ガレンヴァール

 

 迂回して崖上に歩をすすめるまでに、ながい時間がかかった。
 気がつくと、東の空に曙光がさし染めている。
 うめき、ダルガはくちびるをかみしめた。
 全身を傷におおわれた上に、疲労もひどく重くのしかかっている。
 足どりも力なく、いましもたおれこんで眠ってしまいそうなまでにもうろうとしていた。
 だが、先にとらわれたシェラのことはもちろん、生け贄として名ざされたエレアがとらわれた以上、一刻の猶予もならなかった。
 幾度も足をとられて転倒しながらダルガは、ほとんど機械的に足を動かしつづけた。
 背後からときおり、レブラスの不気味な声音が呼びかけてくる。
 追いつかれはしないが、ひき離すこともできない。
 だれにともなく悪罵を吐きすて、よろよろとのぼりつづけた。
 ふと、気配に気づいて立ちどまった。
 よろりとたおれかかる身体をむりに直立させ、もうろうとかすむ視線をこらす。
 新手の妖物らしかった。
 金属質に鈍色の光沢を放つ、渦まき飴のような姿をした妖怪だった。
 子どもか蛙のような華奢な手足が、戯画のように胴の横から生え出ている。
 それが、ちょこまかとした足どりで円をちぢめるようにして、ダルガのまわりをうごめいているのである。
 一匹や二匹ではなかった。
 視線をめぐらすと、無数のその小妖怪がダルガをとりまいていた。
 うつろな視線に敵意をもたげて、ダルガは舌をならした。
 革帯からぬいた剣をかまえる。
 手近の一匹にうちかかろうとした、まさにそのとき──
「待って、ダルガ!」
 声が、間一髪でダルガの攻撃をおしとどめた。
 ダルガは視線をめぐらせ──驚愕に、目を見ひらいた。
 やけに手足の短い、丸々とした小柄な肉体をよちよちと運ばせる異様な人物を背後に従え、シェラは息を切らしながらかけ降りてきた。
「待って、ダルガ」
 ようようダルガのもとにたどりつき、息をととのえるあいまにシェラはもう一度口にし、ふうふうといかにも大儀そうにしつつ降りてくる背後の人物にちらりと視線を走らせ、
「味方よ」
 一瞬のためらいを見せてから、そう口にした。
 ためらったのは、男がほんとうに自分たちに益する側に立っているのかどうか、シェラにも自信がなかったからだ。
 ともあれ、ちょこちょこと四囲をうごめく異様な小生物は丸顔の初老の人物に手を払われるや潮がひくようにして樹間に姿を消した。
 いまだ警戒と驚愕とをその面貌にとどめつつも、ひとまずはダルガもぬいた剣を革帯にたばさんだ。
 うさんくさげに、にこやかに笑う丸顔の男に視線をむけ、問うた。
「このおっさんは」
「ガレンヴァールよ」即座に、シェラはこたえた。「ザナールの海のむこうからきたっていう、異境の幻術使。わたしを助けてくれたんです」
「助けてくれた?」
 ダルガはなおもうたがわしげにガレンヴァールをながめやる。
「ええ」シェラは深々とうなずいた。「その話はあとでくわしくさせてもらいます。でもいまは、お知らせしておきたいことがひとつ、あるの」
 なんだ、と片眉をつりあげてダルガは問うた。
 シェラは、どこから説明していいのやら、といった風情で一瞬言葉をとぎらせた。
 かわって口をひらいたのはガレンヴァールであった。
「おまえさんがた、だまされているんだよ」
 開口一番、そういった。
 わけがわからず、ダルガは目をむいた。
 そうなんです、といいながらシェラはうなずく。
「だまされてるって、だれに? あのじいさんにか」
「そのとおりです。老タグリは、わたしたちに大事なことを話さずにいたらしいの。不死の玉にまつわる伝説を」


 シェラとガレンヴァールがかわるがわる口にしはじめた説明を要約すると、以下のようになる。
 すなわち、ツビシの町に伝わるひとつの伝説について。
 そも、ヴァラヒダの魔はなぜユスフェラの山に棲みついていたのか。
 すなわち、不死の宝石たる“ヴァオルの紅玉”を求めてなのだという。
 イシュール神話にいう。
 かつてこのバレースをおさめし十二の偉大な神々がいたと。
 そして暗黒神の狂乱により神々のおさめし黄金時代は終わりを告げ、十一の神は力を喪失して打たれ、ひき裂かれ、世界の表舞台から去ったのだと。
