは考えていなかったが、事実もう死ととなりあわせの生活に戻るつもりはなくなっていた。
 バスラスの街でももっとも名高い占爺パランのもとをおとずれたころには“闇の炎”の異名をとるバラルカの奴隷戦士が脱走したという噂は街中にかけめぐっていた。
 そんな状況下、ダルガはパランをしてさえ解ききれぬ深い存在が夢の裏側にひそんでいると告げられ、バスラス郊外の湖に眠るクロナエヤという名の神秘的な存在に託宣をうけることをすすめられて、夜を待ち街をぬけたのである。
 そして暗黒の湖の底で、滅びに瀕した大いなる存在から告げられる。
 太古の神が、おまえの内部に眠っている、と。
 シェラは驚愕を瞳の奥底にとどめたまま、静かにダルガを見つめながら問うた。
「その神は、なんという名?」
「ヴァルディス」
 ダルガのこたえに、シェラは納得がいったとでもいいたげにうなずいた。
「知っているのか?」
「古い神の名前です。一般には忘れられているけれど、幻術教程の古代神の項に出てくるわ」
 そうなのか、と今度はダルガが感心したふうにうなずく。
 ヴァルディスは、バレースを十二の神々が簒奪支配するはるか以前の、地に封じられ忘れられた古代の神々のひとつである。
 神格は、炎。
 古い神話によれば、神蛇ファンドラに炎を放ち、世界に太陽の光の恵みをもたらした大いなる力もつ神。そしてまた──暴虐の炎によって神々と世界の崩壊を約束する、おそるべき荒ぶる神でもあった。
 その神を、ダルガはその内部に眠らせている、というのである。
「思い当たるところはあります」
 シェラがそういうのへ、ダルガのほうがいぶかしげに眉根をよせた。
 そうかい、とけげんそうな顔で問いかける。
「おれ自身は、夢の声以外に自覚があるわけじゃないんだが」
 しきりに首をかしげる少年に、少女は笑いながらいった。
「たぶん、この先すこしずつわかってくるような気がするわ」
 そんなものかね、となおも釈然としないままダルガはあいまいにうなずき、そしてつづけた。
「そしてクロナエヤはさらにいったんだ。その神がおれの内部にいすわっているのは、忘れ去られたものたちの復権のためであり、そしてさらに──いま、この世界を不安の帳で眠りのうちに支配している存在に対峙するためである、と」
「暗黒神に──」
 と、シェラは受けてこたえる。
 ダルガは無言でうなずいた。
 だれでも知っている。
 その名をとなえてはならぬこと。
 呼ばれるたびにそれは深き眠りの淵より浮上し、やがてそれが完全に目覚めるときは世界がほろびるときなのだ、と。
 バレースを簒奪した神々をひき裂き、吹き飛ばし、世界のかたすみへと追いやった猛悪にして最強の神。
 それに対峙する存在が、ダルガの内に眠る、というのである。
「そしておれがそれを目覚めさせるためには、その神の炎で鍛えられた“ヴァルディスの神剣”を手に入れなければならないらしい」
「それをさがして、旅をしているのですね?」
 ああ、と、ダルガ。
 そのまま、青い沈黙の底でふたりはそれぞれの思いにしずみこんでいた。
 が、やがてぽつりと、シェラがつぶやくように口にした。
「うらやましいわ」
 いぶかしげに、ダルガは視線をむけた。
 そのままこたえがかえってこないと知ると、少し唇をとがらせて少年はいった。
「うらやまれるようなことはなさそうだぜ。なにしろ、ヴァルディスの炎ってのは滅亡の日に世界と、そしておのれ自身とを焼きつくしてしまう、終焉の炎なのだとパランがいっていた。このおれだって、いつ自分自身を焼きほろぼしてしまうかわからないから気をつけろと託宣を受けているしな。さっきアリユスも似たようなことをいっていたよな」
 うん、といってひとりうなずく少年を、少女は微笑みながらながめやる。
 そして、くりかえした。
「それでも、うらやましいわ。あなたがそれを求めるのは、いわば未生の自分を求めるようなものなのだもの」
 なぞめいたシェラの言葉に、ダルガはいぶかしげに眉をよせる。
 そんなダルガに、シェラはさらに笑いかけた。
 あの、かなしげな笑顔であった。
「どういうことだい?」
 釈然としないふうに問いかけるダルガに、シェラは真顔になった。
 そして、上衣の胸もとに両の手をあてた。
 ぎょっと目をむくダルガの眼前で、ぐい、と着衣を左右にひいて胸もとをはだけさせる。
 マラクに引き裂かれた着衣は、すぐにはだけた。
 淡いふくらみの乳房がこぼれ出る寸前まで、肌があらわになった。
 わっと顔をおおって目をそむけるダルガに、シェラは叱咤するように呼びかけた。
「見てください」
 わけがわからず、あせりまくったままそれでもダルガは、横目でシェラの胸もとに視線をむけた。
 水色の宝玉が、ペンダントになってさげられていた。
 その下に──奇妙な、紋章めいたあざのようなものが刻印されていた。
 奴隷戦士であったダルガにも似たような焼き印が左肩のうしろに刻まれている。
 だが、そのような種類のものとは根本的に異なっているように見えた。
 闇よりも深い漆黒の紋章。
 鋭利な刃を組み合わせたもののようにも、また、可憐で危険な刺のある花のようにも見えた。
 ある意味で、様式美にみちている。
 その造形が偶然の手になるものであるならば、それは奇跡の結晶といってもさしつかえあるまい。
 だがおそらくは、それは偶然に刻まれたものではないのであろう。
「それは──」
 ダルガは、まぶしげに紋章を見つめながら問いかけた。
 シェラはかなしげに微笑む。
「わたしに刻まれた、所有印です」
 そういった。
「所有印?」
 ダルガの言葉に、かすかないきどおりがこめられたのをきいてとって、シェラはわずかに救われたような気分になった。
 淡く微笑み、そしていった。
「わたしは後継者争いにまきこまれて、ある邪悪な存在にささげられたのです」





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