 ヴァオルはそのうちの一神であり、大地をつかさどるがゆえにバレースの維持とひきかえにみずからの肉体を暗黒神の前にさしだしたのである。
 以上はイシュールに住む者ならだれでも知っている神話のひとつだが、そのヴァオルのひき裂かれた肉体の一部が、宝石と化してこのユスフェラの山中のどこかに、うずもれているのだという。
 それが“ヴァオルの紅玉”と呼ばれるものである。
 ごくローカルな伝説に過ぎないが、一部の賢者や幻術使のあいだにはひろく流布された話でもあるらしい。
 昏い、闇幻術に属する知識であるがゆえに、アリユスはそのことを知らなかったのだろう、とシェラはいった。
 ともあれ、その紅玉を手に入れた者は不死を実現できる、というのが伝説の白眉であった。
 古来、ヴァラヒダの魔の脅威をもかえりみずいくたびも深山深くわけいる者があとを断たなかったのは、山むこうの街との往還やひとびとの難儀のためなどではなく、不死という生あるものにとっての、誘蛾灯のごとき甘露を求めてのことだったのであろう。
 また、ヴァラヒダと三匹の眷属がこの山に棲みついたそもそもの理由も“ヴァオルの紅玉”を手に入れることにより、神にもひとしい力を手に入れようとしてのことなのだ、と伝説は語っているのであった。
「つまりそれは」と、ダルガは不機嫌もあらわに口にした。「あのじいさんもその紅玉、とやらを手に入れるために息子を山に入らせたと、そういうことだったわけか」
「そのあたりは、わたしにはよくわからないのだけれど……」
 と、老タグリに同情的なシェラは口ごもった。
 が、ガレンヴァールが愛嬌たっぷりのその丸顔を左右にふってみせた。
「まさにあの老タグリが、あらゆる権力を手中にしたあげくにただひとつ手に入れることができなかったのが不死そのものさ」
 シェラの見解を吹き飛ばすようにしてそういった。
「そもそも、あの男がツビシの町を牛耳ったその手段からして、あまりおおやけにはできぬ汚いものばかりであったらしい。息子をいかせたのも、いわば偵察と人身御供とをかねた決死隊のようなものよ。息子のサドラはサドラで、これがまた親父に輪をかけた悪党でな。ヴァラヒダの魔に殺されることよりは親父に“紅玉”を先取りされることをおそれて遠征を承知した、と、まあまるで化かしあいのようなものだ」
 その途上でどのようなことがあったのかは、ガレンヴァールもよくは知らない、と口にした。
 が、最終的にヴァラヒダがサドラを喰ったのかその逆なのかはさだかではないが、サドラはユスフェラの最大の魔と融合してひとつの意志を抱くようになり、魂魄をとばして老タグリの屋敷に出入りするようになった、ということらしい。
「なぜやつは、エレアを生け贄に要求しているんだ?」
「それはわしにもわからんことのひとつだよ」
 ガレンヴァールはうんうんと何度も自分でうなずく。
 うさんくさげに眉をよせるダルガには、まるで頓着する様子もなくつづける。
「だが、まあ、やつが“紅玉”を手に入れるためには、あれの娘がなんらかの形で必要である、ということらしいな。ま、これはやつ自身が老タグリにむかって吐いたセリフから得た知識にすぎないが、な」
 ダルガは腕を組んで考えこんだ。
 どうします? とシェラが問う。
 ダルガはちらりと視線をあげ、真摯に真正面から自分を見つめる素朴な少女の顔を見つめた。
 すでに少女自身は、こたえを出しているようだった。
 ダルガは苦笑し、それでもきいてみた。
「あんたはどうするつもりだ? 契約違反で、このまま山をあとにしてどこかへいっちまうのが常道だろうと、おれは思うんだがな」
 むろん、前金をかえす義理はない、とダルガはつけ加えてシェラを見つめた。
 シェラはかなしそうに顔をゆがませ目をそらし、それはそうでしょうけれど、とよわよわしい口調でいった。
「わたしはできれば……。このまま放っておくのは、どうしても納得できないから」
 いって、うるんだ目つきでダルガを見つめた。
 苦笑しながらダルガは目をそらし、ふいに真顔になってぽつりと口にした。
「おれもだ。ひとりでも襲撃をかけるつもりだ。義理はないが……あのお嬢さんを、マラクにつれ去られた」
 それは、といってシェラは息をのみ、ガレンヴァールもまたうさんくさげなにやにや笑いを瞬時にしてひっこめた。
「サドラの娘が、連中の手におちたと、そういうことかい?」
 丸顔の幻術使に問われてダルガは無言でうなずく。
 それはまずいな、と陽気な幻術使が真顔でつぶやきだまりこむ。
 なにかを考えこむようにして口をつぐんでしまった幻術使をわきに、ダルガとシェラはそれぞれが別れわかれになってから何が起こったのかを交互に話してきかせた。
 そのあいだにもダルガは、背後を気にしていたのだがレブラスは一向に追いついてこない。
 立ちどまればすぐに追いつかれそうなペースで、妖魔はついてきていたはずだった。
 その疑問を口にすると、いままでむっつりとだまりこんでいたガレンヴァールがとたんに破顔しながら自慢げに口をひらいた。
「ああ、それは、あの肉の化物めはわしの息子たちを恐れているからだよ」
「あんたの息子たち?」
 ダルガはうさんくさげに問いかえす。
 そうとも、とガレンヴァールは肉のたっぷりとした顎をたぷたぷとうなずかせた。
 ほい、と樹間に声をかけると、すっかり明け染めた深山の木もれ陽のなかにひょこひょこと、先の小妖物の一匹がまろび出てきた。
「わが息子さ」
 いって、ちょこまかとした足どりで一同のかたわらに立った妖怪に向けて、ひょいと手をのばした。
 まるで人間の戯画のように、妖物はちょこんとその奇妙な生白い足をおり、あいさつめいたしぐさをしてみせる。
 鼻頭にしわをよせてダルガは、
「それが息子?」といかにもいやそうな口調でいった。「じゃ、あんたの女房は妖怪か」
 はっはっはっはっ、おもしろい冗談をいう、とガレンヴァールは快活に笑った。
 冗談をいったつもりはないダルガは憮然とした面もちで、笑いはじける小太りの幻術使を見やる。
「息子といってもまあ、血のつながりはない。これはわしの故郷でおこなわれていた、まあ、おまえさんがたのいうところの幻術の結実の一種でな。一言でいえば、無から生み出した生物さ」
 無から生み出した? とおうむがえしにいうダルガに、さよう、とガレンヴァールは得意げにうなずいてみせる。
 そして、まずは壷にうんたらの液をひたして何日間、そののちに何やらを加えてかきまぜ動物の臓物を核にしてどうたらこうたら、とまるで理解不可能な異様な言語まじりの説明を延々とはじめた。
 要はガレンヴァールが幻術を媒介にして生み出した、いわば肉をもった精霊のようなものなのだろうが、それがなぜあの猛悪で始末におえないレブラスを撃退する役に立つのかがダルガにはさっぱりわからない。
 延々とつづきそうなうんちくをさえぎってダルガがそのことを問うと、幻術使は一瞬口をつぐんだあとに──にやりと笑った。
「おまえさん、ためしてみるかい?」
 にやにやと笑いながらそういった。
 警戒心もあらわにダルガは問う。
「ためしてみるって、なにを」
「なに、心配することはない。ちょっとだけなら命に別状はないとも」
 にこにこと笑いながらいって、たぶんな、と小声でつけ加えた。
 つぶやきがきこえなかったわけでもないが、ダルガはしばし考えたあとに、どうすればいい? ときいてみた。
「なに、簡単だよ」幻術使はうんうんうなずき、「わしの息子の、肩でも腹でもどこでもいい。ただふれてみさえすれば、納得がいくはずだ」
 ダルガはうさんくさそうに術使の笑い顔をながめやり、ついでちょこんとたたずむ異様な生物を警戒心まるだしで見やった。
 が、やがて人間の戯画めいたその肩口につ、と手をのばした。
 ふれる場所として金属光沢を放つ本体部分ではなく、すこしでも人間に近い肩を選んだのはむろん、警戒心のなせるわざだが──まるで意味はなかった。
 効果のあらわれは、ふれる箇所をえらばないらしい。
 ダルガは、悲鳴をあげながら手を離し、ころげるように妖物から飛び離れて両肩を抱きながらうずくまった。
「ダルガ!」
 シェラがかけより、その背に手をかけた。
 とたん──ふたたびダルガが身も背もない絶叫をはなちながら、恐怖に目をまるく見ひらいてシェラからも飛びはなれる。
 それでも、自分を見やるのが妖物ではなく美貌の少女と気づいたか、ぼうぜんとした表情でシェラを見かえしつつ立ちどまった。
「……ダルガ? だいじょうぶですか……?」
 気づかわしげな口調で、ふれることにはためらいを感じつつシェラはダルガに歩みよる。
 ダルガはなおもぼうぜんとシェラを見つめかえしていたが、やがてようやく「あ、ああ……」とたよりない返事をかえしながらうなずいた。
「いったい、どうしたというの?」
 もうだいじょうぶらしい、と見てシェラはそう声をかけながらダルガの肩に手をのばした。
 手がふれる一瞬、ダルガの全身がふたたびびくりと派手にふるえたが、今度は飛びすさるようなことはしなかった。
 だが──妖物の肩にふれたとたんに感じた悪寒は、いまだになまなましくダルガの全身をかけめぐっていた。
 悪寒だ。
 痛みではない。
 内臓の内部でろくでもないものが荒れ狂うような、悪酔いしたときの悪寒を、数万倍にも増幅して爆発させたもの、とでもいえばあの一瞬に感じたものの正体にいくばくかでも近いだろう。
 払えぬ不快感が全身の肉と化してこびりついてしまった感覚、とでもいえばいいのか。
 いずれにせよ、たった一匹が相手でもあれほど激烈な反応を起こさせるのであれば、それが無数の小妖物にたかられたことを想像するだけで気が狂いそうになる。
「なるほどな」ふるえながらダルガは口にした。「痛覚には快感をおぼえても、不快にはやつも弱いってことか」
 そのとおり、と自慢げにガレンヴァールはうなずいた。
 そしてふいに顔をくもらせる。
「しかしなあ、弱い、とはいうても、せいぜいが撃退することぐらいしかできぬ。わしにもあの始末におえない化物を退治する方法はわからないんだ。まあ、近よせぬことができただけでも、この山に入って以来の大進歩ではあるのだがなあ」
 その言葉でダルガは、ふたたび忘れていた警戒心を思い起こして真顔になった。
 好々爺然とにこやかに笑う丸顔の男をまじまじと見やり、口にする。
「あんたがこの山にいる理由はわかった。それにあの化物どもをむこうにまわしていままで無事にいられたどころか、意趣返しまでしてのけた実力はたいしたものだとも思う。だが」
 言葉をとぎらせたダルガに、ガレンヴァールは満面に笑みをたたえたまま片眉をつい、とあげて視線で問いかける。
 シェラもまた、息をのんでダルガのつぎの言葉を待ちうけた。
 ダルガは、樹幹に背をもたせかけて腕を組みながら、問いかけた。
「あんたの目的がまだよくわからない。“ヴァオルの紅玉”を手に入れて──あんたはどうするつもりなんだ? 不死を手に入れたいだけなのか、それとも──神にもひとしい脅威の存在になりたいのか?」
 じっと、幻術使の顔を見つめた。
 対するガレンヴァールは──ダルガの質問を耳にするや心底おどろいた、とでもいいたげに丸々と目を見ひらいて口をあんぐりとあけていたのだが──ふいに、はじけるように笑いはじめた。
 手足の短い短躯がいましもころげまわりそうなほど腹をかかえて身をよじりながら、楽しくてたまらぬとでもいうように幻術使は笑った。
 あまりの反応にダルガはしばしぼうぜんとしていたが、やがて仏頂面もあからさまに口にした。
「おれはまじめにきいているんだ。あんたにもまじめにこたえてほしいんだがな」
 言葉をききながらガレンヴァールはなおも笑いころげていたが、やがてひいひい腹を抱えながらもわかったわかったと何度もうなずいてみせ、むりやりのように笑いの衝動をのみこんでわざとらしく威儀を正してみせ──そして真顔でいった。
「神になりたいとは思わんよ。ただわしは──神のみわざを解明したい、と思っておるだけさ。神秘を、そして真理を、わが手中にしたい、とね」
 いって、口もとにかすかな笑いをきざんでみせた。
 陽気で気のよさそうな印象をどこか裏切る、奇妙に底の知れない笑顔だった。





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